第25話 敗北、そして—―

(私の実力じゃ邪神の動きには追い付けない。だけど魔術だったらダメージを与えることができるから、一気に近づいて魔力が尽きるまで魔術を打ち続ける!)


 そう決断した私は自分の肉体が耐えられる限界まで魔術による強化を施し、一気に邪神との距離を縮める。


 しかし—―


「遅いな!」


 一瞬にして背後に回り込んだ邪神は私の背中に拳を叩き込み、ガードも間に合わなかった私は何とか意識を手放さないように気を振り絞り何度も地面に体をぶつけながら飛ばされる。

 そして、ようやく止まったころには体中あちこちに擦り傷が刻まれ、殴られた時の衝撃で内臓にダメージを受けたのか唇からは鮮血が零れ落ち、口の中に鉄臭い嫌な感覚が広がっていた。


「ケホッ! ゴホッ!」


 ピチャピチャと地面に液体が滴る嫌な音を聞きながら、私は何とか体制を立て直そうと必死に武器を握りしめ、ガクガクと震える膝に力を入れて立ち上がろうとする。

 だが、当然ながら邪神がそんな暇を与えれくれるはずもなく、気づいたときにはいつの間にか接近していた邪神の回し蹴りを受けて武器すら手放し私の体は再び情けなく吹き飛ぶこととなった。


「~~~~~~~!!」


 もはや言葉にならない、悲鳴か呻き声かも判別できない音を漏らしながら私は痛みと気持ち悪さから思わず溢れ出る涙を我慢できず、何度か地面を転がった後にようやく動きが止まった直後も動くことができなかった。

 そして、そんな私の状況を見てこれで終わりと判断したのか邪神は追撃を仕掛けることもせず、ゆっくりと私の方へ歩み寄りながら独り言を呟く。


「ふむ、少し力を入れ過ぎたか? しかし、現代の人類は封印される前に比べて随分と強く、頑丈になったものだな。やはり、王が残したあの魔術師が語った現代の術者とは俺の想像を絶する力を身に着けている故、今の俺が何の対策も無しに神域を出れば即座に滅ぼされることになるだろうと言う忠告も脅しなどではなく純然たる事実であると認めざる得ないということか」


 そう呟きながら痛みで蹲る私に手が届く範囲まで近づいた邪神は、私の髪を右手で掴むと無理やり上半身を起こさせ、自身もしゃがみながらすぐ目の前に顔を近づけると再び口を開いた。


「それにしても、なぜおまえは神の血を引きながら魔術を行使できる? 神気を一切纏わずに奇跡を起こせないようだから人の血が濃すぎるのか? それとも、扱い方を知らぬだけで王のようにどちらも行使が可能なのか? ふむ、いずれにせよ俺の子を孕んだ場合は神と人、どちらの性質を色濃く受け継いだ者が生まれるのか楽しみではあるな」


 邪神はそう告げながら空いている左手で私の体を品定めするかの如くいやらしく撫でる。

 そしてその行為に生理的嫌悪感を感じた私は、今絞り出せるありったけの魔力をかき集めて2つの風の刃を生み出すと片方で邪神の両腕を切断し、もう片方でなんとなくそこを狙うべきだと感じた首の付け根を狙うがダメージのせいか少し上に逸れたことで邪神の頭を跳ね飛ばすこととなり、返り血を浴びながらも地面を転がって何とか邪神との距離を取る。


 だが、それが私の最後の抵抗となる。


 頭と両腕を失った邪神の体はそれでも地面を転がりながら逃げようとする私を追いかけ、あっさりと追いつくとまるで道端にある小石を蹴り上げるような気軽さで私の体を蹴り上げ、そして蹴り上げられた私の体は何の抵抗もできずにそのまま数メートル離れた先の壁へと叩きつけられる。

 そして、魔力も体力も尽き果てた私は何とか意識を手放さないよう必死で抵抗するのだが、もはや限界を超えているのか周囲の景色はぼやけてまともに輪郭を捉えることもできず、その視界は次第に端の方から暗闇に染まりつつあった。


「不意打ちとはいえ、あの状況で俺を一度殺して見せるとはなかなか見どころがある女ではないか。しかも今の一撃……よもや俺が僅かではあるが神核にダメージを受けることになるとはな。クククッ、あの時代の人類はどいつもこいつも腑抜けばかりで抗う女を力で屈服させる楽しみなど皆無だったが、お前の心をへし折り忠実な姓奴隷に仕立て上げるのはなかなか楽しい暇つぶしになりそうだな」


 もはや邪神の言葉の意味すら理解できないほどに朦朧とする意識の中、私は必死にヒスイさんだけでもどうにか助けようと体に力を入れるが、どうやら私の体は指一本すら動かす力も残っていないようだった

 正直、死やこの邪神の好きなように弄ばれる人生が待つかもしれないと思うと恐怖を感じる部分もあるが、それ以上に私の心を支配したのは何もできない自分の無力さに対する怒りと瀕死の重傷を負っているヒスイさんへの失敗の気持ちが大きかった。


「さて、それではまずはお前たちが今後二度と俺に歯向かえないよう、『隷属の首輪』を付けて魔力を封じておくか。その後に俺の奴隷にふさわしい教育を施してやるのだが……反応が無い状態では調教の楽しみも薄れる故、意識が戻るまでは待ってやるかな」


 ほぼ暗闇の中にへと落ちかかった意識の中で邪神に何かを語り掛けられているのを理解しながら、完全に意識が途切れる直前によく知った女性の声を聴いた気がして思わず私は笑みを浮かべ、そしてそのまま意識は闇の中へと沈んでいくのだった。


――――――――――


「反応が無い状態では調教の楽しみも薄れる故、意識が戻るまでは待ってやるかな」


 アルフレッドがそう告げながら、あと数歩でアリスに手が届く位置まで近づいた直後にその声は彼の遥か後方から響いた。


「悪いが、うちの娘をお前のような下種にくれてやるつもりはないんだわ」


 直後、今更ながら侵入者の気配とその殺気を感じ取ったアルフレッドが振り返ろうとした瞬間、彼の左胸を簡素なつくりをした朱槍が貫く。

 そして、咄嗟にその朱槍を引き抜こうと彼が手を触れた瞬間、朱槍からまるで茨のようにいくつもの棘が複雑な形で成長し、彼の両腕と体を縫い付けることで一瞬にして身動きが取れない状況へと陥ってしまった。


「くっ!? こ、これは…『紅き茨の魔槍』だと!? しかしこれは—―」


「お前より上位の神が持ってる武装なんだろ? だが、そいつをぶっ殺してわたしが奪い取ったんだから今その武器の所有者はわたしで、そしてお前より上位の神を殺してるわたしにお前は絶対に勝てないと理解してくれたか?」


 アルフレッドの背後から声を掛けた女性、ターニャは一切感情を感じ取れない静かな瞳で彼を見つめながらゆっくりと距離を詰める。


「き、きさま! 何者だ!!」


「これから死ぬ奴に名乗る必要あるか?」


 ターニャがそう告げながらトントンと足で地面を2回ほど叩くと、突如地面に出現した漆黒の穴から今アルフレッドの左胸に突き刺さっているのとまったく同じデザインの朱槍が出現する。


「残念だが、神の血を引くと言われる王族のアルフォンスや此の世ならざる者なんかの普通のやつには見えないものが見えるフレシアと違ってわたしはお前の神核がどこになるかなんてわかりやしない。だから、お前の神気とやらが尽きるまでひたすら殺し続けることになって苦しませずに一撃で殺してやれないが、悪く思うなよ」


 その言葉を合図にしたように、アルフレッドは一瞬で魔力を解除すると神気により奇跡を行使することでこの場から脱出を図ろうとする。


 だが—―


「ガアァァァァァッ!!?」


 彼の神気に反応するかの如く再び棘の数を増やして成長した朱槍により体内を貫かれ、その激痛から発動しかけた奇跡が光の靄となって霧散してしまう。

 そして、いつの間にか彼の頭上に移動していたターニャが投擲した朱槍が彼の体を脳天からまっすぐに貫き、その朱槍も左胸に突き刺さるものと同じように棘が成長することで内側からその肉体を弾け飛ばす。


 その後、ターニャは着地と同時に再びトントンと地面を足で叩いて漆黒の穴を呼び出し、そこから3度朱槍を取り出して構える。

 だが、いつまで経っても邪神が復活してこない状況にぽつりと「逃げやがったな」と呟くと、いつの間にかこの空間に侵入してヒスイの手当てを始めていたコハクに向かって声を掛ける。


「とりあえず2人を安全なところに連れて行くぞ。どうせあの邪神は完全に封印が解けてる感じじゃなかったし、まだこの空間からは出られないだろう。……てか、それほど強い邪神じゃなかったのは確かだがそれでも中級でそれなりの実力者でもきつい相手だったことには変わりないのに、かなり消耗してる感じだったしあれだけの力を持ったやつ相手に2人だけで相当無茶したみたいだな」


 ターニャはそう呟きながら気を失っているアリスの頭を優しく撫で、回復魔術で簡易的に傷を塞ぐと優しくその体を抱き上げた。


「正直、マリアが戦ってたあのローブ男の方が強そうではあったが、あっちもマリアの頑張りで多少は消耗してた上にジークが相手してるんだからもう決着がついてる頃だろう。だったら、まずはそっちと合流した後にここの出口を見つけるか」


 そう告げる彼女にコハクは「分かりました」と短く返事を返しながらヒスイを背負うと、2人はこの空間唯一の出入り口である魔力ゲートへ向かって歩を進めるのだった。

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