03-6 森を往く狩人と、そこに住まう若き魔女の話 その6

 目を覚ましたのは、ベッドの上だった。汚れの無い清潔なシーツ、掛け布団からは太陽の香りがする。長身の狩人に寝具はやや小さく、伸びをすると足先がはみ出てしまう。ふと隣に何かがいるのを感じた。それに目を向けると、寝ぼけた顔に向かって「なー」と鳴いた。魔女の使い魔の黒猫だった。少し開いたドアの隙間へと器用に体をねじ込み、部屋の外に出たらトトト……と足音が鳴る。


 ややあって「あーっ!」と驚いたような女の声が聞こえると、ドタドタと階段を降りるような音が聞こえた。どうやらここは建物の中、少なくとも二階より上らしい。窓から注ぎ込む陽射しや鳥の声から、今しがた朝が来たようだった。


 周りを見るとここは小さな部屋、ベッドの他には机や小さなタンスが置かれてあり、あまり使われていないことから客用の寝室のようだと感じた。記憶を探ろうにもその掴み所が見つからず、首をひねっている所にまたトトト……という足音がする。黒猫が呼んでいた。いつかのように付いて行き、階段を下りて行った。



「おはよー。ごめんね、貴方が起きる前に朝食作るぞー! って思ってたんだけど。私朝弱いんだよね、寝過ごしちゃった」


 舌を出して整っていない赤紫の髪を掻きながら笑う。パンの焼けるいい匂いがした。狩人は一人暮らしで、このように誰かと朝食を摂るのはご無沙汰だった。目の前の彼女は白いワンピース型の寝間着を着ている。体のあちこちに纏わり付いて生まれた柔らかいシルエットが艶めかしかった。肉付きが良いというより出る所だけ特別に出ているという印象だった。その姿を見て何かを思い出せそうだったが、それより前に掴み取れたのは昨日飲まされたあのピンクの液体だった。


「お前……俺に何を飲ませた? 何で朝になってるんだ?」


「聞きたい? じゃあパンが焼ける前に話しましょうか」


 乱れていた服を整える。


「あれは、魔女が一生に一回使うか使わないかという特別なレシピ。簡単に言えばとってもとっても強力な、滋養の薬」


 言われてみれば、何だか力がみなぎってくるような、逆に脱力していくような。体が軽くなったような感覚を覚える。


「その中にはあの、猪の子供の肉を乾燥させて粉にしたものも入ってるわ。男の人には効きすぎるのかも知れないわね」


「ちょっと待て。お前もそれ、飲んでたよな?」


「もちろん。目の前で見てたでしょ?」


 途切れる意識に抗いながら、飲み干す所を見ていた気がする。


「貴方があんまりやるせない顔をしてたから。それが罪だっていうのなら、弔ったついでに分け合おうと思ったのよ」


 椅子から立ち背を向けてパンとバター、それから紅茶を運んでくる。


「ま、命が巡るってこういう事よ。貴方が殺めた命が貴方の栄養になる。狩人もそういうの、習うでしょ?」


 席に着き直してパンを手に取ると、ナイフにバターを付けて狩人の持つパンに塗りつけてくる。


「食べることが一番の弔いとは習う。だからってお前が付き合う必要はないと思うぞ」


「だって私、魔女だもん」


 バターを乗せた温かいパンを頬張る。中には木の実が入っていた、口の中に香ばしい味が広がって行く。


「ところで、さ……」


 体をもじもじと動かしながら、遠慮がちに尋ねてきた。


「昨日眠った後のこと、覚えてる……? 例えば、夢の中で何かを見た、とか……?」


 妙に歯切れが悪くなる。まるで別人に、少女にでも戻ったかのような仕草である。


「眠った後の記憶? いや全然……ん?」


 夢の中。不確かな記憶をめくってみても、内容なんて思い出せない。けど記憶の中に何かがある。


「お前が……いた? 何か良いものを見たような……お前が嬉しそうだった?」


「え、え、やっぱり今の無し!」


 魔女の振る舞いを不思議に思いながらも、出された紅茶を口にする。さすがにもう何か盛られたりはしないだろう。頭の冴えそうな味がした。



「さて、昨日の調査代のことだけど」


 そう言えばここに来た用事のことを忘れていた。獣減少の原因を調査してくれるという話だった。彼女はもう今日の仕事をするつもりで、髪を整えいつものローブと三角帽子を身に付けている。眼鏡は外していた。


「そうだった。いい金額の持ち合わせが無かったから……」


「報酬は十分貰ったわ。あとは任せておきなさい、また連絡するわ」


 そう言いながら目線を自分の腹辺りに落とし、そっと右手を添えて、軽く撫でる。


 合点の行かないことが次々に起きる。ともかくこの獣減少問題を何とかしないとな、と礼を言って魔女の家を後にする。


「あ、それと」


 魔女がはにかみ笑いで引き留める。


「それとは別に、一年位経ったら必ず来なさい。面白いものを見せてあげるから」


 あの時と同じ、猫のように両目を細める。足元で使いの猫が「なー」と別れの挨拶をした。


(了)

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