1-3

「しかし隊長は相変わらず嫌味だよな」ホセは歩きながら、気怠そうに色々と語りはじめた。ウィードは適当に相槌を打っていた。

「新人相手なんだからもうちょっと言い方ってもんがあるだろ。結果なんて残せなくて当然な筈だ、それをあんなふうに。委縮して失敗を恐れたり、やる気を失って現場にこなくなったり、無茶して大型に挑んで命を落としたり。潰れてしまったらあの人だって責任とらされるだろ。それに俺たちの負担も増える」

 二人は大馬車乗り場に向かっていた。境界近辺は、人が生活するには不便な場所である。食料を買える店も酒屋もなく、女とも出会えない。だから彼らのほとんどは王都に住んでいた。しかし境界から王都も距離があるので、隊長から国王に頼んで朝と夕に十二人乗りの大馬車を何台か走らせるようにしてくれた。

「知ってるか、隊長の話。王都のあちこちの酒屋で『この国境を守ってるのはこの俺だ』って吹いて回ってるらしいぜ。それで興味持って話しかけてきた女の酒代を払って、自宅に連れて帰ってるんだと。よくそんな風に言えたもんだ」

「あの人が隊長なんだから、あの人が守ってるという話は嘘ではないがな」

「よくあの人の肩を持てるよな」

 丁度話の区切りの良いところで、木と木の間の土が踏み固められた道から、地面に石が埋められ車輪が回りやすいように舗装された場所に出た。そこに大馬車が停まっていた。

「俺はここで。じゃあ、さっき約束したとおり後でいつもの酒屋に来いよ」

「ああ」

 ホセだけが大馬車に乗り込んだ。「遅いぞ、定員にならないと走らせないんだからな」「悪かった」そんな会話が漏れてきた。大馬車は王都に向かって走り出した。


わざわざ境界近辺に住むのは、物好きしかいない。その物好きが、ウィードだ。彼は色々と考えて住み場所をこの近くに選んだ。鍛錬のために剣を振ろうにも、街中ではあまりに人目についてしまし、危ないと苦情を言われるかもしれない。境界で緊急の問題があれば自分だけでも迅速に対応を始められる。それに、朝の馬車の時間を考えずに集合時刻近くまで本を読んだりできる。なので、大馬車乗り場の近くにあった旅人や行商人のための宿の一室を間借りし、そこに住み着くようになった。玄関の軋んだ扉を開けると、いつものような受付係がきちんと受付の持ち場に座っていた。ろくに客もこないので掃除や裏の畑仕事をしているのだが、彼が帰ってくる時間だけはそこに座るようにしてくれていた。彼女に会釈をして自分の部屋に向かった。階段を一段踏むごとにも木が軋む音がなった。玄関と違って2階一番奥の彼の部屋の扉は静かに開いた。こらからもずっと使うだろうから直してほしいとウィード自身が宿のオーナーに頼むと、彼は「君の頼みなら」と快く聞き入れてくれた。扉ごと取り替えたので、そこだけ少し色が違っていた。

部屋に入ると、彼はまず水を一杯飲もうとしたが、使えるコップが無かった。昨日の夜使った分と、今朝使った分が机の上に置いてあった。コップの底にはコーヒーが乾いた跡がついていた。仕方がないので、一旦水道で洗ってから水を飲んだ。

「おい、ただいまぐらい言ったらどうなんだ」

 一口飲んだ時、部屋に飾ってある魔物のはく製が話しかけてきた。いや、実際には話しかけてはいない。そのはく製が自分に話しかけてきているのだと、ウィード自身が思い込むようにしているだけだ。それは片手で抱えられそうなぐらいの大きさの、真っ黒な眼球の猿のような魔物だった。「そうだったな、ただいま」ウィードがそう答えると、「部屋で黙って一人で過ごしていると、頭がおかしくなるぞ」その下等悪魔を、テリーと名付けていた。

「そ、そんなにはっきりと言わなくていいじゃないか。ウィードだって疲れているだろうし」

 別のはく製が話しかけてきた。捻じれた大きな角と小さな角がそれぞれ2本ずつ生えた魔物だった。彼はシードと呼ばれており、首から上だけ飾られていた。「いや、いいんだよ。僕が自分で決めた事を自分で守らなかったから、そう言われてしまうのは当然だ」「そ、そうかなぁ」シードは顔の大きさに似合わず、声が小さかった。

「シード、テリーのいう通りだぞ。ウィードは自分で決めたんだ、礼や挨拶を忘れないようにするとな」

 髭を生やしたトカゲのような二足歩行の魔物が低く優しい声で喋りかけてきた。彼の名はモックで、ウィードと同じぐらいの大きさだった。「君の意見はいつも手厳しいよな」ウィードはため息をついた。剣をいつもの場所に置いて、身に着けている装備をいくつか外した。

「ところで、今日も大活躍だったみたいじゃないか」テリーはウィードの足を小突いて、無邪気に話しかけた。「そうだよ、下等だけど13匹、それと中等をやったけどその手柄は新人の後輩に譲ったんだ」ウィードは誇らしげに笑った。「す、すごいね、やさしいね」シードはいかつい顔に見合わない笑顔をしていた。「それでこそウィードだ。本当の強さとは、そういう優しさに宿るものだからな」モックはウィードの背中に手を添えていた。「でもいいのか、そんな自慢話を俺たちにしか喋らなくて」「そ、そうだよ。部屋に戻ってきて、僕らに話すだけじゃなくてさ」「まぁその通りだな。そもそも、もっと色んな話を聞いてくれたり、色んな話をしてくれる相手がいてもいいんじゃないか」ウィードは黙り込んで、ベッドに突っ伏した。布の冷たさからなのか、少しだけ湿ったような感触が肌に伝わった。そしてその体勢のまま、枕に向かって言葉を発した。

「いいんだよ、別に。僕は隊長に拾われて、いい仲間が出来て、向いてる仕事にも就いて。これ以上の贅沢は無いよ。それにもっとこの境界で強くなりたいし、他にもやりたいこともあるし、だったら僕は一人で過ごしているほうがいいんだ」

 テリーとシードとモックは何も答えなかった。ウィードはホセとの約束を思い出し、身支度をして部屋を出た。


 酒屋の扉が開くと、出入り口近くの席の者と、少し奥に座っていたホセがこちらに反応した。手を振って、ウィードをこまねいた。丸いテーブルにはすでに4人座っていたのだが、髭を生やした髪のない店員が椅子を一つ持ってきてくれた。場所を詰めて、若干手狭な状態で席についた。「遅かったじゃねぇか。随分ゆっくり歩いてきたんだな」「バカ言うな、全力で走ってきた」「その割には汗一つかいてない」「鍛え方が違うんだ。この距離じゃ息もきれねぇよ」ホセはウィードが来るのを待ちわびていた。話したい事があったからだ。

「この間王都に来た時、街中で輩どもに絡まれていた女の子を助けたって話していただろ。で、お前は名前も聞かずに立ち去った」

 ホセは喋りながら、店員を呼ぶために手を挙げた。今しがた離れた席にもう一度戻らされた髪のない店員は、ほんの少しだけ苛立っているようにも見えた。

「そりゃそうだろ。名前を知りたいから助けた訳じゃないからな」

「もったいねぇな。自分でもキレイな女の子だって言ってたじゃないか。そう思うんなら尚の事」そう話していると途中に、「注文ですか」と鼻息で髭を揺らした店員が、苛立った様子で声をかけてきた。「えーっと」ホセはもたもたとメニュー表を取り出して、ウィードに渡した。「ほら、頼めよ」それを聞いて、再び髭が揺れたように見えた。その間、遠くの席ではこの店員を呼ぶ声が聞こえた。「とりあえずこいつには、ウォッカを樽ごとストレートで」隣の席のカイルは冗談めいた口調だった。「そんな訳ないだろ」とメニューを眺めたままそれを否定した。「すみません、今のは忘れてください。えーっと」ウィードが何を注文しようか迷っていると、店員はこちらを急かすように足で床をノックした。それに気付いた彼は、適当に決めてしまおうと思った。「じゃあ、とりあえずビールを」そう伝えると、「あいよ」とつぶやいて急ぎ足で立ち去った。店員に悪いことをしてしまったと思う者もいる中、ホセは気にも留めずに話を戻した。

「で、キレイな女の子だったんだろ。その子のことをお前は名前も住んでいる場所も働いている所も知らない」

「だから、そうだって」

「もう一回会いたくないか」

 「なんだよそれ」とウィードが鼻で笑うようにつぶやくと、「ブレオ、説明してやれ」ホセは同じ卓に座っていた新人に話のバトンを渡した。

「実はその人、僕の姉さんなんです。以前姉が駆除隊の人に助けてもらった事を聞いていて、今しがたホセさんからもその話を聞いてピンと来ました。特徴も時期も一致しているので間違いないです」

「へえ、そんな偶然もあるんだな」

 彼は他人事のように答えた。突き放すような口ぶりに場がしらけそうになった瞬間、ホセが空気をつないだ。

「おいおい話の流れを分かっているのかお前は、女の子が誰なのか分かったんだぞ。それに」

「それに姉さんも改めてお礼がしたいと言ってました」

 自分の口から伝えたかった事を先に目下の者に言われてしまい、少し眉をひそめた。

「正直姉さんはかなり美人です。今まで変な男も寄ってきましたがウィードさんならお任せできます。それに姉さんが自分から誰かに会いたいなんて言い出すなんて滅多にないんですよ。これがどういう事かわかっているんですか」

 ブレオは矢継ぎ早に意見を吐き出すと、自分のビールを飲み干した。「まあ、そういうことだ」ホセは自分のグラスに口をつけ、唇を濡らすように傾けた。

「いや、俺なんてやめておいた方がいい。多分だけど、俺はみんなが期待するような男じゃないから。それに今は、誰かと関係性を保つ努力をする時間もないんだ」

 今度こそ場がしらけてしまった。ウィードはテーブルに置いてあった干し肉の切れ端を適当に口の中へ放り込んだ。「まぁ気持ちは分かるけどよ」カイルが話し始めるまでの間に干し肉を飲み込んでしまえた。「俺たちからすりゃお前は相当いい男だぜ」そう言いながらウィードのほうへ体を向けた。

「仕事が出来て機転も利くし義理堅くもある。その上教養もあるし。見た目は、まぁ、悪くはない。お前に相当ほれ込む女がいてもおかしくないだろ」

 他の3人は、黙って頷いていた。しかし当の本人は、首を傾げていた。

「俺はさ、ほんとにさっき言ったとおりなんだ。誰かと関係性を保つ努力をする時間が無いし、お前らと仕事終わりに一杯やるのが」

 話している途中であったが、彼がさっき注文したビールが来た。先ほどの髪のない店員ではなく、赤い癖毛の女性だった。リンドが代わりに受け取ってくれた。「お姉さん、あの店員の奥さん? それとも兄妹とか、あるいは娘とか?」そう話しかけながら、しっかりとジョッキを持とうとしなかったので、赤い癖毛の店員は手を離せないでいた。「いえ、私はただの雇われの店員です」「じゃあ、あの人とはデキてるの?」「店長には奥さんがいます」やっとジョッキを握って、そのままテーブルに置いた。リンドはホセに目配せした。

「なぁ、お姉さん、こいつどう思う? まあ色男ではないけど、そんなに悪くはないだろ?」

 ホセは左手の指でウィードを指さした。手首は骨が無いみたいにだらんとさせていた。「そうね、私は悪くないと思う」ほらね、と言わんばかりにリンドはウィードの肩を叩いた。「社交辞令だろ」ウィードが照れ隠しのように呟いていたので「私はお世辞が下手なの」と赤い癖毛の店員は彼の瞳をじっと見つめた。しかし彼は黙ったままだった。彼女は指をひらひらと振って、別の席の注文を取りに行った。

「あーあ、今日の仕事が何時までなのかぐらい聞いておけよ」

 カイルは本気で残念そうにしていた。

「いいんだよ、この店はよく来るところだろ。俺と彼女が気まずくなって、ここに入りづらくなるのも嫌じゃないか。だいたい俺は、さっきも言ったけどお前らと居る方が楽しいって」

「なんだお前、男のほうが好きなのか?」

「そんな訳ないだろ」

 その後何度か赤い癖毛の店員が料理を運んできたりもしたが、必要最低限の内容しか話さなかった。酔いが回って、食事もあらかた満足したら、店を出た。「この後どうするよ」誰からともなくそんな問いかけが生まれると、「まだまだ飲み足りないよな」リンドがウィードに肩を組んできた。

「いや、明日は鍛錬の日って決めてるから。俺はもう帰る」

 彼がそう答えると、他の皆はなんとか帰らせないように立ちふさがったり腕をつかんだりした。楽しい時間に引き込むために色々説得をしたが「明日に影響が出るほど、俺は今日を楽しみたいとは思わない」と響かなかった。

「相変わらず真面目だな」

 実際に呟いたのは一人だったが、おそらく全員がそう思っていた。そんなのは気にも留めず、ウィードは街はずれまで歩き、そこから宿まで走った。汗をかいてしまったので、水場で体を流してから寝た。酒を飲んで血のめぐりが早くなっているせいか、妙に寝つきが悪かった。しかし布団が温かくなってくると深い眠りについた。

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