第2話 赤い目の少年②
「今日もまた終電だった」
連日連夜の残業に私は疲れ切っていた。
二流の大学を卒業し、就職活動はことごとく惨敗。派遣生活を経てようやく二十五歳で就職した会社はブラックだった。
サービス残業、休日出勤は当たり前。次々と病んで同僚が辞めていく中、なかなか人員補充もされず、業務はどんどん増えていく。
這々の体でワンルームマンションに辿り着き、玄関を開けると捨て損ねたゴミの山を乗り越えてベッドへそのまま倒れ込んだ。
「うう・・小説・・読みたい」
唯一の楽しみはTL小説を読むこと。ネットであらすじや感想を読んでは購入し、休日は優雅にコーヒーを飲みながら読もうと思っていた小説が五万と貯まっている。
しかし現実は日々数ページ読んではそのまま寝落ちしてしまう。
それでも時には読むのを止められず、気づけば朝を迎えていた。
ヒロインとヒーローの両片思いじれじれや、ヒロイン達の恋を加速させる試練の数々。学生時代にサークルで知り合った同級生と束の間の恋人関係だった以外、恋愛経験の無い私には憧れの世界だった。
「ま、現実にこんなのある訳ないけどね」
そう思いながらも、現実の過酷さを忘れさせてくれる。どんなことがあっても最後はハッピーエンドのTL小説に私はのめり込んでいた。
最後に読んでいたのは「放蕩貴族は月の乙女を愛して止まない」というタイトルの小説だった。
女性にもてるヒーローが、親友の想い人で家族に虐げられて育っていたヒロインをいつしか好きになり、やがて二人は試練を乗り越え結ばれるというものだった。
その試練とは、ヒロインと同じ境遇で幼少期に虐待を受けていた男性の義弟が、義兄への嫌がらせでヒロインを浚って傷つけようとするというもの。
ヒロインを助けるため義弟を殺した彼は、ヒーローにヒロインを託し、自分は獄中で死ぬのだった。
その男の名はジュスト=モヒナート。
そしてジュストの義弟で、彼に殺されるのが・・・
(え、これってギャレット=モヒナート?)
昏睡状態から目が覚めたわたしは、鏡に映った自分の姿を見て絶句した。
目覚めた瞬間、五歳までのギャレットの記憶が流れ込んできて、慌てて鏡を見た。
柔らかく波打つ金髪に、大きなくりくりとした紫の瞳。かつて見た天使の像のように愛らしい顔。
それは登場人物欄に描かれたその小説の唯一と言っていい悪役令息の幼い頃の姿だった。
(よ、よりによって男。しかも殺されるやつ)
悪役の退場の仕方はそれぞれ。投獄に追放、はたまた地位や財産を奪われ没落の一途を辿る。
苦しい思いをして生きていくよりいいじゃないかと言われれば、それまでだが、せっかく金持ち貴族に生まれたからには思う存分良い思いをして長生きしたい。
(わたしって、死んだの?)
TLをメインに読んでいたわたしだけど、異世界転生などの知識は普通にある。
これってそういうことなのか?
「ギャ、ギャレット様・・どうされたのですか?」
いつの間にか部屋に入ってきたメイドの格好した若い女性が、おどおどしながら鏡の前で膝をついて項垂れるわたし・・ギャレットに声を掛けてきた。
その怯え具合を見て、普段からギャレットが使用人達にどんな風に接してきたのかわかる。
天使の顔をした悪魔。それがギャレット=モヒナート。
なかなか子どもができなかったモヒナート侯爵、ラファイエとナディアの一粒種として生まれた彼を、両親は極限まで甘やかして育てた。
欲しいものは何でも与え、彼がやりたくなと言えば、仕方ないと許し。逆にやりたいと言えば何でもやらせた。
結果できあがった我が儘放題のお坊ちゃま。
彼の非常さと理不尽さは年を追うごとに増し、使用人達がその最たる犠牲者になった。
ただ、そうするのは両親が見ていない所でだけ。両親の前では良い子ぶる。
「ねえ」
わたしは座り込んだまま、彼女に声をかけた。
声もどこかの少年合唱団かと言うような透き通った声だ。
小説ではそこまで描写されていなかった。
「は、はい」
「わたしって・・今何歳?」
さっき鏡を見たとき、頭に包帯が巻かれていた。
これはもしかして・・・
「わ、わたし? あの、ギャレット様?」
「あ、間違えた。えっとぼ、僕は、今何歳?」
思わず一人称を「わたし」で言ってしまった。
「ギャレット!」
その時、ひと組の男女が部屋に入ってきた。
「気がついたのか」
「ギャレットちゃん、目が覚めたのね」
泣きながらそう言ってわたしを抱きしめるのは、間違いなくギャレットの両親。
「もう、二度と目が覚めないのかと思ったわ」
「一体何があったんだ」
わたし(ギャレット)を抱きしめる両親の肩越しに、こちらを青い顔をして見ている少年の姿が目に入った。
黒髪に赤い目。手足が長くひょろりと背が高い少年。
「ジュスト=モヒナート」
将来わたし(ギャレット)を殺す少年の姿がそこにあった。
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