第9話 報酬

 古風な服装の変わり者、ライル・エリクシアに会うのはそう難しいことではなかった。


『週に何回かはその辺りをうろついてるし、見ただけでわかると思うよ』


 まるで野良猫のような言われようだった彼はまさにその三日後、噂の通り食堂近くの茶葉を扱う商店の近くで会うことができた。


(思ってたよりずっと若い!)


 白髪、というのは年齢のせいかと思っていたが、元々そういった色のように見える。レーベンの父親よりは確実に若いだろう、といった見た目だ。


(流石に大昔の人が生きてましたってことはないわよね!?)


 以前翻訳したライル・エリクシアとただ単に同姓同名なだけか。いやしかし、研究者という共通点もある。その上この世界には魔法や加護が存在するのだから、長生きしている本人である可能性は捨てきれない……等々考え始めるとキリがなかった。


 その男性は丸い眼鏡をかけ、不機嫌そうな顔だがギラギラとした目で蒼の屋台の商品を見つめていた。今日のメニューはクリームシチューにホットケーキミックスを使ったチーズボール。たこ焼き機でレーベンが朝から量産してくれた。


 蒼達は一石二鳥ということで、彼の目撃情報が多いエリアにある広場で屋台を出していた。ユートレイナの中ではお手頃価格の軽食は食欲を誘う匂いと共に、出店三日目にしてほんのりと話題になり始めている。蒼とアルフレドが店を、オルフェは記憶を取り戻したいからと観光中だ。レーベンとフィアはそのお目付け役を引き受けてくれている。 


「すみません! あ、あの! ……ライル・エリクシアさんでしょうか?」


 まさか屋台に本人が現れるとは予想しておらず、蒼はドキドキとしながら声をかけた。アルフレドの方は弟の今後がかかっているせいか、緊張のせいで険しい表情になっていた。


「はあ。そうですが……」


 不機嫌な顔がさらに不機嫌になった。自分を訪ねてくる人間に碌な奴がいないということを知っている顔だ。


「ちょっとご相談したいことがありまして……」

「はあ……私に話しかけてくる人は皆そうですが」  


 だが今はちょうどお昼時、続々と屋台へ向かって他のお客もやってくる。

 蒼はささっと冒険者向けのメスティン飯盒にスープを多めによそい、チーズボールを小皿に入れてライル・エリクシアに手渡した。


「す、すぐに行きますのであちらでお待ちいただけませんか!?」


 食堂で聞いた話では、ライル・エリクシアはいつも金欠気味ということだった。研究に没頭するあまり、他のことが疎かになっているだけで、稼ぐ術はあれど肝心な時に手持ちがなく、よくツケで食事をとっていると。


「はあ……別にかまいませんが……」


 ニヤリと片頬だけ上げてそれを受け取ると、広場の噴水の縁に座りバクバクと勢いよく食べているのを確認する。見た様子より空腹だったようだ。

 その後はもう二人とも気が気ではなかった。そのせいかスープのつぎ分けがうまくいかずあっという間になくなってしまい、がっくりと肩を落として帰っていくお客がいつもより多く出てしまうことに。


「私は料理の専門家ではないのですが、チーズが入っている方の生地はこでまで生きてきて一度も食べたことのない味がしました。あなた、東方の国のご出身?」


 ライル・エリクシアは澄ました顔で聞いてくる。満足したようだったが、同時に珍しい食べ物に興味が湧いたようだった。蒼の容姿を見て、どこか遠くの国の食文化が混じっているのではと検討をつけていた。


「そうです」


 蒼はいつものように、深く考えずその質問に答える。まさか異世界の食べ物です、と伝えて相手を困惑させるわけにもいかない。


「ふむ……違いますか」

「えっ」


 アルフレドがゆっくりと蒼とライルの間に入るように動いた。そして丁寧に尋ねる。


「加護をお持ちで?」


 弟の今後がかかっているのでにこやかに対応しているが、警戒を緩めるつもりはないようだった。 


「加護と同じ能力ですが御使からのものではなく……。まあその話は後に」


 先にあなた方の話を聞きましょう、とスタスタと歩き始めた。少々戸惑いながらついていく二人に、


「私への頼み事を外で相談したい人は少ないので」

「うっ」


 断言したライルの言う通り。蒼もアルフレドもただ黙って後ろを歩くしかなかった。


 たどり着いたのは、天空都市の東のはずれ。小さな古びた集合住宅の一室。


(研究者ってきたけど、研究所は他に……?)


「どうぞ」


 二人はライルに促されるまま部屋の中へと入るが、外観のイメージのまま。机に椅子にベッド、ただそれだけが置かれてあった。バタンと扉が閉められ、立ったまま相談開始だ。アルフレドがゆっくりと、キメラの分離について相談する。


「人間と……大きな黒い犬のキメラなんですが……」

「それはキメラによるとしか言えませんね」


 なんだそんな相談か、と驚くこともない。逆に蒼とアルフレドがその態度に驚いてしまう。人間の加わったキメラはかなり珍しいはずなのにだ。


(専門家だから?)


 なんだかすごい人だぞ、と蒼達は顔を見合わせていた。


「で、その個体は? まずは見てみなければなんとも」

「連れてきます!」


 蒼は慌てて外へ出ようとするが、まあお待ちなさい、この島の中にいるのならいいのです、とライルに止められてしまう。


「ではまず条件を話しましょう。私がそのキメラの分離に成功した場合の報酬について。そして、試みても達成できなかった場合の報酬も」

「そ、そうですね……!」


 もちろん二人は高額な謝金は想定していた。この点、リデオンへ戻ってよかったことは、カーライル家がバックについたことだ。法外な値段を提示されたとしてもなんとかなるだろうと思うと気が楽である。


「先に伝えておきます。私は他人の虚言……嘘を見破る加護を持っています。なので先ほどのような無意味な嘘が少ない方が話が早いということを頭に入れておいてください」


 なるほど、と二人はウンウンと小刻みに頷いた。


「あなた方、加護はお持ちで?」


 この質問にはもちろん二人ともウンと首を縦に振る。ここでようやくライルの口元が少し上がった。


「内容によりますが……支払いはその加護でも可能です」


 あとはまあ、通常通り貨幣でもいいですが……とブツブツ言葉を続けている。


「それはどうやって?」


 一体何を言っているんだ? と思うのは当然の疑問だ。御使でもなければ加護など他人に与えられない。


「私の元々の加護は、他人の加護を借り受けることができる、というものなのです。期限を決めてそれを対価にお困りごとを解決しています」

「へぇ~! じゃあその嘘を見破るというのも!」

「はい。別の方から」


 こんな加護があるのかと、蒼は興味津々だ。だがアルフレドは眉間に皺が出来ていた。


「……アオイは関係ないよ……俺の加護を対価にしてもらう」


 だが、


「言うと思った~」


 というのが蒼の感想だ。相変わらず仲間甲斐のない! とお小言をブチブチと伝えたいところだが、今はライルがいるのでやめにする。


「それで、お二方の加護は?」


 ライルの方もアルフレドの小声を、知ったことではない、というスタンスで会話を続ける。


「私は御使リルの加護を。強力な回復力と、病気とは無縁っていう……瘴気も平気です」


 ライルのふむ、まあ悪くない、という表情になったのを見て蒼はホッとしたが、アルフレドは違う。珍しく身元を明かした。通常なら周囲がおお! とどよめく身元だ。


「俺はカーライル家の人間です。戦士の末裔で……」

「結構! 感知の加護ですね! あれは疲れるから遠慮しています」


 ああ嫌だと言いたげな苦々しい顔をライルはしていた。アルフレドは初めての経験に呆気に取られていたので、蒼が話を進める。


「じゃあ私の方の加護でお支払いということで」

「でも……!」


 アルフレドがそれを止めようとするが、


「いいのいいの。いざとなれば……ね?」


 その先は言わないが、『いざとなれば』、蒼は家にこもってしまえば危険からは遠ざかることができる。アルフレドももちろんわかっているので口ごもるが……。


「あなたが良いのならそういたしましょう」

「き、期間は!?」


 慌ててアルフレドが尋ねる。万が一、数十年の加護の貸し出しをなんて言われたら即撤回するつもりで。


「内容によります。というより、私がどのくらい作業時間を取られるかにもよりますね」

「キメラの設計図はあります」


 前のめりになってアルフレドは答えた。ライルの反応からそれはかなり良い情報だということもわかる。


「追加で期間中の食事を請け負うというのはどうでしょう?」


 今度は蒼が提案した。彼女は以前いた学術研究都市ディルノアで、研究者達への差し入れがかなり喜ばれることだと知っている。食事をどうするか考える時間も、実際に準備する手間もなくなり、その分研究に注げるのは大きい。


「悪くない条件ですね」


 ニヤリと笑っていた。これほど表情筋を使うのは久しぶりなせいか、ライルの頬の動きが悪くヒクヒクとしている。


「加護を借り受ける期間は、どんなに長くても二ヶ月といたしましょう。ただし、少しもうまく行かない場合でも一週間はお借りします」

「二ヶ月……」


 アルフレドにとっては長い期間のようだ。


「なぁに。来月からちょうど二ヶ月、島は閉鎖されますから。島内の安全はご存知でしょう」


 蒼の条件が気に入ったのか、ライルはアルフレドをなだめにかかった。少なくともここにいる期間は魔物の心配をしなくていいのだから、と。

 天空都市ユートレイナは、雪が深まる時期は例の魔道具エレベーターの稼働を止めている。そのため蒼達のような一般人は行き来できなくなるのだ。


 蒼も後押しするように、


「お願いしよう」


 そう声をかけ、やっとアルフレドは頷いた。


「よろしくお願いします」


◇◇◇


「ふむ……」


 しげしげとフィアを見つめた後ライルは、


「失礼」

「ギャゥ!」


 フィアの尻尾の毛を抜き、瞳を観察し、歯を隅から隅までチェックし、足裏まで触っていた。


「ふむ」


 全員がゴクリと息を呑んでライルの言葉を待っていた。正確には今、オルフェだけはここにいない。この島の中には劇場があり、それを見ればまた何か思い出すかも! と、大騒ぎしたので、入場料を渡して行かせたのだ。なんとなく、オルフェのテンションとライルのテンションが混ざり合うことがないような気がして、余計な揉め事が起こりそうな予感が減るのなら……と思ったところもある。


「なんとかなりそうですよ」

「おぉぉぉ!!!」


 思わず全員が声を上げた。アルフレドは涙ぐんでいる。


「ただし!」


 と言われ、全員すっと乗り出した身を引っ込める。


「ただしです……分離自体に時間はかかるでしょう。おそらく長時間かけてゆっくりつ融合したのでは?」


 そんなこともわかるのか、と蒼は驚いていたが、ライルの方はもうその先のことを考えているようだった。どうしようかな~と思案しながら腕を組んでいる。


「どうすれば……」

「薬でユックリ、がいいでしょうね。中の一人と一匹のダメージを考えれば」

「薬でいいんですか!?」


 なにか大掛かりな、魔法を使うような特別な手術でもおこなわれるんじゃないか……と想像していた蒼は思わずそんなことを言ってしまう。


「どちらにしろまずは服薬で反応を見てみましょう。うまく合わさっている個体と個体の隙間が作れるようなら……」


 ライル曰く、フィアはスープのように混ざり合った状態になって別の新たな個体にはなっていない。どちらかというと、サンドイッチのように素材が重なり合った状態で体を維持している。専門家のライルから見ても初めての個体、と興味津々になっていた。


「それぞれの個体の力が強い。戦士の末裔というのもあるのかも……それにこの大犬は聖獣の血が入っているのでは?」


 ブツブツと可能性を呟きながら更なる情報を集めにかかる。


「……我が家の研究者もその可能性を考えてキメラの素材に選んだようでした」

「ふむ。私でもそうしたでしょう」


 そこで蒼が思い出す。


「あの……ほら……ファーラさんの魔法も……」


 フィアを生かすため、禁術を使ったということを思い出したのだ。アルフレドもハッとしてそのことを説明すると、


「なかなか豪胆な妹君だ。本来失敗したであろうことが時間によって解決しているようです。間違いなく彼女のおかげでキメラ化に……生き延びるのに成功したのでしょう」

 

 面白くなってきたぞ、とふっふっふと少々不気味な笑い声が。そしてついにアルフレド達が一番欲しかった言葉が出てくる。


「全くもって全て元通りとはいかないかもしれませんが、これは分離できますね」


 ブワッっと喜びがそれぞれの胸の中で溢れ出す。だが蒼はそれをグッと抑えて尋ねるべきことを尋ねた。


「元通りにならない、とは?」

「髪色が変わるとか、身長が伸びにくいとか……生命維持には関係のない程度の影響は考えられます」


 その時、感極まったのか、ポロリとアルフレドの朱色の瞳から一滴、涙が落ちた。


「よかったね」


 蒼はそっとその背中に触れた。大きくて暖かい、いつも頼りになる背中だ。彼はこれ以上感情的になるのを我慢しているのがわかった。フィアは尻尾を大きく振りながらくるくると全員の周辺を歩き回っている。


「うん」


 アルフレドの中にある辛く苦しい記憶が、少しずつ暖かな何かで覆われ始めた。

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