第8話 壁の外

 蒼がディルノアを出発するまでに、アドア達は例の転移装置を二セット作り上げた。

 一セットはこの街で今も研究を進めている、効果を高めた聖水と繋ぐため。もう一セットは蒼が持つことになっている。


「繋ぎっぱなしってことでいいんですよね?」

「はい。こちらで調整しますので」


 彼女はアドアとラネにもあの特別な家のことは伝えていない。だが彼らは蒼が魔物への効果の高い聖水を大量に持っていることは知っている。


『御使からのもらった……あの……詳細は……』


 アワアワと言い淀む蒼にアドアではなくラネが助け舟を出した。


『いやいい。今となってはトリエスタとフィーラの神官達がなぜアオイ様から情報を吸い出さなかったのかよくわかる』


 アドアも苦笑いをして頷いている。この勇者の末裔のオマケのようにくっついてきた女性は、為政者達が喉から手がでるほど欲しいモノを持っていることが簡単に察せられた。しかも非売品の勇者ではなく、頑張れば手に入る相手だ。


 蒼の価値を高めるべきではない。それを知られるべきではない。それは彼女のためでもあり、この世界のためでもあった。


 結局聖水の出所は有耶無耶のまま蒼は転移フープ装置を受け取った。そしてそれをコロンと庭にある聖水の注がれる水瓶の中へと入れる。


(これでしょうくんの役に立てる!)


 それが何より嬉しい蒼だった。可愛い弟分の噂は最近よく聞くようになった。対魔王軍を率いて快進撃を続けているということだったが、蒼はその姿が残念ながら少しも想像できない。


「しょうくんは目立つけど、目立つのが好きじゃないタイプだったからちょっと意外です」


 立派になって……と、しみじみとした感想が出てきていた。だが同時に心配でたまらないという顔でもある。


「……そうですか」


 アドアはニコリと作り笑顔をした。対魔王軍を率いている勇者は勇者の影武者だ。だがそれは最重要機密事項。上級神官達のみ知ってる事実。本当は蒼へ伝えたいが、それは許されない。


「ショウ様に会いたいですか?」


 ラネはいつも通りの表情を崩さず尋ねる。これも蒼には秘密だが、これから勇者ショウがこの街までこの転移フープを取りに来ることになっているのだ。


「えー! そりゃ会いたいですよ! 実際のところなんて会わないとわかんないし!」


 心配! と、そればかりに蒼はなっていた。


「まあそれは確かに」


 ニヤリと笑ったラネを蒼は見逃さなかった。


(ん? なんの笑い!?)


「アオイ様、私はもう少ししたらこのフープを届けに対魔王軍と合流します。なにか伝言があれば承りますよ」

「え!? 対魔王軍って危ないんじゃ!?」

「心配は無用。リデオンから護衛を雇いますので。用事が終わればすぐに戻るつもりですし。それより伝言を」


 馬の蹄の音が聞こえてきた。


「元気でいてほしいって伝えてください」


 その直後、アルフレドが馬のルーベンを連れて蒼の元に戻ってきた。ルーベンはこの街にいる間、馬屋に大事に預けられていたので、久しぶりのお仕事に少しご機嫌のようだ。

 

 アドアとラネが頷いたのを蒼は確認した。アルフレドにはいまだに蒼が勇者の関係者だとは伝えていない。


「では、お気をつけて」

「お二人も!」


 上級神官二人に見送られて蒼とアルフレドは久しぶりにディルノアの高い壁の外へ出た。これから二人は、天空都市へと向かう。そこには唯一古代から稼働し続けている魔法道具があるのだ。


「天空都市って高い山の上にあるのかと思った」


 だが違った。


「まさか言葉のまんまだとは……流石魔法が存在する世界……」


 空中に浮かぶ島々がそこにはあるのだ。そうしたらもう、観光気分で行くしかない。


「蒼の世界には空に何もないの?」 

「ないよ~……そして魔物もいないのよ……」


 目の前にアルフレドが一瞬で倒してしまった、大きな食虫植物によく似た魔物が転がっている。

 アルフレドはディルノアでは冒険者としての仕事をほとんどと言っていいほどしていなかったにもかかわらず、その実力は全く衰えてはいなかった。


(まぁ庭で剣を振ってたのは見たけど……)


 道中、あきらかに魔物の遭遇率が上がっていた。蒼がディルノアに引きこもっている間に、何か世界が変わってしまったんじゃないかと思うくらいだ。


「この魔物はよくないな……ごめん蒼。近くの村が無事か確かめに行ってもいい?」

「も、もちろん!」


 二人は馬からおり、念のためルーベンをへと戻し、徒歩でアルフレドの言う村へと向かう。先ほどの魔物は毒を振り撒き隠れて移動を続け、相手が毒で弱った頃、その場所へと戻り食事にするのだ。そのため魔物の通ってきたと思われるルート上にある村がアルフレドは心配だった。


 村へと続く道を歩きながら、蒼はひたすら祈った。誰に祈ったかと問われると困るところではあるのだが、知り合いの御使でもそうでなくても聞き届けて欲しいという気持ちでひたすら祈り続ける。


(何事もありませんように……何事もないどころか商売ができますように!)


 余計なことを祈ったからか、それともハナからこの祈りは無意味なものだったのか、残念ながら蒼は今回この村で商売はできそうもない。


「うっ……」


 村に到着してすぐ、うめき声が聞こえたのだ。二人は顔を見合わせすぐに


「ええっとええっと……スープでいいよね!?」

「いい! 俺は人数把握してくる!」


 蒼は急いで家へと戻り、大鍋に庭の聖水を組み込んで入れる。ルーベンは今日はもう旅はおしまい? と、蒼の表情を窺っていた。


「ごめんねルーベン! また後でお仕事お願いね!」


 それから急いでキッチンで野菜を刻み始める。


(細かい方がいいよね)


 お得意の野菜スープだ。ちょっとだけベーコンも入れる。本当は炒めた方が蒼好みの味なのだが、今は時間との勝負。野菜のカットが終わったら兎にも角にも聖水入りのお湯に入れて急いで煮る。


 聖水は薬としてそれ単体でも効果はあるが、効果の範囲は限られる。だからこそ、聖水を使った薬が開発されているのだ。より効果を高めるために。

 蒼の庭にある聖水はその上をいく性質がある。さらにあの特別な空間で、特別な聖水を使って作った料理はまさに万能薬。体の異常状態をあっという間に治す効果を持っていた。

 これに最初に気がついたのはアルフレド。花の都フィーラの特級神官ジュリオがその料理を食べて随分と元気になったからだ。


『トリエスタの神官達が、食欲のない患者さんに聖水入りのスープを食べさせてたの思い出したの……飲むのと効果は変わらないけど、味があると多少飲み込みやすくなるからって』


 しかも聖水を料理に使う場合、汲みたてでなければ全く効果がない。神殿内に聖水があるトリエスタだからこそ可能な方法でもあった。

 彼女もジュリオの件はまさかの出来事だった。蒼の庭の聖水の効力が高いことは、で聞いていたので、少しでも回復の役に立てるといいな、くらいの感覚だったのだ。


「できたよ!!」


 大鍋をワゴンへ移し、ガラガラと村の中へと運び込む。すでにアルフレドが村の広場に倒れた人を集めていた。村人は高熱にうなされており、若者ほど症状が顕著だった。


「麻痺毒じゃなくてよかった……」


 ポソリと呟くアルフレドの声に蒼もゾッとする。そもそもスープが飲み込めなければ蒼には助けることもできなかった。

 二人で手分けして少しずつスープを口元へと運ぶ。最初の一口の後、徐々に村人の症状が軽くなっていくのがわかった。スープの効果は抜群だったようだ。


「いやぁ……助かりました……」

「俺達はなんて運がいいんだ……」


 村人達は口々に感謝の言葉を述べる。アルフレドの判断が早かったのが功を奏した。今回の件で犠牲者はいない。かなり初期段階で彼らの存在に気づけたからだ。


「他の魔物が村に入ってこなくてよかった」


 先ほどの食虫植物のような魔物ではなくとも、他の魔物が村を襲いにくる可能性も十分に考えられる。


「魔物よけのための聖水はまいていたのですが……」

「え?」


 つまり、先ほどの魔物は聖水を突破してきた可能性が高いということだ。


「たまにそういった個体の話は聞くが……」


 今、このタイミングでそんな魔物が現れるとは。


「ディルノアに報告した方がいい」


 魔物が変異したのか、それとも……。


「ええ。私もそうしようと思っていました」


 村長は険しい表情だ。この村は魔物への対策にかなり力を入れていた。だからこそ、今回のことは一大事。

 ディルノアに定期的に食糧を運んでいるそこの村人達は実に手際よく、アルフレドが倒した魔物を布で包み、荷馬車に放りこんだ。この周辺ではなにか異常があれば、ディルノアの人間に報告するということが徹底されている。


「これ、ディルノアで開発された聖水なんです。効果を高めてるって……よかったら使ってください」


 そう言って、樽いっぱいの蒼の庭から汲んだ聖水を渡す。いつの間にかルーベンがワゴンを引いていた。


「助かります。これでひとまずは大丈夫そうだ」

「しかしこうなってはディルノアの中に逃げ込んでいた方がいいかもしれんぞ」

「だがなぁ……畑はどうする……」


 表情が暗い。先程まで死にかけていたのだから当たり前だが。


「これ美味しい~~~!!」


 そんな大人達の話など我関せずな子供達は蒼からもらったクッキーに大盛り上がりだ。もっとちょうだい、の声に大人達がコラ! と、叱り始めるが、蒼はもう一枚ずつね、と一人ずつに手渡す。


「なにからなにまで申し訳ありません……お礼を……」

「いやいやいや。私達にお礼は結構。その代わり誰か困っている人がいたら助けてあげてください」


 アルフレドはいつも通り、助けた後はツンとした態度だったが、最後は珍しく優しい表情で子供達に手を振って別れた。またほんの少し、アルフレドの壁が低くなっていっているように蒼は感じた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る