第5話 記憶

 神殿の奥の一角に、上級神官専用の魔法道具の開発室があった。本棚には古い書物がぴっちりと並べれている。薬瓶もラベルがすべてこちら側を向くように綺麗にそろっている。何に使うかもわからない銀色の杭のようなものや天秤、すり鉢等の道具も片付けられていた。


 だが今蒼が立っている扉の近くにはよくわからないものが端の方にゴチャゴチャに積まれてあり、うっすらとホコリも……。


「すみません……片付けなければとは思っているんですが」


 アドアのその言葉の最中、ラネがよくわからない陶器のカケラをガチャンと音を立てて積み上げた。


「いらっしゃい」


 ツンとした態度だ。最初に会った時のような取ってつけたような笑顔もない。だがラネに敵意はなく、蒼のために椅子を用意してくれた。


「これが今我々が開発中のものです」


 木製の机の上にそっと置かれたのは、怪しげな銀色の輪っか。


(フラフープ?)


 だが、ただの輪っかだと思って顔を近づけると、その周辺に刻まれた小さな刻印の数々に蒼は仰天する。いったいどうやって書き込んだのかというくらい細密なものだ。しかしどこかで見たことのある模様だと蒼は自分の記憶を辿った。


(これが魔法道具なんだ)


 一体どうやって魔法の道具なんて作るのかと思ったが、この刻印が重要なのだと想像ができた。一つ作るのにかなりの時間が必要そうだ。


「これは転移装置です」

「転移!?」


(なんかいきなりすごいの来た!!)


 目を凝らして刻印を見ていた蒼はギョッとして顔を上げる。


「これがもう一つあるのですが、この輪っかの中に入る大きさのものであれば、どこへでも移動させることができるのです」


 あらゆることをすっ飛ばしてとんでもないものを開発している。蒼がいた世界の兵器よりもこちらの方が作るのが難しいのではないかと彼女は感動しているが、開発した本人達はそうではないようだ。

 凄い凄いと持て囃す蒼を見てアドアは困った顔に、ラネはブスっとした表情になっている。


(これが世界に魔力があるのかないのかの違い?)


 これ一つで魔王浄化作戦も幅が広がるというものだろうと、蒼はど素人なりにあれこれ考え褒めちぎる。だがいくら褒めても彼らの表情は変わらない。


「まだ実験が成功していないんだ」

「安定しないんです。おそらく何かが足りないか、間違っている」


 遺跡から発見されたソレを二人は解析し、さらにあらゆる過去の文献を調べ上げてこれを作り出した。ラネはもう一つの転移装置を隣の机に置き、蒼の目の前に置かれている方の転移装置のにすり鉢を置く。そして輪っかを握りしめる。


(光った……)


 輪の縁が光輝き、その瞬間にパリンと何かが壊れる音がした。隣の机を見ると、目の前にあったはずのすり鉢が割れて転がっている。そうして二人が、ね? という顔で蒼の方を見ていた。

 その後ラネがため息混じりに割れたすり鉢を入り口のガラクタの方へと運んだ。


「アオイ様はこちらの世界へは転移されたと伺っております」

「ええ。その通りです」


 なるほど転移繋がりか、と自分にお声がかかった理由に納得する。だが結局兵器同様、蒼は細かい内容を知っているわけではない。


「もちろんその時のことは何でもお話しますけど……」


 大した内容ではないのではないかと、二人をガッカリさせてしまうんじゃないかと心配になる。だがそんな蒼の気など知らず、ラネが急に前のめりに顔を近づけてきた。ムスッとはしておらず、少し緊張している。


「その時の記憶をいただきたい!」

「記憶!? と、唐突ですね!?」


 どうやって? と聞かないのは見当がついているからだ。この世界の魔法は自然由来のモノがメイン。火や水や風を操っている人々はよく見かける。だが、それとは全く関係のない——昨日アドアがラネの口をくっつけたような——事柄は、加護が関係している。


「僕は記憶を見ることができる。色々制限はあるが、転移の瞬間を見せてもらいたい」


 彼にしてはずいぶん丁寧な物言いだ。


(っていうか、記憶を読み取るって魔王側にもいるんじゃなかったっけ!? まさか……!)


「言っておくが、僕は魔王側の人間じゃないぞ」


 蒼の思考は表情からダダ漏れていた。彼もこの件は何度も同じやり取りをしているのだとう。いい加減うんざり、という声色だ。


「ご安心ください。上級神官がアチラに与するものなら、あっという間に文字通り蒸発しますから」


 ハハハとまたアドアは乾いた笑いを漏らす。  


「僕のは相手の了承がなければ絶対に探れない。しかもかなり記憶に付随する具体的な情報がいる」

「具体的な情報?」


 話を聞くとラネはまるで録画された映像の一部を見ることができるのだとわかった。その時の感情までは読み取れない。単純に、見たままの記憶だ。だから蒼本人が覚えていなくても問題がない。

 そのために必要なのは具体的な日付と時間。ラネ本人の魔力と体力をかなり消耗するらしく、一日数分が限度だからだ。外すとかなりの時間をロスしてしまう。


「ええー! ちょ、ちょっと待ってくださいね……こっちの暦だとどうなるんだ……」

「そちらの世界の暦でかまわない。必要なのは、アオイ様側の許可だ。その日、その時間の記憶を僕が見るっていう」


 蒼は今度は机に肘をつき、頭を抱えてなんとか記憶を呼び起こそうと目を瞑る。


「お盆の後だったのは確か……もう毎日が休みだったからなぁ曜日感覚もなくなってたし……」


 ブツブツと独り言を言うことで蒼が記憶の糸を紡いでいるとわかると、二人は静かに様子を伺うことにしてくれたらしい。


「掃除が終わって風呂に入って九時からのドラマを流し見してて……途中でコンビニに行ったんだ……」


 時間帯は絞れてきた。夜の九時から十時の間だ。それでもかなり幅が広いが。


「あ! 日曜だ! 夕方あのアニメやってたし! えーっとそうなると日付は……」


 顔を上げると、期待する神官達と目があう。


「なんとなくわかりました……わかりましたが、なんとなくで……」


 急激に自分の答えに自信が持てなくなった蒼は、サッと目を逸らす。失敗すれば一日無駄にしてしまうことになるのだ。


「いや。誤差一時間ならかなりいい。早速取り掛かってもかまわないだろうか?」

「あ、どうぞどうぞ」


 失礼。と短くラネは呟くと、蒼の両手を取って目を瞑った。対象に触れなければこの力は使えないということだが、蒼は少々気恥ずかしい。


(うわっ!)


 冷んやりとした感覚が続いた。別に不快ではないが、妙な気分だ。


「……そちらの世界の商店はずいぶん遅い時間帯まで開いているのだな。しかしあの品数はなんだ……アオイ様はずいぶんと買い込んでいたようだが、あの時間にアレだけの量を食べるつもりだったのか?」


 パチリと目を開けて、ラネは不思議な体験から帰ってきたと少し呆然としていた。この世界と常識が違うからか認識が追いつかないようだ。


「あれは翔くんの分の差し入れも兼ねて買ってたんです!」


 直前にあの日のことを思い出していたので、それが何の話か蒼はすぐにわかった。あの運命の日は、夜遅くにコンビニスイーツを買いに行ったのだ。数ある美味しそうなスイーツを一つには絞れず、翔にあげるという口実を自分で作り、あれこれたくさん買い込んでいた。


「なんと! 勇者の末裔のために!」


 アドアが話に入ってきた。翔に関する話はやはり気になるようだ。


「……すみません。ハズレでしたね。もう少し後だな」

「ハズレなんてことはない。実に興味深かった」


 するとラネは急いで少し大きなスケッチブックを持ち出し、自分の記憶を紙に出した。細かくまるで写真のようだ。


「えぇー! そんなに明るい照明なのかい!?」

「はい。部屋中が均一に明るく、夜を感じませんでした」


 その後はアドアを巻き込んで大盛り上がりだ。ラネのスケッチを元に蒼にじゃんじゃんと質問を浴びせる。


「あれだけの量をどこで誰があの時間に供給するんだ?」

「衛生面に気をつけているようですね。全て個包装とは……かなりコストがかかるのでは?」

「あ! これは本か! ああ……中身が見れたらよかったのに……アオイ様は素通りしてしまっている……」

「レジにバーコード……ものを管理するのに便利そうですね」

「二十四時間働くのか? 一日中だぞ? いつ休むんだ? 魔力がないとその分体力が上がるのか?」


 転移装置は? と言いたいところだが、あまりに目を輝かせて蒼を見るので、無碍にもできずに答え続ける。


(これが知識欲かぁ~)


 他の神官達も同じように異世界の話を楽しそうに蒼に尋ねたが、この二人はまた少し雰囲気が違う。怖いと感じるほどの熱を感じた。知を司る御使から加護を貰うだけのことはある。

 そろそろ休憩に、と蒼が言い出そうとした時、神官が一人、扉をノックした。


「アルフレド様という方がお見えです。アオイ様にお会いしたいと」

「かまわない。通してくれ」


 ラネがぶっきらぼうに答えた。


「いいんですか?」

「別に。一度アオイ様がどのようなところにいるか確認すればあの護衛も安心するでしょう」


 昨日の態度は彼なりに反省をしたのだと、後からアドアが蒼に教えた。彼もうまくいかないこと続きでピリピリとしていたのだと。そしてその鬱憤を外に向けたことを恥じていたと。


「アオイー! お昼ご飯持ってきたよ!」

「え? うそ!? ありがとう! ていうか、いつの間に!?」


 アルフレドはかなり照れていたが、同時に開き直っているようだった。直前まで持ってくるかどうか迷ったが、どうしても自分の成果を見て欲しくなったようだ。


(早朝から何か作ってたのは知ってたけど)


 彼が朝食を用意してくれていたのだ。パンを焼いて、ベーコンとスクランブルエッグを作って、コーンスープを温めてくれていた。


『完璧な朝ごはんじゃん!』


 それだけでずいぶんと感動したものだが、まさかお昼ご飯まで用意してくれていたとは。


「アオイのを真似しただけなんだけど……」


 そういってかばんから弁当かごを取り出し、蓋を開けると中には惣菜パンがびっちりと詰められていた。焼きそばパンにコーンパン。それにソーセージパンもある。


「これは……!」


 蒼の感動の声より先に反応したのはラネだ。


「さっき見たやつがありますね!?」


 アドアも我慢できずに身を乗り出す。

 アルフレドと蒼は顔を見合わせていた。アルフレドの方は何事だと言いたげだ。特にラネは昨日とは打って変わって喧嘩一つ売ってこない。

 蒼は彼らが先ほどの彼女の記憶で知った、コンビニの惣菜パンが急に目の前に現れ興奮を抑えられないでいた。


「よ、よければ一緒に」

「いいのですか!!?」


 神官二人が初めて見る純粋な笑顔になっていた。そう考えると、この二人は会ってからずっと薄暗い空気を背負っていたのだと蒼は気が付いた。


(ダメとは言えないでしょ~……)


 アルフレドも同じ感想だったようで、困ったように笑っている。


 結局、蒼の召喚の瞬間の記憶を読み取れたのは、それから一週間後のことだった。

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