第9話 高級志向−2

「あぁ~今日も間に合わなかった……」

「すみません……明日は少し多めに作っておきますね」


 SNSもないというのに、花の都フィーラで蒼の屋台の噂はあっという間に広がっていた。


「いやいやいや! こっちこそつい残念で余計なことを口走ってしまって……」

「よかったらお茶だけでも」


 蒼はポットを持ち上げて、彼女のケーキを食べられなかった無念さを口走ってしまった男性に勧める。これはケーキを買ってくれた人へのサービスなのだが、すでにケーキは売り切れて余っているので、彼の様な人へ声をかけるようにしていた。

 アペル神殿の小さな憩いの広場にはいつの間にか蒼のケーキをその場で食べるためのテーブルや椅子が増えており、小さな野外カフェが出来上がっていた。


「これは申し訳ない……いただいても?」

「どうぞどうぞ!」


 蒼はカップに紅茶を注ぐ。このカップはとある薬問屋の大商人から譲り受けたものだ。蒼特製のチョコレートケーキを納品した先の主人が大変喜びで、ちょうど屋台で使う用の安いカップを探して回っていた彼女に、『カップとソーサーが不揃いのものがいっぱいあるんだ』と格安で提供してくれた。

 

(ただより高いものはないってね)


 本当は無料で差し上げたい、と言われたのだが、蒼は元の世界のそんなことわざを思い出し、丁重にお断りをしている。とはいえ相手はいいお客さんであることにかわりない。彼女の金持ち向けケーキは順番待ちだったが、そのお客さんへは小さなタルトなどを頻繁に用意するようにしていた。

 大の甘党で、その度にオーバーリアクションで大喜びしてくれるので彼女も作り甲斐があるのだ。


「アオイ、最近頑張ってるね」


 彼女がこれまでに比べてかなり意欲的に商売に取り組んでいることをアルフレドは見抜いていた。毎日テキパキと計画をたて、調理をこなし、日中は屋台で食事を売って、また翌日の仕込みをする。


「いやぁ~なんか……金に目が眩んじゃってるんだよねぇ……」


 キッチンでアルフレドは生クリームを混ぜ、蒼はミートソースを使ったライスコロッケを作っていた。アルフレドにあらためて指摘されると彼女はため息をつくのを我慢して自分を省みる。


「そうなの?」

「そうだよ~稼ぐのって楽しいよね~」


 商品の単価を上げているにもかかわらず、あっという間に売り切れになるのだ。これまでの倍の価格なので、もちろん収入も倍。さらに一日に一件か二件、金持ち向けに綺麗にデコレーションまでしたケーキも売っていた。

 アルフレドは初め断ったが、彼にもきっちり賃金を渡している。それでも驚くほどの儲けが毎日発生していた。


(こういうことに人生の重きを置きたくなかったのになぁ)


 と異世界を回る予定だったのだ。社畜根性は身体を作り替えても残っていたのか、それとも……。


数字金額がでるとどうもねぇ。達成感もあるし、何より最近はお客さんが嬉しそうに食べてる姿が見えるから……」


 美味しそうに近くのベンチやテーブルで蒼の作った食事をとる人の姿を週に五日は見ている。


「期待されると応えたくなるもんね……」


 彼の言葉は蒼ではなく他の誰かに言っている様に見えた。


◇◇◇


「おぉ! 今日はライスコロッケの日ですか!」


 トリエスタの時のように、蒼は場所を貸してくれているアペル神殿の神官達にチョコチョコと差し入れをしていた。今日はチーノが気に入っているライスコロッケだったので、出来立てをひと足さきに持ってきたのだ。

 フィーラのアペル神殿の中にも上級神官用の会議室があり、いつもそこにしている。トリエスタとは違って、よくそこで神官達が何かしらを議論しているので誰かはいるのだ。


「あれ? ジュリオさんは?」


 彼は専用の部屋ではなく、よくこの会議室で書類仕事もしていた。議論の声がある方が仕事が進むのだと言って。


「……実は体調を崩されていまして……お年ですし……」


 神官達の顔が曇った。それでジュリオの状態があまり良くはないのだと蒼は気づく。毎日顔を合わせていたが、少しもそんな気配はなかったのに。神官達曰く、蒼の屋台がいい刺激になったらしくここ最近は元気を取り戻していた。つい昨日まで。


「元々楽しいことがお好きな方でしたから……」


 屋台の周辺に食事ができるようテーブルやベンチを増やしたのもジュリオの声掛けがあったからだったのだ。


「大変勝手なお願いなのですが、なにかアオイ様の手で食べやすいものをご用意いただけないでしょうか……もちろん代金は払います!」


 いくらでも! と、神官達はすがるような姿勢で蒼に詰め寄った。


「そんなのいくらでも作りますよ~! ていうか昨日言ってくれたらすぐ用意したのに!」


 そう言って蒼は急いで家へと舞い戻っり、トマトのリゾットを作り始める。彼はグレコと同じくトマト味を気に入っていた。


「あれ? どうしたの?」


 蒼の代わりに屋台の準備を進めていたアルフレドがキッチンへと入ってくる。


「ジュリオさんが体調崩しちゃったらしくってお見舞い作ってるの~……はい! 出来上がり!」


 トマトジュースを使って作った簡易的なものだが、ジュリオの好きな味付けには間違いない。


「って、そろそろ屋台の方もいかなきゃ!」

「そしたらそれは俺が持ってくよ」


 アルフレドはトレイにリゾットを乗せながら提案する。屋台の準備はまだまだ蒼の方が手際もよく、お客も蒼との会話を楽しんでいるので、自分がそちらに回るより、ジュリオの方に行った方がなにかと都合がいいと思ったからだった。


「ありがと! そしたらそっちの水筒にジュリオさんが好きって言ってたチェナのお茶が入ってるから……」

「わかった。持っていくよ」


 そうして別々の場所へと向かった。

 アルフレドは待ち構えていたチーノによってすぐにジュリオの寝室に通される。


「ああ、いい匂いだ……悪いねぇこんなことを……」


 ジュリオの口調はいつも通りだったが、声が弱々しい。


「いえ。アオイが心配していました。また明日も何か作って持ってきまので、ご希望を聞いておくようにと」


 アルフレドはいつも通りだ。いつも通り、丁寧で優し気ではあるがどこか壁を感じる。そんな空気を醸し出していた。


「そうだな~またトマトの何かがいいなぁ」

「わかりました」


 そうしてジュリオのためにアルフレドは水筒からカップにお茶を注ぎ移す。


「ありがとう。アルヴァさん」


 ガチャン、と音を立ててカップが床に落ちた。


 アルフレドの手が小さくブルブルと震えている。呼吸も浅く早い。


「ああ……すまない。隠している名前だったのか……」


 どうも頭がまわらず、いつもはこんなミスはしないんだが……と言いながらジュリオはリゾットに口をつける。


「な、なんで……」


 声を絞り出してアルフレドはその理由を尋ねる。なぜ長らく隠し続けていた実名を彼が知っているのか、皆目健闘がつかない。


「加護だよ。私は真名がわかるのだ」


 またもリゾットを口に含む。


「名前がわかるだけで、日頃はあまり役にはたたないのだがね。ああでも植物の名前がわかるから、図鑑で詳細を調べるのも楽だな~」


 ジュリオは自分で自分の能力加護が面白かったようでクックと声を殺して笑っている。

 アルフレドが真っ青な顔のまま黙りこくっていたので、ジュリオは一人話続けた。


「私は昔、信仰心とは無縁でしてね。だけどここのオルガンはどうしても弾いてみたくって……御使アペルはそれだけで私を特級神官にしてくれたのですよ。お前の鼻歌を気に入ったからと言って」


 御使のお心はよくわかりませんねぇとまたジュリオは笑っている。


「魔王発生……いえ、巷では復活というのか……それもつい最近までは他の上級神官達とは違ってそれほど興味もなく……今はまあ、ダメな上司を支えてくれていた部下達の身が危険になるかと思うと気が気じゃないんですが……さんと同じですよ」


 ビクリとアルフレドの体が揺れた。名前以外も見抜く力でもあるのか、と怯える目をしている。だがジュリオはそれには答えなかった。 


「もうすぐ私も役目を終えます。この戦いを見納めてからにはするつもりですが……せめて最期は役に立つといいなぁ」


 いつの間にかリゾットを食べ終わっていた。先ほどよりも顔色も良くなっている。ああ美味しかったと満足そうな声を出した。

 

「お、俺は逃げ出しました……だから役目は回ってきません」


 何かを吐き出すようにアルフレドは地面を見つめながらなんとか声を出す。


「それはわかりませんよ~御使の考えは我々とは違うようですし」


 今度は優しい声だった。アルフレドの抱える秘密を知ってか知らずか。そうなるかわからないものを、あれこれ悩んでも仕方がないと彼を慰める。


「俺もそう考える日もあるんです……だけど時々苦しくって……」


 罪悪感が消えないのだと。だからアルフレドは人助けをやめられないのだ。罪悪感から逃げるためだけに誰かを助けている。


「それでいいじゃあないですか~これからもそうしてください! 是非!」


 あまりにもジュリオが軽く受け入れるので、アルフレドは呆気に取られている。


「罪悪感が消えるまでしましょう。人助け!」

「……いつか消えるでしょうか」

「さあそれは。ですが客観的事実として、さんが多くの人を助けたという事実ができますよ。たとえあなたがアレコレ理由をつけて否定してもです。それでもって客観的事実って重要なんですよね~世界では」


 さあさあ、元気を出してとジュリオはベッドを抜け出しアルフレドの背中をさすった。アルフレドもジュリオに肯定されて少し安心したように微笑んだ。


「いやしかし。アオイ様の食事……なにか入ってます?」


 足腰もしっかりしている。杖すら使っていない。


「わ、わかりません……!」


 その後、ジュリオの側仕えの神官が部屋に入ってきて、割れた食器と杖なしで歩く彼をみて驚き、ひと騒動起きたのだった。

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