第9話 豊穣を祈る日−2
元の世界で祭りに参加したのはいつだっただろうかと、そんな考えが急に蒼の頭に浮かぶ。
(八月の終わりにある花火大会に行こうかなって思ってたんだよな)
焼き上がったばかりのクッキーは温かな甘味のある匂いを神殿の厨房の外まで漂わせていた。
「アオイ様~~~! アオイ様~~~!!!」
「はいはーい! すぐ持ってきまーす!」
神官達のちょっと慌てる声が引き続き聞こえてくる。お祭り最終日もまだまだ忙しい……のはお昼までだった。急に人の波が落ち着き、神官達も後片付けに入っていた。
「アオイ様、本当にありがとうございました。子供達は皆大喜びで……あ! 来年どうしよう~!」
チェスティは急に思い出したように慌て始める。きっと子供達は来年も期待してやってくるだろうと簡単に想像がつくからだ。
「まあなんとかなるよぉ」
グレコは楽観的だった。彼は祭りの期間、終日救護院を担当していた。喧嘩して運ばれてくる冒険者やほろ酔い状態で転んでしまった酔っ払い達が絶えずおり、それに嫌味一つ言わずにいつも通りにこやかに治療をしていた。この街に来た当初、グレコの対応に不安を持った蒼だがこの点にかんしては心の底から彼を尊敬している。グレコは他人に対してとても寛大だ。
「ここを発つ前には後任を紹介できるかもしれません」
「ええ!? 本当ですか!? 誰!?」
「ブラスくんが喜ぶなぁ」
「まあそれは追々と……」
ちょっと思わせぶりだが、期待は十分もてる。バジリオはどんどんお菓子作りにハマっていた。蒼からの材料が簡単に手に入らないとわかると、自分で材料を揃えてレシピの研究を始めたのだ。小麦もチョコレートも自分なりに調合してアレンジし、蒼のものと同じとはいかなくとも、美味しい! と思えるものを作り出そうと努力していた。
『料理がこれほど大変とは……アオイの努力を簡単に盗むような真似をして悪かった』
『いえいえいえいえいえいえそんなことは……!』
それを言われてしまうと蒼が辛い。元の世界の先人達が生み出してくれた材料とレシピで蒼は今生活している。独自のレシピを開発し始めたバジリオに多少のアドバイスはしたが、それも元の世界で聞き齧った内容を伝えただけだ。
(いやあああ罪悪感が~~~!)
だが、別にこちらの世界に悪い影響を与えているわけではない。
『教えてもらった通り、砂糖の代わりに蜜を使ったものも試しているんだ。砂糖よりは多少安く手に入るし……うまくいったらそのレシピを公開してもいいだろうか……もちろんアオイには追加の謝礼を考えている! 商売の邪魔をするつもりはないが、やはり影響はあるだろうし……その……今後こういった焼き菓子が貴族階級だけでなく一般的にも流通するといいんじゃないかと考えていてだな……』
目の前の料理の師が黙って自分の方を見つめ続けているので、バジリオは言い訳をするように喋り続けている。
(誰かの幸せには繋がってる……のかな……)
間接的にではあるが、蒼はそう思い込むことにした。
トリエスタ家は評判のいい領主だ。バジリオもそうだが、彼の父も跡取りの兄もいい噂をよく聞いている、彼女はいい相手に置き土産ができたということだ。もしも商人であれば、また違った結果が待っていたかもしれない。
『お気になさらず。少し旅に出ようと考えておりまして』
『そうなのか!? どうして!?』
『えーっとその、他の街の食文化を学びにといいますか……』
するとバジリオは顔を輝かせ、
『やはりそのくらいの気概がないとあれだけ美味しいものが作れないのだな!!!』
感動感服だ! と、大袈裟に蒼を褒め称えた。そして旅の途中何か困ったことがあれば、いつでも自分の名前を出すようにとも。
『私は家督を継ぐわけではないがトリエスタ家の人間だ。多少の役には立てるだろう』
『ありがとうございます!』
予定外のところで心強い後ろ盾を得ることができた。権力者の知り合いはいて困ることはない。
『小麦の品種改良のことを屋敷にいる学者が以前父に相談していたんだ。兄が興味をもっていたのだが、今は領土防衛に予算がかなりかかっていてな……だが少し話をしてみようと思う』
お菓子談義はいつまでも続いた。これほどのめり込んだのは剣を覚えて以来だとずっと上機嫌に蒼との会話を楽しんでいる。
『私は今の小麦から作られたクッキーも美味しいと思いますよ。甘味とは違う少しクセのある味が私好みなんです』
『ふむ……なにも甘ければいいというわけでもないか』
『飲み物によって出すお菓子の甘さを変えたりしますよね』
『なるほど……!』
お菓子作りは奥が深いなと、そうしてバジリオはさらなる情熱を注ぎ始めるのだ。
◇◇◇
夕方にはお役御免となった蒼は街の中央広場へと向かった。祭りにやってきた人々は昼から開催されているとある催しを見に中央広場へと集まっている。
(模擬試合いか~)
ただそれだけの単語を聞いていた蒼は、世界が違う、というのがどういうことか舐めていたことを思い知ることに。
「うあぁあああ!」
蒼が模擬試合と聞いて思い浮かんだのは、剣道やフェンシングの試合だ。出来る限りの事故を防ぐような対策をされたスポーツ、そんなイメージのまま呑気に観戦を始めたところ、なかなか刺激が強い光景が。
(模擬試合っていうか、
流石に真剣は使われていなかったが……これは木剣を使った喧嘩だ、そう蒼には見えた。一発くらえば骨はやられていそうな一撃の応酬に、あちこちから歓声と悲鳴が広場に轟いている。もちろん血もあちこち地面に落ちているし、今試合中の二人の鼻からもたれている。
「豊穣を祈る祭りだよね!?」
この模擬試合はいったいその祭りのどこに通じているのか、と蒼は聞きたい。
「そうなんだけど……たいていのお祭りにはつきものなんだよね」
「だいたい『模擬』じゃないじゃん! 本気の試合だよね!?」
偶然出会ったアルフレドとレイジーと三人で観戦している。彼らの解説によると、試合に参加しているのは、かねてから揉めている者同士。文字通り殴り合いで正式な決着をつけるために今戦っている。決着がついた後はゴチャゴチャと言ってはならないという掟があるのだと。観客全員がその証人だ。
「領主様もいるからね。どうしようもない個人のトラブルの解決手段の一つになってるんだよ」
目線の先の領主様は真面目な顔で観戦していた。きちんと結果を見届けるつもりのようだ。そしてステージのすぐ側に、治癒師と呼ばれる回復魔法が得意な人々が控えている。
「殺したら負けだからね。その心配はないんだ」
もちろん審判もその道のプロ。下手な八百長をしようものなら、観客全員からのブーイングの後、暴動が起こりかねないのでそういった心配もないのだと蒼は教わる。
「だから賭けは厳しく禁止されてるんだ」
「なるほど……」
歓声はやまない。蒼は目をしかめながらその試合を見ていた。
「う~~~痛そう~~~」
「なんだ~アオイは初めてか? あれ? どっか小さい村出身だって言ってたっけか……?」
レイジーはあちこちから聞いた蒼の噂話を曖昧に覚えていた。
「あーうんそうそう」
「相変わらず適当だな……」
それでレイジーは彼女がまともに答える気がないとわかったので、それ以上聞くことはない。
「それであの人たちはなにで争ってるの?」
「なんだっけ?」
レイジーがアルフレドに尋ねる。彼は戦う理由に特に興味がないようだ。
「亡くなった女性の元恋人二人が、彼女の遺産を受け取る権利を争ってるんだよ」
「へ、へぇ……」
なんとも反応しがたい内容だった。どうやらその女性というのは、二股でたくさんの
「その贈り物を返してほしいってこと?」
「そうみたいだね……なんでも同じものをねだって二つ手に入れて……一つは売り払ってたらしいんだ」
「ああ~……な、なるほど……」
だがただそれだけではなく、なんとも複雑な感情が彼らの中に渦巻いているのがよくわかった。
その後も数件、模擬試合がおこなわれた。すぐに決着がつくものもあれば、長々と粘るものも。なんにしても大盛り上がりだ。どちらが勝ったかというより、試合そのものを見せ物として楽しんでいる人が多い印象を蒼は受けた。
月が登った頃、最後の試合が終わった。
「いや~今年も見応えあったよ!」
「もっと見たかったな~」
等々、人々は満足そうに会場を後にする。蒼は二股をかけられ白熱した試合をしていた二人が、抱き合って涙を流しているのを見た。
「送るよ」
アルフレドが当たり前のように蒼の隣を歩く。そしてレイジーに、
「また」
と有無を言わさず別れを告げたので、レイジーはギョッとした後でニヤニヤと、
「まったな~~~」
手をヒラヒラと嬉しそうに去っていった。
(ああ~これは……なんかあるな……)
アルフレドの様子がいつもと違ったのだ。思い詰めたような顔になっている。蒼はすでに彼に秘密を明かすことを決めていた。明日の約束だったが、予定外に今日会ってしまったので別に今伝えてもいいなと思っていた矢先のことだ。
人通りがなくなった道で、アルフレドは立ち止まった。蒼も緊張してくる。いったい何が彼を辛そうな表情にさせるのか、皆目見当がつかない。
「ごめんアオイ……俺はまだ覚悟ができてないんだ……俺の秘密を伝える覚悟が……」
「へ?」
情けない声が出てしまった蒼は、急いで言葉を続けた。
「いや。別に言いたくないことは言わなくていいよ! これまでの通りで!」
「へ?」
今度はアルフレドが気の抜けた声を出していた。よっぽど気合を入れた告白だったようだ。アルフレドは蒼が秘密を打ち明けようとしてくれているのに、自分はその勇気がないことがどうにもフェアではないと感じ、思い悩んでいたのだ。
「基本これまで通りでいいよ。話せないことは話さない。話せることは話す。それでいこ!」
「い、いいの……?」
蒼は優しく微笑みながら肩をすくめた。
「まぁ、なにか困ったことがおこったらその時要相談ってことで」
それでやっとアルフレドの表情の硬さが取れた。
「私の秘密はこれからの旅にどうしても関わることだからさ! もちろんアルフレドにも黙っててもらわなきゃ困ることだけど、それはもちろんいいよね?」
「当たり前だよ! 命に変えたって守る」
真剣な瞳だ。それで蒼もああよかった、いい人と縁ができてと心の底から思えた。
「じゃあ一日早いけど、秘密をお披露目しましょうかね!」
蒼は胸元から、得意気に金色の鍵を取り出した。月の光に照らされて、それは少し不思議な光を放っている様にアルフレドには見えた。
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