第8話 下準備
蒼のトリエスタでの毎日は目まぐるしく過ぎていく。
(スローライフはどこいった!?)
最近、彼女が想像していた異世界の生活スタイルと少々ズレ始めている。
なにがなんだかでやってきたこの異世界、程よく稼ぎ、ノンビリ暮らせる。屋台を始めたことろはそう思っていた。なのに今は祭りで出すお菓子の計画を練り、その後に控える領主の息子の贈り物計画にてんてこ舞いだ。
「
今回祭りの準備で蒼の右腕を務めるのは上級神官チェスティ。蒼の宣言を聞いて、待ってましたとワクワクしている。
「なんでもしますよ~!」
「とりあえずひたすら材料を混ぜてもらいます!」
(とりあえずアイスボックスクッキーを大量生産よ~! えーっとあとは……)
シュガーパイ、バターのいらないパウンドケーキ、さらに溶かした砂糖でコーティングするフルーツ飴。
(いざとなったら砂糖飴も作ろう……)
蒼も必死だ。なんとか材料を調整してお菓子の数を増やす手立てを考える。
ここでまた一つ、蒼の家のルールが発覚した。
「家電って持ち出せないの!?」
蒼の秘密を同僚にしか話せない上級神官になら、彼女が元いた世界の調理機器を見せても大きな問題ない! と、いそいそとキッチンから運び出す。しかしそれは未遂に終わった。
クッキーの生地を混ぜるためにフードプロセッサーを持ちだそうとした時の話だ。門の外に出た瞬間、蒼の手元から忽然と消えてしまった。そして元のキッチンの位置に戻っている。
「スマホも懐中電灯も持ち出せたじゃん!」
この違いはなにか、蒼はすぐに見当がついた。
「コンセントの有無かっ!」
通常コンセントが必要な家電は一切外に持ち出せず、電池やバッテリー式のものは持ち出せた。
(ここの家電にコンセントはついてないのに……ていうか! だから持ち出せるって思ったんだけど!)
いまいち管理官の考える基準はよくわからないが、リルケルラの顔を思い出すと、あまり深く考えていないような気がしないでもない蒼だった。
仕方ないので下準備は全て手作業だったが、それが当たり前である上級神官他お手伝いの神官達は少しの愚痴もこぼさず生地を混ぜ、形を整え、黙々とやるべきことを続けた。
「はまりますねぇ……」
「無心になれます」
と、好評ですらあった。
この期間、困ったのは屋台のメニューだ。
通常は惣菜パイ、ピザロール、串焼き、惣菜パン、キッシュ、肉まん、そしてスープをメインにお客に提供している。
(パイ生地と薄力粉使うものは無理ね……強力粉使ったメニューを増やすか)
もちろん、甘いものメニューはしばらくお休みだ。チェスティたちはそれを知って申し訳なさそうにしていたが、そもそも彼らは蒼の冷蔵庫の秘密を知らない。彼らだってきっと異世界からやってきた女性の秘密は知りたいはずだ。だが彼女のために聞かないという選択肢をしてくれている。
「いいんですよ~たまにはテコ入れしないと」
「テコ……?」
日頃出さないメニュー……三十食は用意できないが、それなりの数は準備できる料理はたくさんある。
焼き鳥にコロッケ、豚カツ、ハンバーグ、このあたりは店で出しても大丈夫というお墨付きもあったので、
「ちょっと今新メニュー考えてるんですよ~」
というコメントの元で売りに出すと、お客は目新しさに釣られて二品、三品と買って行った。
(いつも皆一食なのに!)
「食べない後悔はしたくないから……!」
と言って全種類買ったのはやはりアルフレドだ。
「祭りの準備はやっぱり大変?」
少し久しぶりにアルフレドと二人、夜の屋台で食事中だ。本日の夕食はトマトクリームリゾットとカボチャサラダ、オニオングラタンスープ。小麦粉系ばかりの料理をしているせいか、蒼は米がついつい食べたくなる。アルフレドも気にせず食べれるところを考えた結果の献立だ。
(まぁ~アルフレドなら和食でも食べてくれそうだけど)
いや~これはちょっと……と、彼が食べるのを遠慮する姿が想像できない。
「思ってたほどじゃないかな~手伝ってくれる人はいっぱいいるし」
「そっか。でもなにか俺に手伝えることがあったら言って。しばらく街からは出ないから」
「うん! その時は遠慮なくお願いするね」
その理由が蒼の料理を食べ逃したくないから、というのはレイジーから聞いていたのでなんだか蒼は照れくさい。
「それであの……ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」
ドキマギとアルフレドが俯き加減にわざわざ彼女に質問する許可を求めた。
「え! うんうん! なんでも聞いて!」
通常であれば異世界の人からの質問にはドキリとするところだが、アルフレドが質問することは稀だ。この街では彼と仲良し、という自負がある分、蒼はそこに寂しさも感じていた。だから今、彼女はちょっぴり前のめりだ。
「あー……その、領主様のお屋敷でレイジーがアオイを見かけたって……厨房で……そこで働くのかな?」
明らかにアルフレドは挙動不審になっている。彼女が屋台を辞めて条件のいい領主の屋敷で働くのではないかと不安になっているのだ。
「いやいや! お屋敷へはちょっと用事があっただけ!」
「え!? そうなの!?」
蒼が? なんで? 大丈夫? と、それはそれで心配と表情に出ていた。
「うん。まあ一時雇みたいなもんだから。時間がある時だけね」
実はこれも蒼が忙しい原因の一つだった。
バジリオ・トリエスタ。この街の領主の家の次男として生まれ、現在は騎士として領地に尽くしている。そして上級神官チェスティに恋心を抱いている。
(ちょーっと……せっかちなんだよな~……)
チェスティの誕生日までまだかなりの時間があるというのに、ずいぶん前から準備するんだな、しっかりしているな、という印象はすでにない。
『チョコと薄力粉があれば簡単にできますよ』
と、バジリオにチョコレートクッキーのレシピを軽く伝えたのが悪かったのか、
『アオイ……すまない……教えてもらった通りに作ったつもりがうまくいかなかったのだ……』
『もう作ったんですか!? 材料は!?』
『いいものを揃えたのに……』
シオシオになった大男が度々神殿に蒼を尋ねてくるようになっていた。蒼のレシピは蒼の持つ材料があって初めてうまく出来上がる。この世界のものではやはりそう簡単に蒼が作ったのと同等のものにはならない。
『豊穣祭が終わったら頑張りましょう!』
『そ、そうだな……つい気が急いてしまって……』
というやりとりを三度した後、蒼は諦めた。
『……これからお屋敷にうかがっても?』
『も、もちろんだ……!』
という訳で、まだまだ本番には時間があるにもかかわららず、蒼はバジリオのお菓子作りの特訓にも付き合っていた。
(チョコレートはお祭りメニューで使わないからいいけど……薄力粉はちょっと痛いのよね~)
なので毎回少量だけ持ち込んでいる。唯一困ったのがオーブンを使わない焼き時間だったが、
『やっぱお屋敷のって立派~うちの石窯と違うんでちょっとわかんないですねぇ』
とうまく誤魔化した。
(まあおかげで石窯でのなんとなくの焼き時間はわかったからいいけど)
試行錯誤の結果、豊穣祭でクッキーを焼くのにも役にたつ経験になった。これがなければ、豊穣祭の前日、蒼は家のオーブンで夜鍋してお菓子を焼き続ける必要があったのだ。
(バジリオ様の気合いを軽くみてたってことよね~)
それも同時に反省した。恋から生まれるパワーを舐めていたと。バジリオは今やいまやこの街一番のクッキーのプロだ。……蒼の食材限定だが。
◇◇◇
「ごちそうさま! 今日もすっっっごく美味しかったよ!」
アルフレドは蒼がいつもするように、空っぽの皿の前で手を合わせていた。この街の人はしない仕草だ。
「よかった……あーそれでちょっと言っておきたいことがあるんだけどね……」
彼に伝えておきたいことがあった。だから今日夕食に誘ったのだが、蒼はなかなか言いづらそうにして次の言葉が出てこない。アルフレドはじっと蒼の方を見て待っている。
「……まだ少し先だけど、この街を出ようと思ってるんだ」
「……そう……森に帰るの?」
「違う街に。旅に出ようと思って」
決心するような声だった。
(言っちゃった!)
これで後には引けない。トリエスタはいい街だ。居心地がよくてここにずっといてもいいかも、なんて気持ちももちろんある。だが初めに決めたことを実行したかった。
(海外旅行もとい異世界旅行ね)
心配性でなにかと新しいことを始めるのが苦手だと蒼本人は自覚があった。だからこそ蒼はこれはチャンスだと思っている。なんせ異世界に来たのだから、何にしたってどうせ全てが初めてになる。
「人生、楽しもうかと思いまして」
「そっか……そういえば俺の話、楽しそうに聞いてくれてたね」
月に照らされたアルフレドの顔は、きっと寂しそうだろうと蒼は思っていた。別れを寂しがってくれる程度の関係は築けていると。蒼だって彼とは離れ難い。彼に対してまだたくさんの秘密を抱えているのに、一緒にいて少しも窮屈に感じないのだ。そんな相手が貴重なことくらい彼女も知っている。
だが彼は想像していた表情と違った。蒼と同じで、覚悟を決めたようなピリッと気合いが入った顔つきになっている。そして彼の口から出てきた言葉はこうだ。
「アオイ、俺を護衛として雇わない? ……報酬は食事で」
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