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桃月とと

序章 あっちとこっちの世界の狭間で

第1話 足元には光る召喚陣

 リビングのソファで可愛さのかけらもないスウェット姿で転がっている彼女は、先週、ついに仕事を辞めた。

 彼女の名前は漆間蒼うるしま あおい、どこにでもいる普通の社畜。いや、元社畜。いやいや、正確にいうと今現在はまだ無職ではない。有休消化中だ。


「あ~~~何かしたいけど何もしたくない……」


 長らく働き詰めだったせいか、気が抜けてしまい文字通りしょぼしょぼと萎んだような日々が続いていた。


(辞めた日はヒャッハー! って世界最強の人間にでもなった気がしてたのになぁ~~~)


 蒼は再度自分を膨らますことができないでいた。

 一人暮らしには広い一軒家で、辞めてからずっと惰眠を貪っている。彼女の両親は現在海外で暮らしていた。子供が巣立ち、長らく夢だった海外生活を始めたのだ。下の弟も自由気ままに生きている。


 お昼の情報番組をつけてぼーっとしていると、ピンポンと玄関のチャイムがなったが蒼は居留守を決め込んでいた。

 だがリビングの大きな窓に人影が見えたかと思うと、


「あおいねーちゃーん!」

「あら……」


 蒼の耳に入ってきたのは隣に住む高校生、桐堂翔とうどう しょうの声だ。


「やっぱいた!」

「まぶしっ!」


 カーテンと窓を開けると、翔は窓辺に腰をかけ手に持っていたビニール袋を蒼に手渡す。


「そりゃカーテン閉めっぱなしの暗い部屋から急に外に出たらなぁ~!」

「いや、光り輝く若者の笑顔が今の私には眩しすぎるんだよ~」

「なんだそれ」

「ウッ!」


 ニカッと笑う翔の顔を見て蒼はもう一度目が眩んだ。この弟分はなかなか容姿がいい。背が高くて、まつ毛が長く、それでいて爽やかで、地毛の色素も薄い。しかも文武両道ときている。いつも優しい笑顔だが、ほんのりとミステリアスな雰囲気を感じさせる時もあった。


「仕事辞めたことおじさんとおばさんには言ったの?」

「言ったよ~」

「あきおみにーちゃんには?」

「言った~。皆、お疲れ~って」

「アハハ! その感じ漆間一家っぽい!」


 庭先で翔が差し入れてくれたアイスを食べながら、蒼は夏の暑さを満喫する。


「うん。ちょっとよくなってきたね」


 翔は顔を蒼の覗き込んで満足そうに笑った。彼から見ると、引きこもり続けている今の蒼の顔色はいいらしい。


「え? やばかった?」

「仕事辞める直前はマジでやばかった。死人かと思ったもん」

「じゃあやっぱ辞めてよかったか~~~」


 仕事を辞めたことに後悔はなかったが、ある日突然思い立って辞表を叩きつけたのは、今になってみると直情的すぎたのでは? と、ちょっぴり心の中に薄暗いモヤを発生させていたのだ。それがこの高校生の一言によって綺麗さっぱいりと晴れていくのを蒼は感じていた。


「うんうん! よかったよかった!」


 またもや眩しい笑顔の翔だが、彼の境遇を思うと蒼は励まされている大人の自分をぶん殴りたくなる。

 彼は一年前に事故で両親を亡くしていた。その際、実は翔が養子だったことが発覚し、遺産問題に遠くの親戚まで出しゃばってきて大変だったのだ。

 元々漆間家と桐堂家は仲が良く、両親はお互いに『もしも』のことがあった場合について話していた。悲しくもやって来た『もしも』に際し、なるほどこの親類には頼めないな、ということは打ちひしがれた翔の隣にいた蒼はすぐに納得したものだ。

 このゴタゴタでは漆間一家が総力を上げて翔とその財産を守った。両親も海外から舞い戻り、いつもフラフラしている弟も即座に実家へと帰ってきたのだ。


(まだまだ傷も癒えてないだろうに……私の心配なんてさせて悪かったなぁ)


 いつまでもこんな情けない姿を弟分には見せられない。そう思うと、やっと蒼は自分の内側にある、久しく見ていなかったやる気の切れ端が手に触れた気がした。


「あおいねーちゃん、普段は心配性なのに、いざという時は瞬時にバシッと決断するよね~」

「そう!?」

「そうそう!」


 そう言ってまた翔はケタケタと笑う。


「人生楽しまなきゃ!」


 その言葉は蒼に向けた言葉だったのか、それとも彼が自分自身へ言い聞かせる言葉だったのか。蒼はキュッと胸が切なくなる。


「そっちはどうよ。高校最後の夏休み楽しんでる?」

「受験生にそれ聞く~~~?」


 一瞬で変わった翔の渋い顔を見て今度は蒼がケタケタと笑った。


「今度また夕飯多めに作って持ってくね」

「やったー! ありがと!」

「茶色い料理ばっかで悪いけど」


 蒼の料理はいつも彩りは無視だ。それも久しく作っていない。仕事ばかりでそれどころではなかった。


「茶色い料理が一番うまいって知ってるだろ~? あ! 鶏の照り焼きリクエストしていい?」

「オッケ~私も食べたくなってきたな」


(久しぶりにちゃんと買い出しに行くか)


 その日から蒼はちょっとずつ自分の形を取り戻し始めた。

 やたらとモノがある家の片付けをし、二日に一度は翔に夕飯の差し入れをし、これからしばらくの計画を立てた。


「あ~お菓子作ろうと思ってコレ買ったんだっけ……」

「ああー! ソロキャンやってみたーいって深夜のテンションで買ったやつだ……」

「自動調理器……一回使ったきり……あ、たこ焼き機! ホットサンド作るのやつ!」

「ギター……しょうくんいらないかな……」

「おぉ! このカメラ! なんか映えるところにでも出かけるか~」


 蒼には今、そこそこ蓄えがあった。ある程度衝動的な買い物もしてきたが、実家暮らしで家賃がかからなかったのも大きい。働いて働いて働いて働いていたので、日々の中でたいして使う時間がなかったのだ。夜中のネットショッピングを除いて。 

 

「よし……色々片付いたら海外旅行でも行くか!」


 素敵な景色を見に。美味しいものを食べに。せっかく自主的に作った人生の夏休み、長らく遠ざかっていた非日常を味わおうと決めた。親兄弟のように自分も人生を満喫する時期があったっていいだろうと。


◇◇◇


(こんな時間なのに暑いな~)


 家の大掃除がついに終わり、唐突にコンビニスイーツが食べたくなった蒼は、家着用の半袖半パンで髪をお団子に結び、ビーチサンダルでご機嫌に夜道を歩いていた。たまに猫とすれ違い、ニャーと声をかけるも無視される、を繰り返しながら。

 この時間は誰もご近所を歩いていない。


(起きてたらしょうくんにもお裾分けするか)


 最近はいつも夜遅くまで部屋の電気がついている。ずっと勉強をしているのだろうと、スマートフォンを手に持ち翔に連絡をいれようとしたその時、


「うわぁぁぁぁ!」


 翔の家の玄関先から彼の叫び声が聞こえた。蒼は目を見開き全速力で叫び声の方へ向かう。


(110番!!?)


 そんなことを考えながら手に持ったスマートフォンを握りしめていた。翔の家の方が明るく光っている。玄関照明とは違うと蒼は即座に判断できた。なんせ隣人だ。つい最近まで仕事帰りに翔の家の玄関照明はよく見ていた。


「あおいねーちゃん!!!」

「しょうくん!!?」


 いったいなんの光だと思って急いで桐堂家の門を開けると、まさかの地面が光っている。翔の足元から。


「なにこれ!?」

「わ、わかんない! この光の中から出れないんだ!」


 神々しい光の柱が翔を包んでいたが、肝心の本人が嫌がっている。光の壁を叩きつけて、なんとか脱出しようと試みていた。それを見た蒼は少しも迷うことなく、拳を固めてその光の壁を殴りつけた。


「うわっ!」


 蒼の拳はなんの感触もなくその光を通り抜けた。予想外のことに驚くも理由を考えている暇などない。すぐに光の中の翔の腕をガッチリと掴む。


「あ、危ないよ……!」

「痛くも痒くもないから大丈夫!」


 そう言って蒼は思いっきり翔の腕を引っ張り光の外へと出そうと踏ん張るが、


「うわっ……やばい!」


 翔の体がゆっくりと地面へと沈み始めた。地面にはなにやら魔法陣のような円の中に細やかな図形がいくつも書いてある模様が浮かび上がっている。


「なにこれなにこれなにこれー!!?」


 叫びながらも蒼は決して翔の手を離さない。歯を食いしばって踏ん張り、腕と手に力を込める。だが、翔の方はこの時点で蒼の手を離していた。彼女をこの怪奇現象に巻き込みたくなかったのだ。


「こら!!! ちゃんと手を掴みなさい!!!」

「……あおいねーちゃん……ありがとう……」


 翔は嬉しそうに困ったような顔をしながら微笑んでいた。こんな時に手を差し伸べてくれる人がいる。蒼がそういう人間だと翔はよく知っていた。だからこそ彼は手を離した。


 だがその光は、そんな彼の気持ちなど無視して勢いよく広がったかと思うと、蒼ごと包み込み、彼らの世界から消えた。

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