終わりの世界の歩き方

如月 梓

第1話

電子機器の溢れる部屋の中。


そこが私にとって世界のすべてだった。


『イヴ?聞いているかい?』


自身に呼びかける声に意識を戻す。


自身の倍以上はありそうな巨体がこちらをじっと見ている。


人肌を感じさせない金属の体は冷たさを感じさせるが、その体と違いこちらにかけてきた声は不思議と温かさを感じるものだった。


しかし、そんな声をよそに私はこの目の前の巨体へと無視を決め込んでいた。


『おーい…』


私の決意をよそにその巨体は何とか私の反応を引き出そうと何度もしつこく声をかけてきている。


あー、うっとうしい。


私の機嫌はこの日今までの人生10年間で最も悪い日だった。


なんということはないただそういう日だったのである。


反応を返さない私を心配する彼には悪いが、私にだってそういう日はある。


むしろ今までこんな日が来なかったことをほめてもらいたい。


だって私は10年間もこの部屋だけで過ごしてきたのだから。


10年間変わることのない風景の中で勉強だけをする日々。


さすがに飽きてきてしまった。


だからこの無視は私が求められる正当な権利なのである。


『ほら、イヴの大好きなプリンもあるから何でそんな機嫌が悪いのか教えてくれないかな』


プリンっっ!!


はっ、いけないいけない。


ここで諦めたらまたいつものつまらない日々へと戻ってしまう。


ああ、でもプリン…。


『早く理由を教えてくれないとこのプリンはなくなってしまうよ』


そういって、彼はプリンを遠くへと持っていくしぐさをする。


ああっ、プリンがっ…。


私のプリンがっ…。


「…きたの」


『ん?』


「もう勉強ばっかりで飽きたのっ!!!」


『…えー…』


思ったよりもしょうもない理由だったのか、それともプリンの誘惑に勝てなかったことにか、私の言葉を聞いた彼は少しあきれていた。


『飽きたといわれてもね…この勉強プログラムはあらかじめ決められていたものではあるし、僕自身の考えだけで変えてもいいものか…』


機械であるはずの彼はまるで人間のように頭を悩ませている。


「この勉強一体いつまで続くの?」


私は本当にうんざりとしていた。


別に勉強の中身が面白くないというわけではない。


むしろこの部屋で学んでいることはとても興味深いことばかりだ。


しかし、この部屋にいる限り私の学んでいることは知識でしかないのである。


私は実際に私自身の目で世界を見てみたい、体験したい、感じたいのである。


『うーん…、後10年ぐらいだね』


「長いわ!」


そんなに長い期間こんな状況が続くなんてたまったものじゃない。


私は1分、1秒でも早くこの退屈な日々からおさらばしたいのだ。


「私は世界を見てみたい、触れてみたい。こんな小さな部屋で引きこもってるんじゃなくて実際に見に行きたい」


私はそういって彼を見つめる。


私の必死さが伝わったのか彼はもう私を諭そうとはしなかった。


『確かにそもそも10歳の少女に部屋に閉じこもって勉強だけをし続けろというのに無理があったのかもしれない。うん、それに君の言うことも一理あると僕は思う。百聞は一見に如かずって言ってね、実際に見てみるのも良い勉強になるだろう。それにまあ勉強自体はこの部屋でなくてもできるしね』


「…っ、それじゃあっ」


『でもね、世界はきっと君の想像しているようなものではないし、君は外に出たことを後悔するかもしれない。それでも外に出たいかい?』


彼の言っていることはすべて本当のことなのだろう。


私だってバカではない。


10年もこの部屋から出されなかったのには何かそれだけの理由があることもわかっている。


しかし、それでも私は見てみたいのだ自分自身の目で、足で、この世界というものを。


「それでも、私は外に出たい。外に出て自分の目で確かめたいよ」


そういって俯く私の頭に、彼の大きな手が影を作る。


『それじゃあ、僕と一緒に世界を見て回る旅に出よう。その旅の中で、この世界のこと、僕たちのこと、そして君自身のことを知っていこう。きっと、大変なことも多いけどいい旅になると思うよ』


頭上から手のひら越しに聞こえてくる彼の声は、いつものようにやさしく温かい声だった。

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