第24話 本人に聞いてごらん

 先日、平井敦史様より、ありがたいコメントを頂戴しました。

「その時代を生きた人々の息遣いを感じる」(平井様のコメントより引用)ように書くことが歴史小説には不可欠だと私も思います。

 まさにタラス河畔の戦い前後の唐と周辺諸国で生きた人々の息遣いを感じる、平井様の最新作『すべては紙のお導き~タラスの戦い異聞』はこちらです。


 https://kakuyomu.jp/works/16818093088117845171


 平井様のマイページはこちらです。


 https://kakuyomu.jp/users/Hirai_Atsushi


 知り得たことを小説としてよみがえらせる手腕にかけては、平井様の右に出る方を、私は知りません。楽しく読めて知識が無理なく身につく作品をお書きになる方です。それだけではなく、しゃれた欧米文学の翻訳を読んでいるような、品のあるユーモアが随所にあります。エッセイも面白いです。

 平井様、ありがとうございました。


 さて、その平井様の作品に寄せたコメントにて、私は正体の一部を明かしました。そう。私は、卒業論文で中国の明末を扱ったことがあるのです。

 今日は、大学で中国の正史を読み込んだ者として、少しお話しさせていただきます。


 中国の正史はすべて漢字で書いてあります。現在ならば翻訳アプリを使うというチート技が使えるのでしょうが、私が学生の頃にはそんなものはなかったので、ひたすら諸橋大漢和辞典を開いて調べて訳すしかありませんでした。しかも苦労して書いた訳文を、教授や先輩から重箱の隅をつつくように厳しい言葉で間違いを指摘され、そのような訳文になった経緯を詰問されるという、某日本最大級の小説投稿サイトの「気になる点」並みに批判を浴びせられるのです。他の大学ではどうだったのか知りませんが、少なくとも私が所属していたゼミではそうでした。あくまでも個人の感想ですが。

 漢字の羅列から、それが言い表す事象を想像し、それに合った訳文にしなければなりませんでした。私がお世話になったK教授の表現を借りれば「こなれた日本語」にする必要がありました。中国の正史を皆さんが読んだとすると、はっきり言って何について書かれているのか、一見しただけでは理解できないと思います。なんたって、現役の学生すら、わからないのですから。三国志を例にとりましょう。「曹操は」「劉備は」なんて書いちゃくれないんですよ陳寿は。「操」とか「備」とか下の名前で書いてあったり、役職名で書いてあったりする。漢和辞典に載ってない単語だって続出します。だから想像しながら検討をつけて読むわけです。

 それでもなぜ私が正史原文にこだわるかというと、ほんとうのことを知りたいからです。自分の目で確かめたいからです。実は原文をひたすら読んで理解する、それが歴史研究の基本なのです。私の敬愛する塩野七生氏、彼女はラテン語の原文を読み、著述をしました。私は彼女の真似をしているだけです。そんな私だって、昔の日本人が書いた続け字なんて読めませんが。

 まあ、中国語は、英語と同じ文法なので、なんとなく意味はとれます。学生は、中国人研究者が書いた中国語の論文も、漢文と同じ読み方で読みます。

 簡潔すぎる漢文の、字に隠された何かを読み取る。三国志では、「死去した」という事実を表す漢字すら、陳寿は使い分けています。なぜその漢字にしたのかも、わけがあるのです。ご興味がおありの方はぜひ、調べてみてください。ちくま学芸文庫『正史 三国志』は、解説が熱い。この解説を読むだけでも、正史の三国志について理解を深めることができます。

 つまりこの稿で言いたいことは何かというと、歴史小説だけではなくどのジャンルの小説を書く時にも、調べが必要な時には「本人(原文)に聞いてごらん」ということです。







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