第7話 性をめぐる答えのない世界

 私の好きな作家の一人に森鷗外がいる。彼の作品に『ヰタ・セクスアリス』がある。この作品を私はインターネット上で拾い読みしただけである。しかしこのタイトルはどこかで真似したいと思いながら実現せずに今日まで来てしまった。


『総務課の沢渡くん』第二部が終わった。

 若い時の経験は案外あなどれない。現在の年齢になれば、待ち合わせで駅でどきどきすることはない。誰かと真剣に話をすることもない。そういったことを本気でできるのはやはり若いからだと思う。

 この作品にはいわゆる「性的少数者」が登場する。恋愛は異性とするのが当たり前、一人につき恋愛及び性的パートナーは原則一人のみ、という観念を前提とする方々には受け入れてもらいづらい作品だと思う。

 しかし性指向や性自認について私自身細かく振り返ると、現在性的少数者を分類するいくつかのパターンにあてはまることがわかった。

 性指向と密接な関係があるのが恋愛だが、そもそも恋愛とは、必ず経験すべきものだろうか。

 私自身の経験を話そう。

 中学生の頃は気になる異性がいた。しかし交際に発展するほどではなかった。

 とにかく母が異性関係には厳しかった。潔癖症だった上に晩婚だった。その影響もあったのかもしれない。所属していた部活動は同性ばかりだったし、興味を引かれる異性はいつも週刊誌の連載漫画の中にいた。

 高校もまた同性ばかりだった。心を動かされたのは『三国志』の曹操だけだった。進学先を変更したのは彼のせいだ。曹操は千八百年あとに生まれた私の人生をも変えてしまったのである。とんでもない男だ。しかもそのとんでもない男とその家族や部下たちの生きざまを小説に書いてインターネット上で発表するまでになってしまった。曹操の影響力は家族や部下たちを越えて波及するほど程度がはなはだしいことをおわかりいただけると思う。

 大学は共学であった。きっかけは今でも判然としないが、「クリスマスなのに交際相手がいないということは恥ずべきこと」という観念を知った。突然自分の性を周囲の何気ないひと言によって意識させられ、その性にふさわしいとされる行動を悪意なく無意識のうちに強要された。具体的に言うと化粧水を使うこと、化粧をすること、異性と交際することなどである。

 アルバイト先で知り合った一学年上の異性と交際した。話が弾んだことがきっかけだった。しかしいざ交際を始めると相手が変わった。相手にとって私は内向きで、リードが必要な存在だった。私はいつも不安を感じながら相手と行動を共にしていた。今思えば相手の前で素の自分を出せなかった。しかし別れるきっかけはなく、不自然な関係は互いが卒業したあとも何年か遠距離恋愛という形で続いた。

 社会人となった私は遠距離恋愛継続中の異性がいるにもかかわらず、交際相手以外の異性に好意を抱いた。

 それは遅い初恋だった。嫉妬が文字通り身を焼くようであること、二人きりでいることが文字通り天にも昇る幸せを感じることを私は知った。

 しかし私が恋した相手は人間として底の方で非常に冷淡かつ他者を拒絶していることがわかり、私は相手に好意を伝えると共に関係の断絶を通告した。相手はそれ以来何かにつけ私を敵視し、時には周囲を巻き込んで私を攻撃した。特に遠距離恋愛継続中の異性がいるにもかかわらず自分に好意を示したことが相手が私を攻撃する格好の口実となった。

 私はまた第三の異性から好意を示され、交際することにした。大学時代からの交際相手を切ったのは、これがきっかけである。

 第三の異性は私の生活に干渉した。その干渉は私を、私が属する性が社会通念上果たすべき役割に押し込めようとする類いのものであった。そこで私は第三の異性と別れた。

 この他にも異性との出会いがあった。しかし私を尊重する異性は少なかった。私が属する性は異性に支配されがちで、搾取されがちで、使い捨ての道具のように扱われがちだ。そのような扱いを受け続けると、それが当然かつ妥当だと錯覚してしまうようになると私は思う。

 現在は性にあまりわずらわされずに生きていると感じる。素を出せていると思う。おかげでずいぶん生きやすくなった。

 しかし社会はその人の素を歓迎しないことの方が多いと私は感じる。喜怒哀楽のうち喜・哀・楽は受け入れられるが、怒は歓迎されず排除されるか無視されがちだと私は思う。

 だから私は小説で怒りを表現しているのかもしれない。陸遜の無念と口惜しさ(犀川よう様の講評より引用)、沢渡くんの焦燥と欲求、日野さんの懊悩、余田さんのおし殺した怒りと不安。これらを書くためにたくさんのエネルギーを使った。


 話がそれた。

 ほんとうに多くの性指向や性自認があって驚いている。

 しかし、どれか一つの観念だけに限定することは、そのために苦しむ誰かを生むことにつながるようにも私は考える。

 答えのない世界で手探りしながら私は沢渡くんを追っている。



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