【短編】【導入だけ】30歳になってお互い独身だったら結婚しようと約束した。本当にそうなったので、まずは同棲から始めてみた

篠宮夕

第1話



 ──初めて見たときには、まるで人形だと思った。



 とは流石に比喩だが、俺はあれほどまでに雰囲気がある女性を見たことがなかった。



 新入社員の配属日。

 新人たちが十人横並びになっているなかで、左から四番目という微妙な位置にいながらも、彼女は圧倒的に目立っていた。


 小柄で、真面目そう。

 そして、氷のように冷たく、圧倒的に近づきがたそうな美人。

 それが、最初に抱いた彼女への印象だった。


 原因は幾つもある。


 たとえば、新入社員はカジュアルな格好が多い中、彼女だけはきっちりとスーツを身に纏っていたこと。

 たとえば、新入社員が髪を染めたり、髪先をおそらくヘアアイロン等で巻いている中、彼女の髪は烏羽色で、髪型にも一切遊びがないこと。


 だが、一番の原因は──新入社員が明らかに緊張している中で、彼女だけは顔色ひとつ変えることなく至って冷静な視線で周囲を窺っていたからだった。


 そして、彼女まで自己紹介の番が回ってくると、まるでアナウンサーのように礼儀正しく頭を下げながら挨拶する。




「成瀬凛と申します。新人でまだまだ未熟者ですが、精一杯努めますのでよろしくお願いします」




 それが、彼女との出会いだった。








◇ ◇ ◇



 あれはいつのことだっただろうか。

 きっと酒の席で、べろんべろんに酔っ払っていたからだろう。

 あるいは、結婚目前だった彼女にフラれてしまったからか。


 だからこそ、俺は彼女とあんな約束をしてしまったのだろう。



「あーー、結婚してぇー!」



 その日。俺は恥も外聞もなく、酔っ払った勢いに任せて、居酒屋でずっと叫んでいた。


 対面の席には、同じ部署の後輩である成瀬凛。

 年齢は二つほど下。

 だが、普段からクールな振る舞いが多く、感情を面に出すことはあまりない。


 そのせいで、俺よりずっと大人びて見えるほどだ。


 しかし、そのときばかりは、情けない先輩の姿を目の当たりにしたからか、成瀬はどこか呆れたような表情をつくっていた。


「……あの、瀬川さん、何回それを繰り返すんですか? そんなに、結婚したかったんですか?」

「当たり前だろ。ずっと好きで、ようやく付き合えた人だったんだぞ」


 相手は一つ上の先輩。

 部署は違ったが、入社以来お世話になってきた。


 そんな先輩とようやく付き合えたのが二年前。

 そして最近プロポーズした結果──フラれてしまったのだ。



 ──ごめんね。結婚は考えてないの。



 それが、元彼女の先輩の断りの文句だった。

 あれから数週間経ったが、未だに思い出しては未練たっぷりに嘆く日々を繰り返している。



 今時、珍しいかもしれないが──俺は結婚したかった。



 おそらく、それは孤独な一人暮らしに嫌気が差してしまったからか。

 幸せそうな同期の結婚話を聞いて、静寂が満ちる自宅に帰ったとき。

 一人で冷え切ったご飯を食べたとき。


 常日頃から思っているわけではないが、ふとした瞬間に孤独に苛まれてしまうことがある。


 もちろん、誰でもいいから結婚したいというわけではない。


 ただ、俺を想ってくれる女性とずっと一緒にいられたら──きっと楽しいだろうと思ってしまうから。

 ただ、


「……まあ、もう結婚は無理だろうな」


 思わず、独りごちてしまう。


 しかし、それが正直な感想だった。

 俺──瀬川大樹といえば平々凡々そのもの。

 唯一の取り柄といえば、身長が高く、ガタイが良いことぐらいしかない。身長が高いとスポーツが上手いのかと勘違いされることもあるが、残念ながら俺には絶望的に運動神経もなかった。それで、中学、高校で何度がっかりされてきたことか。


 今思えば、そんな俺が憧れの会社の先輩と付き合えたことは奇跡に近かったのだろう。


 そして、そのその唯一の機会すらも逃してしまった。

 だったら、今後結婚できる機会なんてあるわけも──


「なら」





「なら──私はどうですか?」



 不意に目の前から聞こえてくる声。

 俺は釣られるように顔を上げつつも、思わず怪訝な表情をつくってしまう。


 それが、あまりにも想像からかけ離れた言葉だったからだ。

 だが、成瀬はこてんと首を傾げつつ、どこか冗談めいた──それでいて何気ない調子で。



「私が三十歳にもなったとき、お互い独身のままだったら結婚してみます?」



「………………はい?」


 たっぷりと間を取った後。

 俺の口からようやくこぼれ落ちたのは、そんな間の抜けた声だった。


 成瀬は『三十歳で結婚宣言』をしたにもかかわらず、いつものように鉄仮面のままだった。



 まるで先程の発言が幻聴だったかと思うほど。 


 このとき、きっと俺が冷静であれば、彼女の反応がいつもと少し違うことに気づけたのだろう。

 たとえば、ほんの少し頬を上気させていたことに。

 たとえば、そわそわと指同士を絡ませていたことに。


 このとき、きっと俺が冷静であれば、彼女の発言に突っ込んでいたのだろう。

 たとえば、彼女が何故そんな発言をしたのか聞いたり。

 たとえば、何故彼女が三十歳になったときなのか聞いたり。



 だが、生憎と俺は泥酔してまともな思考力なんて持ち合わせていなかった。

 だからこそ、俺は酔っ払った意識のなか疑問に思いつつも、その言葉を成瀬なりの冗談だと考え、ノリでその約束に同意してしまって──





 それから二年後。

 俺はそのツケを払うことになる。


 二年後。居酒屋。

 目の前であのときと同じように、成瀬凛は当たり前のようにそれを口にする。


「──では、三十歳になったので結婚の話を進めましょうか。瀬川さん、今、彼女いませんし、独身ですよね?」


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