機竜と旅する異世界探訪録

リズ

第1話 思い出した記憶

 その日は仕事で朝早く出て、夜遅くに帰宅することになった。

 よく晴れた日で愛車のバイクに跨って、くねくね曲がった峠道を走り抜ける。

 それほど速度は出ていなかったはずだったが、仕事疲れだったのか、一瞬見えた綺麗な満月に目を奪われたからか。


 突然目の前に現れた白い狐を避けるために俺はブレーキを握り、ハンドルを切った。


 これがいけなかった。


 今思うと、そもそも白い狐なんかいるはずがない。

 ゴミ袋でも見間違えたんだろうな。


 派手に転んで、ガードレールに思い切りぶつかって。


 当たりどころが悪かったんだろう。

 体は激しく痛んだのに、何故かとんでもない眠気に襲われた。

 視線の先で煙を吐いて所々部品が外れてぐちゃぐちゃになった愛車。


 長い休みなんかはコイツに跨っていろんな場所に行った。

 

 次の長い休みにも、一人でバイク旅行にいくはずだったんだ。

 もっとコイツと、一緒に色んな場所に行きたかった。


「ごめんな」


 火がついて燃え始めた愛車を見て出たこの言葉が、この世界ではない星、地球で、日本で俺が最後に絞り出した言葉だった。


 そんな記憶を、川に落下し、流され、滝から落ちた少年フォルスは走馬灯と一緒に思い出していた。


 その日、近くの小さな村に住む少年フォルスは狩のために深い森に足を踏み入れていた。

 しかし、冬が近付いた影響か、獲物の小動物どころか魔物すら見つからない。

 このままでは飢えることになる。

 それだけは勘弁だ。村の猟師も村人全員分の獲物は賄えない。

 自分の食い扶持くらいは自分でどうにかしないといけない。

 その思いが、死んだ両親にきつく言われていた森の奥にフォルスの足を進めさせてしまった。


 しかし、森の奥には獲物がいた。

 小型の角兎に、肉付きの良い鈍臭い鳥の魔物。

 フォルスは背中に担いだ弓を構えて矢をつがえた。


 狙いは鳥の方。

 弓を構えているフォルスの赤茶色の短い髪を、向かい風が撫でる。

 そして、風が止んだ瞬間、フォルスは一瞬息を止めて矢を放った。

 風切り音が鳴り、猟師のおじさんから譲ってもらったお古の弓から放たれた矢は一直線に地面に立って餌の虫をついばんでいる丸々太った鳥へと向かう。


 胴体を狙って放った矢だったが、少しそれたおかげでその矢は鳥の首に命中。

 突然の痛みと衝撃に走って逃げ出そうとした鳥に向かって、フォルスは二射目を放とうと矢をつがえた。


「今日の晩飯は、お前だ」


 逃げようにも激痛で上手く動けない鳥に向かってそう言った瞬間だった。

 身を潜めていた茂みの後ろから「グゥオオオ!」と、今まで聞いたことがない唸り声を発しながら、ソイツは現れた。


 恐らく鳥の魔物の血の臭いを感じたのだろう。

 前足が四本ある角を生やした熊型の魔物が、木をへし折りながら姿を現したのだ。


 既にフォルスの姿は見つかっていた。

 目が合っていたのだ。

 震える足、馬鹿みたいにうるさく脈打つ心臓。

 熊型の魔物からの殺気と、あまりの緊張で家を出る前に食べてきた野菜のスープが逆流しそうになるのを我慢して、フォルスは一歩、熊の魔物と目を合わせたまま後ろに下がった。


 狩る側から一転、狩られる側になってしまった。


 森の奥には行くな。


 死んだ両親だけでなく、猟師のおじさんからも言われていた言葉だった。

 自分より幼い近所の子供でも守っている言いつけを破ってしまった結果がこれだ。

 フォルスは言いつけを破った事を後悔しながら弓を捨て、腰の短剣を抜いた。


 矢の一本矢筒から抜き、つがえる隙はないと判断してのことだったが、角兎相手には頼もしい短剣が、この時のフォルスにはチンケなナイフ、いや裁縫用の針のようにすら感じられていた。


 到底勝ち目はない。


 そんな事は誰の目から見ても明らかだった。


「ガアアアア!」


 熊の魔物の咆哮がフォルスの耳をつんざいた。

  

 逃げなければ。

 戦って勝てる相手ではない。


 魔物を狩る訓練をしている冒険者や騎士ならまだしも、自分は小さな村に暮らすただの人。

 拙い魔法は使えるが、家事で使うための一般生活魔法や多少の強化魔法が関の山。


 小型の魔物ならまだしも熊型のような中型相手に戦ったところで餌になることは確定だ。


 その考えが、フォルスに逃走を選択させた。

 中型の魔物とはいえ野生の生物。

 火は苦手なはず、怯んでくれるはずと、発火の魔法【ティンダー】を熊の眼前で発動させて、フォルスは足に強化魔法を掛けると踵を返して森を駆け出した。


 しかし、熊の魔物は火の魔法に一瞬怯んだだけで、フォルスの背中を。今晩の夕食を追いかけ始める。


 フォルスの後ろでバキバキと茂みや木が倒れる音が聞こえてきた。


 木が生い茂る森を、帰り道など知ったことかと全力で駆けるフォルス。

 ジグザグに、出来るだけ木が壁になるように知らない森を奥へ奥へと走っていくが、どれだけ走ろうが、後ろから聞こえてくる木が折れる音や熊の足音が離れない。


 それどころか、確実に足音はフォルスの背中に迫ってくる。


 そして、その瞬間はやってきた。


 前脚が四本あるのだ。熊の魔物は猛烈な勢いで走ったままの勢いでその太い腕を薙ぎ払い、フォルスを捉えた。


 突然の激痛と衝撃。


(あれ? こんなこと、昔、どこかで)


 吹き飛ばされた先に川がなければ、フォルスは木に叩きつけられるか、岩に叩きつけられるか、いや、そんな事にならなくても熊に喰われていただろう。


 腕が折れたか、利き手は動かず、息をしようにも肺も痛む。

 意識が朦朧とする中、速い川の流れに身を任せていると、突然流れが下に向かって落ちた。

 

 滝だ。


 ああ、死んだな。

 

 と、不思議と達観していたフォルスの脳裏には物心がついてからこれまでの人生の記憶が、走馬灯が流れていた。

 だが、その記憶の中に身に覚えのない記憶もあった。

 

「ああそうか。俺は地球で……くそ、せっかく転生出来たのに、出来てたのに。これで、終わりか」


 落ちる水の中。フォルスはここで意識を失う。

 しかしフォルスは一命を取り留めることになった。


 滝の裏側にあった洞窟に、不思議な光の粒子がフォルスを包んでゆっくり着地させたのだ。


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