第26話 初披露と黒服の男性たち

 悠はマイクを台に差し、静まり返った静寂の中で瞑想めいそうするように息を大きく吸う。 

 

 やがて目を開き、その手に持ったたくさんの星を散らばせたそんな深い色合いの――光輝く美しいギターを高く掲げる。そして目にもとまらない指使いで、鋭く、突き刺さるような音色が会場内に響いた。

 

 周囲が闇色に変わる。


 全員の衣装は、曲のイメージに合わせ、星降るような夜空に染めていた。観客は恍惚こうこつするような表情を浮かべ、客席がペンライトで静かに揺れて光は徐々に広がっていく。


 テンポが一気にあがっていく。


 ギターの音色が躍り、ベースと相まってメロディを奏でる。指先から伝わる音の刺激は、楓を包み込み全身を震えさせる。

 

 曲は響く。

 

 ドラムの重低音はいつしか鼓動にも感じ、その歌声を受け、たくさんの観客が声と音の限り魅了されていた。駆け上がる旋律と指は絡みつくように、旋回するような――。

 

 努力の甲斐あってか、ミスタッチはない。

 耳を駆け抜ける音に悠はちらりと楓を見る。


――ここから、さらに難しく早くなるが大丈夫だな?


 そう問われているようだ。楓は小さく頷き、集中する。


 音は荒々しい旋律へと変貌する。

 まだ、ここは限界じゃない。一部の観客はその指の正確さと速さに息を呑む。

 

 踊り狂い一瞬一瞬の芸術を思わせる音はやがて緩やかになり、ようやく指の腹を鍵盤へと鎮める。ちらりと楓も悠を見返した。


――よくできました、といわんばかりに悠は少しだけ、本当に少しだけ笑った。

  

 曲がやみ、楓がそうやって安心するように心からの笑みを浮かべると、他の三人も嬉しそうに笑顔を浮かべた。

 悠がマイクを持ち、キーボード前に座る楓の横に立つ。

 

「えー、公式サイトでもちらりと公開しましたが、こちらが今日からの新人、東野……楓くんです。今後、キーボード担当になります」


「……今後とも、よろしくお願いします」

 

 席を立ち、ぎこちなくお辞儀をする。パチパチ、と控えめの拍手がされた。

確かに早々に歓迎はされないよなあ、と実感する。


 楓は居心地の悪さを覚えつつ、ステージの上から観客席を眺めた。ぎくりと硬直する。黒服の男性たちは、観客の邪魔にならないように必死で楓を探しているようだった。


 鼓動が早くなる。


大丈夫、打ち合わせ通りやったのだから、何の問題もないはずだ。

楓は落ち着くように心がけるため、蒼汰の話を思い返す。


――あんたのお父さんに説得の電話をするときは、必ずテレビ電話でやってくれ。

できるだけ、ということを印象付けるんだ。

 

 だからこそ、アリーナ席のB5出口、という掲示をあえて背後に写せば、その辺りを重点的に探してくれるだろうね。露骨にやっちゃダメだよ。あくまで、「ヒントに気づきませんでした」という風に装わないと。そうすれば、より君は捜索で見つかりにくくなるわけだ。


……そんなの、許してもらえるのかしら? なんだかフェアじゃない気がするけど。


――別に、与えた情報を元に相手が勝手に思い違いしただけで、別にこちらが騙したわけじゃない、そうだろう?

 

 蒼汰は不敵な笑みを浮かべる。

 なるほど確かに、その目論見通りステージ上の楓には目もくれず、観客席の女性たちにばかり気を配っているようだ。


 蒼汰の宣言通り楓のいない、アリーナ席B5を中心に。


 ほっと落ち着く。その様子に、「だからいったろ」と蒼汰は手を振り合図を送ってきた。ニコリと笑う楓に、蒼汰も釣られる。


 マイクを持ち、悠は歌い始めた。


 切ない、ラブソングだ。

 低い声が通りそれは心地よく、皆はうっとりと聞きほれる。

 

 続けざま、それぞれ曲をこなしていく。


 やがて最終近くまで指が疲れてきたタイミングで、頭が働かなくなってきた。

 だが、このまま、無事に終わりそうな気がして安堵する。油断は禁物で、焦るとミスタッチをするので観客席の黒服のことは考えないようにしキーボードに集中することにした。次が最後の曲だから、このまま突き進める気がする。


 「最後の曲は――流星、です。この曲はですね――」

 

 悠のトークタイムで、楓の指が焦り止まる。

 

 (――あれ、次の、曲……? 流星って?)

 

 おかしい、リハーサルでは次は『空色』という曲を行うハズだった。

 いつのまにか変わったのだろうか?

 それに、流星、って曲はなんだろう?

 そんな曲は練習していない、もらった資料にもなかった。そもそもその曲名自体が初耳だと楓は困惑した。


 (どうしよう――)

 

 焦れば焦るほど悠の声が遠くなっていく。

 三人に首を振ってそれは弾けない、と必死で視線を送る。

 

 曲がはじまってしまう、このままではコンサートが駄目になってしまう――?

 淳史がその異変に気づき、悠の横に並び肩を叩く。

 悠はちらりと楓を見やった後、今度は舞台袖へと視線を移し、頷いた。

 

 そしてギターの音が響きわたり、暗闇から光が反転した。


「え――、それでは」

 

 悠がマイクを持ち替え、片手を上げる。

 

「最後の曲の直前ですが、ここで特別ゲストがいらしていたため、紹介します――俺たちの先輩の霧崎 きりさきさんです」


 その言葉に、楓は照らされたライトの先をみた。

銀の絹糸のような髪、憂いを帯びた人外の美しさ。壇上は張り詰めた空気へと変わる。

 

――湧き上がる、喝采と共に。


 霧崎は、その熱望に応えるように、悠然と片手をあげる。

楓は静かに椅子から立ち上がり、霧崎に席を譲る。すると、横に座れ、と指で指示された。それに頷き、横に座る。


 指鳴らしにいくつかの鍵盤をはじく。

最後の曲を弾く準備を整えているようだ。

 

――もしかして助けてくれた、のだろうか。

楓は霧崎の表情を伺ったが、読み取れない。

 

滑り込むように運ばれる指先をじっと見つめた。

  

客席がしん、と静まり悠の声と共に曲が始まる。


返り冴えわたる演奏に、澄んだ曲調。からの転調。それを支える抜群の歌唱力だ。

 

この素敵な曲が間近で見れるとは、聴けるとは思わなかった。

そして気づく。


 ――タイトルは変わっているが、これはあの防音室にあった曲のアレンジだと。

 

 より精錬された音から転じて狂い咲く音。


 どこかで聞いたこの曲は――、どこで?

楓の記憶の扉がゆっくりと開きかける。


けれど、扉が開ききる前に、喝采で再び記憶の扉が閉まる。


最後の曲が終わり、楓たちはステージに並んだ。

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