第25話 ステージへと
楓は飛び込んだ小さな空き室で素早く着替え、女性用の、西園寺楓としてのメイクを落とす。置いてあった男性用「東野楓」としてのステージ衣装へと着替え、早々にステージ裏側へと移動した。
頭の片隅の霧崎のあの切なそうな、苦しそうな表情が頭から離れない。
でも今は、そのことを考えている暇は――、と首を振り思考をかなぐり捨てる。
電話のせいだろうか、スタッフは走り回るほどの大騒ぎで移動する楓には目もくれない。黒いスーツ姿の男性たちが、舞台裏や観客席へと押しかけてきた。膨大な数の男性たちが駆け回る異様な光景に、観客たちはざわついたが、コンサート会場で人探しをしているため、とアナウンスのみ流されている。
やがて蒼汰はステージ裏でぼうぜんと立つ楓を見つけ、駆け寄ってきた。
「君のお父さん、本当に恐ろしいな。電話一本でここと近辺の警備会社をまるごと買いやがった! あり得ないよ! これだから西園寺家はぶっ飛んでるんだ!」
叫ぶようにいわれ、楓はなるほどそれは道理で対応が素早かったわけだ――と、ひとり納得する。
「……で、どうだった? うまくいったわけ?」
「うん、狙い通り!賭けに乗ってきた」
妙に明るくいった楓の様子に、蒼汰は怪訝な表情を示したが、すぐに改まった。
「じゃああとは――」
「うん、頑張る……けど」
そして手に汗を握る。
これで大丈夫、だろうか。
バレないだろうか、捕まらないだろうか。初めての大舞台で、しくじったりしないだろうか……いろんな不安が込み上げる。
――怖い。
恐怖で手が、肩が震えている。
蒼汰は「はあ、もう……仕方ないなぁ」と、それだけをいい手を握り返す。
なんだかんだの、その優しさに、泣きそうだ。泣かないことを以前決めたのに、と我慢する。
「いやいや、泣くのはまだ早いって。せめて、これが終わってからにして。それからなら、泣いてもらっても構わないから……多少なら」
そうやってほほ笑み返され、 「自由を手に入れるんだろ?」その言葉にこらえきってから、なんとか大きく頷く。
「蒼汰って、やっぱり、いい人」
「そりゃどうも。でも、褒めても何もでないよ」
「……うん」
そう返され、少しだけ緊張がほぐれる。そうしていると、目の前に淳史も現れた。
淳史は自分の表情を見て、初ステージに緊張していると思ったのか大丈夫だ、と肩を叩いて声をかけてくる。
あながち間違いではないのだが。
そして、拳を前に突き出した。頷き、楓も拳で返す。
悠は相変わらず――嫌ならやめていいんだぞ?とでも言いたげな視線を向けてきた。
(いいえ。絶対に、やめません。私は、もう少し、ここにいたいんです)
意を決したように、悠へと睨み返す。
悠は悪戯に笑みを浮かべ、楓に片手を差しだしてきた。
その手のひらを、しっかりと固く掴む。
ステージがまばゆく光輝いていた。
そして、楓は舞台へ続く階段を登る。
「楓、それなりに僕もフォローはするけど、とりあえず頑張りなよ?」
「安心しろよ、楓っち。いざとなったら俺も頼りになるぜ?」
「この二人の言葉に甘ったれるなよ、楓。さあ、いくぞ」
その三人の発した声を皮切りに最後の階段を登り切り、足を踏み出した。
その先の舞台の上は、水を打ったように静まり返っていた。
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