第18話 VS悠レッスン 楓の女性疑惑

 起きた後すぐに練習し、疲労が増す中で、無遠慮ぶえんりょなノックが楓の部屋に響く。


 男性寮に入ってから、4日目の21時のことだった。

 

 開けた先には悠が、不機嫌さをあらわにして立っていた。

 

「マネージャーの命令とはいえ、なんで俺がお前と一緒にレッスンしなきゃいけないんだ」


「そうですか。わかりました。悠さんがそれほど嫌でしたら、仕方がありません。とてもとても、心から残念ですが、私は淳史さんか蒼汰を誘いますので……」


 わざとらしく首を振りながら、楓はさも残念そうにつぶやいた。嫌われているのは重々承知の上だ、とばかりに。


「なんだと? 俺は別に嫌だとまではいってない」

「ええ? どっちなんですか!?」

 

 露骨に眉をつりあげ、さらに不機嫌を重ねた表情へと変わり、その謎のコメントに速攻でツッコんだ。

 

「新メンバーを楽しみにしているファンもいるし、どうしてもというなら、一緒に練習してやる。……俺の方から折れてやろうっていってるんだ。その上で、お前がどの程度努力したのか見てやろうって……、ここまでいえば、お前でもわかるだろ!」


「まったくもって、伝わりませんね!?」


 それは”折れている”ことに入るのだろうか。


 再びツッコミ、「全く、うるさいな」と悠に言われながら、強引に腕をひかれ楓たちは防音室へと入った。どうやら悠は、手厳しいところもあるが接するときに素直に申し出ることができないらしい。


 淳史よりかは若干、早めに夜の練習を始めるのも、悠らしいというところであろうか。時間に対する性格の違いが如実にょじつにでている。

 

 淳史は昨日、明け方には解放してくれたが、結局は今朝早々に起こされているわけだ。ハードスケジュールが重なり、今日も眠気の限界を感じる。


 ――ここが頑張りどころなのかもしれない。


(うーん、日々のテスト勉強ですから、こんなに頑張ったかな……)

 

 そうはいっても楓の場合はエスカレーター式のお嬢様学校であったがゆえに、そこまで勉学にいそしんでいたわけではない。家庭教師やら講師は当たり前のように常時ついてはいたが。

 

――寝ないと効率が落ちるから絶対に寝ろ、あとその辺りでは寝ないようにと蒼汰に先日、怒られたばかりなのだが、いかんせん眠気が襲う。ウトウトと舟をこぎ揺れていると、悠が首根っこを掴んできた。


「ずいぶんと眠そうだな、退屈か?」


低く耳にかかるその言葉に、楓はひゅっと息を呑んだ。


「ちが、違いますッ!」


両耳を抑え、驚きのあまり鼓動が跳ねる。やたらにぶんぶんと首を振り慌てた。


「……絶対に寝るなよ……」


念を押され、コクコクと頷く。


「だ、大丈夫です。今朝ちょっとだけ、ですがなんとか寝ましたから……、今度は……リビングで寝ませんし! ……たぶん」


たぶん、のところで悠はジト目で見やる。


 大丈夫だといってはみたものの、やや不安感がぬぐえない。が、そんなことをいう間もなくピアノの椅子へと座らされた。


 「よし、それなら俺も徹夜で付き合ってやる。絶対に寝かさないからな、覚悟しとけ」

「ひいっ!」

「……文句が?」

「ありませんッ!」


 びっくりするほど、まったくもって嬉しくないセリフだ。


ここにいる全員は自分を殺す気なのだろうか、なんだかマトモなのは蒼汰くらいな気がしてくる。徹夜での練習といういかにも青春な雰囲気は求めていたが、これはなにかが絶対的に違う。悲鳴を心の中であげながら、楓は半ばヤケになりながら鍵盤を叩いた。


「ここにいるみなさんって、常軌を逸していますね……」

「何かいったか?」

「いいえ、何も!」


 切なそうにしくしくと心で泣きながら弾く楓に、悠はよりいっそうテンポをあげてきた。ついていくので精一杯だ。


「この曲は大変だろ?コンサートでも目玉だから頑張って覚えろよ」

「悠さんは鬼……、鬼です!」

「なら、やめるか?」

「嫌です! 絶対に、やめませんからッ!」

 

 楓はどうやら泣いている場合ではないと、心の涙をものみ込む。

その様子に、悠は再び見られぬようにほんの少しだけ口元を緩めた。


 「しゃべってると、遅れるぞ。――ほら」

 

 悠は淳史に比べると練習に容赦がない。

楽しく演奏していた昨日が懐かしく感じる。

 

「悠さん、もう無理ですって……ゆ、指がつりそうです……死にそうです」

「死んだら骸くらいは拾ってやる」

「……鬼じゃありませんね、どうやらその格上の閻魔大王かも。それか死神……」

「聞こえてるぞ」


 ぐぐ、と言葉を再び呑みこむ。さらにテンポをあげられ、楓は黙り練習をした。休憩もそこそこに、弾いて覚えろ、の理論のようだ。練習が必要なのはわかるが、なかなかに連続しての練習は堪えるものがあった。

 

「はあ、悠さん……ほんのちょっとだけ、休ませてください。さっきもいいましたけど、あんまり寝てないんですから……」

 

そういって、防音室の簡易ソファーに座り、楓は一人で楽譜へと目を通していた。

 

「……仕方ないな、本当にちょっとだけだぞ? 俺もお茶飲んでくるから」


 そういって、悠はいったん防音室から離れる。


 麦茶のペットボトルを2本持って戻ると、黙り込んで譜面を読んでいたと思っていたのだが、どうやら楓はすっかり眠ってしまった。

 防音室のソファーで寝息を立てている様子に、悠は本日何度目であろうため息をついた。

 

 「リビングでは寝ないが、防音室では寝るってか? 全く反省の色がないな」

 

 仕方ないな、ここで寝かせておこうとそう思って、ブランケットをかけようとする悠の手が一瞬止まった。


 少し前のリビングで寝ていた時の蒼汰の怒髪天どはつてん事件を思い返す。

 

(――そういえば、そうだった。ってことは、防音室でも眠っているところを蒼汰に見られたら、ダメかもしれないな)

 

 またもあの騒ぎに発展するかもしれない。

 考えあぐね、楓の寝顔を横目で確認する。

 

 さて、この状況をどうするか。

 さすがに、たたき起こすのは気が引ける。――となれば。

 

 「はぁ。仕方ない、コイツの部屋まで連れてくか……ほんと面倒なヤツだなぁ」

 

 そういいながら、悠はひょいっと軽く楓を背負った。想定外に軽いのは助かる。

 だが、まったくもって自分に労力をかけさせるばかりだ。

 

 「――絶対に、後で文句いってやるからな……!」

 

 悠は呪詛のように、ぶつぶつといいながら歩き出す。

背中の熱と感触が妙にリアルで、またそれが腹立たしく感じた。


 ふと悠の脇腹を楓の手が掠め、そのくすぐったさを我慢する。


「コイツ……落とすぞ……!」


 イライラがますます募るなか、辿り着いた先の楓の部屋のドアを蹴るように開け、


「最初はこんな不勉強なヤツありえない、って思ってたけど。まあ練習もなんとかこなすなら――、根性だけはあるようだな」


 誰にいっているわけでもなく、小さくつぶやきながらベッドへと運び込もうと抱えた。楓は完全に熟睡モードへと突入しているようで、驚くほど起きる様子が全くない。 もともと眠りが深いタイプなのだろうか、はたまた純粋に疲れているのか。

 

 どさり、とベッドに沈むように投げやりに置くとバネの反動で互いのバランスが崩れた。


 想定せず悠は楓を組み敷くような体制になり、危うく首元に唇が触れそうになる。

 至近距離で顔を見ることがなかったため、悠はその楓の白い雪のような顔と首筋に息を呑み――慌てて離れた。

  

「あ、ぶな……焦った……」

 

 顔が思わず発熱するように熱くなる。

 静まり返った部屋でそういって、世話が焼けるとばかりに楓に布団をかける手が止まった。

 

 「……それにしても」

 

 悠はベッドの縁に腰を掛け、じっくりと無警戒の寝顔をまじまじと見つめた。華奢な手足、細く小さな指、そして顔立ち。

 

 「本当に男なのか? それにしては……」


(妙だ。軽いし、背負った時の感触がなんか想定より……。もしかして、もしかしたら――)


 こうしてよく見ると似ている。あの日のあの時に、エレベーター前にあった、女の子に。うっすらと記憶の中をさぐりながら、そうだ、彼女がメイクをとれば……もしかしたら、この顔になるのでは――?そう考えると確かめようと自然に腕が、手のひらが楓の上のシャツの裾へと向けられる。

 

寸でのところで”本当に事実を確かめていいのか”を躊躇し、手を止め考え込む。


 もし、本当にそうだったら――?

 あの時の、女だったら――?


 むしろ、そうであれば、その事実を知らない方がいいのではないか、と。

そして、いくらなんでも、許可なく触れるのは人として――。


 もう少しで裾に触れるか触れないかのところで手のひらを開いたままで。


 アナログな時計の音だけがカチカチと暗い部屋に響き渡り――手をそのまま、グッと握ると引っ込めた。


 「ん……」

 

 やがて寝返りを打たれ、身体を反対側にむけられた。


「違う、はずだ……多分」


 悠は想像をかきけすよう、これ以上考えぬようそのまま静かに首を振って、楓に布団をかけ部屋を後にした。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る