第17話 VS淳史レッスン

 四人で音合わせした三日目の夜が終わろうとしている。

満身創痍かつ疲労困憊な表情を浮かべた楓は、シャワーを終えて鏡に映る自分を見た。少しだけ、以前とは異なる表情を浮かべている気がする。


(毎日毎日、ずっと練習ばかり……って仕方ないけど……)


 流れに身を任せることから選択する方向へ、努力することを優先に考えて――、逃げる前の自分とは少しだけ変化している気がする。体力的に疲れてはいるが心なしか、表情は前よりかは晴れている。なにより、周りに固められ縛り付けられている苦痛はない。

 

 時刻を見ると23時。

これからすぐに寝るにはちょうどいいころ合いだろうか。楓はそう考えると、パジャマに袖を通していると、コンコン、とドアのノックが響く。

 

 扉を開けた先には、淳史がいた。

  

「と、いうことでレッスンしない?」

「――と、いうことでって? 唐突になんですか」


 ドアを開けるやいなや、いわれた言葉に戸惑った。


「まだ23時、ってことは寝るにはまだ早い! 楓っちはとにかく当日までにレッスンを積まなきゃダメだろ? つまり――」


「え、レッスン? って――ダンスはもうしませんよね? 淳史さん、話を強引に進めましたね……」

「そうそう」


 淳史は楓の肩をポン、と叩き軽く応える。


「こんな時間から?」

「いや、夜はまだ始まったばかりだし。ピアノのレッスンしたいだろ? 付き合ってやろうかと」


 時計を改めてみて、しばし考えた。

眠たくないか、寂しいのかはわかりかねた。

レッスンはした方がいいだろう、と思う。だがしかし――……

 

「こんなやり取り、前もしませんでしたっけ?」

「デジャヴだろぉ?」


 もはや何もツッコむ気力はなく、そもそも相手は折れそうにない。


 「……わかりましたよ。レッスンしましょうか、ええと、ピアノなんですよね?」

 

 こうなればヤケだ。


 やるところまでやってやると楓は意気込む。

絶対に徹夜はするなと蒼汰のお小言が脳裏をよぎるが、記憶の奥底に沈めた。

パジャマのままではと躊躇したが、そこは気にしないでと強引に連れ出される。


 サラシ無しの胸に気づかれぬよう、大ぶりのタオルケットをもう1枚羽織ることにした。


 楓は淳史とともに防音室へと入っていき、譜面を広げ、CDを使いベースを鳴らす淳史と共に曲を進めていく。連日のスパルタ練習により、だいぶ慣れてきたようで曲の滑り出しは順調だ。

 

「いいねいいね」


 淳史は曲を流しながら笑顔でベースを奏でている。軽やかな曲と軽快な淳史のキャラクターにぴったりの曲だ。


 どうにか終えると、淳史は楓に向かって、片手を差し出した。


「なんです?」

「ハイタッチ」

 

 いわれ、なるほどと片手を前に突き出す。

 淳史が手を振り、楓の手に合わさるとパンッ、といい音が響き、腕に振動が伝わる。

 

「……」

 

 その感触に、楓はじっと手を見つめて動かなかった。 


「どした?楓っち?」

「これ……なんか、なんだか青春っぽいです!」

 楓は少しだけ泣きそうになりながら歓喜の声をあげ、淳史の方を向いた。

 

「青春っぽい? あー、そういうこと? そういうのが好きな感じ? それなら」

 

 淳史は笑顔を向け、こぶしを突き出してくる。楓も真似するように、こぶしを突き出した。

 

「ほら、こうやって、小突きあうとさ」

「相棒っぽくて、それはそれでいいだろう?」

「……さ、最高じゃないですかー!?」


 今までは、女友達と距離をとられていただけに、友達らしさを感じるどころか、相棒らしさまでをも味わえ、感動に打ち震えた。少しだけ嬉し涙がでそうになる。


「嘘!こんなんで!?なんかめちゃくちゃ喜んでくれた!?」

「はい、最高です……! 淳史さん、ありがとうございます」


 頬を赤くして幸せそうに笑う楓を見て、淳史もつられて嬉しそうに笑う。


「淳史さん!こういうのって他にも、他にもあるんですか!?」

「あるある、肘タッチもある」

「そんなのまで!? ぜひとも、やりましょうよ!」

「マジで? そこ、乗り気なんだ!?」


 肘タッチをし、もう一回、こぶし合わせフィスト・バンプと――握手を続けざまにやってみる。


 「なんか……癒されるな、楓って。ほんと弟みたいな感じの」

 

 ふっと目を細め、淳史はいつになく優しく笑う。

 そして度々楽しくキーボードを弾き、会話しながら練習を進めていく。

 

ちらりと時計を確認すると、もう朝方となっていた。

  

「……夢中になっちゃいましたね?なんだかとっても、楽しかったです。ありがとうございます」


「いいぜいいぜ、楓っち、俺も楽しかったし。明日? いや今日もあるからさ、もう寝ようぜ」


 そういって、淳史は再びこぶしを突き出した。

 コツン、と小さな音を鳴らし、互いに笑顔で各自の部屋へと戻っていく。

 

 淳史のおかげで、今日の練習は想像以上に楽しくなったと感じ、やがて楓はようやくベッドに入ると、一瞬で深い眠りへと入っていった。

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