第14話 リビング怒髪天事件

 鍵盤に指を置き、音源を聞きながらひたすら練習を開始する。集中してずっと気づかなかったが、すでに随分と時間が経過しているようだ。昼を回ったくらいだ。

 

 ひどく疲れて休憩しようと席を立つと、ガラス張りの向こうに霧崎が楓へと視線を向けていた。

 

(いつ、から!?)


 悲鳴をこらえ、取り急ぎ立ち上がった。

 もしかして、使いたかったのをずっと待っていたのだろうか――そういった焦る気持ちで防音室の扉を開け、軽く会釈をする。

 

「ごめんなさい、使うつもりでしたか?」

「構わん、通りがかっただけだ。これから三日間海外だから、俺は使わないから好きに使え」

「これから?」

「ああ」

 

 どこにですか、と背に向けて尋ねたが聞こえなかったのか返事はなかった。


 ――ただ単に無視されただけかもしれないが。

 

(そういば、霧崎さんて何者なんだろ?)


 海外、とは?

 ピアノを弾く、ということくらいしか知らない。 考えながら、ふと見回した防音室の棚には、見慣れぬ楽譜があった。


(これは――)


 手書きで、しかも日付は最近となっている。ということは、おそらく、この楽譜はここで執筆したものだと推測できる。

 筆跡的にいうならば男性のようにも――思える。どんな感じの曲なのか、ひとまず譜面を叩いてみる。

 

(これは、面白い、かも)

 

 他にも譜面を見つけ、指を滑らせ弾いてみる。

 

 やがて楓は、一瞬止まった。

 この曲は――どこかで聞いたことがあるような気が――する。


 かなり昔に。

 

 しかし、どこでだろうか?

 思い出せず、どうにも疑問に思い、楓は誰もいないリビングへと戻っていった。

 

 デスクに座り共有パソコンを起動し、使わせて題名を検索しよう思ったが――しかし、そのパソコンはロックされていてパスワードはわからない。

 

「ええ!? パソコンのパスワード……? なんだろう……?」


ひとりごとを呟き、楓は頭を抱えた。


「パスワード、だよ」


その声に反応するかのように、頭上から低い声が降ってくる。


 見上げてみると、そこには悠が面倒そうな表情を浮かべて立っていた。

昨日、というより朝方にわざと頭から水をかけられた記憶が蘇る。妙にぎこちない空気が辺りを覆う。

 

「そのパソコンのパスワードは英字でパスワード、だ。セキュリティをなめてるだろ? まあ、どうせここにはあやしいヤツは入ってこないだろうからだけど」


「あり、がとうございます……」


「…………」

「…………」


 苦手意識が勝ってしまい、それ以上の会話が持たない。

ともあれ用事はすんだのであれば、勝手に去っていくのだろうと、楓は話をそれで終わらせ、起動したパソコンで楽譜の題名を調べてみた。


 しかし、それらしい検索結果はでてこない。


(どこで、聞いたんだっけ――この曲)

 頭の片隅に置きながら、深いため息をついた。


 画面の表示に、霧崎、の名前が入った表示が並ぶ。イヤホンをして、動画をクリックするとライブコンサートの前のリハーサル映像で作曲家、と紹介されている。このユニットや、会社そのものの専属の作曲家ということがわかった。琴線に触れる美しいピアノの旋律。

 

 やがて聴き惚れている場合ではない、と我に返りパソコンを落とし、楓はそこでようやくソファーに座りなおした。イヤホンで音源CDを流し、次々と譜面を読んでいく。


 すると、そこでイヤホンを片方奪われ、悠は隣のソファーに腰かけた。


「え、悠さん……どうしたんですか」

 

 悠はリビングからすでに移動しているものだと思っていたため、その突飛な行動に、楓はなにごとかと身構え警戒した。

 

「文句があるのか?」

「いえ、文句はありませんが……」


 なぜ、嫌いなら、自分と関わろうとするのだろう……疑問に思いながらも、楓は悠を見つめた。悠はじっと見つめ返してくる。やがて、不満そうにしつつイヤホンを片耳に差した。悠の耳に流れてきたのは、このユニットグループ”オルフェウス”の今度のコンサートで発表する予定の曲だった。 

 

「今日の20時」

「え?」

 

 悠の唐突な言葉に、楓はイヤホンを外した。


「全員で音合わせだ。それまでに、この今流れてる曲の楽譜を弾けるようになっておけ」

「はい……」


 有無をいわせぬ悠の発言に楓は時計をちらりと見た。時刻は13時。

 しかも、昨日からずっと、それこそひたすらに寝る時間を削り練習しているので恐らく――そこそこならば、本当にそこそこならば、いくつかの曲はいけるはずだ。

 

 「わかりました」

 そういって、楓は回答して曲を聴き、譜面を頭に叩き込み続ける。


 隣には悠がなぜか、ずっと座っているのが気になったけれども。

 真横から伝わる体温、そして心地よい音楽。やがて眠りがいざなわれ――そういえば、あまり寝ていなかったな――とゆっくりと瞳が閉じていく。

 

「おい、お前……ふざけるなよ……?」


 自分の肩によりかかられ、寝息をたてられる様子に悠は不機嫌さをあらわにする。

ぶつぶつといいながら、ソファーにかけられていたブランケットを楓の体にかけた。

 

「あれー? 悠と楓っち?」


  楓が寝息が落ち着き熟睡してしまったころ、リビングには淳史が到着した。


 どのくらいの間そうしていたのだろうか。


 そこには譜面を片手に、不満という不満を抱えた悠が座っていた。


「淳史。こいつを何とか、どかしてくれ」


「あちゃー、熟睡じゃん? でもさあ、なんかずっと練習してて疲れてんだろ? 起こすのなんだか可哀そうじゃん? 俺、基本的に男女問わず紳士だし?」


「自分でいうのか」


「しかし、よく寝てるねー。って……楓っちの寝顔、やっぱり頬ずりしたくなるくらいに……なんか、かわいい、な?」


「お前……男もいけたのか?」


 信じられない、という表情と若干――というよりも、だいぶ引き気味の悠の視線に、慌てて淳史は手を振った。


「いやいや、さすがに男はねーよ!ってか俺ほど女が好きな男はいないよ? 世の中全部の女性にモテるために芸能界に入ったワケだし。ただ弟がいたら、なんかこんな感じかな―? って思っただけだよ」


 「そうかあ……?」

 

 悠は隣に寄りかかる楓の寝顔を見つめる。

 最初のオーディション会場で外よりも人目を引くだけあって、顔立ちは……まあ確かにそれなりにいい。いや違う。それなりに、どころではなさそうだ。そして、どちらかといえば、弟……というよりかは――まるで――?


 その顔を近くで確認しようと、頬に手のひらを伸ばそうとした瞬間。

 

 「悠」


 蒼汰に自分の名前を呼ばれ、悠はふと我に返った。触れようとした手を慌てて引っ込める。平然を装い、蒼汰へと目線を向けた。


 「ああ、蒼汰もココにきたのか。どうした?」

 「それ……真横にいるの……楓……? ここで――もしかして、寝てるの?」

 

 蒼汰はぶるぶると指を震わせながら信じられない、という表情で悠に話しかける。


 深い眠りに落ちているのを確認しながら、悠は頷いた。

  

 「ああ」

 「この――バカ!?」

 

 突然取り乱した様子の蒼汰の素っ頓狂な発言に、悠ならず淳史までもが驚いた。

 

「な、なにが、どうしたの? 蒼汰くん……?」

 

 淳史がその様子に困惑気味に問いかける。普段クールな彼らしからぬあり得ない『バカ』発言に、思わず彼に対し敬語になってしまったようだ。

 

「リビングって、リビングで寝るって……!? ああ、もうこのバカ! なにやってるんだよ!!!」

 

 両手で頭を抱える蒼汰を二人は茫然と見つめる。

 

 悠や淳史はこの状態の楓を起こすのはどうかと阻まれていたが、蒼汰はそんなことに構わず掴みかからんばかりの勢いで楓へと手を伸ばす。


「ちょっ……」


 すかさず、淳史が後ろから蒼汰を羽交い締めにした。

 想定外の出来事に何事か、とわけのわからぬまま、悠は片手を伸ばし真横で眠る楓を守るようにすると問いかけた。

 

「蒼汰! どうしたんだよ」

「お、落ち着いてよ、蒼汰君?」


 二人が真っ青になっている蒼汰になだめるように話しかける。


 「駄目だ! 起きろ、楓。こんなところで寝るな! ありえないだろ、僕がたたき起こしてやる!」


 二人に構わず颯汰はそういい、淳史は再びなだめた。


「待って待って。でもさ、いつも俺たちだって、リビングで寝てるじゃん? こんなに疲れて寝てるんだから、楓もリビングで寝たっていいじゃん? 起こしちゃ可哀想だよ」

 

「淳史たちは構わない。床でもどこでも寝てろ!」


「え、ええ――――?」

「え、なに!? それは怒っていいのか? 喜んでいいのか?」

 

 この怒り吐き捨てるような蒼汰の発言に淳史に加え、悠まで混乱してしまった。


 もはやリビングは阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図となりつつある頃、ようやくその騒ぎで楓は目を覚ました。

 

 起きたことで事態が解決し、ぐったりとした三人を見渡しながら、楓は一体何事かと不思議そうに首を傾げた。

 

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