第13話 練習開始

 朝日を確認して、安堵した楓はいつのまにか、落ちるように眠っていた。

時計を確認すると、午前11時、なんと驚くことに昼前である。


 マネージャーから配布されたスマホをチェックすると、「リビングの資料を確認して、あとは練習でも自由に過ごして」とのことだった。


 慌ててリビングへ行くと、そこには誰もいなかった。楓の分だろうか、資料が1つだけ残されている。

 

 すると物音を聞きつけ、部屋のドアがひとつ開けられた。

蒼汰が今頃起きたの?という呆れた表情をしつつ、楓を見てきた。


「あの、昨日夜遅くまでちょっと色々と……」


 弁論しようとしたが、 蒼汰は無言のまま部屋のドアを閉めようとした。

寸前で、楓は滑り込むように蒼汰の部屋のドアに足をかけた。


「待って!」

「何」

「ごめんね、蒼汰。その、頼ってばかりで申し訳ないけど、ひとつだけお願いがあるんだ」


 その言葉を聞いて、蒼汰は面倒そうな表情を浮かべた。

 

「嫌だ。僕はもう十分すぎるほど君に協力してるでしょ、この足をどけてよ。閉めたいんだけど」


「本当に、何度もごめん。でもお願い、聞いて」


 蒼汰は、なおも引かない楓に対し、大きくため息をつくと――やがて観念したように扉を開け、腕を組んだ。


 そこでようやく、楓の目が腫れていることに気が付いて、「……どうしたのさ」と囁くように問いかけられた。楓はその問いには答えたくないとばかりに小さく首を振った。蒼汰は楓の腫れたまぶたを少し撫で、ほんの一瞬だけ悲しそうな顔を浮かべ口を開いた。


「……それで何を頼みたいの。要件だけ先にいってくれれば、とりあえず検討する」


「キーボードかピアノで曲の練習をしたいの、だから、楽譜をもらえないかな……?」

「それならマネージャーが置いたリビングの資料の中にある。あとは?」

「CDか曲の音源を聞きたいんだけど」

「わかった、用意する。他はもうないね?」

「……うん、用意してくれるの?」

「そこは別にいいよ。君が練習するにしても、曲を聴かないとイメージわかないよね。だから」

 

 そういうと、蒼汰はいったんドアから離れて一枚のCDを取り出した。


「これをあげる。あとはもうない? 僕もやることがたくさんあって集中したいから、今のうちに欲しいものがあったら教えて」


「他は特にないよ。今度なにかで、お礼する……蒼汰、ありがとう」


 心から感謝し、ぎこちない笑顔でそういうと、蒼汰はぐっと息を呑み込んだ。

 

「……別に、いいよ。本当に、気にしないで」

 

 楓から視線を外し、静かに扉を閉めた。

 

――ほんのりと顔が赤く色づいていたような。あまりよくみえなかったが、照れているのだろうか。そんなことを考えながら、楓はCDを見て顔がほころぶ。

 

 扉は閉められ、リビングに静寂が戻ってきた。

 楓はピアノがある防音室へと足を運び、覗き見る。

 幸いにも、誰も練習していないようで防音室はもぬけの空だった。

 

 鍵盤に指を置き、気合を入れ、そして息を整える。


(よし、がんばろう!)


 意を決し、音源を聞きながら譜面を読む。

 

 叩く、弾く、奏でる、そして聞く――その日はありがたいことに誰も防音室に来なかった。食を忘れるほどひたすらに集中し、ひたすら練習を開始した。

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