消えゆけ世界と願うは勇者
香屋ユウリ
この世界、いらないよね
雲一つない、快晴の空の下。王城の一角のベランダで、アフタヌンティーを楽しむ者の姿があった。
勇者と魔王である。周囲には風魔法による結界が張られていて、他人には内容が聞かれないよう施されていた。
「僕は、正直この世界いらない気がするんだよね」
勇者は、自分の目の前に座っている魔王に向かってそう言った。
「何よ、藪から棒に」
魔王はあきれた様子で紅茶をティーカップに注いだ。
ただ、魔王と言っても巨大な体躯なわけでもないし、牛の顔で巨大な角をはやしているわけでもなければ、仰々しいオーラを放ってもいない。見た目は町娘そのもので、言ってしまえばとても魔王とは到底言い難い姿形をしている。
他と異なる点を強いて挙げるならば、美しい白銀の髪を持ち、華奢で麗しい容姿という点か。
「だって、そうじゃない?この世界はまず人口が凄まじい。それがゆえに毎日どこかで争いは起こるし、それを抑えるために動けば『平民風情がでしゃばるな』とか、『勇者だからって調子乗るなよ』とか言われて」
「それは……まあ」
「僕、仮にも勇者だよ?世界を救って魔王と平和協定を結んで、世界の混乱を沈めたすごい人なんだよ?」
「すごい人の割には、政治には全くセンスがないじゃない。あなたが勝手に宣言した平和協定のせいで私がどれだけ手を焼いたことか」
「まあそれはそれ。これはこれ」
魔王はギロッと鋭い視線を勇者に向ける。
しかし勇者はその鋭い眼光を気にも留めず、へらへらと笑った。通常の人間ならば白目をむいて倒れるであろう圧を勇者はものともしない。
……いや、この勇者のことだからきっと気づいていないだけなのかもしれない。もはや勇者のこういった行動には慣れてしまう己が怖くなってきているまである。
魔王は溜息をつく。
(言っていることはぶっ飛んでいるのに能天気なのはなぜなのかしら)
「ん?どうしたの?」
「いえ、なんでも。続けていいわよ」
そう言うと勇者は「そう?」と言って首をかしげた。
自身の悪口を言われたのか、はたまた別のことを考えているのか。
そんなことを考えていたが、勇者は紅茶を口に含んで飲み込んだ後、言葉を続ける。
「次に、平和に乗じて貴族たちが僕たちの関係にケチをつけ始めてきてることなんだけど」
勇者はわざとらしく肩をすくめてみせる。表情は渋かった。
「貴族、ね。私も確かに良い思い出はないけど」
魔王軍における高位な立場の種族たちは皆、自分の地位に溺れることなく粛々と生活している。このことは魔王である彼女が一番身をもって体験していることであった。
「人間界の貴族より、魔王軍のお偉いさんのほうがしっかりしてるって分かったときはほんと度肝を抜かれたよ。種族の違いってこんなに大きいのかって」
「ふーん、そんなこと思ってたのね」
「そうそう。んで、ぼくたちって平和条約を半年前に結んだじゃない?内容は、えーと」
「『人類と魔族は互いの権利と尊厳を尊重しあい、互いの国民の安寧を永久に保障しあうことを、この人魔平和条約を以て約束する』」
「あ、そうそう。それそれ。それで、その条約を結んだことで互いの友好関係を作ったわけだけど」
「貴族は魔族を毛嫌いしていたから、この友好関係に対して未だに貴族からの反発がある。そうでしょ?」
「さすがは魔王様。ご明察」
人間界の伝統として、貴族の血統は平民と交じり合うことは禁忌とされている。異種族とならなおさら言語道断である。
それに加え貴族たちは己の地位に固執し、自身が貴族であることに誉れを抱いている。そんな彼らが魔族と共に政治を行い、友好関係を築くとなればどうなるか。
その結果は言うまでもないだろう。
「こういった貴族の問題って、どうすればいいのかしらね」
魔王は難しい顔をして、ティーカップに手を伸ばす。
が、カップの中身は既に空だった。どうやら無意識のうちに飲みきってしまったらしい。話に夢中になって気が付かなかった。そのうえティーポットは、執事が厨房へ持って行ってしまっていたようだ。
「さてね、あいにく僕はその答えは持ち合わせていないんだ。政治は苦手なもんで」
勇者は席を立ち、うんと伸びをする。それに合わせて身に着けた鋼の鎧が重い金属音を奏でた。
「だから、この世界はいらないよねって言ったんだ。どうせ苦労して貴族たちをなだめるなら、一度壊してしまえばいい」
「世界を救った勇者とは思えない言葉ね」
魔王は『壊す』という言葉に反応し、眉を顰める。
「うん、自覚はあるよ。でも……」
「これが僕なりの、救済なんだよ」
そう言って、勇者は笑みを作る。
その瞬間、魔王は体全体に形容し難い寒気を覚えた。感じたこともない恐怖だった。なぜかは分からない。けれど、魔王であるはずの彼女は一瞬、自分が魔王であることを忘れてしまいそうになった。
「紅茶の葉っぱ、厨房にあるんだっけ」
勇者は席に座っている魔王に目を合わせる。どうやら追加の紅茶を持ってきてくれるようだ。魔王はそのことに気が付き、少し表情のこわばりがほぐれる。
「ええ、そうだけど。でも、あなたが取りに行かなくても、私が側近に持ってきてもらえるけど」
「ううん、良い。僕が取りに行くよ。やることがあるからさ」
「やること?」
「うん、ちょっと聞きたいことがあって、ね?」
「……そう」
何かあるのだろうか。魔王は自分にそれを聞かないことを不思議に思った。けれど詮索するのもどうかと思い、今は納得しておくことにした。
「じゃ、すぐ戻るから」
勇者はそう言い残し、一拍後にはその場から姿を消していた。
〇
「はっ、はっ、はっ……!」
薄暗い森の中。ここは町から少し離れた場所にある、普段は立ち入りが制限されているため、街道はまったく整備されていなかった。
その中を、鈍足ながらも必死に走る貴族の男の姿があった。高級感あふれる正装は泥と草がへばりつき、メイドに整えてもらった自慢の髪はすっかり乱れている。
男は逃げていた。
家は燃やされ、財産を失った。自分を守ろうとした家臣は一蹴され、もう生き延びるすべは抜け穴(これ)しかなかった。けれど、それも潰された。
「逃げ足だけは、一人前なんだね」
「ひっ!」
背後からしたはずの声。その方向を向くが、目の前には誰もいない。ただ深い森の闇が広がっているだけ。
が、次の瞬間、体全体に衝撃を覚えた。
「~~~っ!」
地面に叩きつけられたと分かったのは、視界に青空をとらえているのだと認識してから数秒のことだった。貴族の男は、仰向けで倒れていた。そして、首元には刃が添えられている。盗賊が使うような鈍(なまくら)の刃ではなかった。
悪を裁く、勇者の剣の刃だった。
「あ、あ」
男は、声が出なかった。頭は真っ白になり、自分がこれから死ぬのだということすら考えることができなかった。
「ここまで逃げるなんてね。ほんとに、お前らってやつは……」
勇者は深い闇を宿した瞳で、貴族の男を見下ろす。
恐怖でがちがちと歯を鳴らしている様子がたいそう滑稽だった。
「僕と魔王のこの密会をスパイに盗み聞きさせるなんて、良い趣味してるよ。……って、こんな世界はいらないとか言っている僕が言えたことじゃないけど」
「な、なんのことだ」
男はかろうじて、声を発した。
だがその言葉の内容が、勇者を不快にさせるものであるのは明白であった。
「魔王の側近の家族を拉致して脅迫、そして魔王と勇者を紅茶に仕込んだ毒で暗殺させる。これ、お前の指示でしょう?」
この言葉を聞いた途端、男は顔面蒼白になった。
どうしてそれを、と声にならない様子で口をパクパクとさせる。
「そりゃ、聞いたからね。本人から」
数刻前の出来事が、勇者の脳によぎった。
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