僕と彼女はどこまでもかみ合わない

小鳥遊なごむ

第1話 後輩ちゃんのお悩み相談部。

『貴方の長所はなんですか?』


 僕は無能だ。長所らしい長所は見当たらない。

 生まれてから今まで、おおよ成功体験というものを積めた事がない。

 人よりも常に何かが劣っていると感じる。

 決して完璧主義者なんかではない。


 だから凡庸ぼんようだとか、平凡とか普通だとこ、そんな平均的な能力ですらない。

 全てにおいて他人より劣っている。


 それでも自分の長所や優れている何かを僕は探さずにはいられない。

 そうでなければ存在してはいけない気がするから。

 使えないから死ねと言われるのではないかといつも脅えている自分がいるから。


 でも自分では自分の良い所なんて見つからない。

 だから願わくば、誰か僕の長所を、人の役に立つ何かを、存在意義を下さい。


 生きていていいのだと、言ってくれ。

 生きていていいのだと、教えてくれ。


 だけど世界は冷たいもので、そして人はこういうのだ。


『みんな辛いんだから、お前も頑張れよ。甘えるんじゃねぇよ』


 この言葉で、一体何人が死んだんだろうな。



 ☆☆☆



 放課後、今日も何事もなく授業は終わった。

 時間は淡々と過ぎていく。

 今の僕には生きているのか死んでいるのかよく分からなくなる時がある。


 生きているという実感が無いのだろうと思う。

 高校に進学したら何かが変わるかもしれないと思ってた。

 でも入学して既に1年が経って僕はもう2年生。


 部活にも入部することもなく、何をしていいかも分からず今に至る。

 友だちも彼女もいない。

 思春期特有の「自分はどうして生まれてきたのだろうか?」という疑問はいつも僕にまとわりついている。

 とても痛々しいと思うけど、けど実際そうで、だからこの負のループから未だに僕は抜け出せていない。


「ちょいちょい、せんぱい」

「……?」

「何かお悩み事はありませんか?」

「……なに、その胡散臭いエセ占い師みたいなうたい文句……」


 家に帰ろうと廊下を歩いていると僕に声を掛けてきた謎の後輩の女の子。

 後輩が僕の後輩であり、後輩が僕を先輩であると認識できるリボンとネクタイの色の違いからうちの高校はすぐに学年を識別できるが、少なくとも僕に後輩の知り合いはいない。というか同学年でもいない。


 後輩はとても可愛らしい子だった。

 黒髪ロングだが幼さの残る顔立ちは純粋そうで、それだけで僕の存在を否定されている気がした。

 きっとこの子はしっかりしている子なのだろう。

 きっちりスカートは膝下で制服だって着崩したりはしていない。


 しっかり着こなした制服と黒髪ロングからの印象とは違って人懐っこそうではあるが、僕みたいに卑屈に捻くれてはいないのだ。


「べつにそんなに怪しい人じゃないですよっ! 部活なんです」

「……マルチ商法が活動内容の部活なんてうちにあっただろうか」

「マルチでもないですっ!! わたしが立ち上げた部活なんですよっ!!」

「そうなんですね、頑張ってください。では僕はこれで」

「ちょと待って下さい! 良かったら、せんぱいのお悩み聞かせてくれませんか? わたしが立ち上げた部活、『お悩み相談部』って言うんです!!」


 しつこい。

 それでも目を輝かせてそんなことを言ってくる名も知らない後輩女子。

 悩みと言っても明確に何かがあるわけではない。

 何も無いのだ。なんにも。


 きっと人並みな人であれば、恋愛がどうとか部活でレギュラーになる為に、とか人間関係とか。

 そういう現実的で目の前の何かについて真剣に悩んでいたりとかするのだろう。

 僕はそれをとても人間らしいと思うし、羨ましいとも思う。

 自分はそういうのを全部放棄してしまっているような人間だ。


 問題が多分多過ぎて目を逸らそうにも逸らせない。

 だから全部見なかった事にして、耳も塞いで息を殺してなるべく人に迷惑を掛けないようにただ生きている。


「いやべつに」

「まあまあとりあえず部室にどうぞ! お茶くらい出しますから!」


 手を掴まれて、そのまま引っ張られていく。

 確固たる自分がないから、こういう時に流される。

 色んな事を諦めてきたせいだろう。

 だからせめてなるべく疲れないように抵抗しない。

 藻掻もがくだけ苦しみは長く続く事を僕はよく知っている。


 心を殺してじっと耐えれば、時間は過ぎていく。


「どうぞどうぞ〜。ちょっと狭いですけどね」

「はぁ、そうですか」


 手を引かれて連れてこられたのは別棟の端っこの部屋だった。

 元々物置だったような部屋で空調のたぐいは古びた扇風機くらいで、部室というにはやや寂しい。


「紅茶か珈琲、どっちがいいですか? せんぱい」

「……じゃあ珈琲を」

「おおぅ、大人だ……」

「…………」


 感受性の豊かな子だな。

 そういうのは羨ましい。

 後輩は慣れない手付きで電気ケトルからお湯を注いでインスタントの珈琲を淹れてくれた。


「まだ部費もあんまりなくて、カップも飲み物も電子ケトルも自宅から持ってきたものなんですけどね」

「ありがとう」

「いえいえ、どうぞ」


 ニコニコしながら珈琲を目の前に置いた後輩。

 今更ながらなんでこんな事になっているのだろうかとどこか他人事のように考えた。


「ひとつ、聞いていい?」

「はい。どうぞ!」

「そもそも誰?」

「っは!! そいえばまだ自己紹介してませんでしたね! えーっと、こほん。わたしはお悩み相談部の部長の1年生の神井真理かみい まりって言います。よろしくお願いします」


 どこか初々しく、明るく丁寧に神井はそう名乗った。

 この子にはきっと、世界が煌めいて見えているのだろうな。

 眩しい人だと思った。


「僕は2年の横須賀敬よこすが けい。よろしく」

「よろしくです、横須賀せんぱい!」


 神井は笑顔で僕の手を握ってきた。

 それもとてもナチュラルに。

 そのコミュ力が怖いとすら思った。

 とても自然で悪意も敵意も無く、きっと誰にでも彼女はこうなのだと仕草ひとつからでも伝わってきた。


「それで、せんぱいのお悩みってなんですか?!」

「……いや、べつに、特に無い」

「い、いやなんかあるんじゃないですか?! 何でもいいんですよ?! 借金がヤバいとか闇の組織から追われてるとか伝説の暴走族からスカウトされて困ってるとか好きな女の子がとんでもない秘密知っちゃって命狙われててヤバいとか!!」


 この子の頭の中はどうなっているのだろうか。

 まあ、思春期の子どもって実際そんな非現実的な事を生活の中でどこか期待してしまったりもするのだろう。


「……ドラマとかの見過ぎだと思う」

「で、でもなんか! なんかありませんか?!」

「なんでそんな必死なんだよ……」

「だ、だってぇ……」


 神井はガックリと項垂うなだれてしょんぼりとした。

 表情豊かで見ていて飽きないが、そこまで僕の人生にを期待されたって困る。

 だって何も無いのだから。


「そもそも、どうしてそんなに焦ってるんだ?」

「活動実績が未だに無いからです。だから幸薄そうなせんぱいならなんかお悩みあるかなって思って」

「幸薄そうなのになんにもなくて悪かったな。生きててごめんね」

「せんぱいちょーぜつ卑屈だ?!」


 実際のところ、話せる悩みが無いわけではない。

 ただあまりにも漠然としているし、自分自身どう話していいかもよくわからない。

 人との信頼関係の築き方も知らないままだから、そのままにしてしまっているのもある。


 なんにも無いことが悩みなわけではない。

 ただ、事にしているだけなのだ。

 だって僕に何かがあったとしても、誰も僕に興味関心なんて抱かないし、関係ないことなのだから意味もない。


「僕が神井さんの力になれるようなことはなさそうだし、帰るよ。ごめんね。珈琲ご馳走様」


 そう言って立ち上がった瞬間、神井は僕の制服の裾を掴んだ。

 それはどこか縋るようで、先程の明るさとは違う寂しさみたいなものが見えた。


「せ、せんぱいは部活とかしてますか?」

「いや、してない」

「バイトとかは?」

「してない」

「じゃ、じゃあ……部員になってくれませんか? 幽霊部員でもいいんです。籍だけでもいいですし、本とか読んでてもいいんです」


 どうして彼女はそんなに必死なのか、僕にはよくわからなかった。


「後輩を、助けると思って入部してくれませんか?」


 切実に彼女はそう言った。


 ああ……これは良くない。非常に良くない。

 世のダメ男・ダメ女に引っかかる典型的なパターンではないか。そんな事はわかってる。


 だけど、こんな僕でもと、一瞬でもそう思ってしまったしまった時点で僕の負けなのだろう。


「はぁぁ…………わかった」

「へ……ほんとにいいんですか?!」

「どうせ暇だし」

「ありがとうございます、せんぱい!!」


 どのみち僕には失うものなんてあまりない。

 それに、神井真理というこの女の子に捕まった時点でどうしようないのだろうと思った。


「じゃあせんぱいは副部長ですね!!」

「……え、それはやだ。平社員で責任の少ない仕事と人生がいい」

「悩み事だけじゃなくて向上心も無いんですかせんぱいっ!!」


 こんなことを後輩女子から言われるくらい情けない僕に、一体何が出来るというのだろうか。

 それでも、必要とされているならそれでいいと思った。

 なんにもないより、幾分いくぶんかマシだ。




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