第3話 決意

2016年6月11日、柴垣隆之介_


初めて自慰行為を通じて精通を体験したのは中学三年生の時だった。


 学校内でも自慰行為をするものがまばらだったのが、今となっては多数派だ。隆之介は性に関心は向かないままだったが、焦りを覚え始めた。アダルト雑誌を片手に自身の性器を愛撫し撫でまわしてみたものの、一向に射精という感覚に達しない。一時は病気を疑ったほどだ。


 ある時、固定観念に縛られることなく、自由に自慰に興じてみようと思いたった。それは考えたくもなかった事実で、意識的に目を背けていたことでもある。


 両親がいない時をみはからい、家族兼用のパソコンで見ていたグロ動画、グロ画像に思いをよせてマスターベーションをしてみよう、そう考えついた。当時のネットは発足したてであったため、求めている動画一つにたどり着くのも困難を極めた。ウイルスに感染しないよう神経を張り巡らせ、ましてや履歴に足をつけないよう細心の注意を払わなければならない。隆之介は、張り巡らされた包囲網を潜り抜け、気に入った動画を再生し、性器をこする。


 瞬く間に性器は晴れ上がり、射精した。なにかに達したかと思えば、体が痙攣し、尿道の先から白い液体がぷくりと溢れた。


 隆之介は、オーガズムに達してしばらくして、泣いた。パソコンの前で一人でに泣きじゃくった。


 自分が人と違うことが決定付けられてしまった。ただの趣味だと思っていたものが、本来あるべき場所にある何かが欠落した代わりにあるものだったからだ。俺は病気だ。人が殺され、死ぬ様子に欲情し、射精する。欠陥品である自分に絶望し、泣き続けた。


 今となれば最低限この病気とも寄り合い生きている。もちろん誰にもこのことは言っていない。自分には本来あるべき性欲があり、性交渉こそが関心の矛先だ。そう周りに言い続け、ふるまってきた。この病気が知られれば、周りはどう思いどう扱われるか、考えるのが怖かった。


 だが、今日を持って生まれ変わった、夢を現実にするために。ショッピングモールの雑貨屋へ入った。日用品、生活必需品、リーズナブルな値段で商品が取り揃えられている。案内板の『掃除用品』と書かれたコーナーへ向かう。


 洗剤、ふきん、スプレー、陳列された商品に目を配っていると『ゴム手袋』と書かれた商品を見つけた。謳い文句には『耐久性に優れ、シミに強い』と書かれていた。確かに素手を用いて相手を殴ることを考えると、破れないに越したことはない。血痕が染み出れば感染症の恐れもあるかもしれない。これは殴殺するために作られたゴム手袋だと思い、商品を手に取った。


 あとは顔を隠すためのマスク、これは家のどこかにあるだろう。サングラスはいるだろうか、他にも刃物、包丁やアイスピック。どれが相手をいたぶるに最適だろうか。


 忘れてはならないのは、この雑貨屋には防犯カメラが大量にあるだろうということと、購入履歴が記録されていることだ。天井を軽く見渡しただけでも二つ三つ、万引きなどさせまいと、魔の手が目を光らせている。変に刃物を買い揃え、痕跡から凶器が特定されれば、わが身が危ぶまれる。


 包丁にしておこう、そしてカモフラージュとして、まな板、ピーラー、料理用品も一緒に買い揃えておく。しがない男子高校生が料理を始めようと器具をまとめ買いすることはなんら不思議なことではない。あらためて通路に置かれたカゴをとり、放り込んでいく。


 何気ないすまし顔で買い物を済ませ、ビニール袋をぶら下げ、ショッピングモールの出口をくぐった。隆之介は改めて買った包丁を覗いた。決心により湧いて出たアドレナリンも切れつつあり、ふつふつと恐怖を感じ始めた。ただ、これから成し遂げようとすることへの胸の高鳴りに比べれば、些細なものに過ぎなかった。


 役者はそろった、あとは舞台を選ぶだけだ。


 決行の場を見つけるべく、駐輪場で自転車に乗り込み、家へと向かった。



2016年6月11日、高宮絵梨奈_



 事務作業が長引き、日を跨いでまで残業してしまった。だが今日は休日だ、どこかショッピングにでも興じて羽を伸ばそう。鼻歌を吹聴しようとしたが気力も残っておらず、ただただ優雅な一日を連想し帰路についた。


 宮崎の田舎にある小さな郵便局に勤める高宮絵梨奈は、会社から徒歩10分もかからない場所にかりたアパートに娘と二人暮らしをしている。


 田舎の辺境にある場所に人など集まるはずもなく、人手不足による過度な残業は、娘を大学に進学させるにあたっての資金繰りに追われる絵梨奈にとっては、好都合に他ならなかった。ただでさえ貯金も底が知れているというのに女手一つの片親の絵梨奈は、娘の将来のためだけを思い、熱心に働いていた。


 ただそんな絵梨奈にも、金銭どうこうの事情を無視してまで興じる趣味があった。絵梨奈は少し帰路から逸れ、足早に歩き、光もしない電光掲示板が掲げられたヤマザキショップに寄った。手動でガラス戸を開けると、黒人の雇われ店員が店奥から出てきた。そのまま会計カウンターに向かう。


「すみません、171番下さい」

「はい」


 財布からなけなしの金を取り出し、常喫であるパーラメントのショートを購入する旨を伝えた。店員は慣れた手つきで棚に手を伸ばし、レジに通した。


 高校に進学したての頃、付き合いだした二つ上の彼氏の煙草を吸う姿に感化され、貰いタバコから喫煙を始めた。頭の弱い時期だ、ただ悪ぶりへの憧れから、しょうもないことへ手を染めてしまったと思っている。当時はセブンスターを吹かし見様見真似で吸っていたが、時期に肺喫煙をするようになり、タールで喉がやられないようにと羽陽曲折ありながら、パーラメントを吸うようになった。絵梨奈はコンビニから出ると、帰路にはつかず回り道をしつつタバコを吸った。娘である由美の体を気遣い家の中では吸わないようにしている。絵梨奈は近くに小川が流れる河川の芝生に座り込み、タバコを吸った。絵梨奈の後ろには線路があった。


 二十歳を過ぎた頃、絵梨奈は彼氏との間に子供ができた。望まれた形で妊娠した子ではなかったが、母親として子供を育てることに抵抗はなく、むしろ憧れていた絵梨奈は、出来婚として結婚、夫となった彼氏とともに娘、由美を育てることを決めた。のちに夫とは馬が合わず、離婚することになってしまうのだが、関係が途絶えた今でも生活費、育児費は支援し続けてくれている。


 父親も兄弟もおらず、由美には本当に寂しい思いをさせたと思う。せめてもの償いとして、将来がより良い幸せに包まれることを願って、今日も必死に働いている。絵梨奈は吸い切ったタバコの残骸を川のほとぼりに投げつけ、匂い消しに持ち歩いているガムを食べ、我が家に向けて足を踏み出した。

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