第2話 気付き


2016年6月11日、高宮由美_


 とうとうあの映画の公開日がきた。宮崎の片田舎に住む高宮由美は、数時間に一回しか運行のない電車に乗り、数時間ほど揺られ、仙台の利府映画館というところに来た。東北最大級の映画館が少し電車を走らせた位置にあることは、田舎の田舎に住んでいて唯一よかったと思える点であった。


 大型ショッピングモールに内設された映画館、ショッピングモールの映画広告欄には、本日お目当ての『ヒメアノ~ル』のポスターがありありと張り出されていた。もともと原作がファンで、はるばる足を運んだが、ポスターからは原作のどことない悲壮感は感じられない。快楽殺人者の一日常を描いた作品だが、近年実写化で成功した例は少ない。由美は不安を胸にショッピングモールの自動ドアをくぐり、映画館へ向かった。


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 エンドロールが流れ終わり、シアターが明転し、映画が終幕した。原作へのリスペクトを持ちつつ殺人者の猟奇性も違った形で出ている良作だと感じた。少し音楽やカメラワークの単調さなど、荒の目立つ点も見受けられたが、そこらへんはご愛敬だろう。由美はスクリーンから見て左側に位置する席を立った。


 朝一番の上映なのか、公開日にしては数える程度しか客はいない。目に見える範囲には、小汚い身なりをした中年が数名、小綺麗なお姉さんが一人。右手に見える背伸びをしている男性は、同い年だろうか。原作がマイナーなこともあり、興行収入は見込めないかもしれない。由美は映画館を出て、飲食コーナーにて軽食を済ませ、電車へと向かった。


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 ローカル線から下車し、数十分かけて我が家へと向かう。小さなアパートの一室に位置する年季の入った我が家は、夕日に照らされ雰囲気づいている。石レンガでできた塀をくぐり「ただいま」と言う。


 「ああ、おかえり。映画どうだった?」


 のれんの奥にあるキッチンから喋りかけるのは由美の母親である高宮絵梨奈だ。母は由美が小さい頃に離婚しており、女手一つでここまで育ててきてくれた。


 「よかったよ。今日仕事じゃなかった?」

 「ああ、言ってなかったわね。今日は仕事休み」


 由奈は「飯食ってきたよ、ラップかけといて、夜食に食べるから」と伝え、返事も聞かず廊下を渡り、自室に入る。思春期の由美にとって最低限度の会話で事足りる、深々しく喋るのもこっ恥ずかしい。由美は敷かれた布団に飛び乗りケータイを開く。画面を見ると「父」から通知が届いていた。


 母親と父親は幼少のときに離婚したらしいが、父との関係がないわけではない。

たまに食事をとったり、メッセージアプリで交流がある。関係は今でも続いていた。


 父は気さくだ。父の身に起きた小話や、どこで手に入れたかもわからない知恵、いつもショートメッセージにて話かけてくる。これといって困るわけではないが、いちいち父の情緒に合わせていては疲れてしまう。父には気が向いたときに返信するとしよう。由美は暇を潰すべくVineを開いた。



2009年2月29日、柴垣隆之介_


 隆之介はパソコンに映し出される女の裸体、体を絡め合う男女が映し出される中、画面の右端にあるものに目を見開いた。誰かがこれを知らなければと、彼に電気信号を送り、否応なしにくぎ付けた。


 隆之介はマウスを操作する同級生の手を、上から覆い被せ、右端にカーソルを合わせ、クリックする。


 画面には、上裸の黒人男性が、上官らしき人物に首をナイフで切り裂かれ、血を吹き出し、殺される動画が断片的に流された。その動画を断片的にしか映像として覚えてないことから推測するに、周りの友人がその動画の再生を止めたということだろう。


 周りが見えなくなるほど、その一瞬、没入した。それが、グロへの出会いであり、目覚めでもあった。



2016年6月11日、柴垣隆之介_


 エンドロールが流れ終わり、シアターが明転し、映画が終幕した。眼がしらを押さえ、背伸びした。


 駄作だ、時間を無駄にした。予想外の出来の悪さに萎えうせた。


 まず原作へのリスペクトのなさだ、ヒメアノ~ルは本来、異常性癖の障碍者の悲哀を描いた作品だった。なのにこの映画ときたら、俳優の演技がこれでもかというほど的を外れ。頭のねじの外し方がアニメ調でコミカル。俺が見たいのは本物だ、いびつな恐怖を漂わせる切れのある狂気、それがヒメアノ~ル本来の売りだろう。


 それに濡れ場が多すぎる、男女があれやこれやと距離を詰め合い、最終的には肉体を絡め合う、まるで見知らぬ国の民族特集番組を見させられているようだ。はなはだ興味がないし反吐が出る。


 惰性でラストまで視聴したが、隆之介が満足のいくシーンは到底訪れなかった。隆之介はもう一度強く眼がしらを押さえ、席を立った。



 ヒメアノ~ルに登場する殺人鬼の主な殺害方法は、通り魔だ。不運にも貧乏くじを引いてしまったものは理不尽にも悪魔に命を絶たれる。


 映画版、原作版とともに、通り魔のやり口すべてががさつでお粗末だった。殺人鬼は少し気に食わないことがあれば、後先も考えずにその場で殺し欲望を満たす。現場に証拠を残り散らかし足跡を残し、最終的には案の定独房にぶち込まれ惨めな末路をたどる。


 その人間性が作品の良さでもあるのだが、同じ感性を持った人間として恥ずかしい。俺はそんなへまはしない。


 俺ならもっと、物的証拠、状況証拠、何もかもが残らないようにしたうえで殺しに興じる、人目やカメラ、それらのない場所で、指紋や唾液などが検出されないよう徹底的に下準備をする。決してこの作品に出てくるバカな奴らとは同じ真似はしない。隆之介は出口へ向かう中、バカで愚かな行動をした犯人にふつふつと怒りを覚え始めた。


 あのバカが俺なら、今、映画によって搔き立てられた欲望を、俺の目の前を歩く同い年であろう女に飛びついてぶつけるんだろうな。人目も知れず、ただがむしゃらに欲望を振りかざす。


 よくわかるよ、俺だって、誰でもいいんだ。目の前のこいつでも、なんでも。


 映画館の出口を出るあたりで、隆之介は「はっ」と我に返った。今自分は欲情しているんだろう、と俯瞰して思った。


 まがいなりにも殺しはよく再現されていた。刃物が肉体にえぐりこむ音、血液が噴き出し青ざめて死んでいく様子、ダークウェブに落ちている実際の映像と遜色なかった。隆之介の性欲は、映画館を少し出たショッピングモールのど真ん中でピークに達していた。


 『俺ならもっと、物的証拠、状況証拠、何もかもが残らないようにしたうえで殺しに興じる、人目やカメラ、それらのない場所で、指紋や唾液などが検出されないよう徹底的に下準備をする』


 映画館を出る前、苛立つままに吐き捨てた言葉を思い出し、その場で立ち止まった。実際に自分の手で人を殺し、欲望を発散する計画など、立てたこともなかった。人を実際に殺すなんてもってのほかだと、自分自身の貞操観念が制御し、考えることすら放棄していたからだろう。


 ただ、犯行現場に残りかねない指紋、掌紋。これも手を何かを覆い隠せば絶対に残らない。辺鄙な田舎の真夜中であれば、人目にもつかないし、定点カメラも限定される。


 『よくわかるよ、俺だって、誰でもいいんだ。目の前のこいつでも、なんでも。』


 そうだ、誰でもよかったんだ。性欲の対象は人間であればいい。考えれば考えるほど、自分の手によって人を殺めるビジョンが明確に、色濃くなっていった。


 境遇の似たバカな殺人鬼に自分を投影し、絶頂に達したであろう性欲がかき混ぜられ、本心であるパンドラの箱は開かれたのだろう。


 俺はこの手で人を殺す。妄想の中で終わっていた夢を、現実のものにできる。やってやる、俺ならできる。隆之介は高ぶる高揚感と、野心に打ち震えていた。そして、引き寄せられるようにある場所へ向かった。

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