第6話 婚約解消を受け入れるギャロウェイ伯爵家
朗らかな陽気のある日、サミーがギャロウェイ伯爵家を訪れた。手には大きな花束を持ち、王都で流行っているお菓子を持参しての訪問だった。アリッサとは婚約者同士、いきなりの訪問はよくあることで、ギャロウェイ伯爵夫人は歓迎の笑みを浮かべてサミーに声をかける。
「ようこそ、いらっしゃいました、サミー卿。今日はとても良いお天気ですわね。柔らかな日差しで風も爽やかです。せっかくですから、アリッサと湖のほうまでピクニックにでも行ったらいかがですか? 今からコックに軽食を作らせますわ。まずはソファに座って、紅茶を飲んでいてくださいね。今、アリッサを呼びに行かせます」
ギャロウェイ伯爵家の人々が寛ぐ居間では、ギャロウェイ伯爵夫妻が優雅に紅茶を嗜み、アリッサの兄ニッキーは新聞を読んでいた。ゴドルフィン王国では印刷技術が発展しており、大商人や貴族が読むべきとされているロイヤル・タイムズと平民が読む街角新聞がある。
ロイヤル・タイムズには王家や貴族の動向・国政に関する報告・経済動向・市場の情報・貴族の文化・芸術情報・影響力のある貴族や有力者のインタビューなど、貴族が知っておかねばならない記事が掲載されていた。
「あぁ、素晴らしい案だな。サミー卿、どうぞ楽しんできてください。半年後には結婚が控えている恋人同士、今が一番楽しい時期でしょう」
ギャロウェイ伯爵はにこにこと上機嫌だった。
「母上や父上のおっしゃる通りですよ、サミー卿。結婚してすぐに子供でもできたら、二人だけで楽しむ時間はなかなかできなくなるでしょうからね」
ニッキーもサミーにピクニックを勧めた。しかし、この時のサミーはいつもと違った。
「実は、アリッサとピクニックどころではなくなってしまったのですよ。とても大事な話をしなければなりません。私は決してアリッサを裏切るつもりはありませんでした」
アリッサが侍女を伴って自室から居間に現れたところで、『アリッサを裏切る』という言葉が耳に入る。
「裏切る? いったい、なにをしたというのですか?」
アリッサは嫌な予感で胸が張り裂けそうだ。
「セリーナ嬢が妊娠したのさ・・・・・・あぁ、アリッサを裏切る気はなかったのだよ」
サミーは自慢の麗しい顔に涙を浮かべ、芝居かがった仕草で床に膝をついた。
「冗談ですよね? 本当のはずがないです。だって、サミー様はセリーナ様とはなんの関係もない、とおっしゃいました。私の妄想だと、そうおっしゃったではないですか?」
「これが冗談だったら、どんなに良かったか。もちろん、私が愛しているのはアリッサだけだし、セリーナ嬢を妻に迎える気はさらさらなかった。しかし、セリーナ嬢に子供ができたとあっては、それを無視するわけにもいかないのだよ。私は嵌められたんだ」
アリッサはサミーの言葉を聞きながら混乱する。心の中でセリーナへの憎しみが膨らんでいった。
「友人の婚約者を誘惑するなんて、セリーナ様は酷い人だわ。きっと、はじめからそのつもりでサミー様に近づいたのですね」
「きっと、そうだよ。セリーナ嬢はそういう女性だったのかもしれない。私は被害者なんだ、アリッサ。君を裏切るつもりなんて少しもなかったよ。セリーナ嬢は妊娠しないと言っていたんだ・・・・・・」
サミーはそう繰り返すばかりだった。サミーの言葉は身勝手でかなり狡い言い訳のように聞こえるが、サミーの麗しい笑顔や二人で過ごした日々の楽しい思い出に囚われているアリッサには、サミーが酷い男だとは思えない。相手のセリーナを責めて悪者にすることで、アリッサは心のバランスを保とうとしていた。
サミーが涙ぐみながら「婚約を解消してほしい」と言ったとき、即座に反応したのはニッキーだった。彼は両親の利己的な考えを真っ直ぐ受け継いでいた。すなわち、家の利益こそが最優先という立場を貫くという姿勢だ。
「この婚約は家同士の利益を考えたものでした。妹とは、8年間も婚約関係にあったのですよ? そのようなお話しならば、婚約解消ではなくギャロウェイ伯爵家からの婚約破棄となりますね。慰謝料もいただくことになるし、なにより、妹の立場を考えたら到底許せる話ではありません」
アリッサはニッキーの顔を不思議そうに見つめた。
(家族の情より利益を優先するお兄様が、珍しく私の為に怒ってくださるの?)
少しだけ嬉しい思いで兄の顔を見つめていたが、すぐにそのような思いは裏切られた。
「慰謝料は通常の相場の二倍払います。ですから、ここは穏便に婚約破棄ではなく、円満な婚約解消ということにしてください。社交界での私の立場が難しくなることは避けたい。セリーナ嬢が払うべき慰謝料も、私が払います」
「二倍? 二倍ねぇ・・・・・・妹の心の傷がどれほど深いか考えてください。友人に婚約者を奪われるなんて、社交界でどんな噂をされるか・・・・・・いい笑いものですよ」
「・・・・・・三倍、いや、五倍お支払いしましょう。ウィルコックス伯爵家にはダイヤモンド鉱山がある。お金ならいくらでもあるのですから。どうか、穏便に婚約解消という形で円満に事を収めましょう」
サミーから大金が入ると聞いたニッキーの態度はたちまち軟化した。
「・・・・・・五倍? 五倍ですか・・・・・・それなら、まぁ、ギャロウェイ伯爵家の損にはならないかもしれない。父上はどう思われますか? やはり、つまるところは金でしょう? 他の女性を妊娠させたサミー卿との結婚に拘っても、アリッサが惨めになるだけです。たっぷりと慰謝料をもらって、新たに婚約者を探したほうがアリッサのためにもなります」
あっさりと、ニッキーはサミーを責めるのをやめ慰謝料の話を進めようと、早速執事を呼び出し書類作成のための準備を始めた。
「確かに、ニッキーの言うとおりだな。五倍の慰謝料を払っていただけるのなら、婚約解消でも良いでしょう。アリッサにも、サミー卿の心をしっかり繋ぎとめておけなかった落ち度がありますからな。ご存じのようにアリッサは優秀ですが、女性としての魅力が足りなかったことは否めない」
ギャロウェイ伯爵の発言は娘をおとしめるものだったが、ギャロウェイ伯爵夫人もニッキーもその発言をとがめることはなかった。アリッサはそれが家族全員の意見であると思い、惨めな気持ちでうつむいた。
「ごめんよ。愛しているのはアリッサだけなのだよ。裏切るつもりはなかったんだ」
そう言い続けるサミーをアリッサは嫌いになることもできず、ただ悲しさと虚しさを抱えながら、自分の部屋へと駆け込んだ。自室に戻る途中、アリッサはニッキーの妻であるプレシャスと出くわす。プレシャスは居間に入ろうとしていたが、タイミングを逃してしまい、少し離れた場所でサミーとギャロウェイ伯爵家の人々の会話をずっと聞いていたのだった。
「アリッサ様にはなんの落ち度もありませんし、女性としてもとても魅力的です。ギャロウェイ伯爵の言い方は酷いですし、まったく見当違いですわ」
家族のなかでプレシャスだけは、アリッサの魅力をわかっていた。だが、長年家族たちから植え付けられてきた劣等感はすぐに消えることはなかった。
「お父様のおっしゃることは正しいですわ。私がセリーナ様以上にサミー様を惹きつけるものがあったのなら、こうはならなかったのですから。私の魅力が足らない、というのはそれほど見当違いの意見ではないのです」
☆彡 ★彡
その後、アリッサとサミーの婚約が円満に解消されたという記事がロイヤル・タイムズに掲載された。貴族たちはさまざまな推測を巡らせ、夜会やお茶会でその話題に花を咲かせる。表向きは円満な婚約解消とされているが、実際にはサミーがセリーナをエスコートして夜会や舞踏会に参加し、式も挙げずに速やかに籍を入れてしまっていた。
本来なら、ギャロウェイ伯爵家からの婚約破棄により、サミーは不誠実な男性としてのレッテルを貼られるはずであった。しかし、ギャロウェイ伯爵家が婚約解消を受け入れたので、何か特別な事情があるのではないかと邪推されてしまう。その結果、社交界では二つの理由が囁かれることになった。
一つは、ウィルコックス伯爵家から莫大な慰謝料が支払われたため、婚約破棄の手続きを進めなかったという説。もう一つは、アリッサにも何らかの落ち度があり、婚約破棄の要件を満たさなかったという説だ。噂は常に面白おかしく広がるもので、実際にはサミーの裏切りが原因なのに、アリッサに何か不祥事があったかのような話まで飛び出すようになった。アリッサは無責任な噂に悩まされ、次第に公の場に出ることを避けるようになってしまった。
しかし、そのようなことになっても、アリッサはまだサミーを忘れることができなかった。愛する人を失った喪失感で、しばらく食事も喉を通らない日々が続いたのである。そんなアリッサにギャロウェイ伯爵は冷たかった。
「既に、爵位を継ぐべき同年代の子息たちは婚約者がいるか、結婚している。今から探すとなると、かなり条件は悪くなるかもしれない。年齢の離れた男性の後妻になる可能性も高いから、そこは覚悟しておきなさい」
なんの落ち度もないのにサミーに捨てられたアリッサに、ギャロウェイ伯爵夫妻は慰めの言葉ひとつ、かけなかったのである。
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