第4話:フィンとの遭遇

 朝日が村の屋根を照らし、澄んだ空気が広がる中、俺は今日も鍛冶場へ向かっていた。いつもと変わらない穏やかな日常――そう思いながら、村の外れにある古びた小道を歩いていると、ふと何か違和感を感じた。風の音に混じって、かすかな鳴き声が聞こえる。


「……なんだ?」


 聞き間違いかと思ったが、確かに何かが苦しそうに鳴いている。俺は鍛冶場に向かう途中の足を止め、音のする方に耳を傾けた。森の方角からだ。村から少し外れた森には、動物や魔物が出没することがあると聞いていたが、普段はそれほど危険な場所ではない。


 しかし、その鳴き声には尋常でない悲しみや苦しみがこもっているように思えた。心臓が早くなる。


「……どうする?」


 俺は一瞬迷ったが、結局その鳴き声を無視することはできなかった。誰か、もしくは何かが助けを必要としているのなら、放っておくわけにはいかない。鍛冶場の仕事は後回しにして、俺はそのまま森の中へと足を踏み入れた。


 森の中はひんやりとした静寂に包まれていた。風が木々の間を揺らす音だけが耳に響く。何度も聞いたことのある森の音だが、今日は何かが違う。どこか、不安をかき立てるような雰囲気が漂っている。


「ここだ……」


 森の奥に向かって進むうちに、鳴き声が徐々に近づいてきた。やがて、茂みの向こうに、倒れている何かの姿が見えた。


「……!」


 俺は息を呑んだ。そこにいたのは、一匹の魔獣だった。体格は中型犬ほどで、全身が白い毛で覆われているが、その体には不思議な模様――まるでルーン文字のような紋様が刻まれていた。光が差し込むと、その模様がかすかに光り、微かな魔力を感じさせる。


「ルーンハウンド……」


 前世の知識にはない、異世界特有の魔獣だ。しかし、目の前のその魔獣は、ただの存在感だけではなかった。彼は明らかに傷ついていた。足元には血が滲んでおり、毛が赤く染まっている。荒い呼吸を繰り返し、うめくような声をあげている。


「……大丈夫か?」


 俺は慎重に近づき、声をかけた。しかし、ルーンハウンドは俺の声に反応すると、恐怖に満ちた瞳でこちらを睨みつけ、わずかに体を引きずるようにして後ずさった。目には強い警戒心が浮かんでいる。


「……無理もないか」


 俺はその場で膝をつき、彼が安心できるようにできるだけ動かずに話しかける。魔獣だろうが人間だろうが、痛みに苦しむ存在を放っておくことはできない。俺が動けば、彼はさらに怯えてしまうだろう。


「お前、そんなに動くと傷が悪化するぞ」


 言葉が伝わっているかは分からないが、それでも俺はゆっくりと話しかけた。ルーンハウンドはまだ俺をじっと見つめているが、動く気配はない。警戒しているのは明らかだが、恐怖から逃げる力すら残っていないのかもしれない。


「傷が深い……このままじゃ危ない」


 俺は決断した。放っておくわけにはいかない。このままでは命の危険すらある。たとえ彼が俺に懐かなくても、助ける方法はあるはずだ。


「心配するな。俺はお前を傷つけるつもりはない。ただ、手当てをさせてくれ」


 俺は少しずつ手を伸ばし、彼に近づく。距離を詰めるたびに、ルーンハウンドの体が緊張するのが分かる。体を硬くし、いつでも反撃できる態勢に入っているようだが、今の彼にはそれを実行する体力は残っていない。


「安心しろ……俺がなんとかしてやる」


 ようやく、彼のすぐそばにまで来た。俺は慎重に手を伸ばし、彼の体に触れた。すると、びくりと震え、再び怯えた瞳で俺を見つめた。


「痛むだろうけど、少し我慢してくれ」


 ルーンハウンドの傷を確認する。足と腹に深い傷があり、かなりの出血だ。何かに襲われたのか、鋭利な爪や牙で傷つけられたような痕がある。手当てをしないと、確実に命に関わるだろう。


 俺はそっと彼を抱き上げた。体は軽いが、意識を失いかけているようだ。最初は体を硬くして抵抗しようとしていたが、力が抜け、俺の腕の中でぐったりとしてしまった。


「大丈夫だ……助けてやる」


 彼を抱えたまま、俺は急いで村へ戻ることにした。鍛冶場にはいくつかの道具があるし、薬草を使って応急処置をすることはできる。何とか彼の命を救うために、俺は全力で駆け戻った。


 鍛冶場に戻ると、俺はすぐにルーンハウンドを作業台に寝かせ、応急処置を始めた。手持ちの薬草をすり潰して、彼の傷口に塗りつける。彼は時折、苦しそうに呻くが、動く力はもう残っていないようだった。


「しっかりしろよ……まだ助かるはずだ」


 俺は焦る気持ちを抑え、慎重に傷口を処置していく。出血は何とか止まり、これで一息つけるだろう。ただ、まだ安心はできない。魔獣相手にどれほどの効果があるかは分からないが、少なくともこの場でできることはやった。


「よし……これで、しばらく様子を見てみよう」


 彼の顔を見ると、少しだけ呼吸が落ち着いてきたように思えた。体も緩んでいる。俺は彼の頭をそっと撫で、しばらくその場に座り込んだ。大丈夫だ。これで彼の命は救われたはずだ。


 それでも、彼が目を覚ました時にどう反応するかは分からない。今は、ただ彼の回復を願うしかなかった。


 夜が明け、朝日が差し込む頃、ルーンハウンドがゆっくりと目を開けた。


「お、起きたか」


 俺はそっと彼に近づく。ルーンハウンドは一瞬、警戒心を見せたが、すぐにその警戒は和らいだ。俺が彼を助けたことが分かったのだろう。彼の目は穏やかで、恐れは感じられなかった。


「名前、いるよな……お前はこれから俺と一緒に過ごすんだし」


 俺は彼の白い毛とルーン模様を見つめながら考え込む。彼は魔法的な存在であり、強い力を秘めている。だが、どこか親しみやすさも感じる。


「フィン……どうだ?」


 俺がそう呼ぶと、彼は一瞬だけ俺の目を見て、軽く尻尾を揺らした。


「フィン……か。いい名前だと思うぜ」


 フィンはもう一度、俺の方をじっと見つめ、次第に安心したような表情を浮かべた。俺は彼の頭を優しく撫でながら、今後のことを考え始めた。この先、彼と俺の間には新しい絆が生まれるだろう。それがどう発展していくかは、まだ分からない。


「よろしくな、フィン」


 こうして、俺とフィンの新しい日々が始まったのだ。

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