マグナスの屑浚い — 目覚めたらムチムチすけべボディのふたなりサイボーグだったので終末世界で配信しながら生存報告します! —

夢咲蕾花

第1話 名前はまだない。いや、あったわ

 吾輩は何者なのだ。名前は未だわからない。

 今となってはもはや己の過去さえも判然としない有様だ。


 目を覚ますとそこは見知らぬ天井――足元に輝く蛍光グリーンの非常灯が、薄汚れた石灰岩のトラバーチン模様の天井を浮かび上がらせていた。さながら夜間の病院の天井のようだ。自分はいつの間に入院患者になったのだろうか。いや、そもそも自分とはなんなのだろうか。

 記憶を思い出そうとすると、さながら光視症のようにキラキラした光の粒子が真っ黒な意識の中に、粉雪のように舞う。一粒一粒の光の粒子に記憶が結びついているような気がして、それらを詳らかにしようとするがうまくいかない。粒に手を伸ばすと光が解けて、雲散霧消していく。

 天井にはハロゲンランプが一基据えられているが、電源は入っていないようだ。サイドテーブルの上にはハンディサイズのスキャナーのようなもの。X線で体内に残留した銃弾や鉄の破片を探るつもりだったのだろうか。"自分"は負傷者だったのか? ――さながら手術台のような設備である。


「なんなんだ……一体。俺はどうしたって言うんだ」


 中性的な声の"自分"。こんな声だった気もするし、そうじゃなかった気もする。

 "自分"はゆっくり起き上がった。寝かされていたのはなんらかのゲル素材が用いられた介護用のベッドだ。長い間眠っていても床ずれが起こらないためのものだろう。

 体には電極が取り付けられている。これで電気的な刺激を送り、筋力低下を抑えていたのだろうか――そこまで考え、こういった知識は抜け落ちていないのだな、と思った。

 電極をパチパチ外していく。体に刺さった針を慎重に引き抜いた。血は出ない。うなじに何か挿さっており、それを引き抜いた。触ってみるとうなじには機械のジャックのようなものが埋め込まれており、自分が体外的に機械を埋め込まれていることを察せられた。

 そこまでしてようやく、自分がサイボーグか何かではないか――そんな想像が現れる。あるいは、アンドロイドだろうか。いやアンドロイドならマスター権限を持つ者が登録されているはずだ。自分にはそれが一切ない。

 手術衣を押し上げる豊かな乳房に、肉感的な太ももと見事にくびれた腰回り。しかし、ぺらりと衣類を捲ると股間には男根が生えている。

 両性具有――それが特殊なことなのかどうかさえわからないが、なぜか、取り立てて騒ぐほどのことでもない気がする。

 そうだ、そういえば俺の時代はトランス性など珍しくなかった。性転換もトランス適合手術も当たり前だったはずだ。

 女性器を持った男も、男性器を持った女もいるような時代であったはず――である。


 知識は、最低限ある。

 ただ、己と言う存在だけがぽっかりと空いた真っ黒な穴のように抜け落ちている。


 と、横のサイドテーブルにかけられていたコートを見つけた。黒色のコート襟は紫色で、裡辺皇国りへんこうこく風の和風な作りのトレンチコートだった。肩のあたりに狩衣風の縫い目を取り入れインナーを見えるようにしており、腰紐を結べば、ちょうど着物を帯で止めたような感じになるわけである。今自分は簡素な手術衣のような格好で、ここは少し、肌寒い。誰のものかは知らないが、拝借していこう。

 "自分"はコートを掴み、袖を通した。胸の膨らみが襟を押し除け、前面に顔を出す。自分は女性として生きてきたのだろうかと思ったが、しかし股間には男根の感触が確かにあった。これを持って女性として生きるのは難しい。無理とまでは言わないし、肉体が完全に男でも乙女の心を持った者などそこかしこにいるが、自分はどうだったんだろう。

 やはり両性具有という言葉に至り、自分はひょっとしたら、珍しい人間だからここに預けられたのかもしれないと思った。無論それは、若干の飛躍を兼ねた推測――憶測だが。そもそも論だが、この土地において両性具有が珍しいという気がしないのだ。当たり前、と言うほどではなかったのだろうが。

 紐は絞めず、備え付けの藍色の羽織を手に取り、それも袖を通す。


 と、コートの中に手帳があった。内ポケットからそれを取り出すと、「三等屑浚い ナガト・ドローメル」とあった。

 屑浚いくずさらい――とは、なんだったか。たしか、何でも屋のようなものだったと思う。野盗退治に幻獣狩り、お使いにいなくなったペットの捜索から無くした婚約指輪の捜索、浮気現場の証拠の取り押さえまでやる仕事だ。

 自分はその屑浚いだったのだろうか。それとも、このナガトという何者かの忘れ物だろうか。ただ、都合がいいことは確かだ。これは身分証になる。奇妙な体で記憶喪失と知られれば何かと付け込まれる――この際、ナガト・ドローメルを名乗ろう。

 そう決めて手帳のページを捲ると、ポニーテールの中性的な青年のバストアップ写真が写っていた。その頭頂部には犬? 狼? のような獣耳を模した機械のヘッドギアがある。触ってみると、自分もそれをつけていた。


「…………」


 身分証の写真の通りの容姿を自分がしている。ということは自分はこのナガト・ドローメルで間違いないはずだ。

 どこかで問い合わせれば、正体ははっきりするのだろうか。

 ナガトは部屋を見回す。手鏡があり、それを覗くと、あろうことか手帳の人物と同一の顔をしていた。髪は結っておらず、そのまま伸ばしっぱなしだが――。

 一体、何がどうなっているのだろう。

 自分は十中八九サイボーグ。元人間で、機械化適合手術を受けた存在だ。――恐らくは元は人間の屑浚いで、大怪我を負ってここに来て手術を受け機械化し、今まで眠らされていた。

 あるいは何らかの任務を請け負ってここに来て任務を失敗し、実験に参加させられていたのだろうか……?

 それとも大怪我を負ってここに搬送されたはいいものの、入院中――もしくはオペの最中に何かあって、放棄されたのか?


 いや、考える前に行動せねばと思った。

 もしこの施設に何者かがいてナガトを捕まえようとしてきたら、地の利がない自分は圧倒的に不利である。見つかる前にここを脱出せねばならないが、あいにくとこの部屋には窓らしい窓がない。ひょっとしたら、地下かもしれなかった。


 そのときサイドテーブルの上のウェアラブルウォッチが起動した。ナガトはそれを掴んで腕に取り付けつつ、ポップアップされるホロモニターをスクロールする。


 日付は星暦二〇九六年七月二日の月曜日。午前九時三十二分。


 その中に配信接続グリーンアップというものがあった。

 グリーンアップとは本来的な意味で言えば若葉が萌えてみどりになるという意味だが、配信界隈でウケることを草が生えるという表現をすることから、昨今では配信のことをグリーンアップなどと言うようになった。

 屑浚いの仕事は時に違法性が見られることもあれば、依頼内容に反して報酬を踏み倒されることがあることから、屑浚いの元締めは配信業と結びつけてクリーンなイメージを結びつけようとしていた。無論違法性のある仕事まで配信しろ、というわけではない。言外に時と場合を弁えろと言っているわけである。

 芋蔓式に思い出していく知識。だが、記憶は未だかえらない。


 ひょっとしたらナガトという人物に関する情報が得られるかもしれない。

 ナガトは己のミーチューブアカウントを確認した。が、チャンネル登録者は〇人。アーカイブ、投稿動画は一切ない。保存した再生リストも評価した動画もない。アカウントの取得日は二ヶ月前である。


 ぶっちゃけ想像通りだ。ナガトは人が来るとは思えないが、グリーンアップを開始した。タイトルは「目が覚めたら知らない手術室だった件」。それだけである。今時目を引くタイトルじゃない。


「あー、あー。……接続テスト。……テスト完了。目が覚めたらここにいました。記憶がありません」


 完全新規アカウントによる一番最初の配信ということで、トップページに載ったのだろう。無名の配信なのに、同接は一気に十二に上がる。欲を言えば百とか二百、なんなら千行って欲しかったが、高望みはしない。


 :釣り?

 :画像スキャンかけたけど合成じゃないっぽい

 :記憶喪失ってどの程度の?


「最低限の基礎知識はある。自分の経歴がわからない」


 言いながらナガトは辺りをくまなく探した。何か使えるものがないかと思ったからだ。ロッカーを開けて長いバールを見つけると、それをコートのベルトに剣のようにして挟んだ。

 机の引き出しを開ければ、そこには四〇口径エナジー式自動拳銃が一挺と、エナジー焼け対策にと予備のマガジンが二本ある。それも拝借した。エナジー銃――ドロームエナジー銃は実弾を使うわけではないが、マガジンがエナジーを弾丸に変換するモジュールを兼ねる。負荷をかけ続ければマガジンの回路が焼けつき、弾丸生成能力を奪っていくのだ。

 それから次の棚には手榴弾が六つ。二つは閃光音響手榴弾フラッシュバン・グレネード、もう二つは破片手榴弾フラグ・グレネード、最後の二つは過冷却水の反応で周囲を凍らせる凍結手榴弾フローズン・グレネード


 :初期装備って感じじゃん

 :おあつらえ向きすぎて不穏

 :金持ちのゲームに巻き込まれてそう


 金持ちのゲームと聞いて、確かにそれはあるかもしれないと思った。

 金は人を狂わす。金に狂った人間の娯楽など往々にして悪辣で悪趣味だ。他人の人生を壊すことに快楽を見出すような異常者もいるという。あるいは、他人の不幸話を聞いて一番不幸な人に金をやるというイかれた偽善を披露する者もいるらしい。


 :他にはなにがある?

 :っていうか服装エロ。生足じゃん


 などと言っているとベッドの下にはブーツと靴下があり、しっかりと貰い受けて黒いソックスを履いたのち、オリーブドラブ色のコンバットブーツを履く。

 二つ目のロッカーにはカーボンラバー製の少しマットでぴっちりしたスーツがあり、それを着込めと言うことなんだろうと思い着込んだ。全裸シーンも普通に流れる。どうやらBANされていない。そういう年齢層設定になっているのだろう。備え付けのハーネスに拳銃のホルスターや手榴弾を入れるホルダー、マガジンポケットなどもある。

 サイドテーブル脇の寝袋の括り付けられたザックを背負って、ナガトはあらかた探索を終えたことを確認すると、バールを構えて外に出ることにするのだった。


 :エロすんぎ

 :エッロ……。閉じ込められてる感じ?

「どうなんだろう。もしそうなら拳銃やフラグを置いておく理由にはならなそうだけど」

 :確かにな


 拳銃を無造作においてある時点で、真っ当な施設ではないし、よしんば職員がいたとして脱走を容認している――あるいは、餞別のようなものに思えた。

 本当に脱走させたくないなら、ベッドに拘束具くらいつけるはずだろうし。

 ますますもってこの施設がわからない。どう言った意図で自分をあの部屋に預けていたのかも不鮮明だ。

 ナガトはドアを慎重に開けた。そこまで古びていないらしく、キィと小さな軋りがして開く。

 廊下にも、非常灯が灯っていた。どこかに変電室なりがあるんだろうが、別にこの施設でどうこうしようなんてつもりは、ナガトにはない。

 必要のないアクションを起こす必要はないと思い、ナガトは通路を進んだ。廊下にはやはり、窓はない。ここが地下であると言う説はますます濃厚になっていく。


 :暗いな

 :ナガトさんには見えてんの?

「サイボーグだからか見えてるよ」

 :サイボーグなのか……。


 時折曲がり角で止まって先を窺い、聞き耳を立てて何かが――幻獣がいないか探る

 幻獣の中でも危険な凶暴化した個体――凶獣に見つかるのはまずい。ナガト自身はサイボーグだろうが、記憶喪失のこの身でどれほど戦えるのかはわからない。


 幸い物音も、敵の匂いもしない。

 いく当てもないが右手法で進むことしばし、施設の案内掲示板を見つけた。

 どうらや地上二階建て、地下二階建ての構造でここは地下一階らしい。やはり窓らしい窓がどこにもないから地下だったのだ。

 地下二階は主に電源室や培養室などという一見すると物騒な文字が並んでおり、地下一階は手術室や研究室が多い。自分が眠っていたのは第二ラボという部屋らしかった。

 地上フロアにも研究施設があるが、なんの研究をしていたのかは不明である。ただ、生化学、という文字は見ることができた。

 ここから北に行くと地上へ出る階段があり、地上一階から外に出られるとのことだった。

 ナガトは一通り情報を頭に叩き込むと、案内掲示板を後にして歩き始めた。


 :マップ情報ヨシ!

 :一応俺メモっといた

 :有能リスナーがもういる配信

 マッピー:実際これちょっと面白いわ

 ライスマン:俺もハンネつけとこ


 にわかに盛り上がる配信をよそに、ナガトはその場を離れるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る