才能で食えないメシ

@sondnichirin

プロローグ

雨の異常に強い朝。駅からは鉄と鉄の擦れるのを邪魔する水の音が響く。人の傘はぶつかり合い、自然の信号機として通行を阻害する役割を果たしている。

人の顔には、確かに生気はあった。笑う者に苦しむもの、昨日の出来事に顔を洗えていない者も一つ束となって社会に突撃する。その隊員の殆どが、今にも発狂しそうな精神状態だ。

七年落ちのパソコンを重そうに持ち、開く暇もない新聞紙を小脇に挟む男、彼の目的地はまだ不明だ。隣県から始まった彼の「労働」は、帝都のど真ん中まで続いている。カラフルなる線の上、意味もわからない電鉄を跨いでやって来たターミナル。人と人の空間はほぼなく、カフェも牛丼屋も満員のこの空間でろくに仕事などできないだろう。

それでも彼の仕事場所はここである。証明する指令書などないが、彼の気分によるとここがいいらしい。斜めに入る風雨をまともに凌げないこの空間、しかも大混雑である。そんなマイナス的要素を跳ね除け、彼は地面に臀部をつけた。地面を伝う雨水が身体を冷やしてくる。街ゆく行軍の視線はより冷ややかだ。彼らは男を浮浪者に対する侮蔑と同じ目をして見下した。上は傘で塞がれて、足元に大きな荷物があり、通行をより困難にする。それに、男の雨に濡れた髪の毛、伸びっぱなしのヒゲなどが余計にそれらしさを醸し出している。わざと水溜りを踏んづけられて、水しぶきを上げるといったイタズラに耐えつつ、古びたパソコンを開く。ガリガリという時代遅れの作動音を若干響かせつつ、必要ソフトとファイルを開く。ファイル名は「Brave」であり、何かしらの作品であろう。他にも、「Fight」などのWAVファイルが並ぶ。ソフトは、百万人が選ぶほど人気の音楽ソフトだ。ここから推測できるだろう。彼の職業は音楽家である。

駅前の一等地にも関わらず、彼は金乞いのライブという空間の破壊を行わない。彼が行うのは物語の創造、即ち作詞作曲である。ろくに雨の凌げやしないこの地の方が、彼の創造心を煌々と燃やしてくれる。人目も気にせずにフカシたタバコも、洗っていない髪のフケのような白い灰を落としている。

彼を、プラスチックの雨樋に雨が打ち付ける音が包み込む。不規則だったり、規則的だったりを繰り返す。彼の指が鳴らす、キーボードの音とハードディスクの擦れる音が、それに共鳴する。行く者の舌打ちに溜息、侮蔑の笑い声が彼の耳に取り込まれていった。

彼の目は画面に打ち付けられており、指の速度も高まってきた。ピアノを語らせるような指使いで、一つのトラックを埋めていく。ガリガリという悲鳴が鳴る中、一つ瞬きをする毎にエディット画面が開いたり閉じたりをしており、一部分が完成されつつある。編集中のトラックが赤、緑、黄、紫の横棒で埋められていった。かくして急速に出来上がった曲であるが、試奏を始めた途端、小さきスピーカーより想像を絶する秀逸なる音が叫ばれたのだ。前衛的にして不快感のない曲調が、人々の侮蔑の心と雨の駅に延々と響いていった。

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