渇いた風呂と滴るナメクジ

サンカラメリべ

渇いた風呂と滴るナメクジ

 湯も水も張っていない空の風呂に入っていると、外の音が澄んで聴こえた。生贄にされる予定の子どもたちの声だ。生贄になることを是として教えられる尊き子どもたち。かつての私の弟もその一人であった。

 生贄になることは最上級の名誉とされる。だが、子どもにそのようなものがわかるわけがない。私はずっと、この世界が嫌いだった。人間が嫌いだった。このような進化を遂げてしまった悲しい生物であることが、このような進化を許してしまう神様が、堪らなく嫌いだった。

「テルロさまー!」

 子どもたちが呼ぶ声が聴こえる。そろそろ出なくては。仕事の時間だ。


「これ見て! カエルさん!」

 社から出ると、私のことを待っていたニアカガが蕾のように閉じていた両手の平を広げた。中には小さなカエルがいて、土埃を目の上につけて震えているようだった。

「可愛いね。でも、いつまでも捕まえたままだと可哀想だ。そろそろ逃がしてあげなさい」

「うん!」

 走って池の方に去っていく。私はうまく笑顔を浮かべられていただろうか。ニアカガが去った後にはもじもじとした様子でキゾホが近づいてきた。

「テルロさま。ワムダがね、わたしにミミズを見せてくるの。いやって言っても、やめてくれないの」

「それはいけないね。ワムダとお話ししておくよ。キゾホはワムダのことが嫌いになったちゃったかな?」

「ううん! いじわるされることもあるけど、いっしょにあそぶのは楽しい!」

「それはよかった」

 子どもたちは何も知らないわけではない。この社の子ども寮に隔離されて暮らしながらも、狭い庭や私たち職員のような大人たちから巧みに知識を引き出して、日々成長している。

「テルロ様。ハバネリ村へ向かう時間です」

「子犬の用意は?」

「既に済んでいるそうです」

「そうか。馬車はもう来ているんだろう? すぐに出発だ」

 

 馬車に揺られて村へと向かう。今回の補佐はシュリャか。彼がいるならば今日は早く終われるかもしれない。この前の補佐は不注意から生贄を逃がしてしまったせいでだいぶ予定よりも遅くなってしまった。窓の外に広がる黄色い花畑を眺めていると、子どもたちの顔が浮かんでくる。その下に眠る子どもたちの顔が。 

 村に着くと、村長が私たちを迎えた。村人の一人が子犬の入った籠を抱えて、傍に立っている。肉をたらふく与えられてきたのか、小さい身体のわりにでっぷりと太った体つきをしている。

 村長に連れられ祠に行くと、村人たちが集まっている。屋台も幾つか出ていて、村の子どもたちが焼き串を頬張りながら珍し気な顔で村長の後ろにいる私たちのことを見つめていた。

 スポンジのように無数の穴が開いた祠の石をずらして、前回埋めた壺を取り出す。まだ僅かに効力が残っているが、残り火のようなものだ。古い壺をシュリャに渡し、村人に馬車から運ばせた新鮮なシダレ柳の枝と乾燥させた山なめこを詰めた壺と子犬を捕らえる檻を持ってこさせる。子犬はのんきな顔をして、初めて出会った目の前の人間を見つめている。

「シュリャ。この子を檻から出して、そこに」

「はい」

 シュリャに抱えられても無抵抗な子犬は、私が液体の入った皿を差し出すと興味深そうにくんくんと匂いを嗅ぐ。これなら無理やり口を開けさせなくてもよさそうだ。甘く味付けされてはいるが、嫌がられることもある。この子は自分から飲んでくれた。後は暫く待てば、意識を失い脱力する。

 壺に子犬の身体を納める。そして祠の穴に埋め、先ほどずらした石で蓋をする。

「火を」

「はい」

 祠の底には枯れ葉などが敷き詰められており、そこに火をつけることで壺は燻される。子犬は毒水で既にこと切れているはずだ。最後の晩餐は味気なかっただろうか。祠自体は石でできてはいるが、枯れ葉には油などよく燃えるものが混ざっているため、祠は盛大な炎に包まれることになる。それを見て、村人たちは歓声を上げる。

「テルロ様の贄術は見事ですね。所作が美しい」

「ありがとう。シュリャも才能がある。私よりも上手くなるだろう」

「精進します」

 村人たちの声が聴こえる。贄術が無事終わったことへの安堵の声や、燃え盛る祠への賛美など。やんちゃそうな男の子が祠を包む炎に近づこうとして、親に止められる。

「ありがとうございました。これで来年も安心です」

「動物を使う贄術は効果がそれほど強くはない。日々、気を付けておくように」

「村人にも言い聞かせておきます」

 馬車に戻ろうとすると、生贄にした子犬とよく似た子犬をつれた母犬がじぃっとこちらを眺めていた。その隣には、世話を任されているのだろう少年がいる。何かを言いたげな顔で、でもそれを口にするのは憚られるとわかっているから黙って睨むしかできないでいる。母犬もわかっているのだ。自分の子が人間の都合で利用され死んでしまったことを。

「シュリャ、少し待っていてくれないか」

「わかりました。数刻程度なら問題ないはずです」

「そんなにかからないよ。朝食を済ますよりも早く終わる」

 私が犬番の少年に近づくと、母犬は警戒して牙をむく。

「なんで今年は犬なんだ。去年は鶏だっただろ」

 ぶっきらぼうな口調で少年が疑問を口にする。

「毎年同じ生き物では駄目なんだよ」

「なんで」

「神がそう定めた」

「そんなの理由じゃない!」

「生き物の大きさ、種類、性別、年齢で効果が変わる。贄術はとても繊細な技術だ。添え物もまた毎年同じもので良いとは限らない。先人たちが重ねてきた記録から、どれが最適かを考え、判断する。現代でもより軽い生贄で効果を高める方法も研究されている。今年犬が選ばれたのはたまたまと言えばたまたまだ。たまたま鶏の次に犬という組み合わせが効果が高かった」

「……人間が生贄でも今日みたいにやるんだろ」

 この子はよく考えているらしい。私の取り繕ったような笑顔にも反感を抱いている。それが、私にはたまらなく嬉しいことだった。

「君の名前は?」

「お、おれを生贄にするつもりか⁉」

「生贄になる子どもたちは生まれた時から既にそう定められ、育てられている。貴族よりもずっと大切に育てられている。だから君を今から生贄に、なんてことは無い。君にその価値はない」

「……ハハヤ。おれはハハヤだよ」

「そうか、ハハヤ。私はテルロ。君がその疑問をどうしても解決したいなら、学びなさい。そして神官になりなさい。贄術を扱うのは君のような子が相応しい」

 そんなことを言われるとは思っていなかったようで、ハハヤ少年は唖然とした様子で私を見上げていた。

「なんでおれが」

「贄術なんてない方がいい、そう思ったのだろう? だからだよ」

 ふっと微笑んでみせる。ハハヤ少年に別れを告げ馬車に戻ると、シュリャはまだ中に入らずに私を待っていた。

「テルロ様よりも先に座っているわけにはいきませんので」

 私とシュリャが乗ったことを確認してから、馬車は出発した。

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