三十四日目
桜とこれ以上付き合うのが、面倒くさくなってきた。
彼女のことが、理解出来ないからだろうか。とにかく、彼女とこれ以上話すのが億劫になってしまったのだ。
学校までの雨の中、チャリで走っていった。朝の天気予報によると、昨日梅雨入りして、今週一週間はずっと雨模様なのだそうだ。
俺は、彼女のことを頭で分析してみた。
彼女はきっと、俺が思っているより「良い」人間なのだろう。
客観的に見ても、笑顔が素敵で、素直で、喜怒哀楽が豊富で、文句のつけ所も無いほど完璧な人間なのかもしれない、と思うようになった。
今までは彼女のことを栄養失調気味のメスだと思っていたのに、最近は物語の主人公のように輝いて見えるようになった。
でも。
だからこそ、面倒くさいのだ。
「おいヒロト、遅刻ギリギリだぞ」
「すいません」
雨の中、生徒指導の先生が傘をさして校門の前に立っていた。
遠くの方で、ゴロゴロと空が鳴いていた。
桜のような純粋無垢な人間には、嘘をつく意味が理解出来ないのだろう。なぜなら、自分が嘘をついたことが無いから。
分からないことは「わからない」と言い、興味がある女子のグループにも「何の話してるの」とズカズカ踏み込む。何を基準にするのかにもよるが、きっとこれは、生き方としては正しいんじゃないかと思ったりもする。
じゃあ、俺がゆうかの障がいのことを言わずにいることは、間違っているのだろうか。
いや、これはこれで正しい、と俺は信じている。
なぜなら、俺はゆうかの知能を信頼し、尊敬しているから。
彼女の考えは分からないが、きっと彼女が俺だけに秘密を伝えたのには理由があるのだ、ということだけは、前々から何となく察していたのだ(ちなみに、メッセージ機能を使って俺だけにしか秘密を共有していないのを知った時、「なぜ」と聞くのをかろうじてストップしたのは、ここだけの話。理由が、事情が、あるということが大事なのであって、具体的な理由はこの際どうでもいいと思い込んむことで、はじめて好奇心に打ち勝つことが出来た)。
そして、彼女のささやかな努力を踏みにじるようなことは、したくなかった。知能が劣っている人間なりに、能力の高い人間に少しでも敬意を払っていたいと思うのは、当たり前だろう。
では、ここで俺が桜に、ゆうかの耳のことを喋るとどうなるだろう。
桜がクラスのみんなと共有することで、ゆうかは孤立するかもしれない。それによってゆうかは俺のことを信頼しなくなるかもしれない。
そして最悪の場合、ストレスによってゆうかは自殺…………
とにかく、桜には口が裂けても、ゆうかの秘密を伝えることは出来ないのだ。
だから、桜には少し――
「はーい、お前ら、席に着けー」
先生が堂々と教室に入ってくると、ボリュームを絞られたように教室がゆっくりと静かになった。
「あー、桜は来てねえのか」
先生が独り言のように呟いたのを聞いて、バッと後ろを振り返った。
そこには、机と椅子だけが、その空間だけ切り取られたかのように、不自然なほど綺麗に置かれていた。
「よしっ、それじゃあ、ホームルームはじめっぞ!」
どこからか「起立!」という声が響いて、それから、地面と椅子を摩擦の音が教室中から聞こえた。
外の雨は、より一層強くなっていた。
だが、それでもなお、窓に当たる水の音は、なぜか少しだけ寂しかった。
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