一日目
小さい頃、俺は、世界中を取り巻くありとあらゆる事象は調べれば知ることができると思っていた。
なぜ空は青いのか。それは、短い青色の波長がより他の色よりも散乱されるから。
なぜ夜になると虫が光に集まるのか。それは、太陽光に背を向けて飛ぶ習性によって光を太陽光だと勘違いしてしまうから。
なぜコンビニの商品の値段はスーパーよりも高いのか。それは、コンビニを経営する上でのコストがスーパーよりも高いから。
世の中の仕組みや自然現象など、身の回りの「なぜ」は全て、母親のスマートフォンで容易に解決することが出来たから、俺はてっきり、大人の人たちは身の回りで起こる出来事について、
その勘違いに気づいたのは、つい最近のこと。確か、先月の中旬頃だった気がする。
俺は地域の中高一貫の進学校に入学するため、中学受験を受けた。
結果だけ言うと、落ちた。
言い訳のようだが、自分なりに手応えはあった。次の日の地方新聞に載った回答を見て、家族に誇らしげな顔をできるぐらいは、自信があったのだ。
結果が届いた土曜日の午前中、俺は不合格通知の入った細長い封筒を無言で母親に渡し、二回の自室へと歩みを進めた。そして、階段を上りきった頃にようやく、涙が一滴、零れていた。
別に、悔しくなんかない。そう思えば思うほど、涙が溢れて止まらなかった。最初はすぐに泣き止むだろうと、勉強机に座って泣いていたが、いつの間にかTシャツの袖はビシャビシャに濡れて、鼻水もそこらじゅうに撒き散らしてしまっていた。俺は次第に誤魔化すことをあきらめ、そのままベッドにうつ伏せに倒れて、枕を濡らした。あんなに涙が出たのは、曽祖父の葬式以来、実に五年ぶりのことだった。
お昼時になって、俺もさすがに腹が減ったので、目を真っ赤に腫らしながら、一階へと向かった。
階段の途中で、俺は止まった。
「アッハッハッハ!」
「ヒャーオモロい! アッハッハッハッハ!」
下から聞こえたのは、母親とその妹(おばさん)の笑い声だった。
俺ははじめ、頭がおかしくなっているのかと思った。こんなに人が悲しんでいるのに、なぜそんな高笑いをしているのか、理解が出来なかったのだ。
「ハー、ハー、アッハッハッハ……」
俺は廊下から、笑い声の聞こえるリビングへとゆっくり進んだ。正面の扉が不気味に見えて、今すぐにでも自分の部屋に戻りたい気持ちに
ドアノブを握って、ドアを開け、中に入る。
笑い声が止んで、視線が集まった。
「……どうしたの?」
少し間を空けて、母親が言った。
言葉が出なかった。
「あっ、えっとー……」
言いたいこと、聞きたいことがありすぎて、頭の整理が追いつかなかった。
「…………なんでもない。飯食いに来ただけ」
なんでもない、ことは無かったけど、なんか言いたいことがあるわけでもなかった。そんな違和感を彼女たちに悟られないように、俺はキッチンに行って米を茶碗に盛った。
「ママは本気で応援してる」
納豆を混ぜているとき、塾の初日、車の運転席から掛けてくれた言葉を思い出した。
あの言葉は、嘘だったのか?
てっきり俺は、一心同体で受験に臨んでいたのかと……
「ヒロト」
不意に母親が名前を呼んだ。
「残念だったね」
そう言って、彼女はうすら笑みを浮かべた。
ザンネンダッタネ。その言葉が頭の中を反響する。だけど、反響するだけで、まるで脳が言葉を咀嚼することを放棄しているようだった。
「今年はいつもより倍率高かったらしいよ。いくつだっけ、一・八だか九だか、まあ、だいたい二倍ぐらい……」
それから、母親が何を言っていたかは覚えていない。ただ、彼女の方を見て俺は、突然彼女が化け物になるんじゃないかと、本気で想像していた。
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