行く宛のない人々
pikumin
プロローグ
電車で揺られていた。両隣にも人、前にも人。背後では高速で世界が流れている。誰かが電車に乗ることを「アルミの箱に閉じ込められているようで嫌だ」と言っていたのを思い出したけれど、誰が言っていたかは思い出せなかった。
辺りを見回すと、全員スマートフォンを見ている。背後で流れる世界とは別の世界にいる。俯いた頭が並ぶ異常さに、麻痺している。
ふと手元を見てみると、自分の右手には同じくスマートフォンがあった。息が詰まりそうだった。
情報化社会といわれるこの世の中で、自分にとって必要なものだけを掬い上げることはとても難しい。それでも拾い集めていないと、人に、世界に置いていかれるのが怖い。良いことをポストして、名乗りをあげた気でいないと成果が見えなくて不安で仕方がない。
自分が何者かであることを誇示しないと、死んでしまう気がしてならない。何かでありたい。誰かでありたい。誇らしくありたい。生きていることを知られていたい。自分に夢を見ていたい。世界に置いていかれたくない。指先ひとつで人は生きることができ、いつでも人は死ぬことができる。
目を閉じたところで、自身を数多の情報から切り離すことはできない。瞼の裏に悍ましい量の何かが、常に流れて続けているのだ。誰かの不倫話、人の成功話、コンビニやデパコスの新商品と誇大広告なPRポスト、新しい音楽とそれを評論する人の決め台詞。優れたコミュニティに属していると鰓を張り、片方を突き落とす話術で鼻を伸ばす。
素敵だと思うものを素敵と言うと、性別や立場、知名度に肖っていると裏口を指名のないポストやストーリに晒しあげられる。発言者も読者も気持ち良くなれない、小さな火花がそこらじゅうに散らばっている。
小鳥のつぶやきは、いつの間にか一世一代をかけたステートメントになりかわり、優劣の壁が築き上げられた。ビジネスが多様化するいま、SNSが強大な力を持ついま、数多の情報が日々噛み尽くされることなく消化されるいま、忘れ去られることが怖い。そうして自分が自分を忘れてしまいかねないのだ。
自分だけは違う、違うんだと、溺れないように水面を叩き上げ、大きく息継ぎをして、濁った川の流れの中にある拠り所を絶えず探している。
しかし、彼らが当たり前の日々をこなすことの偉大さを前に、激しい劣等感が湧き上がる。1時間の通勤と8時間の労働を真面目にこなす人もいる。労働と生活を経て、緩やかな余生を送る人もいる。どこかにまだ隠れている夢を見つけようと、もがく人もいる。それを“当たり前”だといえる人たち。そんな彼らの足元にも及ばないことを、大人になるにつれ思い知らされる。
世の中には、当たり前ができる人間と当たり前ができない人間がいる。特別だと言いたいのではない。ただシンプルに、当たり前のことができないだけだ。そうして自分の文化的側面を唯一無二だとやさしく撫でてきた。いつだって何だって、悪態をつくほうが簡単だ。
数多の情報を大量消費していく日々で、劣等感、羨望、悲しみ、怒り、自己愛、腐った欲、あらゆるものに揺さぶられる。それも意図せず、不要なタイミングにおいても。そうしてぶれ始めると、大概のことは喜ばしくない方向へ転げ落ちていくのだ。自分を愛すためには、本来限られた情報で十分であることを、年々思い出しにくくなっている。
選べ、いますぐ選べ。すこやかな環境を、大切な夢を、自分にとって捨てられないものを、こころとからだとともに生きるということを。
土俵を選べ、己がはつらつと輝く場所を。
人を選べ、悪さをしない、悪口を言わない、帰り道に自己嫌悪に陥らない人を。
音を選べ、耳の上に張り付く気持ち悪さがないものを、夢を見ることができるものを、その奥にある精神性に心惹かれるものを。
深呼吸して瞼を上げる。両隣にも人、前にも人。背後では高速で世界が流れている。目の前には、俯く頭ばかり並んでいる。行き先が決まった人たちの消火戦のようなこの時間。私には、行く宛がない。ただ、制限もない。私が私を選ぶことができる。
アルミの箱は旅立ち、車輪はうねり上げ、宙へ浮かんだ。世界は今、表から裏へ、裏から表へ入れ替わる。その狭間で、行く宛のない人々が心を探して、いま、
プロローグ/行く宛のない人々 2024.09.14
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます