あの夏の君に

@kame0530

僕だけの10日間の青春

八月の、熱い、夏の日

僕がその町に引っ越す頃は、そんな季節だと両親に知らされた。正直そんなことよりは離ればなれになる友達の事の方が中学生である僕にとって大切だった。


しょう、私たちは引っ越しの先に行くのにはもう少しかかるんだ。先に正だけ行くか?」


正、僕の名前だ。南方みなかた家に生まれた僕は両親の都合で各地を転々としている。そろそろ片手で数えるのも難しくなるくらいには。先々で自己紹介をして、されて、先々で別れを告げ、そして告げられる。

その繰り返し。さすがに飽きてきた。こんなことに飽きを感じられる人生は希少だと思う。ただ、思うだけ。


「ふぅ…荷物はこんなものかな。」


母と父と僕の三人で暮らす仮住居。僕一人が見渡すとさすがに広い。


「もう一人で大丈夫かな?」

「はい、ありがとうございます。西山のおじいさん。」

「はっはっは、いいんだよ。君のお父さんには世話になってるから。またゲームやりたかったら来てね。それじゃあ。」


西山さんは父の仕事仲間の人だ。このあたりに住んでいるらしく、僕の手伝いをしてくれた。困ったことがあれば頼れと両親には言われている。最初は正直胡散臭さが勝っていたがまさかの超ゲーム好き。好きなゲームを持って行って家でやっていいと言われた時には神様なんじゃないかと思った。これに釣られる 僕はまだまだ子供である。


それから必要最低限の荷物だけダンボールからだし、暇になった。さっそく西山さんから借りたゲームを楽しむ。楽しい。もう一人で遊ぶことには慣れている。寂しさは感じるがこれが僕の人生なのだ。それに正直一人の方が気楽な方である。


「えーとここは…」


ゲームに行き詰まりスマホで攻略を見ようとすると映し出された「十五時」に驚く。もうそんなに時間が経っていたのか。約三時間をこんなちっこいものに奪われてしまった。


「明日は二倍の時間をこいつにささげよう。」


そう誓って僕は外に出た。これは毎回引っ越すたびにやっている習慣のようなものである。町に慣れることも一つだが単に散歩が好きなのだ。引っ越してきた初日はやるようにしている。どうせまたこれからも引っ越しを繰り返すことになるのだ。だったらこのことを利用して色々な場所の色々な景色を見たほうがお得ってもんだ。


そうして歩き始めて十五分くらい経った。前に住んでいた場所はここよりもう少し都会だったからかもしれない。少しこの町は田舎のように感じる。とはいえコンビニとかは普通にある。ド田舎って訳ではないみたいだ。一回本当に田んぼしかない場所に行ったときは暇で暇で仕方なかった思い出がある。そんな僕の心を照らしてくれたのは、もちろんゲームだった。

くだらないことを考えながら見知らぬ街を歩く。花屋さんや本屋さん、CDショップに駄菓子屋など暇をつぶせそうなものはたくさんあった。公園を見つけたので僕はベンチに座り伸びをする。


「確か…学校が始まるまであと10日だったかな」


夏休みに転校なんて奇抜なことは初めてだったから何をするか悩む。ゲームに費やすのもいいがたまには本を読むのもいいな。久しぶりに平和を感じる。何度目であろうと引っ越しは忙しく疲れるのだ。それに今回は僕一人だった。いつもの二倍、いや三倍は疲れを感じた。…まぁ大きな作業は業者さんがやってくれたので実際のところそこまで大きく変わったわけではないのだが。

ふと、砂場にいる子供の声が聞こえてくる。


「今日は神社行くか?

「やだよ、なんか最近あの場所寒いもん。」

「いいじゃん。夏なんだし。」

「えー、なんか良い感じの寒さじゃないんだよ。」

「なおさら行ってみてぇ!

「暑いならアイス食べようよ。」

「おう!めいあんってやつだな!」


子供たちはどこかへ走り去っていった。多分駄菓子屋だろう。だが今はその子供の行方より、ほかに興味ができた。寒い神社だって?悪い寒さだかなんだか知らないが、面白そうじゃないか。それに暑い。あの子供たちについていってアイスを買うのもいいが、それじゃああの子たちのように子ども扱いされそうでいやだ。それくらいの思春期では僕だってまだあるのだ。とは思ったものの神社の場所がわからない。多分この近くなのは間違いないのだろうが何分まだ土地勘がない。さてどうしようかと悩んでいると…


「お兄ちゃんだれ?」

「ん?君は…」


幼げな少女がいた。胸には『羽崎 みよ』と名札が。小学生…いや、幼稚園児だろうか?帰りに公園で遊んでいるのだろう。お母さんとか一緒にいないのかと思うとすぐにそれらしき女性が近づいて来た。


「すいませんうちの子が。最近知らない人とお話しするのがマイブームみたいで」

「そうなんですか。」


そのマイブーム大丈夫か。知らない人にすぐついていきそうなんだけど。


「お兄さん迷子?」

「まぁそうかな。迷子と言えば迷子かも。」

「どこかに行きたいの?」

「うん、このあたりに神社ってないかな」

「わかんない」

「そっかぁ…」


つまり僕の土地勘はこの子と同レベル…。


「神社でしたらあっちの道をまっすぐ行ったところの大通りを渡った先にありますよ。」

「そうなんですか!ありがとうございます。君もありがとうね。おかげで行きたいところに行けるよ。」

「ばいばい、お兄さん。」

「うん、ばいばい。」

「大通りは車はが多いので気を付けてくださいね」


思わぬところで情報が入った。こうゆう知らない人との一瞬の関わりが僕はとっても好きなのである。一期一会はまさにその通りだ。一つ一つの出会いを大切に。あながち女の子のマイブームも馬鹿にできない物である。僕は親切な親子に礼を言って言われたように歩いてみた。少々大雑把な説明だったから無事つけるかは不安だったがちゃんと目的地の神社らしき場所にこれた。


「ここが…寒い神社」


一体どういう意味なのか探索しようとして、僕の動きは止まった。首も、顔も、目も。止まった。大げさに考えてはいるが理由はいたって単純だった。

神社のお賽銭箱の前、石の階段のところに座っていた女の子に目を奪われた。綺麗な黒い長い髪。その髪を強調させるように真っ白なワンピース。絵本の中から飛び出した、なんてロマンチックな表現を思わず使いたくなるような綺麗な女の子がいた。


「…?」

「あ、その、えっと…」


不審に思われてしまっただろうか。それもそうか。神社の入り口に突っ立ってずーっとこっちを見てくるような奴には警戒するべきである。


「君…は?」

「…?聞こえない。」


そりゃそうだ。入口から神社まで少しある。この距離で話してもよく聞こえない。少し動揺している自分に気付かず、僕は前へと歩く。


「…それで、何か御用?」

「用、とかじゃないんだ。ちょっと話したくて。」

「わぉ、こんな田舎でナンパ?。君は相当な暇人だね。」


笑いながらそう話す彼女を僕は直視できなかった。


「ち、違うよ。実は僕最近このあたりに引っ越してきてさ。ここら辺の事もっとよく知りたいなって思って今暇そうな人に話しかけてるんだ。」

「…そゆこと。」

「え?」


小声で、少し聞き取れなかった。


「なんでもない。えーと…名前なに?」

「僕は南方 正。君は?」

「私は…エマだよ。苗字は内緒で…えへへ」

「そう…エマね、よろしく。」

「よろしく、南方君。」


苗字は内緒…少し不思議な子だ。だが初対面の人に明け透けに色々話すような不用心な子ではないんだろう。というか普通そうだ。ただ一つ不満を上げるなら僕だけが名前呼びという点である。それも呼び捨て。初対面の人の名前を呼び捨てするのはいかがなものだろうか。とはいえエマのように敬称をつけて『エマちゃん、エマさん』なんて呼ぶのも違和感である。


「南方君何歳?」

「今年で十五歳だよ。エマは?」

「私も今年で十五かな。でも誕生日がまだだだから十四歳だけどね。」

「僕は四月だからもう十五だよ。」

「うわ、早く生まれたマウントですか。」

「何そのマウント」

「はいはい私なんてずっと十四歳ですよ」

「変にいじけないでよ!?」


不思議だ。今さっき会ったばかりなのに会話が弾む。違和感がない。まるで家族と話しているかのような感覚で陥る。だが確かに家族や普通の友人にはない感情を、僕はエマに持っていた。


「にしても南方君十五歳か…。にしては結構大人っぽく見えるね。」

「そう…?でも確かにいろんな人と話していくうちに自分の事がよく見えてきてたのかも。…逆にエマは子供っぽく見えるけど性格は落ち着いてるよね。」

「よく言われる。童顔なのかな…。そんなことないんだけどね。」


本人はそう言うが本当に達観しているような感じがする。まだ会話しだして1時間だがそんな感じの雰囲気がするのだ。だが…見た目はやっぱり子供っぽい。そこがギャップになり良いともいえる。


「それでなんだっけ…南方君は…」

「正でいいよ、僕もエマの事名前呼びだし」

「…わかった。正君は今日引っ越してきたの?」


名前で呼ばれることがうれしい。単純なものだ。ちゃんと会話はできているだろうか。


「うん。僕の家族は結構色々なところを転々としててさ。もう慣れちゃったけど。」

「ふぅん、いいな。…私も色々な場所に行ってみたい。」

「連れて行ってあげることはできないけど…見たことを話してあげることはできるよ。」

「仕方ない。それで手を打ってあげよう」

「なんか妥協されたな…」

「うそうそ冗談だよ。それでも十分嬉しいよ。今度話して。今日はとりあえず正君を優先する。」

「このあたりについて教えてくれるの?」

「うん、ついてきて。良い駄菓子屋さんがあるんだ。」


駄菓子屋。歩いていた時に見つけた場所だろうか。子供たちが向かったであろう場所へ、僕たちも向かう。さっき見た感じではほとんどお客さんはいなく、多分駄菓子屋を経営してるだろうおばあさんも眠りこけていた。


「ここだよ、私のお気に入りの駄菓子屋さん。」

「いいね、雰囲気が。」


やはりさっき見つけた駄菓子屋さんだった。おばあさんも寝たままだ。頭が傾いた状況で座って寝ている。あれは起きた後首が痛くなるだろうな。


「これと…これ。あとこれ。」


エマは慣れたように駄菓子を選んでいく。全部の駄菓子の場所がわかっているようだ。何回もここにきているのであろう。僕にとっては中々できない芸当である。同じ場所に毎日行くことなんて、人生でそうそうあっただろうか。


「正君は買わないの?」

「駄菓子屋なんてあんまり来ないからね。どれがなんなのか…よくわかんないな。」

「じゃあ私が選ぶよ。変なの選ぶから心配しないでね。」

「変なのを選ばないでね?」

「おっと、口が滑った。」


そうしてエマはにやにやしながらあからさまに色がおかしいものや「からい」という文字の目立つ駄菓子をぽいぽいカゴに入れていく。こんにゃろう…。どうせ半分は自分が出さなければいけないのだろうと思うと気が上がらないが…。


「こんなもんかな。」

「お金はどうするの?おばあさん寝ちゃってるけど。」

「ここに入れとけば大丈夫だよ。ほら。」


エマが指さした先の張り紙に『寝ねていたらお金かねを銀色ぎんいろの貯金箱ちょきんばこにいれといてください』と振り仮名付きで書いてあった。漢字の読めない子供用なのだろう。それにしても不用心すぎる気もするのだが…。


「こんなんで経営大丈夫なのかな…」

「さぁ?でも結構昔からあるよ、ここ。」

「そうなんだ。エマは生まれてからずっとこの町に住んでるの?」

「うん、私はずっとこの町にいるよ。今もこれからもね~。じゃあ場所移動しよう。さっきの神社行こうか。」

「了解。」


一方的なお会計をすましてから僕たちは神社へ歩いた。歩きながら棒状のスナック菓子を食べているエマに無言でお菓子を渡された。『わさび味』と書かれている。露骨すぎないか…


「やっぱこの駄菓子が一番が一番おいしい」

「食べながら歩くのは汚いよ。」

「おいしいんだよ、汚くないよ。」

「一周回って賢いね…」


歩いていると、さっき神社の場所を教えてくれた親子に会った。どうやらあっちはまだ俺の事を覚えてくれていたようで、女の子は駆け寄ってきてくれた。

その時、隣のエマの様子がおかしいことに気付いた。どうかしたんだろうか?


「エマ?」

「…ごめん、私子供苦手で…先神社で待ってるね。」


そう言ってエマは駆け寄ってくる女の子よりも早く去っていった。子供が嫌い…か。まぁ確かにそういう人もいるだろう。話が通じないから、とかが理由だろうか?ちゃんと幼くたって伝えたいことは伝えられるのにな。


「お兄ちゃん、神社には行けた?」

「うん、行けたよ。さっきはありがとうね。お母さんもありがとうございました。」

「いえいえ、いいんですよ。お兄さんは最近このあたりに来たんですか?」

「はい…そうですが…?」

「やっぱり。そうだったんですね。神社の場所はこのあたりに住んでいる人なら誰でも知っているのでもしかしたらと思いまして。」

「有名な場所なんですか?」

「良くも悪くも…ですかねぇ。一、二年前くらいは小中学生がよく遊ぶのにちょうどよくて。あそこ大きな木がぐるーっと神社を囲むようにあるでしょう?だから夏でも涼しくて良い評判だったんですが…」


確かにあの神社は周囲に木があり涼しい。それが『寒い』という意味だと思ったが…。どうやら違うようだ。


「さいきんの神社はさむい」

「さむい…他の人も言ってたけど…」

「はい…なんだか嫌な感じの寒さらしくて。それで誰も近寄らなくなってしまったんです。」

「そうなんですか…」


俺が神社にいるときはそんなこと感じなかった。霊感がある人だけとか、噂の一人歩きが大きくなったりだろうか。明確に理由はわからないようだ。


「そろそろ帰っててれび見たい。」

「そうだね。そろそろ帰ろうか。それじゃあお兄さん、また。」

「ばいばい」

「うん、またね。話、ありがとうございました。」


女の子は手を振り、お母さんの方は少し頭を下げ歩いていった。神社の謎…面白そうだ。確かにあの神社は古く、怖く見えてもおかしくないかもしれない。腐りかけた柱にボロボロの鐘。字のぼやけた絵馬とか。エマにも聞かせてみようか。彼女は出会った時あそこにいたし、なんにも感じてなさそうだったから信じてないのかもしれないけれど。

僕はわさび味の駄菓子をかじりながら神社に戻った。からい。


「ん、おほほっはへ」

「…ちゃんと食べ終わってから話してよ…。」

「ひょっほはっへ。」


多分『ちょっとまって』だな。僕が神社に戻ってくるともう夕日がさしてきていた。スマホを見れば6時過ぎ。もうそんな時間か。随分早く時間が過ぎたように感じる。


「ふぅ…おいしかった。やっぱり『ブラック太陽サン』は夏に食べるのに限るね。」

「なに…ぶらっくさん?」

「ブラック太陽。知らないの?サクサクのチョコの駄菓子。結構有名なんだけどな。ほら、食べてみなよ。」

「わかった。」


そう言って差し出されたチョコを僕は食べる。なるほど。これはおいしい。駄菓子なんてもう最近は見てもなかったから久しぶりの体験である。ゲームばかりじゃ得られないものもあるな。


「あの親子と何話してたの?」

「あの二人にここの神社の場所を教えてもらって。それのお礼。」

「そうだったんだ。私も今度お礼言っておかなきゃ。」

「なんで?」

「正君に会わせてくれたから。」


にっこりとこっちを見ながらそういう。僕は目を合わせられず、エマのくれたチョコを見た。彼女は一口で食べていたけれど、僕は初めてだったから半分だけ残っている。少し仕返しをしてやりたくなった。


「そうだね、僕もエマに会えてよかったと思うよ。」


そう言って食べかけのチョコをエマの前に出してみた。


「お、いいの?」


エマは躊躇なく僕のチョコを食べた。恥ずかしさとかないんだろうか。

やっぱりこの場所は寒くなんかない気がする。現に顔が…いや、これは別の案件だ。そのあとも僕たちは少し話して、食べて、時間を過ごした。久しぶりに一人じゃないこともあり、僕は楽しかった。


「今日はもう解散にする?。暗くなってきたし。」

「そうだね、僕もそろそろ家に帰ろうかな。」


僕は座っていたベンチから腰をあげ、帰ろうとした。…やり残したことがある。きっと彼女も同じ気持ちだと信じて口を開こうとすると…


「明日も…来る?」

「うん、また明日もここで。」

「わかった。待ってる。朝にはここにいるから、来てね。」


先を越されてしまったと残念に二割、彼女も同じことを考えてくれていたという事に八割の嬉しさを感じながら僕は帰路をたどった。散歩しておいたおかげですんなり家に帰ることができた。

家に帰ると両親から連絡が留守電が来ていた。僕が家にいなかったことを不審に思っていないだろうか?そこが少し心配だ。

受話器を取り、内容を確認する。


「正、無事につけたか?電話をかけてもかからなかったからまたどこかに散歩にでも行ったんだろう。いつもの事だもんな。西山さんに迷惑をかけないようにするんだぞ。でも何か困ったことがあったらすぐ西山さんに言ってくれ。それじゃあな。あぁそうだ。あと、母さんからの伝言なんだが『寂しい、早くそっち行きたい、仕事、終わらない、ほったらかしたい』だと。じゃあ一週間後にはそっちに着いてるから。風邪ひくなよ。」


留守電を聞き、僕は笑った。仕事をほったらかしてこっちに来ても、待っているのは仕事だとわかってないようだ。そして僕の心配は杞憂に終わった。さすがに家族だ。僕が散歩していたことに気付いている。心配することなかった。というかお母さんの精神状況が心配だ。

僕はその日一日を終わらせ、就寝した。明日はゲームに時間を費やすつもりだったが、最重要の予定が入ってしまった。ゲームよりも楽しみな予定なんていつぶりだろうか。僕はわくわくしつつもちゃんと寝た。寝つきはいいのだ。


次の日、僕はエマに会いに神社へと向かっていた。朝9時。少し早すぎただろうか?僕が早起きするなんて奇跡である。いつもならまだ寝ていてもおかしくない。生活リズム?おいしいのかそれ。


「あ、正。おはよう。」

「おはよう。エマ。」


おはようがこんなにうれしいことはない。朝日よ、昇ってくれてありがとう。エマの今日の服装は翡翠色のワンピースに麦わら帽子。そして小さめの肩にかける鞄。今日はどこかに行きそうな予感がする。


「エマはワンピースが好きなの?」

「うん!私に一番似合うでしょ。」

「そうだね。良いと思う。」


働け語彙力。

でも確かにエマはワンピースというイメージがある。多分何着ても可愛いのだろうがこれがきっと彼女にとってのベストなんだろう。


「正君は…いつもラフだね。」

「動きやすいからね。それにすぐに準備できる。ラクを追求した結果がこれなんだよ。」

「私だって動きやすいよ!」

「そうかな…」


なんの意地だろうか。エマはワンピースの下のほうをぽんぽんと叩きながら少し怒っている。かわいい。


「それにしても今日はどこかに行くつもりなの?神社で麦わら帽子なんてかぶっちゃって。」

「あったりー!今日はね、正君を海に招待します!」

「海…?歩いて行ける距離にあるの?」

「あるんだよそれが。そこも私のお気に入り。誰もいないんだ。それじゃしゅっぱーつ!」


海なんてあったのか。しかも近くに。驚きである。でも今は夏真っ盛りだから誰もいないなんてありえるのだろうか。

にしても海か。もしかしたら人生初…ではないだろうがそれでも頻繁に行くところではない。楽しみだ。エマと一緒というのも含め僕は心躍った。久しぶりの感覚である。


「この麦わら帽子どう?似合ってる?」

「うん。似合ってる。でも今日はあんまり日差しが強くないね。」

「いいの!帽子は女の子を守り、さらには可愛くしちゃう。魔法のアイテムなんだから。」


エマも今日はテンションが高い。楽しそうだ。その少しはしゃいだ様子を見て僕も嬉しくなる。

そうして僕たちは海へと歩いた。本当にエマの言う通りすぐについた。歩いてニ十分ほど。しかも確かに人がいない。そのおかげなのか水がとても綺麗だった。


「ここ穴場なんだよねー。車に乗ってもう少し先に行くと広くて人も多いとこに着くの。こっちは狭いけどプライベートビーチみたいで良いでしょ。綺麗だし。」

「綺麗だ。本当に。海なんて久しぶりに来た。はじめ来たときはまだ小さかったしよく覚えてないから初めての感覚だよ。」

「子供の頃の正君…今と同じで落ち着いてそう。」

「え、僕落ち着いてそうに見える?」


君を見るたびに心臓バクバクなのに?昨日の食べかけのチョコ食べられた時なんか心臓はりさけそうになってたのに?


「うん。私はそういうところ好きだけどね。」

「すっ…!?」


ごめん落ち着いてない。死ぬ。発作を感じる。僕は一度身体停止した。再起動しなければ…。エマはたまに大胆だから困る。


「おー。海は冷たいね。こんなに暑いのに…。しょーくーん。足だけはいろー。」


エマの声に僕の機能は起動した、危ない。完全に思考停止してた。エマの方を見ると靴を脱いで海水を歩いている。ワンピースが濡れないよう少し端っこを持ち上げて。


「今行く。おぉ、結構冷たいな。」

「でしょ。やっぱり夏は海だよね。…えい。」


突然エマは僕に水を足でかけてきた。僕は完全に海に気を取られていたためもろにくらった。少しのしょっぱさを感じる。エマを見ると笑っていた。


「あははは、正君濡れてるよ。」

「濡らしたんでしょ。仕返しだ、くらえ!」

「ちょっと、冷たい!」

「そりゃ海水なんだから冷たいでしょ。」

「それもそうか…」


変に納得し、お互い顔を見合わせ、笑う。なんでもないこの一瞬を幸せに感じる。水をかけあって遊んでいたら…


「あ、やべ。」

「え。」


僕は足を砂に取られ思いっきり転んだ。次に思ったことは気持ちいいだった。やっぱり海は涼しい。


「何してるのもう…」

「ははは、冷たくていいねこれ。」

「…私も転ぼうかな。」

「風邪ひくからやめて!?」

「それは正君もでしょ。ほら。」


そう言ってエマはハンカチを手に乗せて僕の手を引っ張った。そのあと鞄からタオルを出してくれた。用意がいいことだ。僕はふと、エマが出した紫色のハンカチが気になった。


「エマ、そのハンカチなに?すごい綺麗。」

「これ?これはね…お母さんが作ってくれた特別性なの。花の刺繍があるでしょ?ここに。」

「うん。この花は…あんまり見たことがないけど。」

「私が好きな花なの。オキナグサって言ってね。見た目ももちろん好きなんだけど花言葉が気に入っちゃって。『清純な恋』。もう惚れちゃったね。」

「『清純な恋』…ね。」


現在進行形である。これが青春というものか。転校の連続で恋愛なんてろくにしなかった。そんな感情自体忘れていたからエマを見たとき少し驚きもした。


「正君は誰か好きだったりする?」

「え!?えー…僕はまだこっちに来たばっかりだし…エマにしか会ってないし。」

「それも…そっか。まだ早いか。…早く学校が始まったらいいね。」

「そうだね。エマと同じクラスだといいけど。」

「きっとそうだよ。多分。おそらく。わかんないけど。」

「可能性が限りなく小さくなっていく…。」

「ふふっ、でもそうだったらいいね。同じクラスで、席も隣で!」

「うん。僕もエマがいてくれたら助かるよ。」


いつも転校したては学校の事がよくわからず困っていたが今回はエマがいる。本気で助かった。馴染めないときは本当に馴染めないからな…。


「服どう?」

「結構乾いたよ。浅瀬だったからそれほど濡れてもないしね。」

「もう少し濡れたら水も滴るいい男だったね。」

「ただのびしゃびしゃな僕が存在するだけだよ…」

「それはそれで面白いからいい。」

「僕が良くないよ…。やっぱりエマも濡れるべきだ。不公平だよ。」

「やっぱり?それじゃ行こうか!?」

「うそうそうそ冗談…ってエマ!?」


ほんとに突っ走って海にダイブするもんだから僕はもう大笑いした。濡れたエマも大笑いし、僕たちは神社へと帰った。


「やっぱりダイブしなきゃよかった…湿って気持ち悪い…」

「なんでしたの…。」


僕も僕で目のやり場がなくてこまる。若干透けてる。何がとは言わないけど。僕はその状況が居た堪れなくなり、一応持ってきておいた上着をエマに無言で渡した。エマも僕のその行動の意図が分かったらしく


「…正君のえっち」

「僕悪くないから!?」


神社に戻ってきた頃にはエマの服も乾いていた。夏は暑いから乾くのが早いな。汗のせいで結局あまりかわりはしなかったが。


「ふぅー…やぁ、疲れたね。」

「そうだね。もう15時だ。」

「正君はスマホ持ってるんだ。すごいね。中学三年生で持ってるなんて。」

「そうかな?前いた学校だと持ってないほうが珍しかったよ。」

「え、めっちゃ都会。」

「そんなことはないと思うけど…。エマは携帯機器持ってないんだ。」

「うん。私は持ってないや。ごめんね。女の子のメール欲しかったよね。」

「そうはいってない。ただこうして神社以外でも待ち合わせできるようになるかなーって。」

「いいよ、神社で。ここ涼しいじゃん。」

「まぁ…ね」


エマは不思議なほどこの神社に固執している気がする。まぁこの町の人もこの神社は特別視してるし何かあるのだろう。だがほかの人は悪い意味で、なんだよなぁ。


「正君、駄菓子屋でラムネ買いに行かない?」

「いいね。行こう。」


僕たちはまたあの駄菓子屋へと向かおうとした。その時、ふと見た木に一本の傷跡のようなものがあることに気付いた。かなり目立つ。


「これは…?」

「正君…?早くいこーよ」

「あ、ごめん。行こう。」


神社の入り口で手招きするエマに気を取られ、僕はそれ以上考えることをやめた。

そのあとラムネを買って神社に戻ってきて、少し談笑してからその日は解散した。


「また明日ね。正君。」

「うん、また明日。明日はどこに行こうか。」

「そうだなぁ…。次は正君の話聞きたいし神社で駄菓子パーティしようか。」

「ほんとに駄菓子好きだね…」


それから二~三日、僕たちは夏を楽しんだ。町の探索をしたりエマのおすすめの場所を教えてもらったり、僕が今まで行った町の事、思い出を話した。エマはどんな話をしても目をキラキラとさせ楽しそうに聞いてくれるもんだから思わず僕も色々話してしまう。もちろん、つらい思い出だってあった。どの場所でも温かく迎えてくれるとは限らないのだ。そういう話はしなかった。エマに心配されたくなかったし悲しませたくなかったから。自然と僕は楽しい話ばかりをエマにしていた。

そんな楽しい日が過ぎたころ、エマがアレを見つけた。


「…これなんだろ。正君!ちょっとちょっと」

「どうしたの?」

「これなんだけど…」


エマが指をさした先には僕が前に見つけた木の傷があった。前見たときより二本増え、合計三本になっている。一本目の跡も深くなっているように感じた。


「あれ、前見たときより増えてる。」

「前からあったの?」

「うん、海に行った日に見つけたときは一本だった。」

「へぇ…不思議だね。」


エマが傷に触れようとした時、神社の外から元気な二つの声が入り込んできた。


「おーい!何やってるんだー?」

「見たことないやつだな…」


同い年くらいだろうか。二人の男子がこちらに走ってきた。


「何中のやつだ?」

「いやまず名前から聞くでしょ。」

「おぉ、そうだな。名前は?」

「いやまず自分からでしょ。」

「おぉ!それもそうだ。」


コントでもやってるのかこの二人は。僕は隣にいるエマに小さな声で聞いた。


「知ってるか…?」

「うん、私と同じ学校の子。話したことはないけど見たことはあるよ。よく二人で一緒にいるの見るから仲良しなんだと思う。」


エマはあまり知らないようだが、多分僕が行く学校の生徒だろう。なら今仲良くなっておいた方がいいな。エマだけじゃ心細いという訳ではない。友達はいて損ないのだから。


「初めまして。僕は南方正。夏休み明けに同じ学校に転校するからよろしくね。」

「私はエマ!よろしく!」

「あぁ!よろしくな!俺は羽島慎吾はじましんご

「自分は木島淳きじまじゅんだ。よろしく。」

「それで、正は何してたんだ?こんな神社で。」

「慎吾は初対面なのにずかずか…悪いな。良いやつなんだ。」

「それは見たらわかるよ!ねぇ?正君。」

「あぁ、僕もそう思う。」

「褒めてもなんもでねぇって!このこの!」

「慎吾は単純なんだ。」

「僕もそう思う。」

「私も。」


面白いやつらだなこの二人。


「それで、何してたんだ?この町に来たばっかりなら知らないのも無理があるがここはあまりいい噂はない。ここにいるのはやめた方がいいと思うぞ。」

「涼しくていいと思うけど…。」

「あぁ。そうだよな。」

「それでそれで!何見てたんだ!」

「話の邪魔をするな。だけど確かに気にはなる。」

「それは…」

「これだよ。ここの木を見てたの。」


エマがさっきまで見ていた木の跡を指さす。


「うわ!なんだこれ!見てみろ!淳!正!」

「…動物…っぽくはないな。人がつけたもの?」

「さぁ、僕がここに来た時にはなかった。」

「じゃあ最近できたものか!?」

「多分そうだろうね。ほら、見てみて。」

「どれどれ~…?あ、木くずが落ちてる。正君、ほら。」

「この木くず。昔からあるものならとっくに風で飛んでると思わない?」

「確かに…そうだな。」


淳というやつ。頭がいいな。僕たちが気づけなかったことに気付いている。にしても最近できたのか…このところ僕たちは常にここにいると言っても過言じゃなかったのに見かけなかった。ここに近づく人すら見なかったのだ。ということは僕たちのいない夜やちょうど僕たちがいないときに誰かが傷をつけているということなのだろうか。でも誰が…?


「お、おい淳…これお化けのせいじゃ…」

「そんなわけないだろ。ただあまりいい物ではないな。もしかしたら刃物を持った人間がここに住み着いてる可能性だってある」

「え、怖い…」

「とにかく気を付けたほうがいい。さっきも言ったがここはあんまりいい場所じゃない。古くなってるから危険なものも多いしな。神社の物には気を付けたほうがいい。賽銭箱とか鐘とか。柱も少し腐りかけてていつ倒れるかわからない、なんてよく俺たちの中で冗談半分に言ってるが今日見た感じ冗談でもなさそうだ…。エマも気を付けたほうがいい。いつからあるかわからない。」

「………わかった。気をつけるよ。」

「あ、淳。もう時間だ。」

「そうだな。そろそろ行こう。それじゃあまた学校で。クラス違っても会いに来てくれよ。」

「おう!歓迎するぜ!」

「あぁ、ありがとう。色々助かった。また学校で会おう。」


そうして二人組は去っていった。元気な方が慎吾。頭の良いのが淳。覚えたぞ。学校で上手く見つけられるといいな。今回の転校は問題なさそうだ。安心してエマの方を見るとしゃがんでさっきの木の跡をまじまじと見ていた。こう見るとエマが小さく見える。丸まってるエマを見てたら思わず…


「うーん…なんなんだろこ…ん!?」

「いやその…気づいたら…」


エマの頭をなでようとした瞬間よけられてしまった。想像より避けられてしまい少し傷ついたが僕が圧倒的に悪い。


「やめてよ…もう。女の子の髪は大切にしなきゃなんだよ!」

「ごめん…気を付けるよ。もうやらない。」

「そこまで落ち込まないでよ…。」


エマはそう言ってまた木の跡に集中しだした。僕もしかしてこの木の跡の嫉妬してたのか?自分で考えておきながら少し笑ってしまった。


「どしたの突然笑いだして…まぁいいや。正君!今日やることが決まったよ!」

「その木の跡の真相探し?」

「うん!いいでしょ。わくわくしない!?」

「どうするの変なおじさんとかのせいだったら。」

「それでも真実がわかった上で落ち込みたいの!ほら、行こ。」

「落ち込むのが目的になっちゃってるよ…。ここで隠れて張り込みしてた方がいいんじゃない?犯人がまた木の跡をつけに来るかも。」

「操作の基本は情報集めですよ、警部。」

「誰が警部だ。」


そうしてそのままエマに連れられ町中をまわった。まずはいつもの駄菓子屋から公園、交番、海にまで行って僕が行くことに、そしてエマが行っている学校に着いた。


「何気に学校には初めてきたかも。」

「夏休みあと何日だっけ。」

「あと四日くらいじゃなかったかな。」


夏休みが明けることにあまり抵抗はなかった。エマに会えることは変わらないから。

学校にはあんまり人がいなかった。先生が何人かいるくらいなのだろう。そう思って僕は一つ悪いことを考えてしまった。


「…エマ、ちょっとさ。」

「わかってるさ、正君。ちょっと学校忍びこんじゃう?でしょ」

「正解」


流石に正面から行くのはあれな気がしたのでどこか開いてる別の扉を探すと案外簡単に見つかった。不用心すぎないだろうか。


「わぁ…学校来るのは久しぶり。」

「僕は初めてだ。」

「そんな綺麗じゃないでしょ。」

「別に汚くもないよ。」


それから僕たちは学校探検をした。図書室や実験室、音楽室や美術室。体育館ではど真ん中でエマが寝転んだり。さすがに職員室や保健室には近づかなかった。誰かいると思ったからだ。だが最初の方は誰かに見つからないようにこそこそと進んでいたが全く人がいないので途中から結構大きな声を出すくらいになっていった。まるで今この広い学校に僕たち二人しかいないんじゃないかと錯覚するほどに。

そうして僕たちは一つの教室に入って、椅子に座った。


「隣の席だといいね。」

「エマの隣の席は空いてるの?」

「空いてなかったかも。」

「じゃあ無理かもしれない。」

「えぇー…いいもん。隣どかす。」

「エマひどい」

「えへへ」


でも確かにそうだったらいいなと僕も思った。エマもそう思ってくれていることがとても嬉しかった。

それから沈黙が漂う。気まずい沈黙ではない。この二人しかいない空間がとても心地よかった。

ふとエマを見ると懐かしそうに黒板を眺めて、僕の視線に気づきこちらを見て笑った。一つ一つの行動にドキドキする。今、青春をしているんだとふと思い出した。


「そろそろ戻ろ。結局何もわからなかったけど。」

「歩いてるだけだったからね。駄菓子屋寄る?」

「正君駄菓子大好きだねぇ…」

「エマに言われたくない。」


駄菓子をもって神社に帰ると、僕は誰かいることに気付いた。ちょうどあの木の跡があるところだ。


「エマ、あそこ。」

「ん?…誰かいる…。」


僕はその誰かに気付かれないよう近づくと…前に神社の場所がわからず困っていた時に出会った女の子がいた。なんて名前だっただろうか。


「ねぇ、君…」

「…?あ、お兄ちゃ…」


その子は振り向いて僕を見るとびっくりした顔になって走り去っていってしまった。追いかけてもよかったが理由もなかったのでやめた。なぜ傷をつけていたか知りたかったが多分遊んでいただけだろう。


「今の子…。」

「ここの神社を教えてくれた人の子供だよ。駄菓子あげればよかったな。」

「あの子が…そうだったんだ。」

「エマ?」

「なんでもない。でもわかったね。木の跡の正体。あの女の子がつけてたんだ。遊びでつけてたのかな。」

「まぁそうだろうね。でも珍しいな…こんな場所にいるなんて。遊ぶなら公園の方がいいと思うけど。」

「今日はそういう気分だったんじゃない?子供の考えることなんだから。」

「…それもそうだね。」


あまり納得しなかったが、エマのいう事のも一理あると思いこの話はそれで終わりにした。

そのあといつものように駄菓子を食べながら他愛のない話をしている時だった。


「よし!ガム何個まで食べられるかやろっと」

「口開かなくなりそうだな。」


エマは駄菓子のある賽銭箱まで階段へ向かった。僕はまだ木の跡を見ていたが、なんとなくエマについていった。その時だった。エマが階段で足を滑らせ、転んだ。


「のわっ!?」

「ちょっ!?」


僕はとっさにエマを助けようとしたが、助けられなかった。間に合わなかったんじゃない。手も届いていた。だが…『触れなかった』


僕の手を、エマの体は通り過ぎて行った。


「………!」

「え…ま?」

「…これは…」


僕は半分パニックだった。今のは…?目に見た情報、今起きたことのすべてが信じられなかった。僕の気のせい…?いや…今のは絶対…。


「…っ!」

「エマ!」


エマは次の瞬間、立ち上がって走った。僕は追いかけた。今は、追いかける以外できることがわからなかった。走って、走って、走って、もう少しで追いつく…!

半分、パニック。そりゃ周りも見えてない。

気づけば僕は大通りへと。エマに手が届きそうな距離だけを見て、それよりも少し離れて車がこっちに向かっていることに、僕は気づけなかった。


「…正君…!!!!」


エマの口の動きで、多分僕の名前をよんでいることがわかった。声がかき消されるくらいの車のクラクション、ブレーキ音。一番近いとこんなにうるさいんだと、僕はなぜか冷静だった。

車にひかれる、その瞬間、エマがハンカチ越しに僕を押した。


「エマ!?」


車の音、僕が突き飛ばされ歩道に打ち付けられ音、歩行者の叫び声、セミの鳴き声。

それらが、それらしか、聞こえなかった。

僕は擦りむいて血まみれになった腕を見るのを最後に、気を失った。

ハンカチは、離さなかった。

意識が落ちる瞬間、エマに押されたあの瞬間の表情が脳裏に焼き付いて離れなかった。


目が覚めると、僕はベットの上で寝ていた。周りを見ると病室らしいとこにいた。窓を見ると外は暗かった。何時なのだろうと寝ている体を起こそうとしたら、隣にお母さんがいることに気付いた、眠っている。


「いてっ…腕が…」


腕をよく見ると包帯ぐるぐるだった。それを見て僕はだんだんと思い出す。僕はエマを追いかけて…車に引かれそうになって…

その先を思い出そうとして、無意識に隣にあった机を見る。そこには紫色の、ハンカチが。

…そうだ。エマに僕は押されて…。

エマはどうなったんだ…!?

僕が痛む腕を気にせず、起き上がろうとした時だった。


「お、起きたね。まぁそこまで重症って訳でもなかったし。でも私が見るまで安静にだよ。」

「ちょっ…」


突然入ってきた女性に僕は寝かされた。なんなんだこの人。


「行きたいところが…!」

「動いてもいいけど色々見てからね。というか君、今の状況わかってる?ここ病院。私看護師。あなた患者。いやまぁさっきも言ったけど患者ってほど重症ではないんだけどさ。」

「僕は…車にひかれて…」

「引かれそうになって、で歩道に転んでめちゃくちゃ腕擦りむいたんだよ。で血出しすぎたのかな。気を失って今ここ。おけ?」


やけに軽い人だなと思った。でも今の説明ではっきりとはした。とりあえず今僕は病院にいて、そこまで大きな傷を負ったわけじゃないことがわかった。


「よし、見た感じ大丈夫そうだね。立てる?君のお母さん寝てるの邪魔しちゃあれだしちょっと外行こう。落ち着いたみたいだけど一応外の空気吸いたいよね。」

「…はい。」


僕は腕に気をつけながら立ちあがった。お母さん…まだこっちに来るには早い。きっと急いできてくれたのだろう。心配をかけてしまった…。


「…お母さん寝かせてきちゃったけど起きたときに自分の息子いなかったらやばいかも…」

「大丈夫なんですか…?起こさないで。」

「…うーん。でもまぁお母さんが来たと時夜だったんだけど、君…南方正君だよね?南方君がそこまで重症じゃないって知ったらすぐ寝ちゃって。疲れてるんだと思うよ。」

「申し訳ない…本当に。」

「そう思うだけで十分だと思うよ。なんか飲む?私もう仕事、南方君で最後だから気分いいしおごっちゃう」

「ありがとうございます。じゃあコーヒーで。」

「寝れないよ…?」


その後、僕は看護師さんに連れられて病院の屋上へと来た。夏なのに涼しい。もう終わるのか、夏も。


「んやぁ…ビール飲みたかった。車通勤じゃなければ…」

「看護師さんが病院でアルコール飲むのはだめじゃないですか?」

「もう終わったからいいの。…それで、なんで道路に飛び出したの?」

「それは…友達を追いかけて…でも友達に歩道に押し出されて…友達が…。」

「…?友達が…?」

「友達が代わりに…そうだ。女の子…エマって子は…?!」

「エマ…ちゃん?いや…私がその場所にいたわけじゃないからよくは知らないけど南方君以外はいなかったみたいだよ?」

「え…」


そんな馬鹿な…エマが車にひかれたんじゃ…。僕が混乱して黙り込むと、看護師さんが口を開いた。


「うーん…。詳しい話はわかんないけど。とにかく私が聞いた話じゃ南方君が道路に飛び出して車に引かれそうになったんだけどギリギリのところで君が避けた…けど転んで擦りむいてしまった。って話だったよ。別の女の子が引かれたなんて話はなかった。」

「そう…ですか…」

「…何か不思議なことがあったのかな。よかったら話してくれない?こんなおばさんだけど。」

「…いや、若いでしょ。こう言われたかっただけじゃないですか?」

「えへ、ばれた?そうでーす。私はまだまだ若い二十三歳のめいお姉さんでーす。」


看護師さんはジュース片手にピースした。若いとはいったが二十三歳でそのポーズは恥ずかしくないか?


「命さんって言うんですか?」

「うん。そういえば私の名前言ってなかったね。私は受片うけかためい。それで、話してくれない?君の話。」


僕も話を整理したかったから、僕が引っ越してきて、エマに会ったところから詳しいことは省いて話した。出会いから海に行ったこと、木の跡を見つけて、実は子供のいたずらで。そして…エマの体に触れられなかったこと、エマが走っていったの追いかけたこと。


「それで…気づいたら道路に出て、か。なるほどねぇ…。…いやぁ…その話はちょっと…」

「信じられないですよね。すいません…変な話して。」

「青春しすぎじゃないかい?」

「…はい?」


想像と違うその反応に僕は驚いた。自分で話しといてなんだかエマの存在を信じられない人からしたら痛いやつの話だと思われてもおかしくないのに。


「ん…?あぁ。まぁ確かに荒唐無稽な話ではあるね。でも信じるよ。青春に嘘はない。でしょ!」

「でしょって言われても…。」

「一応信じる理由はあるよ。運ばれた時ハンカチを握りしめてたけど…机の上にあったやつ。あれは君のじゃない。…そのエマちゃんって子のやつなんじゃない?南方君が持ってるにしては少し女の子趣味すぎるなって思ったんだけど。」

「そういえば…あのハンカチ越しには、エマに触れられたかもしれない。」


海で転んだ時、エマはわざわざ手の上にあのハンカチを乗せて僕を引っ張った。あれは濡れたくなかったんじゃない。そうじゃないか。彼女は自分から濡れに行くやつだ。


「うーん…話を聞いた感じだとそのエマちゃんって子は幽霊みたいな気がする。南方君にしか見えない幽霊、みたいな。事故のあたりにいた人は君の事しか見てなかったみたいだし。ほかの人からは見えてたの?」

「はい、それはもちろん…慎吾と淳はエマを見ていたと思います。」

「…あぁ、木の跡見つけたときに来た子?さっき話してくれてたけど。」

「そうです。淳は『エマも気を付けろ』って言ってたから見えてたと…。」

「…絵馬じゃなくて?」

「え?」

「私はその神社知らないけど…絵馬とかがあるんなら、淳って子は神社の色んなのに気を付けろって感じの事を言ってたんでしょ?なら絵馬があってもおかしくないんじゃない?」


…そんな馬鹿な。エマは僕にしか見えなかったのか…?

僕は考え込み、黙り込む。一つの結論に、たどりつかないように。そして、僕は今最大の心の傷の原因について質問する。


「命さん。」

「何かな?」

「好きな人がもういないって…もう会えないってなったとしたら、どう思いますか。」

「…そうだねぇ。」


命さんは考えるようにあまり星の見えない夜空を眺めながら、言った。


「私はその人の事を忘れないように生きてくよ。考えたら胸が苦しくなるようなことがあっても、絶対に忘れない。そうすればそこにいるような気がするから。少し変かな。」

「いえ…良いこと考えだと思います。でも僕は…もう少し調べてみようかと思います。」

「うん、それがいいよ。まだ、南方君は結論を急ぐときじゃないと思う。…ちょっと話しすぎちゃったね。南方君は今日は病院に泊まって明日帰りな。」

「はい。話せてよかったです。それじゃあ僕は戻りますけど…」

「私はもう少しここにいるよ。明日は私朝からいたかわかんないけど、もしいたら会いに行くよ。おやすみ。」

「はい、それじゃあ。」


僕はお母さんのところまで戻った。命さんを置いて。まだ頭は落ち着かないが、眠くはある。すぐに寝れるだろう。僕は階段を下りて行った。



一人屋上で、看護師は呟いた。


「南方君、ちょっと似てるかも。でも、やっぱり私は治君が一番イケメンだと思うなぁ。」


胸に手を置き、空を眺めた。


次の日。

僕はお母さんと病院から家に帰ってきた。病院から出る時、命さんを見かけることはなかった。朝勤務じゃなかったのだろう。話を聞いてくれたお礼をもう一度しっかりしたかったのだが叶わぬ願いとなった。


「ごめんお母さん…」

「良いのよ別に。早く仕事から解放されたかったしね。なんならありがとう。」

「それでいいのかお母さん。」


僕のお母さんは非常にユーモアあふれている人である。朝目覚めたときは僕の事をとても心配してくれていたのでとてもいい人でもある。どうして今回の事故を起こしたかについては一切言及してこない。気を利かせてくれているのかどうかわからないが思春期の子供としては助かる。だが内心心配してほしいという気持ちもなくはない。ツンデレなんだな僕。


「今日の夜お父さんがこっち来るから。学校明日からだっけ。一応準備はしておくのよ。まぁ慣れっこかかもしれないけどね。」

「わかった、ありがとう。…僕少し出かけてもいい?学校で時間がなくなる前に少しやりたいことがあってさ。」

「ん、私は家の準備と…西山さんにご挨拶しなきゃ。夕飯には帰ってくるのよ。」

「うん。」


止めないところがまた、この人らしい。

僕は何かを探すように外を歩いた。何も、誰ももういないというのに。エマはあの事故で消えた…。もしくは僕も見えなくなった…?とにかく考えて、歩いた。結論はもう出ているというのに。

疲れたので公園のベンチで一人あの紫のハンカチを眺めていると…


「お兄ちゃん。」

「ん…?あぁ、君か。」


毎回名前を聞きそびれてしまうが、あの木の跡をつけていた女の子だ。


「お兄さん久しぶりですね。…あら、そのハンカチ…」

「これは…」

「お姉ちゃんのだ。」

「……え?」


今なんて…?


「ママ、このハンカチお姉ちゃんのやつ?」

「え、えぇ…ごめんなさいねお兄さん、少し見せてもらってもいいですか?」

「それはもちろん…。」


僕はエマのハンカチを女の子のお母さんに渡した。どんどんとお母さんの表情がこわばっていくのを感じる。


「…お兄さん、このハンカチはどこで?」

「友達の…エマっていう女の子の物です。」


その瞬間、お母さんはハンカチを落として驚いた顔で固まってしまった。

さっき女の子が『お姉ちゃん』って…

そこで僕は女の子の胸についてる名札を今更見た。『羽崎 みよ』。


「…もしかしてなんですが、エマの苗字は…羽崎。羽崎エマ…なんじゃ…」

「…みよ、ちょっと一人で遊んできてくれない?お母さん、お兄さんとお話があるから。」

「…わかった」


物わかりのいい子なのだろう。それとも単純に遊びたいだけか。…そういえばエマはこの子を見て子供が怖いと言っていたが…。

お母さんは俺が座っているベンチの隣に座り、話しだした。


「羽崎エマ…私の…娘でした。元気で、みよの事をよく見るいいお姉ちゃんでした。友達も多かったみたいで…。でも…去年近くの大通りで車に引かれそうになったみよを助けて…亡くなりました。」

「…」


考えて、考えた先に着いた結論を、ずっと自分は目をそらした。信じたくなかった。エマがもう死んでいるなんて。でも命さんに『幽霊』と言われたところからもう確信していた。僕は真実から目をそらすつもりだったがこうして町を名残惜しくあるいたあたり、逆に真実を求めていたのかもしれない。


「このハンカチは…エマのものですが、どうしてお兄さんが…そういえば名前を聞いてませんでしたね。」

「僕は南方正です。南に方向の方、正しいと書いて正です。」

「正さん…。正さんはどうしてこのハンカチを?」

「信じてもらえないかもしれないんですが…」


僕は命さんに話したように、エマの事をエマのお母さんに話した。一度も質問せず、淡々と僕の話を聞いてくれた。信じていてくれているのだろうか。


「なるほど…。エマが…」

「信じられないかも…しれませんが。」

「いえ、信じますよ。正さんが話してくれた中のエマはしっかりエマらしい行動をしてましたから。海に自分から濡れに行くなんて、あの子がやりそうなものです。」


そうしてエマのお母さんは笑った。悲しい笑みだった。


「エマはあまり何も求めない子でした。みよが…妹がいたからかもしれません。いつも我慢していたように思います。それがエマが未練を残した理由…なんですかね。」

「何も求めない…」


僕は少し印象が違った。彼女のやりたいことに僕はついていったような気がする。僕と関わったおかげで、少しでも未練が晴れたのなら…。


「エマはもう…いないんですか?」

「はい…。僕を最後に助けて…。」

「そうですか…。エマは亡くなっても尚、人を…好きな人を守れたんですね。それならきっと、天国で楽しく、来世はより輝かしいものになっているはずです。」


好きな人…僕は彼女の守りたい人になれたのだろうか。


「…お母さんは強いんですね。」

「私はもう…乗り切りましたから。」


一年で自分の娘の死を乗り切れるだろうか。こういう性格はエマに似ているかもしれない。


「お母さん、一つ聞きたいことがあるんですが、いいですか?」

「…エマのお墓でしたら、場所を教えますよ。ぜひ行ってあげてください。きっと喜びます。」


僕の次に言いたいことを当ててくるのも、エマらしい。この人は確かに、エマのお母さんだ。


「それと…このハンカチは正さんが持ってあげてください。」

「良いんですか?」

「えぇ。もちろん。エマを忘れないで…なんていうと重しになってしまうかもしれませんが、一人の母として、娘の存在を覚えてくれている人がいることはとても嬉しいんです。」


僕はエマのお母さんにお礼を言って、教えてもらった場所へ向かった。謝罪もしようとしたが、みよちゃんに止められてしまった。「遊ぼうよ」と。今思えばエマがこの女の子をみて子供が怖いと言ったのは、自分の妹に会うのが怖いという意味だったのだろうか。見えなくても、声を聞けば泣いてしまうのを避けるため。僕に泣いている顔を…見せないために。


電車に乗り、僕はエマのお墓の前まで来た。花がいくつかあった。その中にはハンカチに刺繍されてある花が。確かオキナグサだっただろうか。こうして本物を見ると、本当にきれいだ。


「エマ…。駄菓子を持ってきたよ。」


エマと最後に話したのは一日前だというのに、彼女はもう一年前に死んでいた。…いや、最後なんてない。今もこうして話してる。


「最初会った時に、君は自分はどうせずっと14歳だと不貞腐れていたけど、そういうことだったんだね。学校で、隣の席どころか同じクラスも無理じゃないか。また海に一緒に行きたかったよ。」


彼女は最後の夏休みを楽しく過ごせただろうか。彼女は僕と一緒で、満足だっただろうか。どうしても否定的な思考回路に至ってしまう。何度も何度も彼女の笑顔を見たはずなのに、あの時の…僕を事故から救った時の、あの泣きそうで、笑っている表情。


「もっと君といろんなところに行きたかったよ。君の妹と、君とで遊んでみたかった。僕の家で一緒にゲームだってしたかった。」


最後に見たあの表情で、彼女はまた、未練を残してるんじゃないかって。また僕の前に現れてくれるんじゃないかって。都合のいい、最悪な考えをしている僕を、叱ってくれ。


「また駄菓子を一緒に食べて、ラムネを飲んで、くだらない話で笑いたかった。もっと君と一緒にいたかった…」

「君の生きていた夏を…一緒に過ごしたかった。」


僕は言いたいことをすべて言った。全部自分の傲慢な願望だ。自己中な、ずるい願望だ。

だって仕方ないだろう。好きな人はとっくにいなくて、僕は残影を見ていただけ。そんな残影で僕は君に惚れたのだ。『恋』を…していたのだ。


「君が、好きだった。…今もこれからも。きっと過去、僕たちが会っていたとしても僕は君が好きだった!」


何もかも過去形で考えるのが嫌になる。


「それじゃあ…僕は行くよ。また来るよ。何度でも。」


僕はお墓を背にして、歩いた。紫色のハンカチを握りしめて。














「私も正君が…大好きだよ。またね。」




確かに聞こえた。幻聴なんかじゃない。僕は後ろを振り返る。


そこには残影どころか、何もなく。日差しがさしていた。


この夏そのものが幻だったのかもしれないと、思った。


それでも、僕は君を決して忘れない。

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