限りなく近づける

数田朗

「佐原ァ、やっぱよくわかんねぇーよ。なんで限りなく1に近づくのと1がイコールになっちゃうんだよ。だって、どんなに近づいたって、結局1にはならないんだろ? だったらやっぱり1じゃないんじゃねーの?」

 敷島くんはシャープペンシルのノックする部分で頭を叩いた。カチカチと音がして、先端から芯が伸びていく。そうするたびに、綺麗に染められた金色の髪が柔らかく揺れた。

 唸りながら敷島くんは教科書を睨んでいる。目つきが悪い。

 さて、どう返事をしたものかと考えていると、沈黙の意味を勘違いした敷島くんは言った。

「わりぃなぁ。オレ、ほんとバカだから飲み込み悪くてさ……せっかく佐原がわざわざ時間とってくれてんのに……」

 先ほどのその目つきのまま僕に視線を向けてくる。見る人が見ればガンをつけてるようにしか見えないだろう。言っていることとのギャップが面白い。

「敷島くん、顔怖いよ」

「あ、わりぃわりぃ」

 そういうとぎゅっと目を瞑って顔を戻した。

「ていうかそもそもさ」

 そのまま聞いてくる。

「今更だけど、なんで急にこんなことになったんだよ。赤点のオレにお前が個人指導なんてさ。そっちだって超忙しいだろ?」

 痛いところを突く質問に、僕は目を逸らしわざと早口で「超法規的措置だよ」とだけ呟く。

「え?」

「ううん、こっちの話。まあ、敷島くんは気にしなくていいよ。全教科バッチリ赤点だったんだからどうにかしないと。それだけ考えて」

「はは、確かに。わかったよ、センセー」

 からかうように僕をそう呼ぶ敷島くんをわざと無視する。

「じゃ、これもう一回解いてみて」

「うぃ」

 言いながら問題に取り組む敷島くんの頭頂部を見つめる。金髪の根元が色が違う。あれ、黒くないなと思った。茶色かな?

「地毛、黒くないんだ」

「ああ、オレ茶髪なの。よくわかったな」

 敷島くんは教科書と睨めっこしたまま答えてくれる。

「だったらわざわざ染めなくていいんじゃないの」

 ちょっとしか見えないけど、随分綺麗そうな色だ。

 言いながら、なんとなくつむじを押してみる。

「あっ、ちょ、押すなよ、身長伸びなくなる」

「え? 下痢のツボじゃないの?」

「だったら押すなよ! どっちにしろ!」

 ……ごもっとも。

「はいできた。どうだ? あってるか?」

 ノートを受け取って確かめる。問題なさそうだ。ちゃんと今度は1にしてる。僕はそれにマルをつけて、それまでのノートをめくる。敷島くんらしく、全教科を一つのノートにまとめている。

 とびとびでとっているノートのそこかしこに、『なんで?』とか『わからん』と書かれている。

 僕は目を細めた。

「なんていうかさ、あんまりこういうこと言いたくないんだけど」

「ん?」

「学校の勉強なんて、――っていうか受験勉強もそうだけど、どうしてこうなんだろうとか、そういうこと、あんま考えない方がいいよ」

「え? でもどうしてそうなるのか考えろって、みんな言うじゃん」

「それはさ、建前だよ」

「タテマエ」

「そりゃあもちろん、まったく全部言われてる通りにすればいいわけじゃないんだけど、本当に全部疑い出したらキリがないよ」

「キリがない」

「そう。こういうのはさ、結局要領なんだよ。テレビゲームと一緒だから。本当はルールがあるんだ」

「ルール」

「……」

「……」

 なんとなく、互いに黙ってしまった。教室の外の空は赤らんで、カラスが鳴いている。風が吹いてカーテンが揺れた。

 敷島くんが僕を見つめている。

「――じゃあ、なんで誰もそれを教えてくれないんだ?」

 ……そういうとこだよ。

 だから君は成績が悪いし、だから君は先生に嫌われる。

「さあ、なんでだろうね」

 僕は敢えて視線を合わせず、意味もなく揺れるカーテンを見つめていた。


     〈問題〉

   該当部分において、なぜ彼は『意味もなく』カーテンを見つめていたのでしょう。

   登場人物の心理とあわせて答えなさい。(記述式)


 敷島くんなら当たり前の顔できっとこう答える。

 ――そんなの、誰にもわかんないと思うけど。

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