限りなく近づける
数田朗
1
「佐原ァ、やっぱよくわかんねぇーよ。なんで限りなく1に近づくのと1がイコールになっちゃうんだよ。だって、どんなに近づいたって、結局1にはならないんだろ? だったらやっぱり1じゃないんじゃねーの?」
敷島くんはシャープペンシルのノックする部分で頭を叩いた。カチカチと音がして、先端から芯が伸びていく。そうするたびに、綺麗に染められた金色の髪が柔らかく揺れた。
唸りながら敷島くんは教科書を睨んでいる。目つきが悪い。
さて、どう返事をしたものかと考えていると、沈黙の意味を勘違いした敷島くんは言った。
「わりぃなぁ。オレ、ほんとバカだから飲み込み悪くてさ……せっかく佐原がわざわざ時間とってくれてんのに……」
先ほどのその目つきのまま僕に視線を向けてくる。見る人が見ればガンをつけてるようにしか見えないだろう。言っていることとのギャップが面白い。
「敷島くん、顔怖いよ」
「あ、わりぃわりぃ」
そういうとぎゅっと目を瞑って顔を戻した。
「ていうかそもそもさ」
そのまま聞いてくる。
「今更だけど、なんで急にこんなことになったんだよ。赤点のオレにお前が個人指導なんてさ。そっちだって超忙しいだろ?」
痛いところを突く質問に、僕は目を逸らしわざと早口で「超法規的措置だよ」とだけ呟く。
「え?」
「ううん、こっちの話。まあ、敷島くんは気にしなくていいよ。全教科バッチリ赤点だったんだからどうにかしないと。それだけ考えて」
「はは、確かに。わかったよ、センセー」
からかうように僕をそう呼ぶ敷島くんをわざと無視する。
「じゃ、これもう一回解いてみて」
「うぃ」
言いながら問題に取り組む敷島くんの頭頂部を見つめる。金髪の根元が色が違う。あれ、黒くないなと思った。茶色かな?
「地毛、黒くないんだ」
「ああ、オレ茶髪なの。よくわかったな」
敷島くんは教科書と睨めっこしたまま答えてくれる。
「だったらわざわざ染めなくていいんじゃないの」
ちょっとしか見えないけど、随分綺麗そうな色だ。
言いながら、なんとなくつむじを押してみる。
「あっ、ちょ、押すなよ、身長伸びなくなる」
「え? 下痢のツボじゃないの?」
「だったら押すなよ! どっちにしろ!」
……ごもっとも。
「はいできた。どうだ? あってるか?」
ノートを受け取って確かめる。問題なさそうだ。ちゃんと今度は1にしてる。僕はそれにマルをつけて、それまでのノートをめくる。敷島くんらしく、全教科を一つのノートにまとめている。
とびとびでとっているノートのそこかしこに、『なんで?』とか『わからん』と書かれている。
僕は目を細めた。
「なんていうかさ、あんまりこういうこと言いたくないんだけど」
「ん?」
「学校の勉強なんて、――っていうか受験勉強もそうだけど、どうしてこうなんだろうとか、そういうこと、あんま考えない方がいいよ」
「え? でもどうしてそうなるのか考えろって、みんな言うじゃん」
「それはさ、建前だよ」
「タテマエ」
「そりゃあもちろん、まったく全部言われてる通りにすればいいわけじゃないんだけど、本当に全部疑い出したらキリがないよ」
「キリがない」
「そう。こういうのはさ、結局要領なんだよ。テレビゲームと一緒だから。本当はルールがあるんだ」
「ルール」
「……」
「……」
なんとなく、互いに黙ってしまった。教室の外の空は赤らんで、カラスが鳴いている。風が吹いてカーテンが揺れた。
敷島くんが僕を見つめている。
「――じゃあ、なんで誰もそれを教えてくれないんだ?」
……そういうとこだよ。
だから君は成績が悪いし、だから君は先生に嫌われる。
「さあ、なんでだろうね」
僕は敢えて視線を合わせず、意味もなく揺れるカーテンを見つめていた。
〈問題〉
該当部分において、なぜ彼は『意味もなく』カーテンを見つめていたのでしょう。
登場人物の心理とあわせて答えなさい。(記述式)
敷島くんなら当たり前の顔できっとこう答える。
――そんなの、誰にもわかんないと思うけど。
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