鬼に育てられた子は世界を知る
融合
前編
鬼集村。そう呼ばれるその村には、一見ごく普通の人々が穏やかに生活している。
その名の通り、昔から鬼集村には百年に一度鬼が訪れるとされており、その際に生贄を捧げるしきたりがある。そして生贄を捧げられた鬼たちは恩返しとしてその後百年は村の安全を守ると伝えられている。
鬼集村にとっての鬼とは鬼神なのである。
十六年前、前回の生贄を捧げてから丁度百年が経ち、次の生贄を捧げる儀式が行われた。
鬼は若い上質な肉を好むため、生贄として捧げられるのは女、子供が多い。そしてこの年、丁度村のある一家には生まれたばかりの赤子がいた。
何も知らない赤子は、一人崖の上に置き去りにされ、村人たちは鬼に居場所を知らせるかのようにより一層松明の炎を燃やした。
松明の明かりが消えた時、もうそこに赤子の姿はなかった。
村のみんなは生贄としての赤子に大変感謝するとともに、未来ある子どもの未来を奪い、親は我が子を捧げてしまったことに対して、嘆き苦しみ悲しんだ。
十六年後、鬼ヶ島。
そこは、荒れ狂う海に囲まれた断崖絶壁の孤島。所々に見える大きく尖った岩があり、大量の炎をそこら中から噴き出している。
そして島の中には大きな洞窟が存在しており、そこには多くの鬼たちが暮らしている。
鬼は日々、人のように仕事をしている。例えば、鬼ヶ島をこれ以上大きくするための建設作業や食糧採集に調理(食料採集は、担当である鬼が直接人間界へと出向き、地獄に送られる魂を持つ人間のみを持ち帰ることが許されている)。鬼ヶ島は生きているため、その生命柱となる炎を絶やさず燃やし続ける炎番と見張り番などなど。
そしてそんな中、数ある部屋の内一つの小さな部屋で、眉間にシワを寄せ合いながら睨み合う二人の姿があった。
「人間の世界へ行け」
「絶対いや」
「いや行くんだ」
「だからいや」
何やら大きな体の濃い赤色を纏ったふさふさの髭を生やした鬼が、人間と遜色ない細身で色白の美しい少女の鬼に向かって、人間界に行くように説得している様子。
「どうして人間界へ行く必要があるの?私は鬼なのに」
「お前がまだ幼かった頃、一度だけ話したことがあったよな。生贄の話をよぉ」
「話してもらったわ。あの時はどうしてそんな話を私にするのか分からなかったけど・・・・・そういうことなのね」
少女は人間だった。鬼の妖気を何年も間近で浴びすぎたせいで額にコリ程度だがツノが二つ生えてしまっているが、間違いなく人間。
十六年前、鬼集村で生贄に捧げられた少女であった。
「生贄として捧げられたお前は、鬼である俺を怖がることなく、純粋な瞳で見つめてきた。その時、俺の中にこれまで抱いたことのない感情が芽生えたんだ。おそらくそりゃあ、尊さに近い何かだった」
「だから私を育てることにしたってこと?」
「そういうこった。改めて話を聞いて俺たちのことを憎いと思うか?」
「全く思わない。私の元の親は私を捨てた。だから今はここが私の家だと思ってる」
鬼は少女の育ての親だった。
少女は赤子の頃、まだ名もない状態で生贄に捧げられた。というより、その時の名を知っているのは産みの親だけ。今の名は茜。鬼に育てられた子である。
「そうか」
「それは分かったんだけど、だからってどうして私が人間界に行くことになるの?」
「別に出てけと言ってるわけじゃねぇんだ。茜、お前もいい年頃の娘だ。本来のお前がいるべき世界である人間の世界を知るべき時だ」
「けど、私にはツノが・・・・・それに人間界に私が知ってる人間は誰一人いない」
「心配いらねぇさ、俺もついてく。お前はこれから人間の世界で高校に通うんだ」
簡単な言葉なはずなのに、茜にとっては処理しきれない情報量が一気に押し寄せ、パニック状態になってしまった。
「父さんも?え?コウコウ?」
「人間の女の子らしいことをこれからは思う存分させてやる。だから人間の世界にいる間、お前は人間として暮らすんだ。これは親としてのお願いじゃなく、鬼の頭としての命令だ」
「人間らしい女の子なんて絶対に無理。人間界の常識だって、どういうのが女の子らしいのかも分からないし」
「安心しろ、必要なことは全部これから俺が教えてやる」
それから半年、人間界の常識と高校生とはどういうものかを徹底的に教え込まれた茜は、流されるまま人間界へとやって来た。
「よっしゃあ、今日からここが俺たちの新しい家だ」
そこはどこにでもあるような少し年期の入ったアパートの一部屋。
今日から高校卒業までの一年半、とりあえず人間の姿に化けた父鬼と茜はこの狭い部屋で暮らすこととなる。
「本当に来ちゃったけど、高校に入るためのテスト?とかいうの私受けてないよね?」
「わっはっは、それなら心配いらねぇ。実を言うと人間の世界には今の俺たちみたく、人の姿に化けて人間として長く暮らしている連中もいてな、お前が入る高校はまさに俺たちの仲間が理事長をやってる高校なんだ。話してみたらすんなり入学できることになった」
茜の父であるこの鬼、名をゼツと言う。実は鬼たちの頭であり、同じ鬼である以上頭の頼みは絶対に断れないのだ。
この時茜は、その時のシチュエーションを想像して理事長のことが可哀想に思えた。
「もう制服と教科書も用意してあるぞ〜」
ゼツは満面の笑みで制服と教科書を茜へと手渡す。
「やっぱり私には無理だと思う」
「何言ってやがんだ。登校は明日だぞ、気合い入れていけ!」
「どうして私がこんな目に・・・・・」
茜はどっと疲れたため息を吐く。
「はぁ〜」
「おっとそうだ、三つ言っておかなきゃいけねぇことがある。まず一つ目はバカだとバカにされても勉強は頑張れ。二つ目は、俺たちの苗字は今日から天界だ。俺たちは天界ゼツと天界茜になるわけだ。そして三つ目、これが一番重要だ。絶対、人間に暴力は振るうな」
「振るうわけないでしょ?」
「鬼ヶ島でのお前が、他の鬼たちにふざけ半分でちょっかい出してたのを知ってるから言ってんだぞ。いいか、人間はもろい、もろすぎる生き物だ。俺たちが軽く叩いただけでも重症を負い、最悪の場合は死んじまうこともあるかもしれねぇ」
普段はニヤニヤしているゼツだからこそ、真剣な表情で語りかけられる茜の表情も真剣なものになっている。
「まぁ要するに、勉強以外は色々と手加減してやれってことだ。特に運動面ではな」
「まぁできるだけ頑張ってみるよ」
「よしっ、いい子だ」
ゼツは茜の髪がくしゃくしゃになるまで撫でまわす。
「何?」
「愛しの娘がいつも以上に可愛く見えてな。さぁ、部屋の準備しちまうか」
「もう」
不貞腐れるでもなく、どことなく嬉しそうな表情を浮かべる茜。
今日が茜の初登校日となる。
朝早くからゼツは、茜の髪の毛をキレイに整えてあげた。娘の人生にとって重要な日、親としては不安な気持ちでいっぱいだが、人間界へ行くように言ったのは自分であり悟られるわけにはいかない。不安な気持ちを応援する気持ちへと変え、少しでも娘がキレイになるように父親として何かしてあげたかったのだ。
「それじゃあ行くか」
「ええ」
学校へ着くと、理事長である人間の姿に化けた鬼がゼツたちを門の前で迎えてくれた。
「待ってましたよゼツ。そちらが貴方の娘さんですね。とても可愛らしいお子さんだね」
「急な頼みを聞いてくれてありがとうなジーマ」
「いえいえ、友の頼みとあらば受けないわけには行きませんからね。それと、人間界での僕の名前は斎藤健です」
「斎藤健?なんて言うか普通だな。俺たちは天界ゼツと天界茜と名乗ることにした」
「名の方はそのままなんですね。それでは、娘である茜さんのことを責任を持って我が校でお預かりします」
「おう、そんじゃ頼んだ」
「はい」
ゼツは一人、寂しさを彷彿とさせるかのように背を丸めて新居へと帰っていった。
そんな寂しそうなゼツの背中を見て、茜も不安な気持ちと寂しい気持ちが同時に込み上げて来た。
「それじゃ行きましょうか、茜さん」
「はい」
茜は理事長の速度に合わせて校内へと歩き出す。
「お父様から君の話はよく聞いていてね、とても愛されていることが伝わってくるよ。お父さんが君を人間界に連れて来た理由が分かるかい?」
「いえ、分からないです」
「これは僕の想像でしかないけど、お父さんはおそらく産みの親から君を奪ってしまったことに後ろめたさを感じているんじゃないかな?」
「今さらどうして?」
「今更じゃないさ、君を愛してしまった時からずっと、人間として生きるはずだった君の人生を奪ってしまったことを後悔しているんだよ。だから、大人になるまでのあと数年、君に人間の世界を知って欲しかったんだと思うな」
茜にとってゼツは、鬼たちをまとめる尊敬できる立派な父であると同時に、自分のことを何よりも大切だと思ってくれている優しい父親。
憶測の話だけど、理事長の話を聞いて思わず涙がこぼれそうになってしまった。
だがここは学校、茜はすぐに切り替えて靴を上履きへと履き替え、職員室前で担任の先生と合流した後、三人で教室の前まで向かう。
するとこっそり理事長が茜に耳打ちする。
「絶対に君の正体に気がつかれないようにね」
バレてしまえば、大騒ぎになってしまう。当然茜は言われるまでもなく分かっていたが、改めて気合を入れ直す。
「ようこそ、私立明輝学園へ」
更にそう耳元で囁いた後、にっこりと笑顔を向けて来た。
「では、彼女のことよろしくお願いしますね」
「承りっ」
そして理事長もいなくなり、いよいよ同い年の人間との初めての顔合わせとなる。
「なんだなんだ、もしかしてお前緊張でもしてんのか?心配いらねぇ、高校生なんてどいつもこいつも単純な奴ばっかりだ。すぐにみんなと仲良くなれると思うぜ」
そう言って担任の教師の後に続いて茜も教室内に足を踏み入れる。
生まれて初めて見る多くの人間。ついつい頭の中が真っ白になってしまいそうな茜だったが、心の動揺を決して表面上には見せない。
「今日からこのクラス二年D組の新しい仲間になる天界茜さんだ。みんな仲良くしろよ。てことで、茜さんからも何かみんなに一言よろしく!」
「・・・・・・」
茜はすぐに口は開かず、少しの間沈黙が続いてしまうが、そんなことはそっちのけでクラスメイトたちは今自分たちの目の前にいる可憐で儚げで、透き通るような少女の美しさに釘付けになってしまっている。
「天界茜です。よろしくお願いします」
その後茜は担任に窓際から二列目の一番後ろの空いてる席に行くように言われて移動する。
男子は当然のことながら、茜の美しさに女子までもが振り向いてしまう。
だがみんながみんな茜に釘付けになってるわけでもなかった。例えば、茜の隣の席の窓際に座る男子。
茜は彼に「よろしく」とだけ言うと、何も発せず会釈だけが返ってきた。男子に対する茜の第一印象は根暗で無愛想。鼻まで垂れた前髪で顔は口元以外完全に隠れており、どこか近寄りがたいオーラがある。
だが、開いた窓から微かに吹いた風により、男子の前髪は少しなびいて隠れた顔が少し見える。高くシュッとした鼻に薄すぎず濃すぎないこれまたシュッとした口元、それらが複合して成したキレイな横顔が見えた。
茜の視線は無意識のうちに、隣の男子に引っ張られていた。
休み時間となり、男女構わず数多くのクラスメイトが茜の周りに集まっていた。
隣の男子は興味なさげに爆睡状態。
「天界さんって、前はどこの学校にいたの?」
「それよりもすんげぇ綺麗だよなぁ。彼氏とかいんの?」
次から次へと質問の連続。一応ゼツにはこういう質問をされた時はこう答えるなど、教え込まれてはいるが、あまりにも質問の量が多いため茜は混乱状態に陥ってしまった。
その時、最前列の窓際の席の方から大きな物音と悲鳴と笑い声が教室に響いた。
「きゃ!」
「はっは、ごめんなさ〜い。ちょっとぶつかっちゃったかも?てかそんくらいできゃっ!とか言ってんじゃねーよ、ぶりっ子が」
倒された机の傍に横たわる一人の女子の姿を、腕を組んだ三人組の女子たちが嘲笑いながら見下ろすように立っていた。
「私別に、ぶりっ子してるつもりないです」
「はぁ?私の彼氏取っといてその言い草はないっしょ?」
「取ったって、彼氏さんが勝手に惚れてきただけじゃないですか。私は何もしてないです。むしろ言い寄られて迷惑していたくらいですし」
「ちっ、お前まじウゼェよ。本当に調子のんなよ」
彼氏を奪われたと騒ぐ女子は、地面に横たわる女子に更に近づくと、ぐりぐりと頭を踏みつける。
その光景を見ていた周りのクラスメイトたちは、流石にやりすぎじゃないかという声を上げ始めるが、誰一人として被害を受けている女子を助けに行こうとはしない。
自分が次の標的にされたくはないからだ。
「痛い!」
「痛くしてんだよ」
「私本当に可愛くないですし、彼氏さんを取るつもりなんて一切ありません。だからやめてください」
「そういうところがぶりっ子だって言ってんだよ!」
そう言って踏みつけていた足を振り上げ、勢いよく踏みつけようとした瞬間、振り下ろされた足を茜が女子の顔面ギリギリで止める。
「え?え?天界さん?今どうやって?」
「お前分かったか?」
「いや全然」
咄嗟のことで茜は転校早々鬼の力を発揮してしまったため、茜の周りに集まっていたクラスメイトたちはかなり混乱している様子。
「何お前?転校生じゃん。足、離してくんない?」
足から手を離すと、茜は床に寝そべったままの女子をゆっくりと起こして椅子に座らせる。
「一つ聞いてもいい?」
「何?」
「なぜ仲間同士で争い合ったりするの?」
「は?何それ、お前相当変わってんな。てか人間なんてそもそも争い合う生き物じゃん。今更何言ってんの?マジきもいんですけど〜あはははは」
いじめっ子の牙は次に茜へと向けられる。
「こいつは、私の彼氏奪ったんだよ」
「だから奪ってません!」
「うるせぇお前は黙ってろ」
「カレシ、それは何?」
「は?マジでお前何なの?ていうか、お前ら二人私に逆らっといて明日から普通の学校生活送れると思うなよ。転校生さ、お前そこそこいいツラしてるから調子に乗っちゃったのかも知んないけど、歯向かう相手間違えたね。じゃあね〜」
そう言い残して三人組は教室から姿を消した。
その後席に戻った茜の周りには、先ほどのクラスメイトたちの姿は一人もなくなっていた。
「君、転校初日からめんどくさいことに巻き込まれたね」
突然茜に前髪で顔が隠れる陰キャの男子が話しかけてきた。
「こっちに来てから理解できないことばかり。あんなことをして何が楽しいのかも私にはさっぱり」
「あいつはさ」
「あいつ?」
「さっき君に宣戦布告して来た女子のこと。名前は桜木夏って言うんだけど、何か偉い政治家の娘らしいよ。それに三年生に超強いお兄さんがいるみたいだし、明日からは静かに生活した方がいいと思う」
「貴方すごく喋るんだね」
「ボクはめんどくさいことが嫌いだからね。だからめんどくさいことには首を突っ込みたくないんだ。てっきり君も同じだと思ったんだけど」
「よく分からないけどありがとう」
「うん」
男子は再び眠りについた。そしてそのまま放課後になるまで一回たりとも起きることはなかった。
そして次の日から桜木夏による茜のいじめが始まった。
それから一週間、茜の机は毎日のように倒されるようになり、机の中に入っている教科書類は全てボロボロにされてしまった。
茜は基本的に手ぶらで毎日登下校しているため、ゼツにいじめのことをバレる心配はない。というか、本人にいじめられているという自覚があるのかさえ分からない。
勿論、茜にとっていじめが人生初めての体験であることには変わりない。そのため、むしろ茜にとっては人間を学ぶためのいい機会かもしれない。
一週間経ったこの日、やっと人間界のトイレの使い方を覚えた茜が尿をたしていると、頭上から大量の水が降って来た。
その直後、聞き覚えのある三人の高らかな笑い声が聞こえる。
「これから卒業するまで、お前のこといじめにいじめ抜いてやるから覚悟しとけよ。このクソ女」
別にいじめそのものに怒りを覚えたわけではない。むしろ本当に茜にはいじめられているという自覚がなかった。だが、半分鬼である茜にとって、人間という弱い生物に見下されていることが屈辱だった。
茜は鍵がかかっている状態のトイレのドアを、内側から思い切り蹴飛ばしぶっ壊す。
「ひっ!」
その行動にビビったいじめっ子三人の顔色が、その瞬間一気に青ざめる。
「私は別に怒ってるわけじゃない。ただ貴方たちなんかに見下されてるのが屈辱なだけ」
そう言うと、茜はいじめの主犯である桜木夏の首を掴むとゆっくり上に持ち上げる。
「あっ・・・・・あっ」
そして他二人も逃げれないようにスカートの端を思い切り足に力を込めて踏みつける。
「いい?ここでのことを誰かに言ったりしたら許さない。分かった?」
三人は素早く頷く。
「それとドアのことだけど。貴方たちが遊んで壊したことにしてね」
三人は恐怖のあまりとにかく頷くことしかできない。
首を掴まれている夏に関しては、鼻水と涙で化粧が落ちてぐしゃぐしゃになってしまっている。
茜は夏の首から手を離すと、スタスタと出口へと歩き出す。
「ゴホッゴホッゴホッ」
「少しだけ人間のこと、知れたかな?」
そう呟くと、茜はトイレを後にした。
この日の昼以降、教室に戻って来た桜木夏率いるいじめっ子三人は、茜には勿論、他の生徒にもちょっかいを出すことなく嘘のように静かになっていた。
「天界さん、大丈夫だった?」
「ごめんね。私たちもすぐに助けてあげたかったんだけど、夏たちすごく怖くてさ」
これは自惚れた発言。茜はこれっぽっちも助けて欲しいなどとは思っていなかった。なぜなら、いざとなれば自分の力でどうにかできてしまうから。
「授業が始まるわ」
「う、うん」
茜も随分なれたもので、授業の受け方も徐々に理解していき、その姿は普通の女子校生の様になっている。
「もしかしたらこれからめんどくさいことになるかもしれないね」
授業開始直後、唐突に前髪男子が茜に意味不明な言葉を吐く。
「それってどういうこと?」
「桜木夏には兄がいる。分かりやすく言うと、復讐されるかもしれない」
「それならそれで兄にも痛い目に遭ってもらうだけ、問題ないわ」
「そっか」
全てを見透かしたような鋭い視線を茜に向けると、再び顔を伏せて寝てしまった。
「よーしお前ら、四から五人一組のグループを作れぃ、この前の続きやるぞー」
本日五限目の授業は、先週各自で仕上げた好きな地域の現在置かれている環境を調べて、その問題点と解決策を考えるというものだったので、グループとなって各自が発表し合うというもの。
わざわざグループワークにした理由は、発表された一人一人の内容に対していくつかの質問を行い、内容に対する感想を配布された用紙に記入して提出するため。
「先生〜、組む人は自由ですかぁ?」
「おう!近くの人と組んでもいいし、仲良い奴とでもいいぜ。組んだらグループごとにまとまってワークを始めてくれ」
「はーい」
茜にとってはまだ仲のいい人もいないため、必然的に席の近い者たちとのグループワークになるが、周囲にはすでに自分と前髪男子しか残っていない。
転校初日はあれだけ賑わっていた茜の周りだが、やはり桜木夏の影響が大きかったのと、茜の性格的に近寄り難いと思われてしまったせいだろう。
「あの、あのさ、私と組んでくれませんか?天界さん」
「貴方確か———」
「八代木緑です。この前は桜木さんから助けてくれてありがとうございました」
「八代木緑、覚えたわ。私のほうこそ一緒にやってくれると助かる」
「それじゃあ後二人ですね。誰にします?」
茜は隣で爆睡している前髪男子へと視線をズラす。
「あっ、影宮くんですか?私はいいけど、影宮くんがいいかどうか」
「いいに決まってるでしょ!なぁ旬?」
いきなり茜の背後から姿を見せた赤い髪をした男子生徒は、寝ている前髪男子こと影宮旬に馴れ馴れしく肩を組む。
「くっつくな樹」
「今日もクールっつうか、眠いだけかお前は。てことで俺たちも天界さんのグループに入れてもらってもいい?」
「全然いいですよ。これで四人になりましたし、早速始めましょうか」
いつまでも眠そうにしている影宮旬を含めた茜、八代木緑、樹の四人は、それぞれの机を向き合った状態にして並べ、グループワークを開始する。
「おっとその前に自己紹介させてもらうな。俺は最上樹、そんでこっちの寝てるのが影宮旬。まぁ俺とこいつは幼馴染であり親友って感じだな」
「そういえば影宮くんって昔からこんな感じだったんですか?」
こんな感じとは、根暗で、何に対しても気力がなさそうな様を指している。
「うんにゃ、こいつとは中学が同じだったんだけどさ、もうモテモテよ!おまけにしょっちゅう芸能事務所にスカウトなんかされちゃったりしてよ。隣にいる俺の身にもなって欲しかったぜ」
「え?影宮くんって実はカッコいい人なんですか?」
緑が妙に影宮の話題に食いついた。
「それはもうっ」
その瞬間、咄嗟に目覚めた旬の手によって樹の口が塞がれる。
「余計なこと喋りすぎ」
「悪い悪い」
樹は悪びれた様子もなく謝り、緑は少し残念そうな表情を浮かべる。
「ねぇ、ゲイノウとかスカウトって一体何?」
「えっ本気で言ってます?もしかしてものすごいお嬢様だったりするんですか?」
「私の家は普通。普通の人間の家族よ」
あまりに無知なことがどこか怪しく思われてしまい、咄嗟に誤魔化そうとしてしまったことで、余計におかしな言い方になってしまった。
「ふふっ、天界さんって面白い人ですね。芸能っていうのはテレビに出ている俳優さんとか女優さんとかがいる世界のことで、スカウトというのは、新しい俳優さん女優さんを見つけることと言いますか、そんな感じのことです」
「・・・・・なるほど」
茜は毎日、学校で学んだこと、今まで知らなかったことを家に帰るとゼツに話す。そして茜は芸能についてはあまり理解ができなかったため、帰ってゼツに聞いてみようと思った。
「それにしても、スカウトなんてすごいんですね影宮くん。一度でいいのでお顔を見せてもらえませんか?」
「ヤダ」
即答。緑の勇気を問答無用で一刀両断するキレのある即答を見せた。
「旬、お前なぁ。もっとこう言い方ってもんがあるだろ?はぁ仕方ねぇな」
旬が再び机に顔を伏せようとした瞬間、旬の頭の動きを利用して樹が、旬の髪の毛を一瞬だけ上にかき上げて見せた。
前髪によって隠れていた鼻は彫刻とでも言うかのようにシュッと綺麗な一直線を描いており、目は大きくもなく小さくもないくっきりとした二重の切れ長で、堀が深い。
現役の俳優陣にも引けを取らないどころか、むしろ勝っているほどの顔面。
「わぁ!」
その瞬間、緑から驚きの声が飛び出し、ここまでのイケメンを初めて見る茜にとっても、このイケメン度合いが普通でないことは、クラスメイトや街中で見かける人間を見ていれば分かった。
「どうして影宮くんは顔を隠しているんです?勿体なさすぎます」
「八代木さんだっけ?」
「はい」
「目立つことが好きじゃない人間もいることを知った方がいいと思うよ。樹もさ、ボクが嫌がること分かっててやったでしょ?次やったら本気で怒るから」
「悪かったって。けどさ、こんな顔してもらえるなら見せた甲斐もあったんじゃないか?」
そう言って樹は茜を指さす。
茜の瞳はキラキラと輝きを帯び、薄く笑みを浮かべているように見えた。そんな茜が、樹たちにはこの世のモノとは思えないほどの美しさに見えてしまった。
「————バカなこと言ってんなよ」
照れ隠しなのか、本当に興味がないのか、旬だけは顔色一つ変えずに、授業そっちのけで再び眠ってしまった。
「全くこいつは、こういうとこだけはほんと昔から変わんねぇな」
そしてその後、旬を除いた三人は真面目にグループワークに取り組み始めた。
一人一人がしっかりとした内容の発表を終え、配られた用紙にその感想を書いて提出した。
そして真面目に取り組んでいるように見えなかった旬はというと、いつの間にか配られた用紙にびっしりと文字を並べて何事もなかったかのように提出を終えていた。
「うーん、魚料理も案外悪かねぇな」
本日の夕食のメニューは鯛のバターホイル焼き。
茜とゼツは小さな長机に料理を置き、向かい合うようにして夕食の時間を送っていた。
「どうだ?こっちに来てもう一週間になるが、学校は楽しいか?」
「毎日同じ質問だね」
「お前には人間の世界を知ってもらいたくて半ば無理矢理連れてきたが、ここでの生活をどうしても好きになれないなら鬼ヶ島に帰ってもいいんだぞ?」
この時のゼツは茜にとって、とても小さくどこか悲しそうに見えていた。
無理矢理連れてきた分際でどうしてそんな表情を浮かべるのか、茜には分からなかった。きっと、少なからず責任を感じているのだろう。
「今日、人間の友達ができたの・・・・・いじめられているところを助けたら、それで」
年頃の娘を持つ親子の会話というのは、どの家庭でもぎこちないもの。それは人間に限ったことではない。
だが、子供の話が聞けて嬉しく思わない親はいないだろう。
「ほぉ」
「最初は人間界なんて来たくないと思ってたけど、今は、私の知らない面白いこと、楽しいことをたくさん経験したいと思ってる」
「それでそれで」
「今日の父さん、何でそんなに食いつきいいの?」
「そりゃ、娘と話ができて嬉しいんだよ。ほら、もっと話を聞かせてくれ」
「それとさ、その子とは関係ないんだけど、少し気になる人間ができたの」
「何っ⁉︎そいつぁもしや男じゃねぇだろぉな?」
「だったらどうしたの?」
「かぁ!許さねぇぞ俺は、つまりそれって、お前そいつのこと・・・・・好きってことじゃねぇか!」
「そんなこと言ってないでしょ!どうしてそうなるのよ?」
「あのなぁ、恋ってのはそういった些細な感情から育ってくもんなんだ」
「鬼のくせに何言ってるの?」
「鬼にだって恋する心くらいあるってんだ」
茜は多少力強く机を叩いて立ち上がると、叩かれた机が真っ二つに割れてしまった。
「おい!これ結構高かったんだぞ」
「私もう寝る。明日は体育の授業もあるし」
そう言い、茜は自室に閉じこもってしまった。
残されたゼツは一人寂しく、けれど、どこかホッとした想いでコップに残った少量の酒を口へと運ぶ。
「プハー、どうして俺はこんなにも人間を愛してしまったのかねぇ。このまま人間界で幸せに暮らしてくれることが俺の望みだ」
次の日、昼食を終えた二年生全体は、五限に組まれている体育の授業で校庭へと集まり、クラスごとに整列している。
「え〜二年D組の担任の赤坂陣だ。もうそろ体育祭ってことで、今日の授業はクラス対抗リレーの練習をしようと思う。それじゃ各担任の指示の下、適当に走る順番を決めてくれ」
そして組まれた順番は、茜がトップバッターで、足の遅い緑が真ん中、樹がアンカーの二つ前で、旬がアンカーの並びとなった。
「おい樹。また勝手に・・・・・どうしてボクがアンカーなんだよ」
「まぁいいだろ親友。たまには本気で走ってみろって」
「その必要がない」
「はぁ、お前たまには真面目に授業受けねぇと後で痛い目にあうぞ」
「そうならない程度には調整してるから大丈夫」
「こりゃダメだな。おっと、天界さん走るみたいだぞ」
「興味ない」
そう言いつつ、旬の視線はこっそりと茜の姿を捉えていた。
「位置について、よーい、パァーンッ!」
ピストルの音が鳴り、第一走者の生徒たちが一斉に校庭の周りを走り出す。
トラック一週はジャスト二百メートル。クラス対抗リレーは一人百メートルずつで走ることになる。
スタート直後、一人飛び抜けて早い生徒の姿がみんなの視線を奪った。
ひらひらと腰ほどまである黒髪を靡かせながら真剣な表情を浮かべて圧倒的な速さを見せつける茜。
茜以外の第一走者は全員男子生徒であり、その中には現役の陸上部も混ざっている。その圧倒的な走りの速さに釘付けになっているのもそうだが、白く透き通る肌を持つ美しい見た目に男子生徒はもちろん、女子生徒や先生たちまで視線を奪われていた。
茜が次の人へバトンを渡したところで、みんなは夢から覚めるように意識を切り替える。
「おいおい、天界さんちょっと速すぎないか?旬、流石のお前でも負けるかもな」
そう面白おかしく笑う樹に多少の苛立ちを旬は感じていた。
「そうだね」
「んだよつれねぇな」
その後着々とみんなが走り終えていき、いよいよ旬の番を迎えた。
「ビリにはならないようにしよう」
現在D組の順位は五位中の三位。二位とはかなりの差が空いてしまっているし、四位とは誤差の範囲。ビリにさえならなければ、みんなから後々文句を言われる心配はない。
ただ、クラスメイトには旬が足が遅いことは知られているため、どうしてアンカーにしたのだろうかという声がところどころに上がっている。
結果D組は五クラス中四位の結果で練習を終えた。
授業の残り時間は十分弱残ってはいるが、特に今日のところはやることがないため、先生たちの話の後は早めに解散の流れとなった。
今日は五限で学校は終了。
生徒の中では喜びの声が飛び交っていた。
「おーいDクラス!お前らはまだ終わってねぇぞ」
「えーうちらだけなんで」
「文句を言うな文句を、これからアンカーを選抜する試験を行う」
担任である赤坂の独断の試験なため、クラスメイトはあからさまに嫌そうな表情を浮かべる。
「はっは〜、そんな表情浮かべていられるのも今のうちだけだぞ〜。いいかよく聞けお前ら。アンカーはクラスで一番足の速い奴にやってもらうことにする。そこでだ、今からアンカーになりたい者にはタイムを計ってもらい、見事アンカーを勝ち取った者には、今年の俺の体育の授業は自由出席とする。しかも、成績は無条件で五をつけてやろうじゃないか!」
その瞬間だけ、みんなの表情にやる気が見えたが、少しして大半の者が諦めモードになってしまう。
「どうしたお前ら?すげぇいい条件だろ?」
「てかさ先生、優勝景品が目当てなだけでしょ?」
「ギクっ!なぜそのことを」
「あからさますぎるって、マジで」
この学校の体育祭では、毎年リレーの優勝クラスの担任へ豪華景品が贈られるという生徒は全く得のない行事が行われている。だが、焼肉食べ放題券などをもらった時には、その担任がクラスメイトに焼肉をご馳走するなんてこともたまにあったりもした。
「それにさ、どうせアンカーに選ばれるのなんて太陽か天界で決まりでしょ?」
太陽という生徒は、陸上部所属で五十メートルのタイムは六秒ジャストと、足の速さはピカイチ。
「それね。ていうか天界さんマジで何者?めっちゃ早かったんだけど」
次第に赤坂の下心に対するざわめきから、茜の足の速さについての話題でみんながざわめき始める。
「まぁとにかくそういうわけだ。早速、我こそはアンカーにと名乗り出る者は手を挙げてくれ」
真っ先に手を挙げたのは太陽と茜だった。
「こういうの初めてだからやってみたくて」
手を挙げて茜が立ち上がると、隣で見ていた緑が小さく拍手を送る。
「頑張ってください、天界さん」
「女子には負けられねぇっすよ!」
夏の暑さからか、そういうスタイルなのか、半袖の体育着をノースリープのように折りたたんで着こなす太陽。
「なんだなんだ、二人だけか?お前ら普段は偉そうなのに、こういう時は臆病だよな」
すると、少し遅れてにょろりと一本の腕が挙がる。
その瞬間はある意味、奇妙な光景を見たようなざわめきが起こった。
なんであいつが?流石に無理でしょ、などの声が上がる。
「おー影宮。まさかお前が立候補するなんてな、先生嬉しいぞ」
「条件に釣られました」
近くにいた樹がクスクスと笑っている。
「もういないか?いないみたいだな、よしっそれじゃあ五十メートルでタイム計測だ」
そうして茜、旬、太陽の順で横並びになり、スタート位置につく。
「あの、最上くん」
「どした?八代木さん」
内気な緑が自分の中に生まれた大きな疑問の答えを得ようと、樹に思い切って話しかける。
「影宮くんって、足速くないですよね?いつも体育の授業は見学か、走っても男子の中では遅い方だったのに」
「なのにどうして立候補したのかって?」
「ですです」
「もうバレちゃうとは思うんだけどさ、これから話すこと、みんなには秘密ね」
「はい」
緑は根拠のない緊張が込み上げて来たことで、一度喉を鳴らす。
「旬ってさ、昔からクールでめんどくさいことは嫌いな性格だからさ、何にでも真面目に取り組もうとしないんだよね。今回立候補したのだって結果的にはサボりたいからだろうし。まぁ小さい頃の影響だろうけど。あいつすげぇイケメンじゃん?」
「はい」
「中学の頃のあだ名なんだか分かる?」
「いいえ」
「「顔だけ男」、笑っちゃうっしょ?」
あまりにも嫌味のこもったネーミングだったため、思わず緑の表情が険しいものになる。
「まぁあいつはそんなこと気にしてなかったけどさ、親友としては悔しかったよな。あいつは本当はすげぇ奴なのに、周りからは一ミリも評価されない。だから俺、今すげぇ嬉しいんだ」
樹は笑顔で、旬がスタートを切る瞬間を見つめている。
「こんなんじゃ誰もまだあいつのすごさに気がつかねぇかもしれないけど、今からすごいのが見られると思うよ」
「それってどういうことですか?」
「見てれば分かるさ」
そうして緑も旬たちに注目する。
「位置について・・・・・よーい」
大きく赤坂の声が校庭中に響く。
「パァン!」
ピストルの音とともに三人が一斉に走り出すと、一番の期待の星であるはずの太陽だけが初っ端から明らかに遅れを見せる。
誰しも始めは太陽がスタートをミスしたものかと思ったが、どうやらそうではない。
走るたびに二人と太陽の差は歴然なものとなっていく。
そしてゴールテープを一着で切ったのは、旬だった。
「うそ」
「え?何?どういうこと?」
「影宮、めっちゃ速くね?」
「今まで手抜いてたってこと?」
樹と緑の周りから旬に対する驚きの声が次々と上がっていく。
「影宮お前。五十メートル五・五秒って・・・・・それに」
旬のゴールを誰よりも間近で見ていた赤坂にしか分からなかったこと、それは、旬の今出した正確なタイムと、旬の今まで隠していたとてつもなくイケメンな顔。
「ずけぇじゃねぇか!よしっ、アンカーはお前で決まりだ。次の授業から俺の授業は出ても出なくても構わない。体育祭、期待してるぞ!」
そう言って旬の背中を少し力強く叩く。
「はい」
ちなみに茜のタイムは五・七秒。こちらも競技場ではなく、ただの校庭で出したにしてはすごすぎるタイム。
茜はどこかで鬼の力が混じっている自分は、負けるはずがないと思っていた。それなのに人間である旬にあっさりと負けた。
悔しい気持ちが込み上げてくるのは当たり前だが、それよりもこの日から茜は、旬のことがより一層気になり始めてしまった。
ただの好奇心か、ゼツの言っていたように今まで味わったことのない未知の感情か、まだそれは本人にも自覚できていない。
一人六・三秒でゴールした太陽は、茫然としたまま赤坂に背中を押されて、教室へと戻っていった。
放課後、部活動の生徒がゾロゾロと教室を抜けていく中、人数が三分の一くらいになった二年D組の教室に、チャラチャラとした五人組の男子生徒が訪ねて来た。
「なぁあれって・・・・・」
「マジかよ。桜木海じゃね?」
訪問者の正体に気がついた何人かの生徒がヒソヒソと始める。
「あぁ?呼び捨て」
「は、はい!すみません!」
訪ねて来たのは三年で一番強いとされている桜木海、桜木夏の兄である。そんな桜木海に睨まれた生徒たちは、蛇に睨まれた蛙のように恐怖で体が動かなくなってしまった。
「おい、天界茜ってどいつだ?」
「来てくれたんだ兄貴」
「当たり前だろ。可愛い妹に暴力を振るった奴は見過ごしておけねぇからな」
オレンジの髪色をしていて、タトゥーやらピアスやらをしているいかにも不良丸出しの桜木海だが、優しい笑みを浮かべながら妹である桜木夏の頭を撫でる。
「あいつ。一番後ろの席に座ってる女」
「あいつか。おい、そこの美人さん。少し時間もらえるか?」
帰る支度をしていた茜の机を囲むようにして立ち、背の高い男たち五人が逃げ場をなくす。
「何?私帰りたいんだけど」
「へぇ〜女子にしちゃあ随分と肝が据わってるようだな」
そんな茜をとてつもない目力で睨みつけるとともに、隣で寝ていた旬の机を思い切り蹴り飛ばす。
机を蹴り飛ばされた旬は前のめり、床へと頭を打ちつけてしまうが、みんなには旬を気にかける余裕がない。
だが、当の茜は微塵も怯えた様子を見せない。もちろん、内心も穏やかである。普段、鬼に囲まれて生活していた茜にとって、これくらいの威圧は可愛いものだ。
「なぁ先輩がた、こういうの良くないと思うんですよね。ほら、女子一人に対してすることじゃないでしょ。もしあれだったら先生、呼んじゃってもいいっすか?」
そしてまた樹もそんな先輩たちに物怖じせず、食い気味で事態の収拾を図ろうとする。
「誰だよてめぇ、気安く話しかけてんじゃねぇ。俺が誰だか知ってんのかよ」
「いやーそういうの抜きに、ほんとに迷惑なんですよね」
とその瞬間、振り返った桜木海の拳が勢いよく樹の頬に打ち込まれた。
「キャァァァァ!」
殴られた樹の体は後ろに吹っ飛び、背後にあった机に体当たりしてしまう。その光景を目の当たりにしていたクラスメイトたちから悲鳴の声が上がる。
「さぁ仕切り直しだ。別に俺は女子に暴力を振おうだなんて思っちゃいねぇよ。だから俺の言うことを聞けば、お前は痛い目を見ずに済むってわけだ。分かるか?」
「まぁ、私も無闇に力を使わないように言われてるし・・・・・」
茜のボソッと放った一言は先輩たちには聞き取れていない様子。
「何?」
「どんな条件なの?」
「フッ、そうだなぁ俺と付き合え。それが条件だ」
「付き合う?」
「ああ、恋人になれってことだ。そうすりゃあ俺はお前を傷つけたりしねぇ」
「ちょっと兄貴!何考えてんの?そいつに私酷い目に遭わされたのよ!」
ヒステリックを起こした桜木夏が海に対して大声で怒りを露わにする。まるで自分が可哀想な被害者であるかのように。
「るせんだよ、黙ってろ夏。元はと言えばてめぇがちょっかい出したのが原因なんだろ?そんくらい分かってんだよ、あんま調子乗ってんじゃねぇーぞ」
「何それ・・・・・」
「お前の身勝手な理由のせいでこんな美人を傷つけるなんてこと、するわけねぇだろアホが」
「この・・・・・クソ兄貴が!」
そう一言発すると、勢いよく夏は教室を飛び出し、その後を同じように茜をいじめていた二人の女子が追いかけて行った。
「さぁどうする?別に今付き合えって言ってるわけじゃない。時間をかけて考えてくれていいぜ。ただ、逃げることがあれば容赦なく自慢の顔面をぐちゃぐちゃにさせてもらうけどな」
「貴方が言ってるのは、私が貴方よりも弱かったらの話よね?」
「何こいつ、妹に勝ったくらいで海さんに勝てるとでも思ってんの?」
「まぁまぁそう言ってやんなって、可愛いじゃねぇか」
徐々に海たちに対する殺意が茜の中に渦巻いていく。また新たに学んだ感情。人間界にやって来てから、知識だけでなく、色々な感情も茜は学び始めている。
「答えはNoよ」
「ほぉ、断んのかよ。ほんと、いい度胸してるぜ。なら覚悟しろよ」
茜と先輩たちのやりとりが繰り広げられている横で、床に倒れた旬が何事もなかったかのように起き上がり、椅子に座ると、殴られて床に倒れていた樹へと目線を送り、首を横へ振る。
「樹」
「はぁ、そうくるか」
殴られたことなど意に介さない樹は、少し尻餅をついた状態で考え事をした後、平然とぶつかって倒してしまった机を直し、再び桜木海へと話しかける。
「なぁなぁ先輩」
「うるせぇな。マジぶっ殺—————」
そう発した直後、樹の繰り出した拳が桜木海の顎にクリーンヒットし、一瞬で意識を刈り取った。
「はっ?おい海さん?」
「この野郎っ」
そうして樹に向かって来た海の仲間の腹部と顔面にそれぞれ一撃ずつ打ち込んで、床に倒れ込ませた。
「てか先に暴力振るって来たのは先輩たちの方ですから、恨まないでくださいね」
その光景を目の当たりにした他の先輩らは、明らかに樹にビビった様子でその場から動けなくなってしまっている。
「あーえっと・・・・・とりあえず帰る?」
放課後で教室内に残っている人が少なかったとはいえ、明らかに普段の樹ではない部分を見せしまったことに多少の後悔は抱きつつ、茜と旬、樹の三人はすぐに教室を出て行ってしまった。
「何なの・・・・・あいつら?」
教室に残された生徒たちはただ唖然としながら、目の前で起きた出来事を受け止められないでいた。
それもそのはず、今まで根暗だと馬鹿にしていた奴がオリンピックでも目指せるんじゃないの?くらいの足の速さを披露したり、ただのおちゃらけ役だった奴が学校一喧嘩が強いとされる桜木海をワンパン、ついでにその舎弟もボコボコにしてしまったりと、理解が追いつかないことが続けざまに起こってしまったのだから。
帰り道、樹は自分のしたことを反省していた。
樹はクラスのムードメーカー的存在であり、クラスメイトには暴力なんて一度も振るったところを見せたことがない。
だけど今日、不覚にも振るってしまった。
「あーあ、旬に釣られて俺までやっちまったよ。明日からどんな顔して登校すりゃいいんだ」
「だけどそのおかげで助かったわ。ありがとう」
「そう言ってくれると嬉しいよ、天界さん」
樹は苦笑いを浮かべながら旬へと鋭い視線を向ける。
「ていうかお前のせいだぞ、旬。お前があんなサイン出したから」
「あそこで樹が助けなかったら、大騒ぎになってたと思うけど?」
「いや、そうだけどよ、そうじゃなくて」
樹が言いたいのは、要するに自分にサインを出した理由について。
「お前がちょっと実力見せたからって、なぜに俺も巻き添えを喰らわなきゃいかんのよ?明らかに不公平でしょうが!それに、俺は過去に一度やらかしてんだよ」
旬は薄らと笑みを浮かべて優しく樹の肩に両手を置く。
「もう過ぎたことだよ。ボクは自由を勝ち取った。君は強い男という称号を得た」
「いらねぇよ、そんな称号」
樹は呆れたような表情を浮かべて軽く旬の両手を払いのける。
「二人ってとても仲がいい」
「まぁ俺たちは幼稚園からの幼馴染だからな。しゃーない、今回のことは貸し一つってことでよろしくっ」
「そこまで大きく借りた覚えはないからね」
「はいよっ」
茜は、旬と樹の男同士のやり取りを目の前で見ていて、何か心の片隅に朗らかなものが生じていることに気がついた。
そして更に一週間が過ぎた今日。晴天に恵まれ、真夏にしてはどこか涼しさを感じられる絶好の体育祭日和。
赤坂含め二年D組の生徒全員、先週見せた旬の走りを今日もきっと披露してくれるはずだと期待していた。
しかし、旬はこの日、熱を出してしまい欠席となった。
クラス対抗リレーのアンカーは、クラスで二番目にタイムの速い茜が任されることとなり、旬のアンカーになれれば体育の授業は自由出席という話も全て白紙になってしまった。
ちなみに言うとあの後、樹のことに関してはみんなどこか触れないでいた。
本人はちょっと寂しい気はするけど、いつも通りのムードメーカーでいられるため、逆にありがたいと思っている。
「旬もツイてないよな。いや、考えようによってはツイてる男とも言えなくもないか」
「なんだっていい。私がいれば彼はいらないってことを分からせてあげる」
「頼もしいことで」
ゼツには力を抑えるよう念押しされているにも関わらず、この日茜は出場しているクラス対抗リレー、綱引き、持久走において、男子顔負けの圧倒的な実力を見せつけた。
クラス対抗リレーは最下位からの圧巻の追い上げ。綱引きに関しては、勝ち抜き戦の形式でDクラスが他クラスを瞬殺。持久走では、二位につく女子と一周差をつけてゴールするなど、観客の度肝を抜く体育祭となった。
そんな観客の中には当然保護者であるゼツの姿もあり、気が気ではない様子で茜の勇姿を見守っていた。
そしてお昼休憩。茜は人気の少ない体育館の裏へとゼツに連れ出されていた。
「全く、いくらなんでも目立ちすぎだ。万が一にでも正体に気付かれることがあったら、人間の世界にはいられなくなるんだぞ?最近は友達もできて、学校が楽しくなって来たと言っていたのにここにはもういられなくなるんだ。決して悪い場所とは言わないが、今でもまだこの世界を捨てて鬼ヶ島に戻りたいと思ってるのか?」
「・・・・・鬼ヶ島は好き。だけど、人間界のことも好きになったわ。私はもっと人間界の色々なことを知ってみたい」
茜の言葉を受けたゼツは優しく微笑み、茜の頭にポンッと手のひらを乗せる。
「なら教えた通り、人間の基準で生活していくんだ」
「だけど父さん。私たちくらい優れた身体能力を持った人間がクラスメイトにいるのよ。彼に力の差を見せつけたいの」
ゼツは冗談だと嘲笑うかのような笑みを浮かべる。
「茜。お前は完璧な鬼じゃないが、それでも人間の身体能力を遥かに超える力を持っている。まぁオリンピック選手ともなれば話は変わってくるだろうが、ただの高校生のガキんちょにそれほどの実力があるとは信じられないな」
「本当のことよ。少し抑えていたとは言え、あの時は私より足が早かったし、それに、彼もまだ本気じゃなかった」
「一分野に優れた才能を持っている人間はたくさんいるぞ。お前が知らないだけでな」
「いいえ。影宮くんはそれだけじゃない・・・・・気がする」
影宮くんというワードが茜の口から飛び出した瞬間、ゼツの顔色が険しいものになった。
「くん?そいつぁ男か?」
「そうだけど・・・・・」
「まさか茜、前に言ってた気になる奴って、その影宮って男なんだな。どいつだ?俺の可愛い娘をたぶらかしやがって、このタラシ野郎が」
「父さんの言ってるような気になるじゃないわ。それに今日は熱で休んでるの」
「今度そいつをうちに連れてこい」
「え?」
「俺がたっぷりしごいてやる」
娘のこととなると、ネジが一、二本外れてしまう父親を残して、茜は情けなさを感じながら校庭へと戻って行った。
体育祭は、茜たち二年D組が所属している白組が赤組に大差をつけて優勝する結果となった。
放課後、樹はからかいも兼ねて旬のお見舞いにやって来た。
「よぉ、旬。とりあえず風邪薬買って来てやったぞ」
「それで?どうして天界さんと八代木さんも一緒にいるの?」
当たり前のように樹の背後にいた茜と緑の存在に疑問を抱く。
「お、お邪魔してます。影宮くんが熱だって聞いて心配になっちゃって・・・・・」
「まぁまぁいいじゃない。大人数の方が賑やかで楽しいかもよ?」
「ボク病人なんだけど?・・・・・何その目?」
「別に」
茜がベットの上に寝転がる旬に対して、何とも言えないどこか見下したような視線を向ける。
「ていうか五月さんいないの?」
「五月さんって誰です?」
「旬の叔母。事情があって一緒に住んでるんだよ」
「丁度今、薬局屋に出かけたんだ」
「なんだよ入れ違いかよ。薬局屋まで結構距離あったし、一時間くらい戻って来ないかもな。よしっそれじゃあこの俺が特別に料理の腕を振るってやるとしよう」
樹は両腕の袖を捲り、気合いを入れてリビングへと向かって行った。
「わ、私もお手伝いして来ますね」
そう言って緑までもが旬の部屋から出て行ってしまい、部屋には旬と茜の二人だけが残された。
少しの間、気持ちの悪い沈黙が続くと茜が先に口を開いた。
「貴方結構いい家に住んでるのね。私は父さんと二人暮らしだけど、こんなに広い家じゃないわ」
「広い?普通だと思うけど」
「広いわ、私の家と比べたらね」
旬は、大きなマンションの一部屋に住んでいる。中には、それなりに広いリビングにキレイなトイレや浴室が揃っており、その他にも寝室として使えそうな部屋が五、六個備え付けられている。
今は旬と叔母の二人だけしか住んでいないため、部屋を余らせている状態だ。
「体育祭、白組が勝ったわ。私のおかげでね」
「そうなんだ」
「貴方がいなくても、私がいたから勝てた」
「何急に?」
「この前のタイム計測、本気だったら私が勝ってたから」
「・・・・・わざと手を抜いたって?だとしたらボクは君に聞かなくちゃいけないよ?どうして本気を出さなかったのかってことと、君は一体何者なのかってことを」
その時少し茜の体がビクついた。
「貴方があんなに速いだなんて思わなかったのよ。貴方こそ何なの?他にもまだ力を隠してるんじゃないの?」
「さぁ、どうだろう」
そう言って旬の顔が茜の方を向いた瞬間、茜のひらりと浮き上がった前髪と額の隙間に、違和感を覚える何かが映った。
「えっちょ!」
旬の手が茜の額へと伸びかかったところで、急いで旬の手首を掴んで静止する。
「君、本当に何者なんだ?」
旬の目線は間違いなく、茜の目の上の何かを捉えている。
茜は必死に話題を逸らそうと、思考を超高速で巡らす。
「とっ父さんに、私の父さんに会って欲しい!」
旬の手首を力強くがっしりと掴んだ状態で、真剣に目を見て話す。その距離は、見る人が見ればあらぬ誤解をしてしまいそうなほどの距離。
そして茜が言葉を発した瞬間、タイミング悪く部屋の扉が開かれた。
「おーおー旬。いつの間に天界さんとそんな関係になったんだ?ついにお前も隅に置けない男になっちまったのか」
「え?天界さん・・・・・もしかして影宮くんのことを?」
「その私、突然大切なところを触られそうになって」
「えっと、それはすごく誤解を生みそうな言い方だと思うんだけど」
「おい旬!お前女子に対してなんてことしようとしてるんだ————って、何だこれ?あざ?」
先程握られていた旬の手首には、手形がアザになってくっきりとついていた。
「樹たちの思ってるようなことは何もない」
「じゃ、じゃあ、天界さんは影宮くんのこと、その・・・・・好きってわけじゃ」
「え?好きって?」
「う、ううん、何でもないです」
緑は頬を薄く赤色に染め、恥じらいながらそう答えた。
体育祭から一ヶ月が経ち、期末試験も終わり今日は一学期の終業式となっていた。
「お前ら夏休みだからってあまりハメ外し過ぎんじゃねぇーぞ。それと、夏休みが終わった後は文化祭やら修学旅行やら大忙しだからな、気合い入れていけよ。てことで、今日はこれで解散!一ヶ月後にまた会おうぜ〜」
気分よく鼻歌を歌いながら教室を出た赤坂だったが、すぐに教室へと戻って来た。
「あっそうだった。補講ある生徒は絶対サボるんじゃねぇぞ。俺の貴重な夏休みを奪ってるんだからな」
そう言うと、次はぐちぐちと垂れる文句を廊下に響かせながら去って行った。
「まさか天界さんがね。そのぉ言い方悪いが、あれほど馬鹿だったなんてな。正直驚いたぜ」
「まぁ樹は人を見た目で判断する癖があるからな」
「なんだよ旬。お前はあんな美人が運動はあれほどできるのに、勉強は小学生レベル以下とか想像できたっていうのかよ」
「そこまでだとは思わなかったけど、頭が良さそうには見えないでしょ」
樹はこれみよがしに大きなため息を一度つく。
「はぁお前って男は、熱で弱ってる時にあれだけの愛のアプローチを受けといて、何で酷いように言えるのか俺には訳が分かりませんな」
「いい加減しつこいぞ樹。あれは愛のアプローチなんかじゃない。ただの脅迫だ」
あの日、樹たち三人が旬の家にお見舞いに来た日、茜の正体に疑問を持った旬に対して茜のとった行動は、手首を思い切り握りしめ父の存在を盾に真実を隠そうとしているようだったと、旬は思っている。
ただ、自分も聞かれてほしくない事情の一つや二つはあるため、茜に対して追求はせず、あの時のことは気のせいだったと胸の奥にしまい込んでいる。
「まぁ確かにアザができるくらいすごい握力だったもんな。マジでゴリラ並みの————」
樹が笑顔で茜の悪口を口にした瞬間、意図してかしないでか、先程まで二人で楽しそうに話していた茜と緑が旬たちの下に向かって来た。
「何の話してたの?」
「いいや別に、夏休みについての話だよ」
旬がうまく誤魔化したことによって、樹は胸を撫で下ろす。
「ところで、お二人は夏休み何かご予定はあるんですか?」
お二人とは言っているものの、緑の視線は主に旬に向いている。
「特にないよ。夏は暑いし、家にいた方が楽だから」
「それなら前髪切ればいいのになぁ、なぁ緑ちゃん?」
「で、ですね」
樹と緑は体育祭後、結構話す仲になったことで、お互いのことを緑ちゃん、樹くんと呼び合うようになった。
男子に対しては奥手な性格の緑が男子のことを下の名前で呼ぶことはとても珍しいことであり、普通ならその男子に対して好意を向けているのでは?と疑いたくなるが、緑が好意を向けているのは、樹ではない別の男子。
「別に誰もボクに注目しなければ、前髪なんて邪魔なだけだし切りたいと思うよ。けどさ、そうもいかないでしょ?」
こればっかりは確かにと頷くしかない。
「それはそうと、俺も夏休みの予定は空っぽ、強いて言うなら、旬と時々遊ぶことくらいかな?」
「それなら私たち四人で、花火大会に行きませんか?」
「ハナビ?」
「花火というのは、火でできた綺麗なお花が、真夏の夜の空に幾つも浮かぶもののことです」
茜が転校して来てから一ヶ月ちょっと、期末試験の結果も相まって流石に茜の無知にも周りは慣れて来た。
茜は人間界に来る前、ゼツに人間界で過ごしていく上で必要な常識を半年間教え込まれた。だけどそれは電車の乗り方や挨拶の仕方、人との話し方など本当に常識程度のもの。
ゼツが高校に入る前に勉強を教えてくれていたら今回補講にならずに済んだのにと思ってしまう。だけど今、毎日一時間は家に帰ってゼツに勉強を教えてもらうようにしている。
「俺と旬はいつでも行けるよ」
「樹」
「影宮くんは私の誘い、迷惑でしたか?」
寂しそうに聞いてくる緑に対して、なぜだがそんな表情にさせてしまったことに申し訳なさを感じる。
「いや、そんなことないよ」
「それならよかったです。では、茜ちゃんの補講が終わってからにしましょうか」
「賛成!それならさ、俺たち四人のグループ作っちゃおうぜ」
「いいですね」
そう言って、樹と緑が携帯を取り出す。
「ほら、旬と天界さんも」
続いて旬も携帯を取り出して連絡先の交換を始める。
そんな行為をただただ不思議そうに一人眺める茜。
「茜ちゃんも交換しましょう」
「ちょっと待って、これって今何をしているの?その四角い箱は何?」
「嘘でしょ?スマホだよスマホ・・・・・え?もしかしてスマホ知らない?」
茜は樹たちの視線を気にしながら恐る恐る頷く。
「あーそれじゃあ、お家に電話はありますか?」
言った直後、緑は焦ったようにからかっているわけでは決してありませんからね、と、付け加える。
「それならあるわ」
「では、私の電話番号を教えるので茜ちゃんの家の番号も教えてください」
その後無事に番号交換もできたことで、四人の空間はどこか変な空気を纏ったまま解散し、夏休みに突入した。
早くも夏休みは中盤に差し掛かかり八月も中旬の今日この頃。
人気者の樹は、旬たち以外のクラスメイトとレジャー施設に行ったり、キャンプに行ったりと充実した夏休みを過ごしているのに対して、旬はずっと家で一人楽しく過ごしていた。もちろん、樹はクラスメイトと出かけるたびに旬のことは誘っているが、旬がそれを断っている。
茜と緑はもう親友と言っていいほど毎日のように二人でショッピングに行ったり、カラオケに行ったり、緑の家に行ったりと充実した夏休みを過ごしていた。茜は緑に色々な体験をさせてもらっていることで、女子としても人間としてもいい意味でレベルが上がってきている。だけどそんな緑でさえ、まだゼツがいる自分の家に招くことはできていないでいた。
そして茜は今日、昨夜突然鳴り響いた家の電話から旬の家に来るように本人に言われたので、既に部屋の扉の前に心の準備をして立っていた。
今日は特に緑にも遊ぶ誘いは受けていない。一体自分をどういう要件で旬が呼び出したのかは不明。だけどただ一つ思い当たる節がある。それは、体育祭の日のあの時の出来事。
茜は思い切って部屋のインターホンを押すと、中から髪を横に流す感じでセットしており、美しい顔を露わにしている旬が出て来た。
茜の心臓は咄嗟のことでトクンッと鼓動を立てる。
「どうぞ。五月さんは今いないから二人だけだけど、気にしないで」
茜は招かれるまま、旬の家に入るとそのままリビングに通された。
茜はなぜ自分一人が旬に呼び出されたのかという不安と、旬と自分の二人しかいないという状況にかなり緊張している。
「何か飲みたいものある?水とお茶以外に紅茶とコーヒーなら置いてあるけど」
「紅茶にするわ」
茜は初めて聞く紅茶というネーミングに興味を抱き注文すると、しばらくして旬が二人分の飲み物を用意してソファに座る茜の下へと運んできた。
茜と旬は少し間を空けてソファへと腰掛けると、目の前の机に置いてある紅茶のカップを手に取り、恐る恐る口へと運ぶ。
紅茶がいいとは言ったものの、茜にとって紅茶は初めての体験。旬が用意してくれたカップの中には、薄茶の液体が人肌程度の温かみを帯びて入っており、ほのかな甘みと奥深さを感じる。癖になりそうな味だ。
茜が紅茶を堪能していると、旬が早速本題に入る。
「今日天界さんを呼んだのは、どうしても聞きたいことがあったからなんだ」
これから先の展開が見えているからこそ、茜はここで身構える。
「このことはボクの中だけにしまっておこうとも考えたけど、真剣に考えた結果、聞くべきことだと思ったんだ」
旬は手に持っていたカップを机に置くと、普段のような気だるさを含んだ雰囲気ではなく、真剣な表情で茜へと体を向ける。
「君がお見舞いに来てくれた日、君の額に隆起しているものが二つあるのが見えた。始めは瘤かと思いもしたけど、あの感じはそんなんじゃない。例えるなら動物や架空の生物に生えているツノだ。改めてもう一度聞く、君は一体何者だ?」
「わ、私は————」
視界が突然歪み、頭の中が徐々に白くなっていくようなふんわりとした感覚に陥る茜。
「直球が過ぎたね。それじゃあまずはボクの話をするとしようか」
「え?」
「今日のボクの違和感には気がついてると思うけど、君に秘密を明かさせる分、ボクのことも話すべきだと思ったんだ。ついて来て」
旬は立ち上がると、自室の二つ隣にある部屋へと茜を案内した。
部屋の明かりをつけると、そこには数えきれないほどのトロフィーの数と賞状が飾られている。
旬は飾られている手のひらサイズの一枚の金メダルを手に取る。
「ボクの父はオリンピックの十種競技の金メダリストだったんだ。そしてそんな父は、遺伝子研究の研究者である母と結婚した。そうして生まれたのがボクだ」
オリンピックについては保健体育の授業で、遺伝子については生物の授業で少しだけ触れているため、旬の話になんとか茜の理解は追いついていけている。
「ボクの姓には母方の姓がつけられているから、誰もボクが真田神夜の息子だってことを知らない。まぁ、そんなすごい両親から生まれたボクだけど、両親に対する誇りなんてものはなく、ただただ恐怖する毎日が続いていた」
茜は部屋の入り口に立ち尽くしたまま、部屋に飾られているトロフィーや写真を見て、過去を思い出しながら語り続ける旬を見つめる。
「父と母は後継者の存在と研究のために、良質な遺伝子を残すことを目的としてボクを産んだ。ボクはそんな二人の目的のため、生まれた時から運動や勉学における高度な教育を受けさせられ、頻繁に母の遺伝子研究のために人体実験の被験者にもされていた・・・・・本当に毎日が地獄のような苦しみを帯びていたよ」
自分の秘密がバレそうになっていることよりも、茜は旬の苦しみの過去の話しに意識が引きずり込まれていく。
「小さい頃、ボクの唯一の救いは樹のいる幼稚園だった。両親がボクの面倒を見られない時、たまに預けられる幼稚園での生活が唯一の逃げ場だったから」
「最上くんは貴方の事情を知ってるの?」
「今は全部知った上でボクと一緒にいてくれている。だけど当時は、両親は表では人当たりも良かったから誰もボクの家庭の事情なんて知らなかった。樹はね、ボクの親の影響でボクシングを始めたんだよ」
保護者間では必ず、子供に対する教育方針などを話し合う機会がある。樹の両親は旬の両親の話を聞き、うちの子にも習い事をさせようと決めたのがボクシングだったというわけだ。
ただ、樹の場合は習い事レベル。旬の場合は吐き気を催すほどの教育レベル。
「その樹の影響でボクへの教育にボクシングや柔道、合気道や空手、それにカポエラとカンフーまでも追加されたんだからお相子だけど。ボクの毎日は本当に生きるか死ぬかの瀬戸際だった。まぁそんな地獄の苦しみがあったからここまでの賞やトロフィーを小学生の年くらいには全部獲得できたんだけど」
まるで感情のこもっていない冷めた笑顔でそう語る旬。
「小学生っていうのは何?」
「ボクと君が十二歳くらいの頃のことだよ」
茜の十二歳は、鬼ヶ島で意気揚々と生活していた活気のある少女時代。そんな自分の過去をふと思い出して旬と比べた時、旬との間に大きな隔たる壁を感じた。
「そしてボクが十三歳の頃、父と母、二人ともが他界した」
旬はふと茜へと視線を向ける。
「どうして君がそんな暗い表情を浮かべるの?」
茜の表情は無意識のうちに視線を下に向けてうなだれるように暗いものとなっていた。
「えっ?」
相手が誰であっても、こんな話を聞かされてはいい気分にはなれないだろう。
「ボクは両親の死を悲しんではいない。そこにあるのは清々しい開放感だけ。二人がいなくなってからボクは、母の妹である叔母の五月さんに拾われて樹のいる中学に転校と銘打って入学することになった。君と同じようにね。そしてボクは開放感と過去の出来事の反動で、何もかもめんどくさく感じるようになってしまったんだ」
「それが貴方が力を隠してる理由ってこと?」
「隠してるわけじゃないよ。ただ、ボクはこれまでとは違ってこれからを楽に生きたいだけ。顔を隠すのも同じ理由、晒して騒がれるのが嫌だから隠してるんだ。キャーキャー言われて嬉しいのは、最初だけだから」
「貴方の過去をありのままの姿で話してくれたのは、私の秘密を聞き出すため?」
「そういうことだよ」
旬と茜は一度リビングへと移動して、再び距離を空けた状態でソファへと腰掛ける。
「君からしたら強制しているように思えるかもしれないけど、本当に隠しておきたいことなら無理に話さなくてもいい。ただ、ボクは君がただの人間じゃないと確信していることを覚えていてほしい」
真実を打ち明けたとして、茜の身が、鬼たちが危険に晒される可能性は低い。なぜならば、鬼は捕食者であるからだ。
ただ茜の居場所が一つ奪われてしまうだけ。
始めは逃げたいとさえ思った人間界が、いつの間にか茜の居場所になっている。そんな居場所をなくしてしまうだけ。
「わ————」
一言目を発するも、その続きが言葉にならない。無理に言葉にする必要もないが、人間ではないという事実はバレてしまった。
「今まで自分の殻の中だけで過ごして来たボクにとって、興味を引く存在は君が初めてなんだ」
そう言って旬の優しく伸ばされた手は、茜の額にかかる前髪をかき上げる。
色々と感情の整理が追いついていなかったこともあり、不覚にも額にあるツノを見せるのを許してしまった。
「誰にも言わない。約束するよ」
目を見て真剣に言葉を囁く旬。そんな旬の眼差しを受けて、茜は自然に言葉を発した。
「私・・・・・鬼、なの」
「鬼?」
「正しくは、鬼でもあって人間でもある。だけど信じて欲しい、私は人間としてこの世界で暮らしたいだけ」
旬にとってそれは架空の中のキャラクター、とても信じ難い真実。
旬は茜の前髪からそっと手を離すと、そのまま何も言わずにリビングから姿を消してしまった。
やっぱり受け入れられてはもらえなかった。もう人間界にはいられないという思いに深く浸っていると、自室から何冊かの本を抱えた旬がリビングへと戻って来た。
「そういえば天界さん補講はもう終わった?」
「いいえ。まだ夏休み後半に少しだけ残ってるわ」
「それじゃあ、ボクでよければ勉強を教えさせてもらえない?」
これまでの話と何の関連性もない勉強というワードが旬から飛び出したことで、茜は思わずキョトンとした表情を浮かべる。
「・・・・・こちらこそ、よろしくお願いします」
そうして先ほどまでの深刻な空気が嘘のように、茜と旬は勉強を始めた。
「ボクは君の味方だから安心していいよ。今日のことはボクと天界さんの二人だけの秘密だ」
そう言って旬の薄らと浮かべた笑みが、すぐ隣にいる茜に映し出されたかのように茜も薄らとだけ笑顔を見せた。
「しっかり見たのは初めてだ。天界さんの笑った顔」
改めてそう言葉にされると茜はどこか気恥ずかしくなってしまい、急いで旬から視線を逸らして教科書へと向けた。
茜が人間界に来るまでに気にしていたこと、それは、人間と鬼のハーフである自分が人間にとって恐れられ嫌われる対象であるかもしれないということ。人間界で暮らしていくうちに、もし自分の正体に気が付かれたりでもしたら拒絶され、場合によっては酷い目に遭わされることに恐怖していた。そしてこれまで鬼たちの食糧としての人間しか見てこなかったこともあり、人間と過ごすことに少なからず抵抗を感じていた。
ちなみに茜の食事は、人間の食事となんら変わらないものだった。
つまりは、人間と同時に鬼でもある茜は、自分という存在が上手く人間たちに溶け込むことができるのか不安で仕方なかったのだ。
そして、人間としての自分で人間界で暮らしていくうちに、同年代の子たちと関わる楽しさや家族以外に大切な存在を作れる感情を学んでいった。
そして今日、人間としての自分だけでなく、鬼としての自分さえも受け入れてくれる少年と出会った。世界を知らない茜にとって旬以外にありのままの自分を受け入れてくれる人間がいるかどうかは分からない。ただ、人間とは醜く弱い生き物であるため、大半の者が鬼を恐れる対象として見ていることは知っている。
だからこそこの瞬間、茜にとって旬はただの気になるクラスメイトではなく特別な存在となった。
これは単なる始まりに過ぎない。この特別な感情に名前があることは茜はまだ知らない。
その後しばらく二人で勉強に取り組んでいると、旬の携帯に通知が届く。
確認すると緑がグループに送ったメールだ。
メール文には「今夜、みんなで花火大会に行きませんか?」と書かれている。
その後何度か樹も交えて三人でメールのやり取りをしていると、学校の近くの神社で祭りが開かれるらしく、その神社の頂上から眺める花火の景色が絶景らしい。
旬は茜にメールの内容を伝えると、行くという了承はもらえたものの、他にも何か言いたそうな様子。
「どうかした?」
「その、これ・・・・・」
そう言い、茜はズボンのポケットから手のひらサイズの携帯を取り出す。
「買ってもらったの?」
茜が小さく頷き、旬は貸してと言い、両手に携帯を持つと何やら携帯の画面を操作し始めた。
しばらくして返された携帯の画面を確認すると、旬、緑、樹の三人のメールグループの中に、自分のアカウントも追加されている。
そして樹と緑からは「おっ天界さん携帯買ったんだ、よろしくっ」、「よろしくです。これからいっぱい話しましょうね」と、メールが送られて来ている。
そして勘のいい樹から旬との個人メールに、「お前何で天界さんと一緒にいるんだよ。やらしいやつ笑」と送られて来た。
「はぁ」
今日の花火大会で会う時のことを考えてめんどくさくなった旬が、小さくため息をつく。
時刻はもう夕方の四時半。茜が旬の家に来てから約四時間が経過していた。
樹たちとの待ち合わせは、校門の前に六時に集合。
二人は勉強を切り上げて、少しだけ飲み物を飲んで一息ついた後、準備を整えて待ち合わせ場所へと向かった。
集合時間十分前、まだ当たりがほのかに陽の光に照らされている時間帯。既に樹と浴衣を着た緑の姿が校門前にあった。
「おっ新婚さんのご到着だ」
「どういう意味です?」
少し焦った様子で質問する緑。
「樹の冗談だから気にしなくていいよ」
「今まで私、影宮くんに勉強を教わっていたの」
「そんなことだろうとは思ってたけどな。だけど旬が顔を出して外歩くなんて二、三年ぶりくらいだからさ、何があったのか勘ぐりたくなるのも当然だろ?」
興味深々に聞いてくる樹。
「ボクなりの誠意だよ」
「誠意ねぇ、一体何に対してやら」
「言っておくけど、樹が想像してるようなことじゃないから」
「はいはい。まぁお前にそんな勇気がないことくらい知ってるよ」
つまんなさそうな表情を浮かべる樹とは反対に、どこかホッとした表情を浮かべる緑。
「緑のその服かわいいと思う」
「ありがとうです茜ちゃん。茜ちゃんも浴衣来てくればよかったのに、絶対似合うと思いますよ。だけど、茜ちゃんは目立ち過ぎちゃうかもしれないですね」
「浴衣?」
旬にだけたまたま聞こえる声で囁いた茜に対して、旬はさりげなく耳打ちしてフォローを入れた。
「それじゃあ、行きますかっ」
颯爽と歩き出す樹を先頭に、四人は神社へと向かっていった。
神社につくと、縦長で広く、手前から奥の方までびっしりと屋台が開かれており、人の多さに負けないくらい空腹を刺激する魅力的な香りが漂ってくる。
「おっしゃー、それじゃあ最初は何食べるかなぁ」
「茜ちゃんは何か食べたいものありますか?」
「えっと・・・・・」
「じゃがバターとか?」
「旬、ナイスアイデア!」
「いいですね。茜ちゃんも食べますか?」
「え、ええ」
茜が旬に視線を向けると、丁度旬も茜に視線を向けていた。先ほどからのフォローのお礼も込めて茜は軽く会釈する。
一先ずじゃがバターを四人分購入してみんなペロリと完食してしまった。その後、焼きそばに焼き鳥、りんご飴に水飴、チョコバナナと割とハイペースで食べていく。
「いや〜やっぱり旬は目立つなぁ、そのルックスに高身長。今向けられてるこの視線がとても懐かしくて心地いいね」
神社はこれから花火大会ということもあって、かなりの人混み。そのため、まるで芸能人でも現れたのかというくらいの視線が旬一人に注がれており、しまいにはカメラを向けて写真を撮る人まで現れる始末。
男女構わずすれ違う度に驚きの視線を向けられているが、その視線は主に女性からのものが多い。独り身や彼氏持ち関係なしに釘付けとなっている。
「少し気まずいですね」
緑がどこか俯きながらそう答える。
「そう?私はあまり気にならないけど」
「茜ちゃんは美人さんだからそういうことが言えるんです。私みたいなどこにでもいる顔の人間には、この視線はかなり刺さります」
「緑ちゃんはとても可愛いと思うぜ。だから堂々としてりゃあいいさ」
「そういうことではないんですけどね」
緑は不満げに頬を膨らませ顔をそっぽに背けると、何かを見つけたらしく旬の服の端をチョンチョンと引っ張る。
「どうした?」
「あれしませんか?」
緑が指さした先には射的の屋台が開かれている。
「おっ射的かー、いいねぇ。そういうことなら旬、俺と一つ勝負しようぜ」
「少しだけなら付き合ってあげるよ」
「よしっ、それじゃあ、あのクマのゆいぐるみを取れた方の勝ちってことで」
特にメリットもデメリットもない争い。お祭りだからこそ楽しめる男同士の争い。
「頑張ってください、影宮くん」
緑は瞳を輝かせて旬へとエールを送った。
どうやら緑は射的の景品である高さ一メートルくらいの大きなクマのぬいぐるみが欲しかったらしい。
「五発で八百円ね」
旬と樹は店主にお金を支払い、射的の拳銃を手に取り、的を定める。
勝負の結果、旬が合計八発で仕留めることで勝利した。
勝ったあかつきであるクマのぬいぐるみは、緑へとプレゼントした。
緑は、勿論クマのぬいぐるみが手に入ったこともうれしかったが、旬からの貰い物という意味でとても幸せそうな表情を浮かべていた。
「ちょっと暑くなって来たし、かき氷でも食べますか!」
「かき氷?」
「氷を粉々にして、その上に甘い液体をかけた食べ物のこと。ボクはブルーハワイをかけて食べるのが好きなんだよね」
「私も食べてみたいわ」
かき氷屋を探している間、明らかに先ほどと比べて樹の態度が大人しくなっていることに薄々三人も気づき始めていた。
「どうした樹?」
「いや〜さぁ、分かってたことなんだけど、カップルが多すぎる」
中学の頃から彼女を欲しがっている樹を近くで見ている旬は、いち早く樹の態度の変化に納得する。
「ねぇねぇケント、私金魚すくいやりたぁ〜い」
「私も〜」
「それなら私もっ」
「え〜、金魚すくいなんて幼稚じゃん?どうしてもって言うなら、後で俺が君たちを釣り上げてやるよ」
「キャーケントのエッチぃ」
樹たち四人の横を、女子三人に囲まれた高身長で超イケメンな金髪のチャラ男が通り過ぎる。
「クソ〜羨ましぃぜ」
樹の悔しさと羨ましさが混じった感情が抑えられずに声に出てしまう。
「あれ?樹くんじゃない?」
「ん?」
急に樹の名前が呼ばれて樹たちがほぼ同時に振り向くと、先ほどのチャラ男が同じように樹たちに視線を向けていた。
「やっぱり樹くんじゃん!あっごめん、もしかしてデート中だった?」
「いいや、ただの友達」
こういうチャラチャラしたのはあまり得意ではないのか、樹の口調が大人しい。
「そっか、てっきりダブルデートしてるのかと思ったよぉ」
「ねぇケントぉ誰この人たち?」
「ん?同級生?」
「なんで疑問形なんだよ?」
「えーだって俺たちあまり話したことないじゃん?まぁ樹くんはムードメーカーで人気者だから俺は結構知ってるんだけどさ」
「確かに委員会とかでしか話したことないしなぁ。そうだ、紹介するね」
ケントの存在を知らない茜がキョトンとした表情を浮かべていることに気づいた樹が気を利かせて紹介を始める。
「こいつは飯田ケント、明輝学園二年C組の生徒。つまりは俺たちのとなりのクラスだ」
「よろしく、気軽にケントって呼んでくれて構わないからねっ。それよりさ樹くん、そちらの美女はもしかして、噂の転校生ちゃん?」
ケントは真っ先に茜に注意を向けると、瞳をキラキラと輝かせる。
「天界茜さん。二ヶ月くらい前に転校して来た超絶美女さ」
どこか自慢げにそう語る樹。それを聞いたケントは、茜から旬へと視線を移した。
「これだけ美人なら、お近づきになりたいところなんだけど、こんな超イケメンに隣に立たれたら俺の出番はなさそうだね」
そう言い、ケントは旬に薄く笑みを向ける。
「何言ってんだよ、ケントくんにはそんなに美人な人たちがいるじゃんよぉ。噂通り他校の女子生徒も守備範囲ってか」
「確かにそうだけど、この人たちは明輝学園の三年の先輩たちだよ」
「ねぇねぇケント、あんなカッコイイ人うちの学校にいたっけ?」
「私知らないよ」
「私もー」
「おっと、そういや俺も見たことないな。まぁそれはさておき、俺の目の前で他の男に興味を持たれるとグッとくるものがあるんだよね〜」
大げさに胸を押さえつける仕草をするケント。
「あんなイケメンがいたら、噂にならないわけないよね?」
「ねぇねぇ、君名前なんて言うの?」
一人の女性先輩が旬に近づいてさりげなくボディタッチをしながら名前を聞くと、近くにいた緑と茜の視線に恐怖したのか二、三歩後ろに下がる。
「まぁまぁこいつだけじゃなくて、俺たちもいるんですから。まずは俺から自己紹介しますね」
そうして樹、緑、茜と、それぞれ順番に自己紹介をしていき旬の番となる。
「影宮旬。樹たちと同じ二年D組です」
その瞬間、少しの沈黙が旬たちの周りだけを包み込む。
「え?ちょっと待って・・・・・影宮くんって、あの影宮くん?たまに見かけると前髪下ろして一番奥の窓際の席に座ってるあの根暗の?」
失礼な発言だけど、学校のみんなからはケントが抱いてる印象と似た印象を旬は抱かれている。
「まぁそういう反応するわな、それが普通だよ普通。まぁでも毎日こいつが髪上げてたら大変なことになるだろ?」
「だけど、それだけアマイマスクを持ってたんなら勿体無い気もするけどなぁ」
すると、先輩三人が携帯を取り出して旬へと近づく。
「ねぇねぇ、連絡先教えてよ」
樹にとってこの光景も中学時代散々見て来た光景。
旬は女性があまり得意ではない上、外見だけに群がってくる女性には、もううんざりしている。旬にとって、外見だけで近づいてくる女性は山ほどいるため、そういう女性の価値はないにも等しい。
「いや、ボクは先輩たちに興味ないんで」
旬は一人樹たちに背を向けると、スタスタと人混みの中を歩いて行ってしまった。
「え〜残念。せっかく超イケメンとお友達になれるチャンスかと思ったのになぁ」
「まぁまぁ、俺がいるじゃん?」
「えーケントの顔は見飽きちゃったからなぁ」
「何それ、俺ショック〜」
両手を顔につけ、盛大にショックを受けているリアクションをかますケント。
「うそうそ、冗談だよ。ケントも超イケメンだからねぇ、ケントで我慢してあげる〜」
「何それ、ひどくない?それじゃあ樹くん、また学校で」
ケントと先輩三人は、樹には目に毒なくらいイチャつきながら金魚すくいへと向かって行った。
「はぁ、ああいうタイプは骨が折れるよほんと。よしっ、それじゃあ旬探すとするかっ」
「ですね」
「ええ」
そう言って樹は一先ず旬にメールするが、返信が返ってこない。
「しゃーない、歩いて探すかぁ、はぐれると怖いし一緒に行動する?」
「いえ、別々に探しましょう!十五分経っても見つからなかったら、あそこにある大きな木の下まで集まるってことでどうです?」
珍しく、たくましく指示をだす緑。
「私はそれでいいと思う」
「オッケー、まぁ何かあったら連絡してよ。天界さんもグループに入ったことだしね」
「はい」
「分かったわ」
そうして旬捜索が開始された。
それから十分、三人は旬を探し回った。
その間、緑は旬にちょくちょくメールしていたおかげで、メールに気づいた旬からの返信が返ってきた。
どうやら旬は人混みを一旦避け、神社の隣にある小さな遊具も何もない公園のベンチに座っているらしい。
旬の居場所も分かったことだし、樹たちにそのことを知らせるべきなのだろうが、緑は樹たちに旬と連絡が取れたことは伝えずに、一人旬のいる公園へと向かった。
「影宮くん。お隣いいですか?」
辺りはすっかり暗くなり、夜空にはキラキラと輝く星たちが無数に浮かんでいる。
緑はそんな星空に黄昏ている旬の隣に腰を下ろす。
「連絡気がつかなくてごめんね。後で樹たちにも謝らないと」
「・・・・・何かあったんですか?」
「少し昔のこと思い出してたんだ」
「そうなんですね」
その昔の思い出とは何なのか、緑は気になって仕方がなかったが、旬のどこか寂しそうな表情を見て言葉を飲み込んだ。
「二人も心配してるだろうし、戻ろうか」
「ですね」
そう言って立ち上がろうとする旬の手をそっと包み込むようにして握る緑。
「八代木さん?どうかしたの?」
「そ、そのっ、お話ししたいことがあるんです」
咄嗟に握ってしまった手を急いで離すと、立ち上がり真剣な眼差しを旬へと向ける。
対する旬も何かを悟ったらしく、真剣な表情で緑へと体を向ける。
「聞くよ」
旬の優しく囁いた一言が、緑の高なる鼓動を更に刺激する。辺りの暗さでも分かるくらい緑の頬は赤く染め上げられている。
この状況でこれから何が起きようとしているのか、察することができない男はいないだろう。
ましてや旬にとっては見慣れた光景。だけど、緑とは友達であり多少は自分の中身を知ってくれている存在であることも分かっている。だからこそ、先ほどの先輩たちのように邪険にせず、緑の気持ちに真剣に向き合おうとしている。
「私、茜ちゃんほどじゃないけど、昔から可愛い可愛いって言われていて男子にばかり好かれていたんです。知っての通り、そのせいで女子にはあまり好かれていなくて・・・・・だから、見た目で判断する人たちが本当に嫌いだったんです」
旬にも共感できるところがあるため、小さく頷く。
「なのに私は、影宮くんのお顔を初めて見た時、心を奪われてしまいました。それに気づいた時、ショックでしたけど、影宮くんのことをもっともっと知りたいとも思いました。私、誰かにこういう感情を抱くことは初めてで、ただ見ていることしかできませんでした。普段は冷たそうに見えるけど、本当は優しい人で、すごい人。今はまだ言葉にするとこれくらいのことしか知りませんけど、好きなんです・・・・・影宮くんのことが、好きですっ」
目を瞑り想いを込めて放った一言は、確かに旬の心に届いていた。だけど、それを受け入れるか入れないかは旬次第。
旬は目を開けるように緑の肩をポンポンと軽く叩く。
「ありがとう八代木さん。ボクはこれまで薄っぺらな告白を何度も受けて来たけど、八代木さんの真剣さはすごく伝わったよ」
目を開けた緑の表情には、もうすでに悲しさが滲み出ていた。
「だけどボクは、誰かを好きになったこと、付き合いたいと思ったことがないんだ。というか誰かを大切に思える気持ちが分からないんだ。だから、八代木さんの気持ちには答えられない」
旬は親に対してもそういった感情を抱いたことはないし、教えてもらえなかった。五月さんと樹とは昔からの付き合いだが、大切かと聞かれれば、二人に抱いているこの感情が大切だという感情なのか分からない。
「分かってました。私じゃダメだってこと、素直な気持ちを聞かせてくれてありがとうございます・・・・・少しだけ目を瞑っていてもらえますか?」
そう言われ、旬は軽く目を瞑る。
すると、鼻をすする音に、微かに涙を流している息遣いが聞こえて来た。
「お待たせしました。もう目を開けても大丈夫ですよ」
三分ほど経った後目を開けると、少し目を晴らしながら明るく笑顔を作る緑の姿があった。
「私、これからは逃げないで向き合おうと思います」
「向き合う?」
「はい。今まで外見だけ見て近づいてくる男子のことがあまり得意ではなかったんですけど、まずは知ってみるところから始めようかと思います。中身を知れば、きっといい人たちかも知れませんし、もちろん、女子に誤解されないように普通を目指して頑張って行こうと思います」
「八代木さんは強いんだね。純粋にすごいと思うよ」
「そんなことないです。それじゃあ茜ちゃんたちのとこに向かいましょうか、きっとすごく心配しているはずです」
そうして旬と緑が茜たちの下に向かうと、なぜだか樹がどっと疲れた表情をしていた。
「ごめん待たせて。どうかした?」
「どうかしたじゃねぇよ。大変だったんだぞ、旬を探し始めて十五分経ったから集合場所に行ってみれば、天界さんの周りにすごい数の男が群がってたし、追い払った後も憧れの視線に混じった嫉妬の視線を浴びせられるしでよぉ」
要するに、旬だけに向けられていたと思っていた視線は茜にも同様に向けられており、二人きりになった途端、その圧に押し潰されそうになったということだ。
旬と二人きりなら誇らしい気分になれるが、超絶美人と二人きりとなれば当然、心地いい視線だけでは済まされない。どうしてお前みたいな男がそんな美人を連れているんだという嫉妬の視線を避けられない。
「悪かったよ。それより花火大会もうすぐだよね?」
「上手く話題を逸らしやがって。はぁ、とりあえず特等席に向かうとするか」
その後、樹に導かれた三人は神社の横にある山に敷かれた長い階段を登り、下を見下ろすと明かりを帯びた街並みが小さくなって見える山頂へと辿り着いた。
「おっ、丁度始まるな」
山頂には危なくないように柵が設置されており、旬のみぞおちくらいまである柵の手すりに四人とももたれかかりながら、次々と打ち上げられていく多彩な花火をど迫力で堪能する。
「花火も生まれて初めて?」
隣にいた茜に旬が問いかける。
「ええ、初めて」
「実はボクも。本とか写真とかでは見たことあったけど、こうして生で見るのは初めてなんだ」
「そう。ねぇ」
「ん?」
「さっき告白されてたでしょ?」
旬は、茜の言葉が耳に届いた瞬間、自分でも驚くほど動揺してしまった。
いつもはポーカーフェイスであまり表情を読むことができない旬だが、今だけは目を大きく見開いて茜を見つめる。
「見てた?」
「私言ったよね、鬼だって。鬼の耳の良さ、あまり舐めないでよね」
あれだけ人がいた中で、旬と樹だけの会話を聞き取るなんてとんだ神技。
二人の世界でしか繰り広げられない鬼に育てられた少女と人間の少年との会話は、とても微笑ましいものだった。
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