転校生の獣人ちゃんは俺にだけ懐いてる

崖の上のジェントルメン

1.獣人の子

……それは、夏休みが明けた9月3日のことだった。


教室では、一学期の頃より日焼けして肌が黒くなった同級生たちがたくさんいて、なんだか前よりも大人っぽく感じる。


「ちかちゃんお久ー!めっちゃ焼けたねー!」


「え!?メグもヤバくない!?一瞬誰か分かんなかったんだけど!」


「えー?なにそれひどーい!」


「きゃはははは!」


俺はそんなクラスメイトたちの談笑を、自分の席に座り、頬杖をつきながら遠巻きに見ていた。 楽しそうにしているみんなを見るのは、俺としても嬉しかった。でも、それでも俺は……あんまり笑える気分じゃなかった。


「……………………」


俺はふっと、窓の外へ視線を移した。遠くの方に入道雲がどっしりと座っていて、青い空が天高く見えている。よく見る夏の景色なのに、いつも以上に切なく見える。


「よお新一!久しぶりだな!」


そう言って思い切り背中をぱんっ!と叩いてきたのは、友人の広一だった。


「やあ広一、久しぶり」


「なんだなんだー?頬杖ついて窓の外を見て!黄昏てんなおいー!」


「……ははは」


広一の軽口に対して、俺は素早く対応できなかった。それを直ぐ様察知した広一は、ぴくっと眉を動かしてこう言った。


「……なんだ?お前、なんかあったのか?」


「え?」


「いや、なんかやけに元気ねえからよ。どうかしたのか?」


「……………………」


俺はお腹の中に溜まっていた空気を吐いて、少し間を置いてから告げた。


「ギルが……昨日死んだ」


「なに?」


「もともと身体が弱くなっててさ……。昨日の夜中、家ん中で息を引き取ったよ」


「ギルってのは、あれだよな?お前んちにいたシベリアンハスキーの」


「うん」


「……………………」


「ギルは本当に……小さい頃からの家族でさ。ギルがいないなんて、今も実感が湧かなくて……」


「…………そうか」


広一はガリガリと頭を掻いた後、俺の肩にぽんと手を置いた。


「なあ、新一よお」


「うん?」


「今日は、カラオケでも行くか?」


「……………………」


「……気分じゃねえか?」


「……………………」


「じゃあ、気分が乗ったら、俺に言えよ。な?」


「……うん、ありがとな」


「ああ」


広一は背中を軽くトンっと叩いて、自分の席へ戻っていった。 カラオケに誘ってくれたのは、気分転換になれればという、あいつなりの優しさなんだろう。でもたぶん、さすがに今日は行く気になれない。


ギル、もうお前と散歩に行くこともないんだな……。俺にとっては歯を磨いたりお風呂に入ったりするのと同じくらいに、お前との散歩は当たり前の日常だったのに。 それもあっさり……なくなってしまった。


「……………………」


俺は小さく唇を噛み締めて、愛犬のことを想った。 遠くに見える入道雲が、ぼやけて滲んでしまった。







「……えーと、今日は新学期早々なんだが、お前たちにビックニュースがある」


担任の先生が教卓の前に立ち、俺たちクラスメイトに向かってそう告げる。


その担任の隣には、黒髪でショートボブの可愛らしい女の子がいた。


彼女の大きな瞳は、真っ赤に染まっていて、遠くからでもその赤さが見てとれた。


それだけでもビジュアルとしては目立つのに、さらに目立たせていたのは、尻尾と耳だった。 お尻付近からは黒くて長い尻尾が垂れ下がっており、頭の上には犬のような黒い耳がピンッと真っ直ぐに生えている。


間違いなく、獣人だった。


「え?あれって獣人だよね?」


「マジじゃん!本物見るの初めてなんだけど……」


クラスメイトたちのざわついている声が、俺の耳に届いてくる。


「グルルル……」


獣人の女の子は、真っ赤な瞳で俺たちを睨みつけながら唸っている。大きい犬歯だ。あれはもう犬歯なんかじゃなくて、牙と言って差し支えない。


「はいはい、みんな静かに。えーと、ここにいる獣人の女の子はね、今日から君たちのクラスメイトになる」


先生のその言葉に、同級生たちは「えー!?」と驚愕の声を上げた。


「まあまあ、驚くのも無理はない。だがね、君たちも知っている通り、今年から獣人の受け入れが全国的に開始された。国全体で獣人の支援をしていく方針なんだ。みんなが暮らしやすい社会にしていくためにも、君たちの協力が必要となる」


先生は俺たちへくるりと背を向けて、チョークを手に取り、かつかつと文字を書き始めた。


「この際だ、獣人についておさらいしよう。獣人は全国各地の山奥に隠れて住んでいた部族で、森林伐採などによって住み家を奪われてしまった。一年前の2025年に、獣人たちは公の場に姿を現して、住み家を奪うな!と抗議した。日本政府はそれを受け入れて、人間社会の中で生きていけるよう支援することを決めた」


先生は2025年と書かれた文字に下線を引いた。


「今や世界的にも、そうした現象が各国で起きている。人間と獣人が手を取り合ってこそ、本当の世界平和となるのだ」


先生はまたこちらへ身体を向けた。


「と、いうことでな。これからは彼女もここで一緒に、みんなと勉強していく。仲良くするように」


先生がそう言った瞬間、隣にいた獣人の少女はさらに目付きを悪くして、ぐるるると唸っていた。


「じゃあ、犬神さん。自己紹介を頼めるかい?」


獣人の女の子は先生からそう言われた瞬間、「犬神、違う!」と叫んだ。


「ちゃんと、リズって呼べ!犬神て呼ぶな!」

「あ、ああ、すまんすまん。そうだったな」


先生は慌てた様子で彼女に謝罪を入れた。そして俺たちへ説明を入れた。


「一応、日本社会で生きていくために、戸籍上は『犬神 利香』って名前をつけられてるんだが、彼女の本当の名前はリズと言う。彼女はそっちで呼んでほしいみたいだから、そっちで頼むな」


犬神さん……いや、リズさんは鋭い眼差しで、俺たちクラスメイトのことを睨みつけていた。






……リズさんは、間違いなくクラスで最も目立つ人になった。


歩行するときは四つん這いで、授業中には毛繕いをし、お昼休みには生肉を食らう。 彼女のあまりに人間離れした行動に、周りの人間はみな顔をしかめていた。


「ねえ、あの子の席、マジで獣臭いんだけど……」


「ほんとそれ。お昼休みとか、生肉の臭いもしてくるし、鼻がひん曲がりそう」


彼女の席の近くに座るものは、みなそうしてひそひそと陰口を言っていた。


「ぐるるるる!」


「ああ!ダメダメ!止めなさい!」


だがリズさんは物凄く耳がよく、陰口もすぐに察知してしまう。牙も爪も鋭い彼女が襲いかかろうとするのを、先生が止めに入ることもしばしばあった。


クラスメイトたちはリズさんには近寄らなくなり、リズさんもまた人間が嫌いらしく、近寄ろうとすると唸っていた。


先生の理想だった仲良しクラスなんて、とても実現できそうになかった。



そして、彼女が転入してから1ヶ月後の10月3日に、事件は起きた。


「ねえマジでさ、生意気すぎない?あんた」


それは、お昼休みのことだった。リズさんの席を、五人の女子取り囲んでいた。 当のリズさんは、手で生肉を掴んで食べている最中だった。


「お前のせいでさ、クラス中が血生臭いんだよ。マジめーわくしてんだけど」


「そうそう。臭いで頭痛いわ」


「キモいからさ、ほんとどっか言ってくんない?さっさと山に帰れよブス」


五人の女子たちは、口汚くリズさんを罵った。俺と広一は、少し離れた場所でお弁当を食べていたところだった。


「あれ、やべな。一触即発って感じだぞ」


広一が声を落として、俺にそう言った。俺も固唾を飲んで、彼女たちの様子を見つめていた。


「グルルル……!」


リズさんは牙を見せて、リーダー格らしき金髪の女の子へ威嚇した。


「今、お前、リズのこと、ブスって言った!」


「なに?そこにキレてんの?獣人のクセに、一丁前に人間ぶんなっての」


「お前こそ、ブス!お前、身体から変な臭いする!」


「な……!?ふ、ふん!バーカ!香水だよこれは!お前みたいな獣人には良さがわかんないだろうけど!」


「変な臭いする!お前、汚い!リズの方が美人!」


「はあ!?こ、この!マジ舐めんなお前ー!」


金髪の子は、思い切りリズさんをぶった。ぱーん!という激しい音が教室の中に響き渡った。ガタガタッと彼女は椅子から落ち、床に倒れた。


「リズさん!」


俺は咄嗟に彼女の元へ走った。そして、倒れている彼女の容態を確認した。 頬が赤く腫れ上がっており、顔をしかめていた。目の端には痛みで涙が浮かんでいた。


「おいお前ら!ちょっとやりすぎなんじゃねーの!?」


広一が席を立ち、リズさんたちを囲っていた女子たちに怒鳴った。


「五人で寄ってたかってよお!相手は一人だぜ!?」


「うるさいなあ!男子は黙ってろよ!」


俺の後ろで、広一と女子五人の言い争いが展開された。


「ぐう!」


その時、リズさんはカッ!と目を見開いて、上半身を起こした。


「あの女!嫌い!噛む!噛んで殺す!」


真っ赤な瞳をさらに大きくして、身体を起こそうとするリズさんを、俺は肩を掴んでなんとか押さえた。


「リズさん!待って!無闇に襲っちゃダメだよ!君には牙も爪もあるんだから!」


「なんだお前!?どけ!邪魔だ!」


興奮していたリズさんは、俺の肩に思い切り噛みついた。ズキンッ!と激しい痛みに襲われて、思わず身体が跳び跳ねそうだった。


「う!ぐぐう!」


だが、その痛みのお陰で……俺は、あることを思い出した。


『バウワウ!グルルル!』


『ギル!噛んじゃダメだよ!落ち着いて!』


(そうだ……ギルも最初うちに来た時は、全然懐いてくれなくて……噛まれることもよくあったっけ)


俺は深呼吸でなんとか心を落ち着かせながら、彼女のことを……そっと抱き締めた。


「……よしよし、リズさん」


そして、背中をゆっくり優しく……撫でるように擦った。


「大丈夫、落ち着いて、落ち着いて……」


「……………………」


こういう時、犬をむやみやたらに叱りつけてはいけない。あくまで冷静に、丁寧に対応する。叱りつけると、かえってストレスが溜まり、余計暴走させてしまうからだ。


ギルを育ててた時のことを思い出しながら、俺はリズさんのことを抱き締めていた。


「……………………」


リズさんも落ち着いてきたのか、ゆっくりと肩から牙を離してくれた。


「……なんだ?お前」


リズさんの声が、耳元で囁かれた。その瞬間、俺はハッと我にかえって、すぐに彼女から離れた。


「ご、ごめんリズさん!か、勝手に抱き締めたりして!」


「……………………」


そう、勝手に女子に抱きつくなんて、あまりにも最低すぎる。しかも犬をあやすような気持ちでいたわけだし……。いやまあ、実際効果はあったわけだけど……。


「……お前、仲間か?」


リズさんから突然そう言われて、俺は思わず「え?」と言った。


「仲間か?仲間なのか?」


彼女はくんくんと鼻をならして、俺に近づいた。可愛い女の子に首筋や胸の辺りを嗅がれるのは、めちゃくちゃドキドキしてしまった。


「あ、あの、リズ、さん……」


「お前、臭いがする」


「臭い?」


「仲間の臭い。お前、仲間か?」


リズさんは俺と鼻先が触れあいそうなほどに近づいて、そう俺に語りかけてきた。


「お、俺は……ただの人間だよ。君たちとは別の種族だ」


「でも、臭いがする。お前、嘘ついてない?」


「嘘……じゃないけど」


赤い瞳に至近距離で見つめられて、俺は狼狽えっぱなしだった。


「仲間の臭い、お前からする。なぜ?」


「……仲間の、臭い」


そこまで言われて、俺はハッとした。


ああ、そうか。そうなんだ。彼女が嗅いでいるのは、きっとギルの臭いなんだ。


「……リズさん。きっと君が嗅いでいるのは、俺の飼っていた犬の臭いだと思う」


「犬?」


「うん、ギルっていう犬が家にいてね……」


「……………………」


「きっと……その、臭いだと思う」


と、そう俺が口に出した時、思わず涙が溢れてしまった。


それはきっと、ギルの生きていた証が、まだ臭いとして残っていてくれた喜びだった。まだギルの……ギルの生きていた形跡があったんだと、そう思えた。


「……どうした?なんで、お前泣いてる?」


「……………………」


「止めろ、泣くな。お前泣いてるの、リズ、嫌だ」


そう言って、リズさんは俺の眼から溢れる涙を、舌でぺろっと舐め取った。


これが俺……上山 新一と、犬神 利香……つまり、リズさんの最初の会話だった。

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