運命の夜
誕生の日の翌日。空は真っ青に晴れ渡っており、雲一つない様相であった。
中天からいつも通り森に入り、ウスルス狩りに精を出す。今日は罠への追い込みがうまく行って、夕刻までに二匹の収穫を得ることが出来た。ただ、森の奥深くまで、入り込んでいたために、帰還が日没近くになってしまっただけであった。
出迎えの娘達は帰ってしまったかと思っていたが、ヤジュの家のリマとリズの姿が見えて、タゥはほっとした。
「今日は少し遅くなってしまって悪かった。出迎え、今日もありがとう」
すると、珍しく言いよどんだ様子で、リマが後ろにいたアスロに向かって言い放った。
「アスロ、落ち着いて聞いてね。あんたの姉さんのレアが、熱を出して倒れたんだよ」
「そ、そうか。じゃ、じゃあ帰って看病をしなきゃ……」
「うん。ユキノも熱はいつもの事だから、安静にしていれば問題ないんだって言ってたね。ただ今回は、なかなか意識が戻らなくて、目眩がひどいみたいだから、町の医者を呼ぶことにしたんだってさ。もう医者は来てるはずだから、悶着を起こさないでよ?」
「ま、町の医者を呼ぶなんて、こ、子供の頃以来だ。お、俺、家に帰るよ。で、伝言ありがとう」
そう言って、アスロはその大柄な身体にウスルスの半身を背負って、足早に帰って行った。
「レアって身体が弱いって聞いてたけど、本当にか弱いんだね! 今日は医者が来てたりしてバタバタしてるから、お見舞いは遠慮してくれって言ってたよー」
「そうか。では俺も帰らせて貰う。タゥ、また明日な」
リズの声を受けて、キーヤも帰って行く。
「それでは、俺も帰ろうと思う。リマ、リズ、今日も、ありがとう。また明日な」
「ねぇ、タゥって年上って好みだっけ?」
「いや。特段気にしたことがない」
「そっかそっか! じゃあいいんだ。また明日ねー!」
リマは納得したように微笑んで、リズと共に去っていった。
もう日没間近である為、あたりは薄暗い。レアの事は心配ではあるが、タゥに出来ることはなかった。
家に着くと、家の前に長身の人物が浮かび上がる。それは魅惑的な肢体をしたマリアだった。
「タゥ! おっかえりー! 揚げ物の準備が出来たから、呼びに来たよーっ」
「ただいま、マリア。揚げ物の準備も、ありがとう」
「どういたしましてっ! じゃあ、あたしは家で待ってるから! 準備出来たら来てね」
タゥは、マリアを見送って、家に入った。リュックを下ろし、背中の肉をまな板の上に下ろす。
まず、揚げ焼き用の肉を切り分けてから、少量を挽き肉にする。その挽き肉を炒めて、茹でておいたルッケと一緒に潰して混ぜ入れ、整形して衣をつける。
揚げ焼き用の肉も同じように衣を付け、器に盛っていく。出来上がったら、器を持って、マリアの家だ。
ルネーの家は大通りを挟んで向かい側の端にある。タゥは、戸板の前に立ち、ノックをした。
「ケラソの家のタゥだ! 揚げ物をしに来た!」
すると、戸板を開けたのは、マリアの母チヌだった。チヌはほっそりとしており、群青色の髪を左に結って朱色の糸で括っている。瞳は明るい水色で、とても三児の母には見えないくらい若々しい。
久し振りにチヌに会ったタゥは、まず一礼して見せた。
「おやまぁ、タゥも男っぷりが上がってきたねぇ。さぁ、入っとくれ。マリアはもう揚げてるからさ」
タゥは、蝋燭の明かりに照らされた室内を歩き、台所に到着した。
そこでは、マリアが揚げ物を揚げており、芳ばしい香りが漂っていた。
「あっ、タゥ! うちの分はもう終わるから! ゆっくり揚げてってよ!」
「ありがとう。しばし、かまど小屋をお借りする」
マリアが揚げているのは、野菜を千切りにしたかき揚げである。それも美味そうだな、と眺めていると、元気なマリアの声が響いた。
「ふーん。ウスルスの揚げ物とコロッケか。うちのかき揚げも美味しそうでしょ?」
「ああ。出来たら、味見させてほしい位だ」
「いいよーっ! じゃあ、一個多めに揚げるから待っててね。うちのはイプンたっぷりで甘くて美味しいよー」
そのように言ってくれたマリアの好意に感謝して、少し待った。揚げたてのかき揚げはやはり絶品で、塩がきいていて大変美味しかった。俺ならばルッケをたっぷり使いそうなところであったが、イプンたっぷりのこの一品にケチの付けようもなかった。
「美味かった。ありがとう、マリア」
「どういたしましてっ! じゃあ、タゥの分はゆっくり揚げてねー」
マリアが山ほど揚げた揚げ物を持って移動していき、煮立った油の鍋を借り受ける。
そこに持ってきた肉を入れて、揚げていく。
揚げ物を共にするようになったのは、タゥが家を分けてからだ。
タゥは揚げ物を好んでいたが、自炊がまだ板についていなくて、大量の油を使う揚げ物はなかなか出来なかった。それを見かねて、マリアが一緒に揚げ物を揚げようと、誘ってくれたのである。
お陰様を持って、少々は自炊も板についてきたタゥであるが、揚げ物に限り、今でもマリアの家を頼っている。揚げ物の油は使った後の処理に困るため、一気に揚げてしまったほうがお得なのだ。それに、揚げ物の日のたびにマリアに会えるというのも、小さからぬ喜びであった。
タゥの家の分の揚げ物が完了したため、見守っていてくれたチヌに礼を告げて、ルネーの家を出る。マリアは晩餐の準備に忙しいようで、小さく「またね」と挨拶をして、広間へと消えていった。
自宅に戻り、揚げたての料理に舌鼓を打った。作るのは手間であるが、やはりコロッケは最高に美味しかった。そして、昨日も食べることが出来たウスルスの揚げ焼きも分厚くて最高に美味い。次に作るときはかき揚げも作ろうかと思案しつつ、パンをかじり取った。
食事が終わり、アカネの実の酒を楽しんでいたところ、慌ただしくトントンと戸板を叩く音がした。こんな夜更けに誰が訪ねてきたのかと思ったが、か細い声で聞こえた名乗りはケラソの家であった。
「ケラソの家の次姉です。族長ラピグゥ及びサランより招集する旨、申し伝えられました。本家までお越しいただけますか?」
そこまで聞いてから閂を外し、戸板を開ける。
そこには、ほっそりとした体躯の次姉が松明を持って佇んでいた。
「暗い中ご苦労だったな。族長と父が呼んでいるならばすぐに向かうが、一体、どうしたと言うのだ?」
「それは……」
次姉は言いかけて唇を噛むと、黙ってしまった。そして、「……私達は、族長に従うのみです」と、か細い声で付け加えた。
まだ11歳の幼き次姉だ。こんな所で問い質しても得るものはなさそうだと判じ、外出に備えて身支度を整えた。
「待たせたな。行こう」
そうして自らも松明を持ったタゥは、とっぷりと暮れた夜の闇に飛び込んだ。
後から考えても行かないという選択肢はなかったのだから、どうしようもない事だったのだと、俺は思うのだ。
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