サマートライアングル

 寝静まった牽牛に近づく1つの影。

 その蝋燭の影には鵠星の顔が映し出されている。


「…誰だ」

「…」


 牽牛は起き上がって辺りを見回して自分の動向を見守る火影を確認し、腰の曲刀を抜く。


「何者だ。名乗れ」

「…名乗るまでもない」


 そして風が靡き、陽炎によって歪んだ鵠星の顔が牽牛にも補足された。


「鵠星!」

「…」

「くそっ!」


 それを見た牽牛は斬りかかる。

 しかしそれを見切り剣はかわされ、あべこべに牽牛の体を剣が斜めに突き抜けた。


 牽牛は地に落ち、腕はあらぬ方向に曲がった。


「しょ、織女…」


 だが、なおも牽牛は起き上がり先を目指そうとする。



 彼女は僕がそばに居るだけでいいって言ってくれた。

 移動も辛い彼女はきっとまた今頃あの楼閣を出発したのだろう。


 期日は近い。


 早くいかなければ。


 早くいかなければ、彼女は…



「…悪く思うなよ」


 男はまた一閃。




 満身創痍の牽牛の頭が舞った。



 ‐‐



 織女は思う。

 鵠星の天帝への告げ口さえ無ければと。


 思っても仕方がないことは十分にわかっているのに、それもわかっているのに。

 それさえなければ今も牽牛と二人で暮らしながら織物を織って暮らせるのにと。


 織女は思う。


 早く牽牛が来て、私のことを抱きしめてほしいと。

 なんなら抱きしめてくれなくてもいい。


 少し話すだけ、少しだけ景色を共有するだけでいい。

 夜空だけを共有するのはもう耐えられない。



「ここの景色って水があったほうがもっと美しいのよ?あなたにも見て欲しいなぁ」


 ってわたしが言ったら、きっと彼は


「ふぅん。そうだね。僕も見たいよ」


 なんて月並みのことを言って笑うんだろう。



 その笑顔が見たい。それだけでいい。





 彼女はおしろいを塗り直しながら必死に牽牛の帰りを待つ。





 その身が朽ち果てる、その時まで。



 --



「はあっ、はあっ…」


 起伏の多い森林を掛ける男がいた。



 その名を鵠星。



 彼の腕には鷹が乗っている。


「シギ!」


 斜面で脚を固定した鵠星は鷹を放ち、前へと進む。

 情報収集だ。


「そこまでだ!鵠星!」


 だがその努力も虚しく、追っ手は着実に鵠星の元へと迫ってきている。


 そしてその距離がどんどん近くなっていることも、鵠星にはわかっていた。



「追っ手よ!もう、もうよい!」


 覚悟を決めた鵠星は振り返り、追っ手に呼びかける。


「おお!もう覚悟を決めたか!こちらへ降る覚悟を!」

「私はお前らがなにかは知らない!」


 鵠星は叫ぶ。


「そして!想い人と親友を汚す奴らに伝える情報はない!」

「だがお前はあの女と、その婿を裏切ったではないか!」


 追っ手も叫ぶ。


「確かに私は天帝に告げ口をした!」

「では…」

「だがそれは、私が親友を思ってのことだ!」



 あの時の牽牛は、死相が浮かんでいた。



 妻が倒れ、だが治す手立てもなく、日々衰弱していく最愛の妻を見て、また衰弱する牽牛。

 介護に追われ、仕事を放りだしてまでつきっきりで妻と過ごす牽牛。


 それを見て鵠星は恋敵であるというのに牽牛を哀れに思った。


 確かに、牽牛は鵠星にとっての恋敵であり、和解のできないところまで亀裂は入っていた。



 だが鵠星は、単純な男なのだ。

 彼はどんどんと親友が衰弱し、今にも死にそうな状況を、良しとしなかったのだ。


 確かに沢山織女を巡って牽牛と喧嘩し、口論でどちらも言ってはいけない言葉を口にし、もう話したくないとさえ思っていた。


 だが、それにももう疲れたのだ。



 心の奥底では、牽牛と遊んだあの日々を忘れることもないし、酸いも甘いも共に経験した牽牛と仲違いする方が、織女が自分のものでないことよりも許しがたかった。



 鵠星は空っぽになった牽牛の代わりに天帝に頼み込み、織女の解毒を申し出た。

 そして、織女は回復し、その代わりに織女、牽牛、鵠星には罰として労働が課せられた。



 自分だけが損をした形になった鵠星だが、それでも彼の心は晴れていたのだ。




「たとえどのような恥辱に耐えようとも、私が口を開くことはないぞ。追っ手よ」

「なっ!」


 そして牽牛は携えていた毒をその場で飲み、右手を天に伸ばし、その手には鷹が舞い降りた。



「牽牛よ…私は今でも、織女にふさわしいのはこの私であると…自負して…おるぞ……」



 そう言い残し、鵠星の右手は落ち、体も地に落ちる。





 彼の死に顔には、笑顔が咲いていた。

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