第7話
月曜日は音楽をかけない無音の日。常連の老人がそれなりに来店して話に花を咲かせたり、新聞を読んだりと思い思いの老後を過ごしている。
そんな中、カランカランと扉の開いた音がする。入口の方を見ると、初めて見る女性が来店していた。
薄手のニットを着て強調されている抜群のスタイルが目を引く人だった。
その人はキョロキョロと店内を見渡しながらカウンター席の前までやってくる。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
女性が俺の方を向いた。この店には似つかわしくない正統派の美女。
その人は俺を見ると何故か少しだけ表情が強張った。
「カフェラテ、ホットでお願いします」
オーダーをしながらカウンター席にその人が座る。
「かしこまりました」と言って準備を始めるも、ずっと女性の視線が俺に向いていることが気になる。
ちらっと彼女の方を見ると、見ていたことを誤魔化すようにプイッと目を逸らされた。
これは……まさか一目惚れというやつなのか!?
萌夏の言っていた『喫茶店のマスターはモテる』という話がついに現実に起こり始めたのかと思い、手つきがぎこちなくなる。
何度かやり直していると、また誰かが来店した。店の出入り口を見ると萌夏が立っていた。
まだ昼前なので萌夏にしては早起きしたんだろう。いつものように寝起きという感じの気だるそうな顔をしていた。
「いらっしゃい、萌夏ちゃ――」
萌夏は店内を見ると何故か店からすぐにでていってしまった。
その様子を見ていたカウンター席の女性は「ここだったかぁ……」と呟いた。どうやら萌夏に関係のある人らしい。
「あの……すみません。萌夏ちゃんの知り合いなんですか?」
たまらず女性に尋ねてしまう。
「あー……まぁ……知り合いというか……そんな感じです」
「へぇ……」
「萌夏、ここによく来るんですか?」
「お客様のことはお教えできませんね」
本当はそんなポリシーはないが、さすがに怪しい。俺が誤魔化すと女性は1枚の名刺を俺に渡してきた。
そこには『カリンビアレコード チーフマネージャー
ヨネ、つまり萌夏の所属するレコード会社の人だ。
まさか……萌夏のマネージャーだったりするんだろうか。
「立場で言動は変わりませんよ」
俺がそう言いながらカフェラテを出すと、湖中さんは笑いながら頷いた。怪しい人かどうかという観点での警戒はしなくて良さそうだが、ここに来た理由がわからないのでまだ安心はできない。
「そうでしょうね。まぁ、私は怪しい者じゃないです。探偵とかストーカーとか、そういう類じゃないですよってこと」
こんな美人な探偵がいてたまるか。尾行の時に人の目を引きすぎるだろう。
こんな美人なストーカーがいてたまるか。付け狙われる人が羨ましすぎるだろう。
そんな言葉は表には出さずにニッコリと笑って無言で返事をする。
「ここ、タバコは?」
「禁煙なんです」
湖中さんが、そんなわけ無いだろう、と言いたげに店内をぐるりと見渡して壁紙のヤニのつき具合を確認した。
俺が「一年前から」と補足をすると諦めたように頷き、また俺に「ねぇねぇ」と話しかけてくる。
「ここ、顎髭を生やした店員さんっています?」
もう絶対にこの人が萌夏の担当じゃん、と丸わかりな質問につい笑いが出てしまう。
「店員は俺ともう一人、高校生の女の子だけですね」
「顎髭を生やした女子高生……なわけないか」
「俺は最近剃ったんですよ、顎髭」
俺がそう言うと湖中さんは頭を抱えて「こいつかー……」と呟いた。
萌夏は俺のことをどういう伝え方をしているんだ!?
「なっ……何でしょうか?」
「いや……こっちの話で……ってどこまで知ってるんですか?」
湖中さんは確かめるように尋ねてくる。
俺は湖中さんに渡された名刺をカウンターに置いて社名を指さしながら、『お』の口と『ね』の口を交互に作って「ヨネ」と声を出さずに伝える。
それで湖中さんには伝わったようで「彼氏?」と聞いてきた。
「べっ……別にそんなんじゃないですよ!? たっ、ただの常連になりかけのお客様ですから」
「ツンデレじゃんっ……ってツンデレ? ツンデレの眼鏡のおっさん……やっぱりこいつかぁ……」
「心の声、漏れてますよ」
店内にいるのは俺達以外は老人ばかり。しかも自分達の世界に入っているので俺たちがいくら話をしても聞いちゃいないだろうが、念のために声を落とす。
「まぁ別になんてことない仕事の愚痴ですよ。誰とは言いませんけどね」
湖中さんはそう言って俺に話を聞けと伝えてくる。
「私、ある会社でマネージャーをしてて。最近担当し始めた子がスランプになってるんです。仕事ができないって。近々節目があって色んな仕込みもあるのに」
「少し待つしかないんじゃないですか? 焦らせても余計悪化するかも」
「ま……そうなんですけどね……ゆっくりするのはいいけど何するの? って聞いたら推しのマスターに毎日会いに行くって言われちゃって。いや、それは違くない!? って思って」
「あはっ……あははは……」
それは湖中さんが正論だ。もうちょっと萌夏は取り繕ってほしいところ。
「まぁ……昨日はピアノが弾けるようになったってはしゃいでるし、話してる途中に曲が降りてきた! ってバタバタしながら録音したりしてましたよ。苦しんでる中でも光が見えてきてるんだと思います」
俺がここ最近の萌夏のことを教えると湖中さんはしばらく考え込んだ後に「うん」と言って頷いた。
「ま、ここなら大丈夫か」
「任せてっていえる立場じゃないですけど、見守りくらいはしますよ。お客様として来てくれる間は」
別に萌夏とどうこうなるつもりもないが、困っている人を放っておくこともできない。そういう意味で本心を伝えると湖中さんはまた頷いた。
「また、ちょくちょく来ます。様子を聞かせてください」
「分かりました」
そこで話は終了。
湖中さんは少しだけくつろぐと、「現実に戻らなきゃ」と言って店を出ていった。相応に忙しい人なんだろう。
◆
夜になり、閉店時間まで後20分というところ。ラストオーダーを終えた店内はがらんとして誰もいない。
本来ならこのまま店じまいをしてしまいたいところだが、昼間に来店してすぐに帰っていった萌夏が心配で店を閉めずにいた。
その時、カランカランと出入り口の扉に取り付けた鈴がなった。
しかし、出入り口を見ても誰も立っていない。不思議に思いながら扉に近づくと、僅かに空いた隙間から誰かが店内を覗き込んでいた。
「うわっ……って萌夏ちゃんかよ」
よく見ると覗き込んでいたのは萌夏だった。
「湖中さん、帰った?」
「帰ったよ。閉店ギリギリまでいるのは萌夏ちゃんくらいだからな……」
「良かった。昼前に来てみたんだけど、まさかここにいるとは思わなくて。びっくりして帰っちゃったんだよね」
「そういうことか……で、何か飲んでくか?」
俺がそう言うと萌夏は真顔で頷き、扉を開けた。
「大将、やってる?」
萌夏は冗談めかしてそう言いながら見えない暖簾をくぐって店内に入ってくる。
「うちは喫茶店だ。寿司屋じゃないぞ。大将じゃなくてマスターな」
「あ、もうラストオーダー終わってるね。いいの?」
「大将がいいって言ってるからいいんだよ」
「マスターじゃないんだ。あれ? もしかして……私を待ってた?」
「べっ、別にそんなんじゃないぞ! 新メニューを試してたんだよ!」
萌夏はニヤけながら「ふぅん」と言うとキッチンを覗き込む。帰り支度は済ませていたので、キッチンは綺麗なものだ。
萌夏はキッチンから戻って来ると、笑いながら「ツンデレ〜」と言って俺を指さしてきた。
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