━KENGEKI━

ALLIWANT

第1話

「本当に今夜例の辻斬りが現れるのか?」


「ああ。」


「なんでそう言い切れる。」


「私の勘だ。」


「おいおい大丈夫かよ…」


町奉行の鷹馬庄三郎たかばしょうさぶろうと、ボロボロの着物をきた、髷すら結っていない浪人の身なりをした男、真壁源内まかべげんないは街の外れの道を歩いていた。


中秋の名月とはよく言ったもので、夜空には星が見えないほどに輝いている満月が浮かび、路肩にはすすきが生い茂っている。


「にしても、ここのお奉行ってのはよほど人手不足らしいな。」


聞き耳を立てていただけの庄三郎は振り返り、源内の方に視線を向けた。


「…というのは?」


「惚けんなよ。辻斬り野郎をとっちめようってんなら手前てめェらだけで行きゃ良い話だろ。あの町の治安も悪そうには見えなかったしな。」


数秒、沈黙の時間が流れたと思うと、庄三郎は再び前を向いて軽く鼻を鳴らした。


「ふっ、そんなことか。」


「…図星ってわけじゃなさそうだな。」


「このことを貴様に言うのもなんだがな、町民や百姓を切り捨てているだけならそうしていただろうが、今回の辻斬りは牢人ばかりを狙っている。それに、かれこれもう十八人が斬られた。恐らく余程の手練れだろう。」


庄三郎のぶら提灯を握る手に力が籠る。


「なるほど。町外れの奉行所の頭数を減らすわけにもいかねぇから、いくらでも替えが利く俺らみたいなヤツを使うってワケね。」


「うむ、その通り。」


「お奉行様が直接出張ってくるとは精の出るこって…」


「あの奉行所の中じゃあ、私の腕が一番立つからな。」


「へぇ…にしても、浪人が浪人斬りねぇ。因果な話というかなんというか…」


また暫く二人で歩いていると、今度は庄三郎の方から口を開いた。


「お前は何故、牢人なんかに?」


「なんだ取り調べか?ここは穿鑿所せんさくじょなんかじゃ無いと思ってたが。」


「唯気になっただけだ。答えたく無いなら別に良い。」


「そんなんじゃねぇよ。ったく、これだからお役人ってのは…」


男は少し諌めるような口ぶりになる。


「その昔…関ヶ原で戦ってた頃はそりゃもう鬼神と恐れられるくらいの侍だったんだが、生傷の絶えない戦いをしてたもんで、それが祟ってか一遍死んでね。」


「私は別に落語も漫談も頼んだ覚えはないが。」


庄三郎は少し眉間に皺を寄せる。


「まぁ聞けって。んで、そのまま眠りこくっちまって、目覚めたら寛保になってたってわけよ。」


「…冗談にしても粗末すぎるな。つまり、貴様は百年以上も眠りこくってたってわけか?」


「まぁ、そうなるわな。俺自身もこの話が馬鹿げてると思…」


「おい、見えたか。」


庄三郎が源内の言葉を遮り、傍の薄の生えている茂みに視線をやる。


「…何んにも。」


「人影があった。追うぞ。」


「あ、おいっ!待て!」


そういってニ人は路肩へと突っ込む。


源内は庄三郎の提灯の明かりを追いかけ、暫く走っていると少し開けたところへと出た。


「はぁ、はぁ、ここに辻斬…り…が…」


そこで源内は衝撃の光景を目にした。

広がっていたのは数多の刀が地面に突き刺さり、その裾に頭蓋や朽ちかけた生首が転がった、地獄とも言える景色。


「…六、九、十二、十五…十八。なるほど、ここが墓場ってわけかい…って、あいつは何処いった…」


そう呟いた刹那、男の後ろから剣戟が煌めいた。

源内は素早く身を返してその一閃を避け、庄三郎の間合いから出た。


「牢人の癖に一丁前に躱わすか。小癪なヤツめ。」


「おうおう、お奉行様が随分と卑怯臭い真似をするじゃないの。」


月明かりに照らされ、庄三郎の全身が現れる。

源内へと身体を向けて中段の構えで刀を握り、狂気の宿ったような目で男の姿を捉えていた。


「つまりなにかい、辻斬りの正体はアンタってわけかい。」


「ああ。かれこれ六十以上は斬ったな。」


庄三郎は不気味な笑みを浮かべ、構えを解いて自身の持つ刀の刃を見惚れたように眺めていた。


「…ここの墓場には十八人しかいないぜ。」


「こんな田舎に来る前は公儀に勤めていたのだがな、あっちでも牢人を切り伏せていたらそれを咎められ、齢四十八の私はこんな僻地まで飛ばされたのだ。」


「へっ、辻斬りの相場は引回しか死罪だろ。なんでお前がここに立ってるんだよ。」


「言ったろう、私は元公儀の者だ。加えて、私が斬ったのは先の洪水の際に狼藉を働いた牢人と、その仲間と私が判断した者どもだ。それもあって内々での計らいで御免になった。」


「へぇ、そりゃあご苦労だったな。じゃあ、アンタが斬ったこの十八人も咎人か?」


「いいや、無辜の者どもだ。」


月に雲がかかり、奉行の顔にも闇がかかる。


「…話が見えてこねぇな。」


「実を言うと、私は牢人というものが昔からどうにも嫌いでね。件の洪水の時に覚えたあの感覚が忘れられ無かったのだ。」


庄三郎は再び剣を構えると、源内はそれに対して腰に刺した見るからに古い刀の柄を握った。


「ふっ、大人しく斬られれば良いものを…」


「生憎俺にはやらなきゃならんことがあるんだ。こんなとこで死ぬわけにはいかんのよ。」


源内の刀を握る手に力が入り、それに呼応するように源内の身体中に古傷と思わしき切創の痕や銃痕が浮かび上がり、辺りを纏った空気が変わり、奉行の目の色が変わる。


刀が鞘の中で上に下に揺れて、ヤスリをかけているような音を立てながら刃が現れる。

源内が抜いた刀は刃毀はこぼれのひどい、所々に赤茶色の錆がついて鈍く光っているものだった。


「貴様もやはり牢人に過ぎないようだ。武士の魂であり、矜持である刀の手入れすらまともに出来ていない。」


「……」


「…不愉快だ。とっとと…」

「死ね!!!」


その言葉と共に庄三郎は地面を蹴とばす。稲光のような踏み込みだった。


庄三郎が距離を詰め、刀を振り下ろそうとした次の瞬間、源内の刀が迸り、毀れた刃が庄三郎の人中へ


庄三郎の頭は後ろへのけぞり、それにつられて体も後ろへとよろめく。

口元からは血とともに一本、また一本と前歯が抜け落ち、穴の空いた人中からは歯抜けの口腔内が見えるようだった。


しかし、そんなこともお構いなしに、源内は庄三郎目掛けて突きを放った。


刃先が庄三郎の左肩へ入り込み、貫きかける直前、奉行は右手で刀を薙ぎ、源内に距離を取らせた。


「まだ足りてねぇな。」


「くそ…っ!」


庄三郎は再び中段に刀を構え直す。

その様子を目にするや否や、今度は源内の方から踏み込んで行った。


その脚力の強さに、地面に西瓜ほどの穴が開く。

庄三郎が源内の姿を捉えた時には既に、懐に入られていた。


「ッしああぁぁぁッ!!!」


源内の刀は庄三郎の脇腹を捉え、袈裟を斬り上げんと刃が段々と奉行の芯の方へ入っていく。


刃毀によって刀はなまくらとなっているため、切ると言うよりこそぐようにしながら脇腹の筋肉をかき分けるようにしてゆっくりと身体を登ってく。庄三郎はその激痛に仁王像の阿形あぎょうのような表情を浮かべている。


それとは対照的に源内は、噴き出る血を浴びるのも構わず、澄ましたような顔でただじっくりとその刃を血飛沫にあてがうようにしていた。


「ッ!アアあぁぁっ!!!」


庄三郎はそれに耐えかねてか叫び声をあげ、屈んでいる形になっている源内の頭上目掛けて肘を振り下ろす。


その一瞬で源内は刀を逆手に持ち替え、庄三郎に背を向けるようにしながらくるりと身を回して距離をとった。


互いの距離が土俵の縁と縁ほどに離れたところで、

源内は再び刀身を見遣る。


「やっと戻ってきたか。」


「さっきから、何をブツブツと…!」


脂汗を浮かべ、息も絶え絶えになりながら、庄三郎は乱暴に問いを投げかけた。


「あぁ、言ってなかったな。実は俺の刀、妖刀なんだ。」

「血を浴びれば浴びるほど、切れ味も上がっていく妖刀。逆に血をやらなければ切れ味も落ちていくし、どんな刀工が砥ごうと切れ味は変わることはない。」


ふと、刀に視線を負けると、先程まで錆びつき、刃毀して鈍く光っていた筈の源内の刀身は、空の天辺に浮かんだ満月の光を鏡のように反射し、鋭く煌めいていた。


源内の目に、血の気の引いて青白くなった顔の庄三郎が映る。


源内は刀身をぱちりと音をたてて鞘にしまい、居合の形で構えなおした。


「そろそろ…終いにするか?」


「巫山戯…やがってえぇえぇぇぇ!!!」


庄三郎は右手のみで刀を上段に構え、源内に向かって走る。しかし、すでに手負となっている所為でもうまともな速度で走ることも出来なくなっていた。


庄三郎の身体が男の間合へ入ったと同時、源内は上げていた腕を、今まで以上の速度で振り下ろす。

しかし、迸ったのは剣戟ではなく血飛沫だった。


「…は?」


庄三郎は自身の右腕を見る。そこには、自身の刀も、それを握っていた手と前腕の半分がなくなっていた。


庄三郎は源内をみる。そこには、既に抜刀しきった男の姿があった。


振り下ろした際になぜ今まで以上の速度が出たのか。その理由を目に見える形で突きつけられたのだった。


次の瞬間、庄三郎の目の前に刀を握った、自身の右腕だったものが落ちる。


右腕は無い。左腕を動かせば脇腹の傷口が開いて失血死。その事実に庄三郎は深く絶望し、腰を抜かしたようにして地面に倒れ込んだ。


「ぁぁっ…ああっ…」


先程までの面影はどこにもなく、哀れとも言える表情を浮かべて惨めな声をあげている。


源内は刃先を庄三郎に向けながら、ゆっくりとにじりよって距離を詰めていく。


庄三郎は無い右腕を必死に振り、左手で地面を手繰りながら後ずさった。


暫く後ずさった所で、庄三郎は何かが左手に触れるのを感じた。庄三郎は確かめもせずにそれを男の方へと投げようとする。

しかし、糸のようなものが指に絡まって投げることが出来なかった。


「あ?」


庄三郎は自身が握った物を見る。そこにあったのは、自身の指に絡まった髪の毛と、その主人のかつて自身が屠った浪人の生首。


その首は恨めしそうな表情を浮かべながら、庄三郎の方を向いている。


庄三郎は声にならない叫び声をあげ、力なく左腕を落とした。


そして、秋風に冷まされた冷たい刃先が、庄三郎の首元へ当てられる。

少し触れた程度だったが、薄皮は切れて少し血が滴った。


「お前よ、俺に散々武士道だなんだほざいてたが、そういうあんたはどうだったんだ?」

「狼藉を働いた奴らを斬り捨てたのは間違ってたとは言えねえ。けど、その仲間と"お前"が判断したヤツも斬ったといったな。」

理解わかるぜ、何ていうか、大義名分を得た気持ちになるよな。だが、それをやっちゃあ立派な武士もののふも外道に堕ちちまう。俺はそういう奴も何人も戦場いくさばで見てきたからな。」

「結局お前も、自分のことしか見えてなかったんだよ。ただ自分を満たすために力を振るう、一端の外道に成り下がってたんだ。」

「……もう直ぐとどめを刺す。何か言葉を残すか?」


「………」


「……そうか。」


源内は、一振りで庄三郎の首を撥ねた。


血を纏ったままの刃を鞘にしまう。先程まで浮かんでいた古傷もすっかり引いていた。


血に塗れた自身の服と辺りに一瞥をくれると、気だるげな顔をして、通りに出る為に薄の茂みへと分け入った。


「あぁ、俺お尋ね者になっちまった。」

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