【毎日13時投稿】レプコンの闇 - ワクチンパンデミック

湊 町(みなと まち)

第1話 静かなる死

夜のUDIラボは、不気味なほど静かだった。いつもならば、解剖を終えたスタッフたちがそれぞれ帰路につくはずの時間。しかし、今日のラボには異様な空気が漂っていた。深夜2時を回ったばかりだというのに、ラボ全体が何か重いものに包まれているかのようだった。


三澄ミコトは解剖室に向かって歩きながら、心の中で次々と疑問が湧き上がるのを感じていた。神倉所長からの一報、それは想像以上に不吉なものだった。28歳の男性が、新型ワクチン「レプコン」の接種後に急死した。発見された時にはすでに心臓は停止し、原因不明のまま遺体はラボに運ばれてきた。彼女はすでに何度も経験してきたはずの光景に、今夜ばかりは妙な不安を感じていた。


解剖室の扉を押し開けると、ひんやりとした空気が肌を刺した。遺体はすでに解剖台に安置され、薄い白布がかけられている。ミコトは、静かにその布を取り、男性の顔を露にした。まだ若い顔立ち、その表情には何かを訴えかけるような苦悶の色が残っている。彼は何を感じ、どのような瞬間を迎えたのだろうか。ミコトはふとそんなことを思ったが、すぐにその感情を押し殺し、医師としての冷静さを取り戻した。


「準備はいいか?」


背後から中堂系の低い声が響いた。彼もまた、このケースにただならぬものを感じ取っていた。彼の表情には、どこか張り詰めたものがあり、鋭い目つきは遺体を見据えている。彼はこういった事態に慣れているはずだった。しかし、今夜は何かが違う。


「始めましょう。」


ミコトは小さく頷き、手袋をはめると、無機質なライトのスイッチを入れた。白い光が部屋全体を照らし、解剖台の上の遺体が不気味なまでに鮮明に浮かび上がる。彼女はメスを手に取り、慎重にその刃を肌に滑らせた。皮膚の下に現れる筋肉組織、その先にある心臓へと手を進める。


切開した心臓を露わにした瞬間、ミコトの手が止まった。そこには、見慣れない黒い斑点が広がっていた。心筋の一部が溶け出しているかのように崩壊している。それは通常の心筋梗塞や急性心不全とは全く異なる異常な所見だった。


「これは……」


ミコトは言葉を失い、次に何をするべきか瞬時に判断することができなかった。中堂が彼女の肩越しに心臓を覗き込む。彼の表情がわずかに変わり、目の奥に鋭い光が宿る。


「心筋融解……」


中堂の口から絞り出されるように出た言葉。それは、彼女が心の中で考えていたことそのものだった。心筋融解症、それも急速に進行したものである可能性が高い。彼らの頭の中には、レプコンワクチンの副作用という文字が浮かんでいた。しかし、ただの副作用でこんなことが起こり得るのか。


「続けるわ。」


ミコトは手を震わせることなく、心筋の一部を慎重に採取し、顕微鏡検査のためにプレパラートに移した。彼女の動きは冷静だったが、その心臓は不安と疑念に包まれていた。顕微鏡に覗き込むと、さらに恐ろしい光景が広がっていた。細胞の形状が崩れ、まるで何かに浸食されたかのように破壊されている。


「中堂、見て。」


ミコトの声に、中堂も顕微鏡を覗き込む。彼の表情が硬直し、何かを押し殺すように唇を噛んだ。


「これは……ただの副作用じゃない。」


彼らの目の前にあるのは、異常なまでの筋細胞の破壊。それはまるで、何かが体内から心筋を蝕み、破壊し尽くしたかのようだ。彼らはすぐに、レプコンワクチンの詳細な成分やその効果についての資料を頭に浮かべる。しかし、これほどまでに急速に心筋を溶解させる成分が含まれているとは考えにくい。


「可能性を探るしかないわ。」


ミコトは深く息を吸い込み、考えを巡らせる。科学者としての冷静さを保ちながらも、彼女の心には一つの疑問が突き刺さる。この死は偶然なのか、それとも――


その時、解剖室のドアが乱暴に開かれた。東海林が駆け込んでくる。その表情は明らかに緊張に満ちていた。


「所長が……厚生省から、今すぐ調査を中止するようにって。」


空気が一瞬で凍りつく。彼らの直感に警鐘が鳴り響く。調査の中止、それはすなわち、この事態が単なる「事故」ではないことを意味している。ミコトは東海林の言葉を聞きながら、ゆっくりと立ち上がり、解剖台を見つめた。


「中止なんてできるわけない。」


ミコトの目には、確固たる決意が宿っている。彼女はこの死の真相を突き止めなければならない。たとえ、それがどれほど困難で危険な道であっても。


「続けなさい。」


神倉所長の声が背後から響く。彼の表情は厳しく、しかしその声には揺るぎない信念が込められている。UDIラボの使命は、不自然死の真相を究明すること。それがたとえ、国家権力と対立する道であっても。


ミコトは再びメスを手に取った。心臓のさらなる奥深くへと、彼女の目は真実を求めて研ぎ澄まされる。彼女は知っている。この先に待つのは、容易ならざる闇との戦いだということを。しかし、その闇の中にこそ、真実が隠されているのだ。

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