第2話アデリーヌの光と影

アデリーヌは、メイドのマリーが用意した馬車に乗り込むと、屋敷を出た数日前のことを思い返していた。貴族の身分を捨て、平民としての生活を選ぶ決意を固めた時のことだ。両親は涙ながらに彼女を引き留めようとしたが、アデリーヌは決して心変わりすることはなかった。


「お父様、お母様、もう私は貴族としての生活は望んでいません。お祖母様のように尊厳を持ち続けることは、私にはできません。私がお二人に愛されていないと気づいたその日から、この家を離れると決めていました。」


父親は激しく首を振った。「そんなことはない!お前は私たちの大切な娘だ!」


母親は泣きじゃくりながら言った。「アデリーヌ、どうか許して。あなたを傷つけ、苦しめたことを深く後悔しているわ。貴族籍を捨てるなんて言わないで。私たちをあなたの親でいさせて。愛しているわ、本当に愛しているのよ!」


アデリーヌは両親に深く一礼し、「私は自由な人生を望んでいます。成人として、自分の道を歩む時が来ました。その人生には、お父様もお母様も、そしてエリーヌも必要ありません。ですが、私を育ててくれた侯爵家には感謝しています。ありがとうございました。さようなら」と言い残し、使用人たちに促されるままに屋敷を後にした。母親は床に崩れ落ち、「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返し泣いた。父親は妻を優しく抱きしめた。しかし、アデリーヌの決意は固く、振り返ることはなかった。


使用人達は先に新しい家に向かった。けっして大きくは無いが、さりとて小さくも無い、ほどほどの家。メイドのマリーと他3名の使用人達と暮らせる家。アデリーヌはそのほどほどの家が大層気に入っている。今の自分にはちょうどいいと思っているのだ。


マリーが用意した馬車が玄関に止まっていた。家令とメイド長をはじめ他の使用人達が並んで頭を下げていた。アデリーヌは少し驚いて家令に声をかけた。「見送ってくれるの?」


家令は頭を下げたまま「申し訳ございませんでした。大奥様の意向には逆らえませんでした。」と言った。


アデリーヌは「皆、もういいのよ。頭を上げなさい。わかっているわ。そうね。お祖母様には逆らえないわよね。でも…お祖母様はなぜ私を両親と引き離したのかしら?」と問いかけた。


特別にアデリーヌを可愛がった訳でも無かった。暴力こそはふるわれなかったが、無関心だったし素っ気なかった。アデリーナは首を傾げた。


「…嫌がらせで御座いましょう。」と家令が言った。


「大奥様はそれは旦那様を溺愛しておりました。厳しくお育てになってはおりましたが、可愛がっておいででした。けれど奥様とお付き合いされてから旦那様は奥様一筋に。それがお気に召さなかったのでしょう。反対なされても旦那様と奥様は、お二人だけで式を挙げてしまわれました。その時の大奥様のお怒りは言葉では言い尽くせません。奥様のご実家が男爵家と言う事も許せ無かったのでしょう。大奥様が奥様の存在を許せず、苦しめるためにアデリーヌ様を引き離したのではないかと。」


アデリーヌは多分それが全てではないだろうが、必ずしも間違っているわけではないと思った。今更、それがわかったところで過ぎてしまった時間は戻らない。「もうどうでもいい事よね」と言うとアデリーヌは馬車に乗った。家令たちが揃って一礼した。馬車はゆっくりと動き出した。


アデリーヌは、馬車の窓から遠ざかる屋敷の門を静かに眺めた。自由という名の新しい道が彼女の前に広がっている。家族との絆を断ち切るという選択に後悔は無い。過去の束縛から解放された喜びが芽生えていた。彼女は自分の選んだ道に自信を持ち、未来への一歩を今この時、踏み出すのだ。


アデリーヌの生活も落ち着き、彼女が起ち上げた商会も順調だった。マリーや使用人達との生活は楽しく穏やかな幸せな日々だった。それでも彼女は、自分が見捨てられた悲しみは時間が経つにつれて深まるばかりだった。


「なぜ、私を愛してくれなかったの?」アデリーヌは小さくつぶやいた。彼女の部屋には過去の影がちらつき、孤独感が満ちていた。成功を築いたとはいえ、家族の愛の欠如は彼女の心に大きな空洞を作り出していた。


ある日、両親からの手紙が届いた。手紙には彼らの謝罪と、娘への愛情が綴られていた。しかし、アデリーヌはその手紙を読むことができなかった。彼女は手紙を机の引き出しにしまい、鍵をかけた。「許すことができない」とアデリーヌは心の中で繰り返した。両親が自分を見捨てたことを忘れることができ無い。その時の不安や怒りや孤独の辛さを思い出し、許すことができなかった。


その夜、アデリーヌは夢を見た。夢の中で、彼女は幼い頃に戻り、両親と幸せな時間を過ごしていた。しかし、夢から覚めると、現実の寂しさが彼女を再び包み込んだ。


アデリーヌは窓の外を見つめながら、深く溜息をついた。自らの手で商会を立ち上げ、着実に繁栄の道を歩んでいた。母親の悲しむ顔や苦悩した父親の顔を思い浮かべるにつれ、過去の屋敷での出来事が頭をよぎった。特にメイドのリリーが意地悪く、エリーヌのことをいちいち報告していた日々のことが思い出された。


「お嬢様、エリーヌお嬢様とご両親が揃って外出なさいました。とても楽しそうでしたよ。」「エリーヌお嬢様はご家族でお誕生日を祝っておりました。」


リリーはアデリーヌとエリーヌが一度も会ったことがないことをよく知りながら、エリーヌの名前を連呼し続けた。


お祖母様からエリーヌの愛嬌の良さと、父に似た面差しを比べられ、アデリーヌは「母親に似て可愛げが無い」と良く叱責されていた。アデリーヌにとって、それは消える事の無い心の傷となった。


結局リリーはクビになったものの、アデリーヌのキズ付いた心は、いまだに癒えない。家族から見捨てられていた。そんな辛い現実が、アデリーヌの胸を鋭く刺した。成功を手にしても、過去の出来事は消え去ることはない。アデリーヌはくしゃりと顔を歪め、涙があふれ落ちるのを手で抑えた。両親に振り向かれなかった孤独な日々の記憶が、いまも彼女の心を苦しめる。


アデリーヌは、自分の心がまだ両親を許せないことを知りながらも、家族への愛が残っていることを感じていた。彼女はその感情と向き合い、自分自身と両親との間にある壁を乗り越えるための答えを探し始めた。


そして、ある日、アデリーヌは決心をした。彼女は両親に会い、自分の気持ちを正直に伝えることにした。それは簡単なことではなかったが、アデリーヌは自分の心の平和を取り戻すために、その一歩を勇気を出して踏み出そうと決めたのだ。


エリーヌは成長するにつれ、姉アデリーヌの存在を少しずつ理解していった。しかし、姉との絆を深めることはできなかった。ただ、いつか姉と和解できる日が来ることを夢見ていた。貴族生活の中で、姉の影は控えめながらも存在し続けていた






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