第26話
会いたいと言いながらも美咲からは、忙しいから会えないと連絡が来た。
さすがに何度か会って、蔵之介も美咲が芸能人だと理解した。
そして、驚いたことに大和と言っていた女優さんであると理解した。
なので、少しだけサプライズをすることにした。
夜の撮影現場は、人工的なライトの明かりで昼間のように明るく、秋の冷たい空気がピリリと肌に感じられた。
スタッフたちはカメラや機材を手に走り回り、監督の指示が飛び交う。忙しさと緊張感が入り混じった現場の空気は独特で、ドラマの世界が現実と交差する場所だった。
蔵之介は、少し離れたところでその様子を眺めていた。
芸能人、橘美咲が大勢の人々に見つめながらドラマの撮影をしている。
サプライズで会いに来たのだが、まさかエキストラとして現場に参加することになるとは思っていなかった。
彼女に声をかけることもできないまま、彼は古風な街並みのセットを見つめていた。石畳の道やレンガの壁がリアルに再現されている。
「まさか、こんな形で参加することになるとは…」
蔵之介は苦笑しつつ、淡い光を浴びながら準備を進めるスタッフたちを見渡した。
橘美咲は忙しそうにスタッフと話していた。
彼女の姿はどこか以前と違い、大人の女優としてのオーラをまとっている。髪は少し短くなり、淡いメイクがその美しさを引き立てていた。
蔵之介はしばらく美咲の姿を見つめていたが、彼女は蔵之介の姿にまだ気づいていない様子だった。
「橘さん、準備OKです!」
スタッフの一人が声をかけ、美咲は頷いて演技に入ろうとする。ふと、その瞬間、彼女の目が蔵之介に留まった。
最初は気づかないようだったが、彼がじっと見つめていることに気づいた瞬間、彼女の表情が少し緩んだ。
美咲は驚いたように目を見開き、一瞬動きを止めた。彼女の目には、少し前までの蔵之介とは違う、洗練された雰囲気を持った彼が映っていた。
服装も髪型も、以前よりもスタイリッシュになっており、その成長に驚きを隠せない様子だった。
美咲は撮影が始まる直前だったこともあり、何も言わずに蔵之介の前を通り過ぎていった。
チラリと振り返った彼女に、蔵之介は柔らかく微笑んだ。
美咲は一瞬驚きの表情を浮かべたが、その後すぐに口元がニヤリと持ち上がり、彼の予想外の登場にどこか嬉しそうだった。
美咲は少し恥ずかしそうに目をそらしたが、その表情は柔らかく、彼に対する喜びを隠しきれていないようだった。
ドラマの撮影が始まる。
蔵之介は現場の衣装担当から衣装を渡され、古風な衣装に身を包むんでいた。
セットの中で彼は通行人として美咲とすれ違う場面を演じることになり、短いながらも意外な形で彼女と共演することになった。
美咲は彼を見て、少し笑みを浮かべながら言った。
「意外に似合ってるわね」
すれ違うタイミングで美咲が声をかけた。
「でも、私の隣に立つにはもう少し努力が必要かもね?」
「それは厳しいな」
蔵之介は苦笑しながらも、美咲の言葉に苦笑いを浮かべる。
彼女の言葉には、冗談だけでなく、どこか本気の期待も感じられたからだ。
共演の場面は短かったが、蔵之介にとっては特別な時間となった。美咲は、そんな蔵之介の姿を見てどこか誇らしげな顔をしていた。
撮影が終わり、セットのライトが落ちると、二人は夜の寒空の下、並んで歩いていた。
美咲は先ほどの共演のシーンを振り返り、どこかニヤニヤしながら言った。
「あの時、気づいてなかったけど。蔵之介君、変わったわね。前よりも…いい意味で」
「そうかな? 少しは成長したかもしれないけど、まだまだかな。今は勉強中なんだよ」
「勉強中?」
「うん。見た目やマナー、オシャレや自分の行動をしっかりと勉強しようと思ったんだ」
「何かあった?」
「永久就職させてもらうにしても、ただダラダラとしているやつを養いたいとは思わないと思うんだ。だから、養ってもいいと思える男になろうってね」
「ふふ、何それ」
美咲に笑われる。蔵之介も照れくさそうに笑った。
「でも、私にはちゃんとわかるわよ。少し前までのあなたとは違うって」
美咲の言葉に、蔵之介は心の中で自分の努力が実を結んだことを感じ、どこか満足げに頷いた。
「でも、どうしてここに来てくれたの? あなたは私を芸能人って知らなかったはずでしょ? それに知っても態度が変わらないのは少し腹が立つわ」
「腹が立つ?」
「そうよ。あなたは私が芸能人だと知ったのでしょ? それなのにどうして凄いとか、芸能人はやっぱり綺麗だって言わないの?」
「なんだ、褒めて欲しいの?」
「うっ?! そうじゃないけど! なんだか腹が立つわね」
年相応な態度を見せる美咲に、蔵之介は笑顔を向ける。
「君が特別扱いを望まないと思ったからだよ」
「えっ?」
「言っただろ。会いたいといつでも言えばいいって。だから、来たんだ。君が会いたいと思ってくれた。だけど、忙しくて行けない。なら、俺が行けばいい」
「あっ」
「君が特別な芸能人でも、一人ぐらいは普通に側にいる人間がいてもいいだろ?」
蔵之介の言葉に、美咲は微笑んでいた。
「仕方ないわね。側に居させてあげる」
美咲は楽しそうにそう告げた。
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