第25話

 ホテルから移動して、蔵之介はマナーを実践するために、レストランへと麗華へ誘われた。ここまでの費用は全て麗華持ちであり、財布を出そうとした蔵之介に。


「あなたは私が依頼して雇っているのよ。これは全て費用だから、財布を出さなくていいわ。私と過ごす間は」


 そう言われて、最初は戸惑いを感じたが、蔵之介は麗華のいう通りに過ごすことを決めた。


 夜のレストランはシックな雰囲気に包まれ、キャンドルの灯りがテーブルをほのかに照らしていた。


 オシャレで高級感のある店内は、少し薄暗い。窓の外には、都会の夜景が広がり、キラキラと光る車のライトや遠くのビル群が美しく見える。


 蔵之介と麗華は、豪華なフランス料理のディナーを楽しみながら、少し落ち着いた空気の中で会話をしていた。


「こういうところで食事をするの、慣れているのかしら?」


 麗華が、ワイングラスを軽く傾けながら微笑んだ。

 蔵之介は今年19歳で飲むことはできないが、麗華は20歳で、ワインの飲み方が様になっている。


「正直、あまり慣れていないんです。こういう雰囲気のいい場所に来ると、少し緊張しちゃいますね」


 蔵之介は正直に感想を伝え、苦笑いを浮かべた。麗華は飾らない蔵之介の雰囲気に微笑みを浮かべて、緊張していない優しい微笑みを浮かべている。


「ふふっ、意外ね。普段はもっと堂々としているのに、今日は頑張るのではなかったの?」


 麗華の少し意地悪な質問に、蔵之介は肩をすくめて微笑んだ。


「そうですね。俺は自分の自由に生きているだけですよ」

「自分の自由に生きている?」

「ええ、祖母の教えなんです。働くだけが人生ではない。他人の期待に応えるんじゃなくて、自分の行きたい人生を生きないさって」

「……そう」


 麗華は少し考えるそぶりを見せて、ワインを飲み干した。


「だけど、こういう場所だと、どこか居心地悪くなっちゃいますね。全然なれないです。でも、どれも美味しいことは間違いなです」


 蔵之介はマナーを守りながら、食事を楽しむ余裕があった。

 全く知識がない時よりも、多少はマナーを学んで、どうやって食事をすれば良いのかわかっているだけで食事が美味しく感じられる。


 蔵之介は少し肩をすくめて、冗談交じりに答える。


「でも、堂々として見えるのは素敵なことよ。それに、そういう自然なところが、あなたの魅力なんじゃないかしら?」


 麗華も負けずに、少し意味深な視線を彼に向ける。


 蔵之介は、ふとその言葉にドキッとした。彼女の言葉には、軽いジョークではなく、どこか本気が感じられる。それが、彼の心を少しざわつかせた。


「ありがとうございます。でも、麗華さんはやっぱり慣れているんですね。この空間に違和感がありません」


 蔵之介は、会話の流れを変えようと、話題を変えることにした。


「まあ、育った環境が環境だからね。子どもの頃から、こういうディナーにはよく参加していたわ。でも……」


 麗華は、ふとワイングラスに視線を落とし、少しだけため息をついた。


「でも?」


 蔵之介は、その続きを促すように、彼女の顔を見つめる。


「こういう場所で過ごすのは、当たり前のことになってしまっていて、時々、自分が何を楽しんでいるのかわからなくなる時があるの。期待される役割を演じているだけ……というかね」

「期待される役割、ですか?」

「そう。ずっと『お嬢様』として見られてきて、それに応えなきゃいけないっていうのが、なんだか窮屈で。だから、蔵之介くんみたいに自然体な人と一緒にいると、少しだけホッとするのよ」


 その言葉に、蔵之介は少し驚いた。麗華がそんな風に感じているとは思ってもみなかった。


「自然体、ですか……。僕なんて、ただの普通の男ですよ」

「それがいいの。私は普通の人といる方が、自分も普通でいられる気がするから」


 麗華は優しく微笑んだが、その瞳の奥には、ほんの少しの寂しさが見え隠れしていた。


「麗華さんが普通じゃないなんて、僕は思いませんけどね。むしろ、こうして自然に話せる相手がいるなら、それで十分だと思います」

「……ありがとう。蔵之介くんって、たまにすごく優しいわね」

「たまに、ですか?」


 蔵之介はわざとおどけた表情をしてみせた。


「ええ、たまによ。普段はもう少し鈍感そうに見えるから、そういうところもギャップでドキッとさせられるのかもしれないわね」


 麗華は、からかうような笑みを浮かべながら、ワイングラスを持ち上げた。


「それは……褒めてるんですか?」

「ええ、もちろん」


 二人は笑い合い、会話は次第に柔らかいものへと変わっていった。


 お互いに異なる世界で育ってきた二人だが、こうして少しずつ距離を縮めていく様子は、どこか甘酸っぱいものがあった。


「麗華さん、こういう時間って、なんだか特別な感じがしますね」

「そうね。私にとっても、ちょっとだけ特別な時間かもしれない」


 夜景がきらめく窓の外を見つめながら、二人は静かにその空気を楽しんでいた。


 蔵之介は、女性からモテようと努力をしているが、麗華からすれば背伸びをしているように見られてしまうので、自然に話をすることを選んだ。


 それが麗華が望んでいることのように思えたからだ。


 ただ、デートを重ねるほどに、麗華とはお金の関係であり、大和がいうように、好意を持たれているとはどうしても思えない。


 ただ、プロ偽彼氏でいようという蔵之介の決意だけは強くなっていた。

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