To Do or……

澄岡京樹

柄のタトゥの男

 街の喧騒がガラス越しに耳へと入ってくる——それを『あなた』は、ホワイトノイズ代わりにして読書に耽っていた。


 ——お洒落な喫茶店、その窓際であなたは、アンニュイな表情を浮かべながら指でページをめくっていく。表情の訳は——別段本が退屈だからとか退廃的だからとか悲劇的だからとかではなく、単にあなたが『その表情をカッコいいと思っている』からに他ならず、トドのつまり——単にあなたが斜に構えているだけのことであった。


 運ばれてきたコーヒーに別添えのシロップをかけ、苦味の効いたそれが徐々に甘い液体へと変貌していく様を想像して気持ち良くなったあなたは、その気分のまま、まずは変化したコーヒーの味を想像しながら恍惚の笑みを浮かべ、そして本を読み進める。


 ところで、読んでいるのは漫画であった。ブックカバーをしているため、どういうジャンルの本を読んでいるのかは傍目ではわからない。

 ブックカバーをしていると、なんとなく『小説を読んでいる』という先入観があるだろうとあなたは考え、そこに対して意表を突いてやろうと思い至ったゆえの行動であった。

 ちなみに、漫画のタイトルは『ロボの異常な放電』というものである。


 結局のところ、言い換えるとトドのつまり、あなたは、喫茶店でコーヒーの変化を異様なまでに楽しみながら漫画を読むのが大好きなのだった。


 そういった性根由来の恍惚の笑みを浮かべながら、あなたは今度こそコーヒーを口にする。苦味を浸食するシロップの甘味が、あなたの脳内を幸福で満たしていく。別に全然違法なものを使っていないのにこの状態。あなたはシチュエーションだけで酔えるタイプの人間であった。


 “——ああ、これほどまでに幸福で甘美なひとときがあるだろうか? これほどまで空調が完備の空間にいて良いのだろうか? いや良い(反語)——”


 あなたはそう独白しつつ、漫画に目を移す。

 ——だがそこには、奇妙な『来訪者』が現れていた。


「……ん? なんだこのトド……」


 あなたが読んでいる漫画の主人公はロボットである。次元とロボット三原則を超越したロボットが世界を冒険する物語であり、


 にも関わらず、レギュラーキャラたちの中に、自然に溶け込む、ガタイの良いトド頭の男の姿が——!


 ロボ頭の集団の中に佇むトド頭の人物。もはや漫画の内容よりも奇妙なのだが、読み進めれば進めるほどトド頭のページ占有率が上昇していき——いつしか登場人物が全員トド頭になっていた。


「なんやこれは……こんな展開が……こんな展開が許されてええんか……?」


 あなたは思わずそう呟きながら本を閉じるも、狼狽と緊張により汗ばんだ手が漫画を落としてしまう。

 そして床に落ち、ブックカバーが外れ——


「——!??」


 その晒された表紙に刻まれていたタイトルが『トドの私情な了見』に書き換わっていることに気づいたあなたは、


「うわああああああああああああああ!!」


 叫びながらお勘定をして退店して横転して頭を打ってしまった。


「はぁ——はぁ——はぁ、はぁ……はぁ……は——」


 上気した精神を整えながらあなたは、『頭も打ったことだし神経内科で諸々見てもらおう』と判断して、知人が開いている病院へ足を運んだ。


 ——名を、『古戸ふると医院』と言った。



 ◇


古戸ふると先生! 俺、どうかしちゃったんですかねぇ?」


 あなたは頭を氷水で冷却しながら古戸先生に訊ねる。古戸先生は特に慌てた様子もなく、


「打撲、思ったより大したことないんよな。CTで見てもみたんだけど、異常な箇所はなんもないから、仮に不調があるとしたら別件だと思うんよな。セカオピの必要性を感じる」


 などと冷静に診断結果を伝えた。彼は常に落ち着いた発言をするため町でも評判の医者であり、マップアプリの口コミでも『期待を込めて星5です!』と度々書かれている。


 彼はプライベートでもあなたと仲良くしており、そもそもあなたが読書習慣を持つに至った理由は彼にあった。彼は大変な読書家でもあり、ある小説が好きすぎるあまり、表紙の柄をタトゥとして自身の頬に刻み込むほどであった。それもあり、みんなからは親しみを込めて『柄のタトゥの男』とも呼ばれている。


 もちろん例外なくあなたも古戸に親しみを持っているため、彼の診断に異を唱える択は持ちたくなかったのだが、今回ばかりは流石にそうも言っていられなかった。


「古戸先生! そうは言ってもこれは脳以外に原因ないんじゃないですか!?」


「君、ちょっと落ち着いた方が良いんよな。病院、静かにした方が無難なため」


「そこはすみません! ですけどこんな幻覚みたいな症状、他の臓器が原因だとは思えないんですよ!」


 あなたは少し興奮気味に古戸の両肩に掴みかかる。その目には少しばかり涙が滲んでいた。


「それは早計なんよな。セカオピにも種類があって、何も行く先が病院とは限らんというわけなんよな」


 そう言うと古戸は、診察室のパソコンで某SNSらしきスクリーンショットを開けた。そこにはラーメンの写真が添付された投稿が幾つか羅列されている。


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ひのおや @PrometheusSekai

合流丸@戯画町

壮絶ラーメン


一人前なのに五人前相当の具材が乗ったまさに壮絶仕様のラーメン!

半分食べると店主から「これでお前も半人前ってわけよ」という小芝居とともに替え玉が五玉入れられるサービス付き。満足感を超えた満足感で、これはもはや食事ではない——課題タスクだッ!と宣言したくなること山の如し。大変美味でしたァん!

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ひのおや @PrometheusSekai

染黒らーめん@戯画町

漆黒眼の烏賊墨拉麺ダークネスアイズ・スミゾメ・ラーメン


 でもただのラーメンじゃねぇぞ……真っ黒なスープと麺とノリがまるで器に入った漆黒の瞳のようになったド級のラーメン……いや、漆黒眼か!

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「なんなんですかこれは」

「これはシャベックス。我々の世界で言うところのX(現Twitter)に相当するSNSなんよな」


 あなたの発した『なんなんですか』の真意は『この人ラーメン食べる頻度凄くないですか?』という方だったのだが、結果的に事態の真相に迫る突破口の糸口が垣間見えた。


「まず戯画町という地名、そしてここに記載されているラーメン屋、これらは全て検索しても出てこなかったんよな。

 ラーメン屋だけなら地図に記載されていないだけの可能性もなきにしもあらずなんよな。けど、町の名前が一件もヒットしないのは、ちょっと奇妙なんよな」


「何が言いたいんですか……?」


 あなたの問いに、古戸は答える。


「さっきのスクリーンショット、CTスキャンした時のデータに混ざり込んでたんよな。しかも、他にも妙な画像があるんよな」


 そう言いながら古戸が新たな画像を開けた。


「こっ、これは……!」


 そこには、おそらくスマートフォン用壁紙だと思われる『トドの私情な了見』のイラストが広がっていた。それは間違いなくあなたが見たトド頭だった。



「——並行世界、或いはマルチバース、そう言ったものの研究、世間が思ってるより進んでるんよな。つまりはこれ、並行世界の画像データなんよな」


「何を……言ってるんですか……?」


 混乱するあなたをよそに、古戸は尚も淡々と語り続ける。


「非検体、思ってたよりも日常生活に影響が出てたっぽいんよな。

 でもここまでの影響が出るんは、何か高次元からの観測なり干渉があるとしか思えんのよな」


「古戸先生……? さっきから何をおっしゃってるんですか……?」


 最早あなたは恐怖に慄く姿を晒すことに抵抗などありません。それはそうです、こんなん怖いですもんね。

 いやはや、あまりホラーの文脈で「本当にこわいのは人間ですねぇ」というのは使いたくはないのですが。

 しかしながら、幽霊不在のホラーにおいて、恐怖の正体を開示する以上、そこには恐怖の根源が存在していないとオチにもなりませんからね。


「先生……! 古戸先生! どうしちまったんだよ古戸先生……!」

「処置、せざるを得ないんよな」


 尚も淡々と迫る古戸先生。あなたはもうなすすべもありません。ですが悔しいですねぇ。というか申し訳ありませんねぇ。私が時空の歪みを感知してついつい覗いてしまったせいで、二次元人であるあなたにこのような展開をお出ししてしまうことになろうとは。


「う、うわああああああああああ……!!」

「処分、開始なんよな」

「ぎ、——が、ぁ————、————」


 これ以上見るのも忍びないので、ここらで読むのをやめましょか。


 そして私は、本を閉じた。


 了。

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