25
無事に馬車に乗り込んだ私たち三人は、同時に安堵の溜息を漏らした。
「お嬢様、さっき、トミーにサンサン通りに行くようにおっしゃっていましたけど、昨日、例のお友達と出会った場所ですよね、サンサン通りって。同じ場所で落ち合うのですか?」
パトリシアが早速口を開く。
「いいえ。その近くに知り合いの家があるみたいなの。その方の家よ」
「だったら、最初からその人の家に行けばよかったじゃないですかね、彼女? なんでお嬢様に頼んだのでしょうか?」
彼女は不満げに首を傾げた。
「お留守だったみたい」
「あ・・・、なるほど・・・。でも、お帰りになるまで待っていればいいのに」
「焦っていたのでしょう、きっと。職業紹介所に行かなければいけなかったわけだし」
「確かに・・・。それでも、他人に子供を押し付けるなんて、いくら親しいお友達だからって・・・。冷静に考えてみると、いろいろおかしくないでしょうか?」
あ、気が付いちゃった? ええ、ええ、いろいろおかしいわよ。
「まあまあ。昨日はわたくしも突然のことで、気が動転してしまって引き受けてしまったけれど、過ぎた事よ。彼女の知り合いに引き渡せば終わるのだから、もういいじゃない」
私は彼女を宥めるように微笑んで見せた。
「本当にお知り合いなんでしょうかね? もしかして全くの嘘で、お嬢様にこの子を押し付けるつもりじゃ・・・?」
止めて。冗談じゃないから。
「大丈夫よ! パット! 絶対そんなことはないから!」
「正直に言って心配です。お嬢様は面倒見がいいので・・・。人が良いから、そこに付け込まれてしまわないかって・・・」
パトリシアは眉を下げて心配そうに私を見た。
「あら、パット。人が良いなんて嬉しいことを言ってくれるのね! 誰かさんにはクソ女って言われたけど」
私の腕の中でレオナルドがピクッと動く。
「はああ?! 誰ですか!? お嬢様にそんなことを言うなんて!!」
パトリシアは目を剥いて叫んだ。レオナルドはまたビクッと体を震わせた。
「うふふ。ありがとう、パット。そんなに怒ってくれて」
「笑い事じゃありませんよ、お嬢様! 信じられない! そんな人がいるなんて! もしも見つけたら私がそいつの髪の毛ぜーんぶむしり取ってやりますっ!」
パトリシアが叫ぶ度に、レオナルドの身体がビクッと震える。
ふんっ、よくお聞き! 私の人となりを!
「それは、お嬢様は負けん気が強くて、喧嘩っ早いところもありますけどね」
・・・。
腕の中のレオナルドの震えが止まった。
「少々お口も悪かったり、我儘なところもありますが、面倒見はとてもいいですもの!」
・・・。
ごめん、パット。もう黙ってもらえる?
☆彡
目的地のサンサン通りまで来ると、馬車を降りた。
念の為、レオナルドの顔は見えないように抱えて、用心しながら大通りを歩く。
例の曲がり角にまで来た。
確か薄暗い道だった。入るのに少し勇気がいる。
「この通りを行くのですか? 何か薄暗いし、人通りもないし、大丈夫でしょうか・・・?」
通りを覗き込みながらパトリシアは不安そうに呟いた。
私は腕の中のレオナルドを見た。レオナルドは無言で頷く。
「大丈夫よ、パット。悪いけれど、ここからはわたくし一人で行くわ」
「はい?! 何をおっしゃっているんですか、お嬢様!? ダメですよ、そんなの! 私もお供します!」
パトリシアは驚いたように叫んだ。
「ごめんなさい、パット。ここはわたくしの言うことを聞いてちょうだい。わたくしの友人の名誉がかかっているのよ」
「名誉って・・・?」
「そう。ほら、わたくしって義理と人情に厚いでしょう? 友人として彼女の名誉を守らなくては」
私は可愛らしくコテンと首を傾げて見せる。しかし、そんな程度ではパットは折れなかった。
「何が名誉ですか?! いくらお嬢様のご友人であっても、私には他人! 私にはその方の名誉なんかより、お嬢様の安全の方がずっとずっとずーっと大事です!!」
うん。なかなか嬉しい言葉。大切に思ってもらえていることが実感できて、若干荒んでいる私の心に暖かく浸み込む。
しかし、そんな感傷に浸っている暇はない。有難いこの忠誠心から何とか逃れないと。一緒に行くと彼女にこの子がレオナルドとばれてしまう可能性がある。そんな行動は極力避けなければいけない。
ただレオナルドが薬を誤飲して子供になってしまっただけであればともかく、陰謀説が絡んでいるのだ。できる限り内密にしたい。
「ありがとう、パット。でも、ここはわたくしも譲れないのよ。そうね、向かいにあるあのカフェで待っていてちょうだい。外の席からならこの通りが見えるでしょう?」
私は大通りを挟んで真向かいにあるカフェを指差した。
「この子を預けてすぐに戻るわ。そうね、三十分もあれば終わるでしょ」
「でも・・・、お嬢様・・・」
パトリシアの顔は心配そうに曇っている。私は安心させるようににっこりと笑うと、彼女の荷物を受け取ろうと手を伸ばした。しかし、パトリシアは渡さないとばかりに包みをギュッと抱きしめた。
「やっぱりダメです。私も行きます!」
しぶとい。
「分かったわ・・・。なら。一時間経っても戻らなければ、トミーと一緒に迎えに来てちょうだい。この通りを真っ直ぐ入って突き当りを右、三軒目のお宅よ」
場所を明示したことで、多少彼女の許容範囲に入ったのか? 荷物を持っている手元が緩んだ。私はそれを見逃さず、彼女から包みを奪った。
「あ! お嬢様!」
「いい? 必ず戻るから、安心して。約束の時間まであのカフェで待っていなさい。無理やり付いて来ないで! いいわね?」
私の口調が急にきつくなったことに、パトリシアはハッとしたように姿勢を正した。
有無を言わせない私の態度に彼女は頷くしかなかった。
「分かりました・・・、お嬢様・・・。お気を付けて」
ようやく諦めたパトリシアはシュンと肩を落としたが、すぐにバッと顔を上げると、
「でも、一時間ですよ!! 一時間! 一時間経っても戻らなかったらすぐに向かいますからね!」
人差し指を一本立て、私の顔に近づけた。
「分かったわ。行ってくるわね」
私は頷くと、踵を返し、薄暗い通りに足を踏み入れた。
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