17

私はレオナルドを抱いて、部屋にある大きな姿見の前に立った。


鏡に映るその姿。それは幼子を胸に抱く私。

その幼子は目をまん丸にし、鏡を凝視たまま、固まっている。


「殿下、今の状況、お分かりになりまして?」


「・・・」


「ほら、鏡に映っているお姿、貴方様ですのよ?」


「・・・」


「殿下?」


レオナルドは微動だにしない。目を丸めたまま、カチーンと凍り付いている。


「ほら、殿下。鏡に映っているのは間違いなく殿下ですわよ」


私はレオナルドの手首を取り、鏡に向かって振って見せた。


「・・・あれって、お、俺・・・?」


レオナルドは鏡を見たまま、ようやく生気を失ったようなかすれた声で呟いた。

恐る恐る鏡に手を伸ばす。


「そうですわ。他に誰がいるというのです?」


私はレオナルドを床に下ろすと、彼はヨタヨタとふら付きながら鏡の傍に近づいた。

ペタペタと確かめるように鏡を触る。


「俺・・・? 本当に・・・これが、俺・・・?」


信じられない、信じたくないとばかりに鏡に映った己の姿を触っている。その小さい背中には「困惑」という文字がはっきりと書かれているのが見える。

散々触った後、とうとう諦めたのか、その場にペタリと座り込んだ。背中の文字は「絶望」に変わった。


既に彼の二歳児の姿に見慣れてしまっていた私も、流石にこの哀愁を漂わせる後ろ姿に同情せざるを得ない。さっきまで彼の驚く様子を期待していた自分を少しだけ反省した。


「大丈夫ですか? 殿下?」


私はガックリと項垂れて座り込んでいるレオナルドの隣にしゃがみ込んだ。

レオナルドはゆっくり顔を上げ、私に振り向いた。


「残念ながら、これが今の貴方様のお姿です」


「これは・・・、一体、どういう事なんだ・・・?」


絶望した顔で私に問う。


「わたくしの方こそお聞きしたいことですわ。一体全体どういう事ですの?」


「・・・」


「何か心当たりはありませんの?」


「・・・薬・・・」


レオナルドはボーッと私を見たまま、小声でつぶやいた。


「薬を・・・、薬を盛られた・・・」


「え・・・? 薬・・・?」


「そうだ! あの時の! くそっ!」


レオナルドは何かを思い出したようだ。急に怒りだし、ガンッと拳で床を叩いた。


「ただの媚薬ではなかったんだ! 畜生め!!」


は? 何? 媚薬? 


「道理で苦しかったわけだ! おのれ、よくも俺をこんな目に!!」


レオナルドはギリリッと歯を喰いしばり、鏡の中の自分を睨みつけた。


え? って言うか、何、媚薬って? あんた、何飲んでるの? 最低なんですけど。



☆彡



ここ最近、媚薬なるものが巷で流行しているというのを耳にしたことがある。必要以上に欲を滾らせるこの薬で、若者たちが淫らな遊びに耽るのだと。それも、未婚者よりも、既婚者同士の間で流行っているというから呆れる。お互い伴侶がいる同士、危険なランデブーを楽しむ上で、この薬は格別な役割を果たすのだとか。


そんな厭らしく淫らな薬をレオナルドも使っていたのか。

常々クズだとは思っていたが、ここまでとは・・・。


「最低ですね・・・、殿下。媚薬だなんて・・・。そんなものを愛用していたなんて、心底見損ないました」


私はスッと立ち上がり、レオナルドを冷ややかに見下ろした。レオナルドは一人怒り悶絶していたが、私の言葉に驚いたように顔を上げた。


「は? 何を言っている?」


「最低ですと申し上げました。女性たちを大勢侍らせて、媚薬などを使って淫らな遊びに興じていたなんて。想像しただけで吐き気がします」


吐き捨てるように言うと、大げさに顔を背けた。


「はああああ~~???」


途端に素っ頓狂な声が響いた。

レオナルドはガバッと立ち上がると、クワッと私を睨みつけた。


「俺がそんなもの使うわけがないだろう! 何を言っている! バカにするな!」


肩を怒らせて鬼の形相で私を威嚇するが、なにせ身体は二歳児。ちっとも怖くない。私の長い足でテイッと蹴とばせば、コロコロッと転がってしまうと思われるほど小さい。

もちろん、しませんけどね!


「でも、今、媚薬とおっしゃったではありませんか」


「だーかーらー! 媚薬を盛られたって言ったんだ! 俺が好んで飲んだんじゃない!! 仕込まれたんだ! 人の話をしっかり聞けっ!」


「あー・・・、確かに・・・」


駄々っ子のようにその場で地団駄を踏むレオナルドを見て、私も少し冷静さを取り戻し、先ほどの彼の言葉を思い起こす。


「だろう?! 俺は今までそんなもの飲んだことも触ったこともないぞ! 誰がそんな低俗なものに手を出すか!!」


フーッフーッと毛を逆立てた子猫のように私を睨みつけるが、どうも、この品行方正さをアピールする台詞に非常にイラっとするのは仕方がない。常に女を侍られている男が言うにはあまりにも不釣り合いだ。


「それは失礼いたしました。殿下の日頃の振舞いから、てっきりお使いかと疑ってしまいましたわ」


「ぐぬ・・・」


「つまり、普段はそのような物の力など必要ないということかしら」


「はあ?!」


「いいえ、何でもありませんわ。殿下の乱れたプライベートなど知りたくもございませんし」


私は肩を竦めて見せた。


「ふ、ふ、ふざけるな! 無礼者! 俺は淫らな遊びなんて一度もしたことないからな!! 勝手に変な想像するな!!」


「さあ、どうだか・・・?」


「そういうところだ! そういうところだぞ! エリーゼ! お前の可愛くないところはっ!」


私の足元で二歳児がギャーギャー喚き散らす。


ふんっ、分かってるわよ、自分が可愛くないなんて。そんなこと十分過ぎるほどね。

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