第2話 助ける理由


 エルヴィスの首飾りを着けてあげるのはアイリーンの仕事だった。


「エルヴィス様」


 そっと首飾りを差し出せば、彼は頭を下げてくれる。首にかけてあげれば、彼は優しく笑った。


「君からもらったものは、いつ見ても嬉しくなるものだな」


 数年前にアイリーンから贈った首飾りを、彼は欠かさず身に着けてくれる。


「私も嬉しく思います」


 二人で顔を見合わせ、笑い合う。

 そんな日々が続くと思っていた。




「ここは……」

「ここは、魔術師団の客室になります。今日からあなたには、ここで過ごしていただきます」


 ハロルドが用意してくれた部屋は、魔術師団の寮の中になる客室だった。


「あなたの身の回りの部屋は女性の魔術師団員が行ないます。私も隣の部屋で寝泊まりすることになりますが、ご了承ください」


 聖女として普段生活していた部屋よりも小さくはあったが、高貴な来客に使うような立派な部屋だった。部屋に次々と生活できるようにと日用品が運び込まれていく。その様子を見て、アイリーンはハロルドに目を向けた。


「あの、よろしいのでしょうか」

「何がです?」


 ハロルドは優しい表情を崩さずこちらに目を向けた。


「あたしは、その……ヴィオラ様の姿をしております。エルヴィス様の中では罪人扱いです。それなのに、こんな……客として扱っていただいていいのでしょうか」


 彼は安心させるようにうなずく。


「もちろん。あなたは陛下の中では罪人でも、私の中では聖女アイリーン様なのですから」


 そう言うと、彼は椅子に座るよう促す。アイリーンが席に着くと、ハロルドも向かいに座った。彼はこちらを見ると、小さく笑う。


「不思議そうな顔をしていますね」

「それはそうですよ。本当に不思議で仕方がないのですから」


 部屋に備え付けられた鏡に目を向ける。そこに映っているのは紛れもなくヴィオラ。誰もアイリーンだとは思わないだろう。


「……どうして、あたしがアイリーンだと信じてくださったのですか」


 ハロルドのことは前から知っていた。だが、接点はあまりなく、顔を合わせたら挨拶する程度の関係だった。悪魔と契約しているという噂もあるほど、力のある魔術師。そんな彼がどうして危険を冒してまで味方になってくれたのだろうか。どうして自分の言葉を信じてくれたのだろうか。


 ……エルヴィスさえ信じてくれなかったのに。


 ハロルドは腕を組むと、「そうですね……」と首をかしげた。


「魔術師団長として、こう言ってはアレですが……勘なのです」

「……はい?」


 アイリーンが眉を寄せると、彼はクスクスと笑った。


「申し訳ございません。証拠はないのです。ただ、あそこに立っていたあなたを見て……あなたがアイリーン様に違いないと、そう思ったのです」


 ハロルドの言うことは納得のできるものではなかった。それが顔に出ていたのか、彼は質問してくる。


「不安ですか?」

「ええ。とても」

「では、あなたがアイリーン様だという証拠を探す仲間として、不足でしょうか」

「……いいえ、それはないです」


 ハロルドの問いに、アイリーンはハッキリと否定した。


「あたしはあなたの実力を知っています。魔術師として、さまざまな功績を上げ、王族にも信頼されている魔術師団長様。それは、あたしも同じです」


 悪魔の魔術師と言われているが、彼が何か悪事を働いたと聞いたことはない。むしろ、国のために活動しているのをよく耳にしていた。魔力の強さで恐れられていても、それを上回るほどの信頼を寄せられているのを知っている。


「何より、あたしを信じてくれました」


 断罪をするつもりが、断罪される側に立っていた。信じていた人たちが皆、冷たい視線を向けてくる中、一人、手を差し出してくれた。……それがどれほど心強かったか。


「だから、あたしもあなたを信じます」


 そう言って笑ってみせた。だが、頬の力が緩んだ。


「あ……」


 目元が熱くなり、涙がこぼれ出る。


「すみません、その……」


 まだ気を緩めるときではない。そうわかっているはずなのに、涙が止まらなかった。信頼していた人たちに敵意を向けられるのが辛かった。ずっとそばにいてくれた人が自分の言葉を信じてくれなくて悲しかった。……あそこはもう自分の居場所ではないのだと事実を受け入れられなかった。


「まだやることがたくさんあるのに……ごめんなさい」


 涙を流しながら笑って見せた。だが、ハロルドは眉を下げてこちらを見ていた。


「泣いていいのです」


 その言葉に大きく目を開く。


「ここにはあなたの敵はいません。大丈夫。ここは泣いても良い場所ですよ」


 そう言われてしまうと、気が緩んでしまう。ボロボロと零れ出る涙を指で拭っていると、ハロルドはハンカチを差し出してくれた。それを受け取り、気が済むまで涙を流す。


「恐れずに前をずっと向いていたあなたは素敵でした……。かっこよかったですよ」


 彼はそう慰めながら、泣き止むまでずっとそばにいてくれた。




「ありがとうございます。落ち着きました」


 アイリーンがお礼を言うと、ハロルドは安心したようにうなずいた。


「これからお辛いことがあるかと思いますが、大丈夫です。私はあなたの味方でありつづけますから」

「心強いです。これからよろしくお願いいたします」


 そう答えると、ハロルドは姿勢を正す。


「では、本題に入りましょうか。あなたは罪を犯した伯爵令嬢のヴィオラと体が入れ替わり、聖女に危害を加えた罪に問われている状態です。このままでは国外追放。それを打開せねばなりません」


 彼は脚を組み、状況の整理をはじめる。


「ご存じの通り、魔術は基本的に魔術具を使って使うことになります。魔術具を使わずに魔術を使うことができるのは聖女のみ。……アイリーン様、あなたは今、力を使うことはできますか?」


 アイリーンはそっと手を開き、手のひらに魔力を集めてみる。だが、何も起きなかった。


「この体では難しいようです」

「そうなのですね。聖女の力は魂に宿ると言われています。ですから、その体でも使えるかと思ったのですが……体と魂が馴染んでいないからでしょうか? しばらく様子見をしましょう」


 そっと唇を噛む。もし、聖女の力を使うことができたのなら、自分がアイリーンだとすぐに証明できただろう。それができないということは、ほかの方法を探さなければならない。


「難しい顔をしないでください。大丈夫です。地道に証拠を探すだけですから」

「ですが、どのように証拠を探すのですか?」

「さきほども言った通り、魔術を使うには魔術具が必要です。普通の魔術は、一つの目的に対し、専用の魔術具を使うことで発動することができます」


 明かりを灯したいのであれば、照明の魔術具。怪我を癒したいのであれば、治療の魔術具といったように、用途にあった魔術具に魔力を注いで使用する。魔術具がなければ、魔力があっても、魔術を発動することができない。


「黒魔術も同様に、入れ替わりをさせるには専用の黒魔術具が必要です。そして、魔術を継続して発動するには常に魔力を注がなければなりません。ヴィオラが黒魔術具を身につけているのであれば、それは証拠となります」

「ですが、彼女は今、アイリーンとなっています。彼女の身に着けているものを調べることは難しいでしょう」

「そうですね。ですから、まずは黒魔術の情報を得ましょう」


 黒魔術は禁忌だ。その実態は詳しく明かされておらず、数少ない黒魔術師がその力を独占している。そして、その力を欲する者に黒魔術具を与えると言われている。


「魔術師団には、黒魔術を専門として研究している者がいます。黒魔術は秘匿されていることが多く、詳しく知っている者は少ないです。まずは、その研究員に話を聞いてみましょう」


 ハロルドは後ろに控えていた従者に相手へ訪問することを伝えるように指示した。その様子をじっと見ていると、彼はこちらを向いて首をかしげた。


「どうしましたか?」

「ハロルド様はこの件が解決しなければ、国外追放になってしまいます。どうして、自ら追放を提案してまで、あたしを助けてくれるのですか?」


 勘という確証がない状態で、そこまで危険を冒す必要があったのだろうか。まるで賭けでもするかのようだ。だが、彼は当たり前のように答える。


「魔術師団長として、黒魔術を見逃すわけにはいかないですから。……それに、条件に加えたように、欲しいものがあったのです」

「それはどのようなものか、聞いてもいいですか?」


 その問いに、彼は少し視線を下げた。頬を緩め、何か幸せなことでも考えているような表情だった。


「私には手が届かなくて、諦めていたものです。眩しくて温かく、優しい気持ちになれる。……そんな貴重ものですよ」


 どのようなものか思いつかず、首をかしげる。


「……不思議な魔術具ですね?」

「ふふふっ、そうですね」


 彼は笑って、具体的な内容は避けた。それ以上深掘りしてほしくないようだ。

 アイリーンが質問を続けないのを確認すると、彼はこちらに手を差し出した。


「アイリーン様、行きましょうか」


 差し出された手をじっと見つめる。そして彼の顔を見た。


「あたしとハロルド様はいわば、相棒のような関係ですよね」

「そうなりますね」

「様付けだと、あまりにも他人行儀ではありませんか? あたしのことはアイリーンとお呼びください」


 彼は目を瞬かせると、ふっと微笑んだ。


「わかりました、アイリーン。私のこともハロルドとお呼びください」

「ハロルド」

「はい」

「これから、よろしくお願いします」


 彼の手に手を重ねて軽く握ると、彼は優しく握り返してくれる。


「よろしくお願いします……アイリーン」


 彼が名前を呼んでくれる声は、不思議と温かく感じられた。

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聖女様は断罪間際の令嬢になりました 虎依カケル @potinetto

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